episode3:hisatsugu
すっかり冷えてきた空気に少し震え扉を閉める。暖かい部屋の中では寿次が一人で絵を描いている。
その真剣な表情が可愛くてそっと頭を撫でると嬉しそうな顔で見上げてくる。
「何描いてるの?」
「お母さん」
また一生懸命手を動かしながら答えてくれた。いつも自分のような気がする。
「お母さんだけ?」
「うん」
素直な返事にどう聞くべきか考えていると、すっと襖が開かれる。
疲れきったような顔の夢次だった。
「お疲れ様です」
「疲れた」
そのまま抱きついてくる彼の頭を撫でる。しばらくそのままでいたがふと顔を上げ、寿次の絵を覗きこむ。
「寿次、何描いてるんだ」
その声に驚いたのかいきなり顔を上げ彼の顔を見ると慌てて紙を隠した。
夢次は少しむっとした表情になる。
この人は子供のやることにいちいち反応しすぎると密かに思う。
「なんで隠すんだ。父さんには見せられないものなのか?」
「な、なんでもないです。父上、おかえりなさい」
明らかに話題を逸らされたのが更に彼の機嫌を悪くする。仕方なく話す。
「私を描いていてくれていたんですよ。ね、寿次」
そっと俯いた寿次の頬は照れなのか少し赤い。
「それならそうと言えばいいじゃないか。父さんは描いてくれたのか?」
期待しているような様子にどちらが子供かわからない。答えられないでいる寿次のためにも助け舟を出す。
「今日は私だけみたいです。今度お父さん描くものね」
とりあえずといったように頷いた寿次。少し曖昧な笑顔の夢次に溜息がこぼれる。
そのまま後ろを向いて寿次は片付け始める。
部屋の外でばたばたと足音が聞こえた。夢花たちが帰ってきたらしい。義母と義父を交えて何やら談笑している。
「寿次」
突然夢次に名前を呼ばれて、わかるほど身構える。彼を見れば黙ってろとでもいうような目と合う。
そっと優しく寿次の背を撫で彼と向き合わせる。
「おまえは家に居すぎる。もっと外で遊びなさい」
「はい。申し訳ありません、父上」
「いや、別に謝らなくてもいいんだが」
困り顔で頬を掻く夢次。寿次は目を逸らそうとはせず、背筋を正してきちんと話を聞いている。
ふと彼の膝にのせられた拳が微かに震えているのをとらえ、夢次に目配せする。「なんだ」という表情の彼を置き、寿次の肩にそっと手を添えれば、小さな目が一生懸命見返してくる。
「何かあったのね、寿次。言ってみなさい」
思い返せば数週間前に外へ遊びに行った時以来、塞ぎ込みがちだった。寒くなったから出たくないのだろうと思っていたし、とくに変わった様子はなかったように思えた。あまり言わないようにしてきたがこの様子は明らかに何かが違う。
唇をきゅっと結んで寿次は首を振る。ぼそっと何か呟く。
「男ならはっきり言いなさい」
後ろでしびれを切らしたらしい夢次が少し怒りっぽく言う。途端に寿次の目には溢れ出そうなほどの涙がたまり始めた。
振り返り彼と向き合う。
「申し訳ありません」
「なぜおまえが謝る」
心底理解できないという顔だった。後ろで着物を引っ張られる感触がし、手を回しそっとその細い腕を撫でる。
「この子を育てる私に責任がないはずはありませんから」
彼は酢を飲んだ表情に変わる。
「母上は何も悪くありません!悪いのは僕です!申し訳ありません、父上。僕が不甲斐無いばかりに……」
必死に叫ぶ寿次にさらに驚愕の表情へ変わる彼。想定外だったのだろう。
けれどすぐに真剣な顔つきになる。
「今はそんな話をしているんじゃない。おまえが外に出ないわけを聞きたいんだ、寿次」
一度場を改める方が良いと抗議するが聞き入れてもらえない。
寿次を連れて部屋を出ようとしたとき、小さな声が聞こえた。
「外が、寒いからです」
それは明らかな嘘。夢次は溜息を吐き部屋を出て行ってしまった。
張りつめた緊張が解けたのか、途端にぽろぽろ泣き出す寿次を抱きしめ背中を優しく叩く。
ぎゅっとしがみついてくる小さな手。
「お友達に何か言われたの? こわいことでもあった?」
「お母さんが……」
「なに?」
「僕が、お母さんが好きだって言ったら、笑われて……」
嗚咽で途切れ途切れの言葉を聞き取る。
からかわれたようだがそれは彼にとっては辛いできごとだったのだろう。
「僕、僕は……」
「おかしいの?」と恐る恐る聞いてきた寿次の頭を撫でる。
