それは嘘のような一時でした。
夢次視点。八月初め。
お互いの距離感をいまいち掴めない不安定な時期です。
いつもは川の音が聞こえるほど夜は静かだというのに、橋の前の通りは人の往来で賑わっていた。川に沿うよう出店が並び、辺りは明かりと話し声で溢れ返っている。季節のせいもあるが熱気で蒸し暑かった。
ふと気付けば視線が浴衣に向かっていて、その色合いや素材などについて考えてしまう辺り、自分は芯からあの家の者なのだと痛感する。
「夢次、暑い」
傍らの少女が吐く。暑いのは誰もが同じことだというのに、お嬢様育ちはこれだから困る。
「口にするとよけいに暑くなるだろ」
「だが暑いものは暑い! 朱院はまだか」
癇癪を起こした子供のように叫ぶ清院に溜息がこぼれる。三ヶ月近く共に過ごして慣れたとはいえ、彼女のわがままっぷりにまた縛り付けてやろうかと思う時があるが、彼女との約束を破るわけにはいかないのでたいていは無視することにしていた。
「やっと来たか! いつまでも待たせおって」
清院の言葉に彼女の見ている方を向けば、薄い桃色の浴衣の少女と紺色の浴衣の女性が並んで歩いていた。
女性と目が合うと、彼女はにこりと微笑んで会釈するのでこちらも手を振り応える。
「遅い! いつまで待たせる気だ」
「楽しみにしていたものね、清院。ごめんなさい」
「そ、そういうわけではない! この暑い中立っているのがいやだっただけじゃ!」
「はいはい」
二人の少女の微笑ましいようなやりとり。どちらかといえば清院は遊ばれているように思える。
「お待たせして申し訳ありません」
「いえ、それほど待ってはいませんから。梅は?」
てっきり彼女達と一緒に来ると思っていた梅都がいないことに驚く。彼女にべったりな彼なら当然ついてくると思っていたが。
壺鈴は頬を掻きながら言いにくそうに話す。
「風邪らしいです。連日仕事が立て込んでたようでその反動が今きたとか……」
「それは珍しい! ああ、夏だから」
皮肉まじりに言ってはみたものの、実際彼の仕事は春と冬が多くなる。とくに春は夏に向けて注文が殺到するのだ。「大丈夫だ」などとほざいていたが、やはり無理があったということだ。
「今はこっちの方が忙しいというのに」
反物屋の書き入れ時は基本は冬。しかし夏は夏で、浴衣の注文が多いのだ。ましてや最近、仕立てや着付け、修繕まで始めたからよけいに店は忙しい。
「梅納寺のお店は色々始めたと聞いています」
「ええ、まぁ。最近は外からの文化に押されてきてますから、できる限りはうちでやるつもりです」
別の国との交易が始まり、人々の関心はそちらに向いている。積み重ねてきたものが当たり前でなくなるのもすぐだろうという父の言葉で、思考錯誤していた。
「そちらは?」
「とくには。そもそもうちは常連の方々のためにやっているようなものですから」
眉を下げ笑う彼女の手を取る。せっかく気晴らしに来たというのに、いつものように仕事の話を始めてしまったことに落ち込む。
「では、行きましょうか」
先に歩きだしていた少女達を追うように、人ごみの中に紛れた。
どこから溢れてくるのかと思うほど混雑する道。
時折ぶつかるが皆謝る前にすれ違い、立ち尽くしてこの流れを止めるわけにもいかなかった。
出店も満足に見れず、少女二人とははぐれてしまっていた。振り返ると壺鈴が必死についてきているので、繋いだ手の力を強める。
「大丈夫ですか」
「ええ」
頷いた彼女の髪は少し崩れかけていた。綺麗に上部でまとめあげられていたのに、ぶつかったのか簪の位置が曲がってしまっていた。
とりあえず人ごみから抜け出そうと辺りを見回す。
路地に入ってしまうが一度休憩するべきだろうとそちらへ歩き出す。
「夢次殿?」
急に進路を変えたからか、彼女のとまどうような声が聞こえたが説明するには周りの声が大きくて面倒だった。
やっとの思いで抜け出すと、二人同時に溜息を吐く。思わず顔を見合せ、彼女は微笑む。
「相変わらずすごい人ですね」
「だからいやだったんだ」
更に深い溜息をつくと彼女に笑われ、少しむっとし皮肉を込めて言う。
「よくライバルの店のものなんか着れるな」
「……夢次殿って、本当に人が悪いですね」
壺鈴は困ったような顔で薄く笑む。
彼女が着ている浴衣は梅都と共同で作ったもので、最初にできたのを彼女に贈っていた。まさか本当に着てくるとは思わなかったが、色の白い彼女にはよく似合っていた。口に出しては絶対言えないが。
