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xxiii.

 慧の車は、男の家から少し離れたところに停めてあった。乗り込もうとしたところで奏は俄かに気づく。慌てて慧に問うた。

「今日、何曜日?」

「土曜」

「まずい。店に出ないと」

「おまえ、その状態でバイトしようっていうのか」

 慧はまたも呆れた顔になった。

「うん、まあ」

「鏡見てみろ」

 顎でサイドミラーを示す。奏は鏡を覗いた。そこに映る姿ときたら。

 無精ひげに青ざめた顔、首には男の指の跡がうっすらと残っている。奏は溜息をついて車から離れた。ひどい有様だ。その上、Тシャツは切られ、胸と腕には切り傷が──。

「でも行かないと。明日から結城さんがいなくなるんだ」

「いなくなる?」

「また海外へ行くんだって。その間、店番頼まれてて。今日は顔を出さないと」

「優雅だな」

 兄は無感動な様子でいう。

「とにかく送ってやるよ」

 それ以上はとめなかった。そもそも奏はバイト先に住んでいるのだから、その場で倒れでもしない限りさぼるのは無理だ、と思い至ったのかもしれない。

 店のひとつ手前の通りで、奏は車を降りた。慧が車の中に置きっぱなしだった上着を貸してくれた。溜息をつきながらウインドブレーカーのようなそれを着込む。襟元までしっかりファスナーを上げた。

 外はいつの間にか、よい天気を通り越した強い陽射しが降り注ぎ、九月の終わりとは思えぬ暑さとなっている。限りなく怪しげな格好だという気もしたが、家に入るには店を通らねばならない。お客がいるかもしれないし、既にバイトには遅刻だ。店長の結城にいいわけもしなければならなかった。首の痣や切られた服が丸見えの状態で行くわけにはいかないだろう。

 店がある通りまで来たところで、奏は女子高生のグループに気づいた。どうやらお客らしかった。以前にも来たことがあるかもしれない、と思う。制服に見覚えがあった。

 彼女たちは店の前に立って、なにやら楽しげにしゃべっていた。といっても、楽しそうなのは店の近くにいる二人だけだ。少し後ろに立つ三人めは、詰まらなそうな顔をしていた。しかし彼女は、一度見たら忘れられないような綺麗な少女だった。

 話していた二人が店に入った。三人めの彼女は、なぜか急に振り返った。その表情が強張る。店の向かいの小路の方を見ているようだった。奏は足をとめた。奏の位置から小路にいるものの姿は見えない。が、彼女が見ているものが何なのか、わかった気がした。

 魔物の気配だ──。

 彼女はひどく怯えているようだった。身体のバランスが崩れ、倒れそうに見えた。奏は駆け寄って、後ろから肩を掴んで彼女を支えた。小路の電柱の陰に立つ男の姿が流れ込んできた。たった今彼女が見ていたものだろう。

 奏は彼女を支えたまま、小路に目をやった。男の姿は既になかった。少女の恐怖が伝わってくる。彼女はぎこちなく奏を振り仰いだ。

 大丈夫、といいかけたところで、彼女の強い思考が飛び込んできた。

 このおじさん、いつまで人に触ってるの!

 奏は思わず手を引いた。彼女は身を翻し、逃げるように店へと駆け込んだ。

 え? おじさん? 

 奏は呆然と立ち尽くした。少なからずショックを受けていた。あの男に出会ってからこちら碌な思いをしておらず、消耗していたせいもあって余計堪えた。

 おじさんって。昨日二十一になったばかりだというのに。

 そんなにひどい様子だろうか。やっぱりバイトは休もうか、などと憮然として考えたが、それより気になるのは今の少女が見ていたものだ。

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