xvi.
「そんなに驚かなくたっていいだろ──だからって好きにしてくれと思ってるわけじゃない──できれば人の世界には来てほしくないし──こんな趣味はどうかとは思ってるよ」
男の中に今までとは違う感情が動くのを奏は感じた。
驚きに近いが、何だろうこれは。当惑、だろうか。よくわからないが、やけに人間めいた感情に思えた。だが、それはすぐに消えた。
次いで生じてきたのは強い好奇の念だった。絡みつくようなその想いに、今度は奏の方が困惑する。これまでも接触感応の力による反応をおもしろがられているのはわかっていたが、また別な種類の関心が男の中で生まれたようだ。もっと強い、奏個人に対する興味らしかった。
「こういう目に遭っても、さして怯えない上に、恨みも憎しみもろくに抱いていない。やつらが浄化されるわけだ。生きることに未練がないようにも見えないが、そういう性質なのか。珍しい」
男は奏の喉に手をかけ、軽く締めつけた。奏は抵抗しなかった。まだ殺すつもりがないのはわかっていた。苦しむところを見たいだけなのだ。いつしか男は、先ほど以上に高揚していた。
「ますます、おもしろい。際限なくおまえをいたぶりたくなるのは、そのせいもあるらしい。気の毒に。せめて気でも違ってしまえば、もう少し楽に終わりにしてやれたんだが。これではなかなかやめられそうにない。おまえは、どうすれば泣き叫び、どうすれば恨みごとをいって呪いを発するようになるんだ。限界を教えてもらおうか」
男は笑って奏を見る。まるで恋人でも見るような目をしていた。自分に対する執着が怖ろしいほど強まっているのを感じた奏は、今度こそ観念せざるを得ないようだと内心溜息をついた。挑発するつもりはなかったのにな、と思う。まさに想像以上のよくない展開だ。当面殺されはしないだろうが、果たしてそれで無事といえるのかどうか。
とはいえ、半ば自らが招いたことである。誰に文句をいってみようもなかった。
男は上着の内側に手を入れた。再びナイフが取り出される。奏は幾らかたじろいだ。
「ナイフはもう──やめてもらいたいな──血は苦手なんだ」
「どうやらそうらしい」
男はナイフを開き、光る刃をちらつかせた。
「だから使う」
そのとき、玄関の外に人の気配がした。男がはっとし、警戒が奏ごと全身を包んだ。
素早く身を起こした男は、奏の腕を掴んで立ち上がった。ほとんど動けない奏を引きずるようにして戸口から離れる。部屋の中央まできたところで、何かがひび割れるような微かな鋭い響きがあった。男は奏の腕を離し、軽く舌打ちして玄関を睨んだ。
男の足元に倒れた奏にも、扉が静かに開きつつあるのが見えた。射し込む眩しい光に目を細める。その視界に人影が現れた。逆光のため顔は見えなかったが、誰なのかはすぐにわかった。
「兄さん」
「遅くなって悪かったな」
すまなそうにいう兄の声が聞えた。