「おかしくない。普通のこと。だからあなたは何も心配しなくていいの。お母さんも寿次のこと、大好きよ。ありがとう」
まだ泣き続ける寿次を更にぎゅっと抱きしめる。
子供同士のことだ。お互いにふれあいながら人との接し方を学んでいく。ここでこちらが言い出せば更に複雑になりかねない。
「寿次は笑われて嫌だったのでしょう? そうしたら他の子にはそんなことしないって約束できるわね? 人が嫌がることはしないって」
少し落ち着いてきた彼はこくんと頷く。涙や鼻水を拭って頭を撫でれば、少し笑う。
「また笑われるかもしれない。また嫌がることをされるかもしれない。でもね、あなたはそんなことでくじけないの。自信を持って、歩いていいのよ。どんなことも決してあなたに害を為せない。わかるかしら」
少し首を傾きかけたけれど、寿次はすぐにうんと元気良く返事をする。
「じゃあ明日からまたお友達と遊べる?」
そっと小指を出せば、彼も指を絡ませてくる。
「約束よ。お母さんとの」
襖を開け寿次の手を引いて廊下に出ると、罰の悪そうな顔をした夢次が立っていた。
「もしかしてずっとそこに?」
それには答えず、彼は近づいてくると少し怯える寿次の頭をぽんぽんと叩く。
「すまない、寿次」
その言葉にまたもや涙腺が緩んだらしく、寿次の両目からすぐに雫が零れ落ちた。
夢次は慌てた様子で彼を抱きしめる。
「泣き虫だな。誰に似たんだか」
「それ、どういう意味ですか。泣かせたのはあなたでしょう」
「まるで俺が悪いみたいに言うんだな」
「当たり前でしょ」
寿次を抱き上げる彼とまた向き合う。
二人同時に言いかけたとき、謝り出した寿次の声にはっと我に返る。
「あなたは何も悪くないのよ」
「おまえが泣くことじゃない。ほら、泣きやみなさい」
「だって……父上も母上も、僕のことでいつも喧嘩になって……」
思わず口元を押さえ、彼と顔を見合わせる。子供達の前ではなるべくしないようにしていたが、察していたのだろう。
不甲斐無いのは親の方。彼と二人同時に謝れば、寿次は泣きやみ笑顔になる。
その頬を撫でていると、彼が口を開く。
「寿次、お父さんのことはどうなんだ? 好きか?」
またその話か、と見上げるがやはり期待するような顔。見つめられた寿次は目を泳がせながらも「好き」と答える。
「母さんと父さん、どっちだ?」
子供にそれは酷だろうという質問を平気でする彼に溜息を吐く。更に挙動不審になってしまった寿次が可哀想で彼に呼びかけようとしてぼそっと呟いた寿次の言葉に、彼は見事に消沈した。
「だって……父上は……こわい」
理由を聞いて更に落ち込む夢次は、寿次を下ろすととぼとぼとどこかへ行ってしまった。
最近こういうの多いなと内心で呟き、寿次の視線に合わせる。
「父さんはあなたが嫌いなわけじゃないのよ。わかるわね」
「……はい。父上が怒るのは、僕が“後継ぎ”だから」
それとは別の意味があるのだと教えるのは難しくて。本来なら彼自身から言わなければいけないことだから言うのはやめた。
「でもね、母さんはあなたが無理に継がなくてもいいと思ってるの」
大きく開かれた目。
「それでは梅納寺が」
「あなたには、“役目”にとらわれず自由に……あなたの信ずる道を歩んでほしいのです。やりたいことを見つけなさい」
よくわからなかったらしい顔で見つめてくる寿次を抱き上げ、彼の消えて行った方向へ歩き出す。
「お母さん。僕、お父さん好きだよ。ちょっとこわいけど……たまに優しくなるから。お母さんの次の次の次の次くらいに好き」
「あら、母さんと父さんの間に誰か入るの?」
「お祖母ちゃんとお祖父ちゃんと鈴姉!」
嬉しそうに話す寿次の頭を撫でる。
多分近くで聞いているだろう彼を気の毒に思いながら、廊下を歩いた。
「俺は親として失格なんだろうか……」
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→鈴花&夢花&壺花
「お姉ちゃん、お父さんかなり危ないよ」
「うちってお母さんが強いよねぇ」
「“パパ”かわいそう」
「“パパ”ってなに? 壺花」
「外国の言葉で“お父さん”。お母さんは“ママ”。みんなパパに冷たいよ」
「そんなにパパパパ言ってるんだったらお父さんと結婚すれば?」
「うん!」
「喜んでるよ、お姉ちゃん」
「~っ!!」
子供心は複雑です