沈黙がいやなので崩れかけていた彼女の髪をなおそうと簪を外す。驚いたような彼女を無視して髪をかきあげると、仄かに“桜姫”と同種の香りがした。
手元を動かしながら数か月前のことを思い出す。
「一番」であれば自分も家の為に役に立てると信じ、御伽噺でさえ追い求め裏切られた。
剰え羨んでいたライバルが兄と恋仲だったと知ったとき、自分の生を呪った。
何の為に必死に認められるよう努力してきたのかとわからなくなるほどに。今にして思うと、最初から何もかもが違っていたのかもしれなかった。
けれど今こうして馬鹿らしい人ごみに紛れて歩いたり、彼女と時間を共有していることは決して嫌ではない。生きているのも悪くないと思う。
最後に簪をそっと挿す。
「できましたよ」
「ありがとうございます」
ほんのり頬が染まっているのは気のせいか、彼女はそっとお礼を口にする。ついでに浴衣もなおそうとするとそれはさすがに断られた。
「人に任せた方が確実で楽なのでは」
「一応私も女ですから」
数か月前までは男装していた彼女がそんなことをいうのがおかしくて笑うと、じとっと睨まれる。
手早く浴衣を整える彼女を眺めていると、更に睨まれた。
「なんですか」
「いや。普通にしていれば綺麗なのに……と思いまして」
「どういう意味ですか、それは」
刺々しい言葉が面白くて、けれどわざと答えないでいると彼女がしおらしくぽつりと話し出した。
「親には嫁き遅れが心配だと言われます」
「人間外見だけではないから仕方ないんじゃないですか」
「……本当に」
「しかし本来なら許婚がいるはずですが」
「うちはまぁ、放任主義というか……自分の道は自分で決める、みたいな決まりがあって」
「それはうちも同じですね。兄も俺も、店を継げなどとはとくに言われてませんでした。自然と流れで今に至りますが」
家を出ることも考えなかったわけではない。けれどあの店を、梅納寺を切り捨てることはできなかった。誇りだったから。
「夢次殿にも許婚の方はいらっしゃらなかったということですか?」
「今もいませんよ」
それに頷いて明るく賑わう方へ視線を向ける彼女の横顔を見ていると、不意に考えがよぎり口を突いて出た。
「俺のところへくればいい」
一瞬空気が止まる。慌てて冗談だと付け足せば「そうですよね」と彼女は笑った。
「そろそろ行きましょうか。二人も探しているでしょうし」
明るく笑いながら人ごみにまぎれていく彼女を追いながら、先程の言葉を思い返す。
不意とはいえ出た言葉は本心とは言えずとも、嘘には遠かった。それでも彼女のことを思えばそれは不謹慎極まりない迷惑なものだ。もしかしたら、更に彼女を傷つけることになりかねない。
そっと蓋をし気づかなかったことにすればいい。そんなものなどありはしない。
「壺鈴様! こっちです!」
二人の少女が手を振って場所を示している。りんご飴屋の前だった。
「夢次殿、いましたよ」
良かったと喜ぶ彼女に微笑んで、少女達のもとへと急ぐ。
「壺鈴」
そっと名前を呼ぶが人ごみの中は伝わらなくて、彼女は先に少女達と合流し話し始める。
願わくば、あの笑顔が絶えることなきよう見守っていたい。
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→壺鈴&梅都
「梅都殿も来られれば良かったですね」
「ほんとによぉ……どうだった?」
「楽しかったですよ。夢次殿の新たな発見もありましたし」
「ほうほう、どんな?」
「軽男ですね。冗談で告白まがいのことをされました。本当にたちが悪い」
「それは発見なのか? というより、告白まがいってどういうことだ」
「私が嫁き遅れだと親に心配された話をしたら『俺のところへくればいい』とか。さすがに焦りました」
「……多分それは冗談じゃな」
「何か言いましたか?」
「いや……まあ楽しかったなら良かったな」
「そうですね。今度は梅都殿も」
「もちろんだ」
→夢次&梅都
「しかし言い出しっぺが来ないとはな」
「す、すいません夢次様……でもその様子ですと良いことがあったみたいで」
「どんな様子だ。何もなかったし疲れた」
「さいですか。まぁ、でも壺鈴は喜んでましたし」
「そ、そうか」
「夢次様、壺鈴がお好きなんですね」
「……殴っていいか?」
「すいやせんでしたああああ!!!」




