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xviii.

 奏の不安を味わって男が笑った。再び血に塗れた慧の姿を見せられる。

「やめてくれ。頼むから」

 奏は蒼ざめ、小声で男に請うた。

「落ち着け。大丈夫だ」

 淡々とした調子の慧の声が響いた。奏は兄を見る。心配するなといいたげに慧が頷いた。

「大丈夫、だと」

 男が凄みのある目で慧を睨んだ。

「大した自信だな。この状況でどうする気だ。弟がどうなってもいいのか」

 男は奏の首に当てたナイフを横に引く素振りを見せる。慧が軽く溜息をついた。

「そういうはったりは通じませんよ。あなたはそいつを殺さない。少なくとも、今すぐにはね。弟が気に入ったんでしょう。まあ、あまりあなた向きじゃないとは思いますけど」

「どういう意味だ」

 苛立つ男を、慧は僅かな笑みでいなす。

「とりあえず、弟は一旦解放して、こちらの相手をしていただけませんか。どうせこの家からは出られないんだ。おれを消せたら、そいつを好きにすればいい。第一あなたは、人質をとるような小者ではないはずでしょう」

 口ぶりは静かだが、言葉はあからさまに相手の神経を逆撫でするものだった。男の激する様が奏に伝わってくる。妖気が更に濃くなり、奏の身体をきつく締めつけた。

 慧への怒りと殺意と、慧が倒れた後に待つこの上ない歓喜。男の内面の動きに全身を包まれ、奏は背筋が寒くなる。だが同時に、男が冷静さを失いつつあることもわかった。先刻までは慧の力を計りかね攻め方を思案していたのが、今や慧を襲ってこの場から排除することしか考えていない。おそらくは、それこそが慧の狙いだろう。

 男は首からナイフを離すと、奏を床へ倒した。

「つくづく生意気だな、おまえは」慧にいう。

「そいつと違って、かわいげがなくて申し訳ないですね。それでも少しは楽しめると思いますよ」

「是非、そう願いたいものだ」

 高ぶる男とは逆に、慧はまったく感情を見せない。そういえば、という。

「先ほどの話。あなた方の仲間を殺していたのは、ずっと以前のことだ。今はそういうことはしていない。ただ自分の世界に戻っていただきたいだけですから、ご心配なく。さすがに、完全に無傷というわけにはいかないかもしれませんが」

 慧が男と話している間に、奏は這うようにして部屋の隅まで移動した。この家の中にいる以上どこにいても人質には変わりないが、少しでも男から離れている方がいい。触れられればまた、簡単に脅しをかけられてしまうだろう。

 再三の攻撃で身体のダメージも大きくなっていた。壁に寄りかかって身を起こすのがやっとだった。

 そのまま二人の様子を見守る。部屋の中は再び陰り始めていた。男が先手を打ったらしい。濃い妖気がゆっくりと室内に満ち、奏は強い圧迫感を覚えた。

 慧の周辺に黒い霧のようなものが漂い始めた。先ほど奏を苦しめた、呪詛の叫びを孕んだあの霧だ。まだ男の中に残っていたらしい。あれは兄にはどんなふうに作用するのだろう。自分の意識を押し流そうとした憎しみの破壊的な強さを思い出し、奏は兄の無事を祈る。

 慧の胸元には白い光が生まれていた。鮮やかに輝き出す。黒い霧が光を怖れるように動きをとめた。ポケットから出した霊符を、慧が空中に放つ。霧は光に呑まれるように消えた。

 男は不興そうに眉を寄せたが、霧はまたすぐに慧の周りに生じていた。いったいどれほどのものを溜め込んでいるのだろう。奏は寒気を感じながら慧をみつめた。

 慧は表情を変えずに霧を一瞥した。だが今度は、特に手を打つ様子もなく佇んでいる。霧はどんどん濃くなって慧を包み始めた。徐々に霧に覆われ、黒い影のようになった兄の姿に奏は呆然とした。

 闇の色をした霧は更に濃さを増す。既に兄かどうかもよくわからなくなった人影を締めつけるように覆い続ける。人影はついに床に倒れた。

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