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ボク  作者: 黒猫のM.I=K
3/4

『人は死してなお 他者の記憶の中に生きるという』

『人は二度 死ぬという』

という台詞をきいて、タイトルにしようか悩んだ……

“死”を恐るるは(はじ)ではない

なれど“不死”を望むは恥と知れ



人の再生はいつだろう

新たな命を(さず)かる時か?

それとも生まれ()でる時か?


魂は輪廻(りんね)再生(さいせい)(ことわり)()れるだろう

それが人だろうと、動物だろうと、植物だろうと


そして同じように、命の、魂の再生は“生”を失う時ではないだろうか


生きるという“(ごう)”を()い、(くさり)につながれ、ある種の使役(しえき)として(しば)られる

『命は(とうと)いものだ』と言われ、“死”を拒絶し、否定される


そんな“生”から解放されるのが、魂の再生に当たるのではないのだろうかと、ぼくは思う


生霊(いきりょう)も死霊も、本人の意思ではなく、その人物を知る者の思念(しねん)(かたまり)なのではないだろうか

「助けてくれ」と言っている気がする

「また会いたい」と思ってくれているだろう

そう想う人がいるからこそ、感じる人がいるのではないだろうか


その現われに葬儀があるのだと、ぼくは思う

生前、どれほどの人の記憶に、その人は存在するのだろう

参列する人の数だけ、もしくはそれ以上の人の心に刻み込まれているのだとしたら……


それは悲しいことではない

喜ばれることではないかもしれないが、悲しみに暮れることは当人に失礼ではないだろうか



……けれど……だけれど、悲しめないぼくは、どうすればいいのだろう……?


知人のお葬式に行ってきました。

とてもきれいな死に顔で、眠っているように、という表現がぴったりな気がしました。

けれどそれがとても怖かったです。

言いようのない怖さを紛らわそうと、以前連ねた言葉をなぞって呟く。


人はいつしか死んでしまうものなのですね。


ーーーーーーーーーー



2013/07/11 に短編として投稿していたモノです。移転させました。

(短編として投稿していた方は消去しました。)

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