xxii.
外はよい天気だった。昨夜からの出来事はただの悪夢だったのではないか、と思わせるような青い空の下を車まで歩く。
「とんだ誕生日だったな」と慧がいった。
そういえばそうだ。が、そのおかげで見つけてもらえたのだから、素晴らしい誕生日といえそうな気もする。命拾いしたのは間違いないのだ。
「そうだ。家に行く約束、破ってごめん」
思い出して謝ると、兄は呆れ顔になった。
「そんなこと気にするな。あれだけの目に遭ってて」
「でもミラさんに悪かったろ」
ミラというのは、慧と一緒に暮らしている女性だ。事情があって正式には結婚できずにいるが、一緒に住むようになって既に二年近い。奏も今では身内と思って接していた。
絶世の美女だが料理はあまり得意ではない彼女が、頑張って奏の好物など作って待っていたのではないか、と思って申し訳なくなる。
「ああ、大丈夫だ。あいつなら今いない。暫く留守にすることになって、もう一週間か。あいつの方こそ、おまえに悪がってた。何か作って冷凍してたぞ。今度食べに来ればいい」
慧は笑みを見せていう。奏は驚いた。
「留守って、一週間以上も? いったいどこへ行ったの」
「里帰りだ」
「どうして。まさか、喧嘩したの」
「そんな子供みたいな真似するか」
「だって、里帰りって」
「出産には、やっぱり向こうがいいらしいんだ」
「出産。え、出産?」
思いがけない言葉に、更に驚く。
「子供が生まれる、ってこと」
「まあ、そうなるな」
「そうなるって。そうなんだ。何だ、早く教えてよ。おめでとう」
「おれも最近まで知らなかった。あいつも、ずっと気づいてなかったみたいで」
「そっか」
奏は感慨深い気持ちで黙り込んだ。
兄に子供が。自分にとっては甥か姪だ。いったいどんな子なのだろう。考えを巡らせてみても、ほとんど漠然とした姿しか描けなかった。いずれにしても、大切な存在となることだけは間違いない。兄たちにとってそうであるのと同様に──。
「ねえ、どっちかな。男、それとも女の子」
どっちもかわいいだろうな、と早くも嬉しくなってきた奏に対し、慧は、さあ、といって、戸惑うような表情を見せた。
「やっぱり、おれたちの血をひいて生まれてくるんだろうな」
声が幾らか沈んでいる。
「幸せだと思うか」
「兄さん」
「今更迷うなんてな。散々考えていたはずだったのに」
慧は呟いて目を伏せた。奏はそんな兄を暫く見つめた後、微かに笑った。
「ミラさんは兄さんといて幸せだよ。おれにはわかる」
弟の言葉に、兄は顔を上げる。
「兄さんだって、そうじゃないか」
慧も漸く笑みを浮かべた。
「敵わないな、おまえには」
「普通と違うのは、確かに大変かもしれない。でもさ、おれもまた立場は違うけど、大変だと思うときはあっても、不幸だと思ったことはないな。兄さんがいてくれたし。生まれてくる子だって、きっと大丈夫だよ」
「これからは今以上に、おまえだけについててやるってわけにもいかなくなる」
慧はまた表情を翳らせた。奏は慧を見て頷く。兄が案じてくれていることは、触れなくてもわかった。
「わかってるよ。大丈夫。なるべく自力で何とかする。どうしようもないときは、今回みたいに助けてもらうかもしれないけど」
「それはもちろん、当然だ。そうじゃなくて」
「それも平気だよ。さすがにもう大人だ。大丈夫、一人でいるのは慣れてるしね」
「おまえ、まさか、ずっと一人でいる気か」
「だって、こんな特殊能力があっても平気っていう人は、なかなかいないだろ」
肩を竦める奏に慧はいう。
「そのうち現れる」
奏は腕組みをして、暫く唸った後で、
「例えば、同じような力の持ち主、とか?」
いってはみたものの、そんなものがおいそれと存在するとも思えない。
「別に普通の人間だって構わないだろう」
「そうかな」
「そうさ」
確かに、その点では普通である慧は奏といても平気なようだし、奏も兄といるのは楽だった。数は少ないものの、そういう相手は他にもいた。
けれど、身内や友人と恋人同士では、つき合い方も自ずと違ってこよう。やっぱり難しいよなあ、と奏は思った。自分の中では折り合いのついていることでも、他者が関わるとなると、また異なる問題が生じてくるのだ。
とはいえ、別の点では普通ではない慧が、伴侶と子供を得ていっている言葉だ。重みはあった。きっと真実を含んでいるのだろうとも思えた。
それがどんな相手で、いつ現れて、自分がどんなふうに応じるのか、今の奏には想像もつかなかったが──。




