それは慈愛に満ちた
月が蒼いとは、誰の言葉だったか。
誰が、そんなことを言いだしたのか。
私は幼いころ、蒼い月、冷たい銀色の月といった言葉を、とくに疑問も持たず受け入れていた(病人のように青白い顔の月、なんて言葉も聞いたな)
それに気づいたのは、十五、六のころだったか。
月の光が冷たいなどと、一体、誰が言い出したのか。
あれは満月の夜だった。私は母と兄弟たちと出かけて、駐車場で気づいたのだ。
足元が、とても明るくて。
自分の影が、とてもくっきりと落ちていて。
なぜそんなに明るいのか、どうして夜だというのにこんなにもものがよく見えるのか、私はふしぎに思った。
だから何が私を、周りを照らしているのかと顔を上げたのだ。
自分の影の反対にあったのは、空遠く浮かぶ月だった。
それは驚きだった。
愚かにも、私はそのときまで満ちた月がそんなにも明るいものだと気付いていなかったのだ。
もっとずっと幼い日、祖母の家でうさぎを探していたあの夜にさえ。
月が蒼いと、誰が言ったのか。
冷たい光だと、なぜ私はその「言葉」を信じたのだろう。
月は、間違いなく太陽と同じ色をしていた。
太陽ほど強くはないが、しかしやわらかく、包み込むような金色の光をしていた。
太陽と同じ色で、穏やかに、やさしく世界を照らしていた。