xix.
「これで終わりか」
男が呆れたようにいった。
「楽しむ暇もなかったようだが」
男は疑わしげに倒れた人影に目をやる。と、突然、人影は燃え上がった。全身が見る間に火に包まれる。白色の輝きを帯びた炎だ。広がって、周辺に漂う霧をも嘗めていく。男は無言でその様子を見た。瞳には抑えようのない怒りがあった。
「もちろん、まだ続きはありますよ。一気に片付けようなんて、さすがに無茶だ」
男の背後で兄の声がした。奏はほっと息をつく。男が舌打ちして振り返った。
「ほとんどつぎ込んでしまいましたね。あの霧はちょっと厄介だったから、助かりましたよ。また随分と集めたものだ。あれだけでも、ひとつの闇の生き物に匹敵する。さすがですね。だけど人形に封じ込めたから、もう取り戻せませんよ。あのまま浄化します」
慧は燃え盛る白い炎を目で示す。
「おまえ」
男は慧を見据えた。
「そう怒らないでください。どのみちあれは、一部が浄化されて力が弱まっていたんだ。弟の仕業ですね。あの霧だけじゃない。あなた自身も、あいつといて少しばかり調子が狂ったようだ。違いますか」
慧が前に出て、男は後退した。
「ああ、動かないでください。話はまだ終わっていませんよ」
慧は微かに笑う。その胸で霊符が輝き出した。
「あの力が珍しかっただけじゃない。あいつはあなたと正反対ですからね。それで興味を引かれたんでしょう。あいつからいろいろ蒐集したくなっても無理はない。その上、なかなか好みの反応を見せないものだから、つい執着した。どうしても望んだ姿を見ずにはいられなくなった。けど、霊符もなしにあの霧を浄化するようなやつが、あんな呪いみたいな声をあげることがあると思いますか。あいつが怒ったり恨みごとをいったりするところは、おれも見たことがない」
慧は言葉を切った。男は霊符の光に魅入られたように動かない。慧は再び口を開く。
「あなたとおれでは、力の差はごく僅かだった。だから、何かに囚われて冷静さを失うのは致命的だ。さあ、これでいよいよお仕舞いです。いったとおり、闇の世界に戻っていただく。弟のことは、もう忘れてもらいますよ」
男が怪訝そうに目を細めた。慧の胸元の輝きが強まった。まるで兄自身が光を発しているかのように奏には見えた。慧は霊符を取り出し、宙へと投げた。一際鮮やかな輝きが放たれる。男が腕を上げて目を庇った。
奏も思わず目を閉じた。瞼を閉じても光が感じられる。白い闇の向こうで、くぐもった叫びのようなものが一声した。何かが粉々に壊れる気配が伝わってくる。男が張った結界だろうか。次の瞬間、妖気は消えていた。身体がすっと楽になる。奏は目を開いた。
部屋には午前の美しい陽光が戻っていた。男の姿はどこにもなかった。家の中に軽やかで澄んだ空気が下りてくる。慧が軽く息をついて、男が消えた場所をみつめていた。