第一話
熱い荒野を黙々と行列が続く、
三人の男達が熱気の立ちのぼる丘を、
捕縛人達に引かれて、
のろのろと進んで行く。
男達は皆意識朦朧で、
とうに疲れ果てて居た。
「歩け。罪人共。」
いきなり鞭が飛んだ。
「むむっ。」
一人の男がくずおれた。
「嗚呼。酷い…」
「助けてください。」
数人の女が駆け寄って庇った。
「このお方に罪はございません。」
すると役人は、
「へっへ。この世に罪の無い奴など一人もいないさ。」
「…。」
「どきな。」
女もろともに突き飛ばした。
「馬鹿な奴らめ。」
熱い丘の上に
激しくかぜが吹いた。
追い打ちをかけて、また鞭が鳴った。
物見高い群集が二百人程居たで有ろうか。
「可哀相。」
「盗っ人よ。」
「一体どんな罪が有ると云うんだい。」
「あの人は主よ。」
荷夫らしい男が、
「お前の亭主かい。」
「違うわ。主よ。」
「…。」
「お、お痛わしい。」
「お前の名は…」
「…マリアよ。マグダラの」
ある街の盛場に一人の女が居た。
「マリア、マリア。」
「はい。奥様」
そろそろ時間だよ。
「はい。」
マリアには病の母と、
幼い三人の兄弟達が居た。家族の生計は彼女の稼ぎにかかって居た。
近くの酒場にはマリアの美貌に惹かれて、たむろする不埒な客も多かった。
「おい、マリア。」
彼女が最も嫌いなタイプの男だった。
あの神経に障る甲高い声。マリアは突然ほろほろと涙がこぼれた。
なんであんな事に為ったのだろう。
「マリアよ。こっち向けよ。」
「ふん。私はお前さんの持ちもんじゃ無いわよ。」
「なんだと。おい、マリア。お前偉くなったじゃないか。」
一向に自分の思い通りに成らない男は、あろう事か役人にマリアの不貞を訴える
に及んだのである。
当時は不貞の罪の代価は、衆人監視の中、石打ちの刑罰が行われたと云う。
「此に集まりし人々よ、神に誓って云う。この女は不遜にも、掟を破った訳だ。
それは神の名において、刑罰に値する。」
女はうなだれて人々の裁決を見守るだけであった。
「さて、人々よ。この掟に背けし女を裁く者は居ないか。」
すると数百人は集まって居ただろう大衆は、打ち寄せる波の轟くように湧いた。
「そうだ打て、懲らしめるのだ。」
殺気立った群集は恐ろしいものであった。
その時広場の片隅で、じっと事態の成り行きを見守る人物が居た。
輝く顔に強い意思の表れた優しい眼差し。
彼に突然語りかける男が居た。
「貴方は預言者だろう。」何事かと振り返ると、パリサイ人の役人がじっと様子
を伺って居た。
「私は預言者では無い。」「では何者であるか。」
「私は使わせし方より、使わされし者である。」
役人はにやりと笑うと、
「それではあなたは掟に従い、どうなさるのかな。」二人の会話に気付いた者が
周囲に集まり始めた。
「あれは汚れた女を売る掟を破った者だ。」
その時使わされし者は笑った。
「何を笑うか。」
「罪有る者が女を裁けるで有ろうか。」
「お前は掟を軽んじるのか。」
彼は言った。
「さに非ず。」
役人は声を荒げて怒った。「使わされし者で有るなら、大衆の前で申したい事も
有ろう。」
二人を衛士の男達が取り囲んだ。
有無を言わさず二人を引き立てて行った。
広場中央には様々な階級の人々が群れを成して居た。
司祭の一人が台の上に上がり、事の顛末を朗々と述べた。
群集の多くは、一人の女の不埒な行いと激怒した。
それは、語るも恐ろしい程の興奮、そして怒号の坩堝であった。
その時マリアの恐怖は、如何ばかりであったろうか。
「さて、さるお方より使わされし者とやら。お前さまの意見が、この大衆に届く
ものと考えるなら、後悔するが落ちだぞ。」
そして、マリアを、ぐいっと小突いた。
マリアは、とても生きた心地はしなかった。
使わされし者は、ふと天を仰いだ。
「主よ。迷える者達をお許し下さい。」
その時、奇しくも天の一角から一条のひかりが射した。
「あ、うお〜っ。」
歓声が津浪の様に轟いた。「お集まりの諸君。この御仁が面白い事を云う。」
群集からは多くの野次が飛んだ。
「聞くが良い。」
広場は水を打ったように静まり返った。
「我は使わされし者なり。」
「…。」
人々は固唾を飲んだ。
「掟を破りし女に裁きは下さるべし。」
歓声が津浪の様に轟いた。女は死人のように青ざめた。
そして更に語った。「此に居る全ての者に云う。此に居る者で、一切の罪の非ざ
る者、前に出でよ。石にて打つべし。」
広場の群集はどよめいた。「出でよ。」
その時、厚い雲間から雷鳴が響き渡った。
広場の多くの男女は混乱した。
使わされし者、老爺に気付く
「お前か。」
老爺嬉しげに云う。
「おう。私を覚えていてお出でか。」
「ニコデモと云ったね。」
「はい。」
其の時鞭がぴしりと鳴った。
「受刑者と勝手に語るでない。」
或時、使わされし者に、
ユダヤ人の司であり、
パリサイ人のニコデモと云う者
尋ね来た。
「さすが使わされしお方だ、
儂等の国を
建て替えて下さるのは。」
其の時
使わされし者は語った。
「お前に教える。
人新たに生まれずば、
神の国を見る事は出来ないのだ。」
ニコデモは驚いて云った。
「儂はもう、
齢六十路に成りもうす、
再び、母親の腹ん中に
入る訳にもゆかんでして…。」
使わされし者は語った。
「爺や。
其の様な事を云っているんじゃ無い。」
「…。」
「人は水と霊、
則ち、
魂の生まれ変わりをせねば、
神の国に入る事は堅いのじゃ。」
「…。」
「人間の意識が変わらねば、
出来ない相談だ。」
「私には判らない話で…。」
「其れが新たに生まれると云う
事なのじゃ。」其の時
老爺は、
何か判ったのか、
目を輝かして
使わされし者の手を取った。
「そうじゃ。其れなんじゃ。」
使わされし者、老爺に気付く
「お前か。」
老爺嬉しげに云う。
「おう。私を覚えていてお出でか。」
「ニコデモと云ったね。」
「はい。」
其の時鞭がぴしりと鳴った。
「受刑者と勝手に語るでない。」
老爺は慌てて
使わされし者に、
一杯のみ水を施した。
「有難うニコデモ。」
「おおうっ。
待ってくれ。」
「其のお方に」
老爺は、
手厳しく尻を蹴り上げられた。
熱い荒野を黙々と行列が続く、
三人の男達が熱気の立ちのぼる丘を、
捕縛人達に引かれて、
のろのろと進んで行く。
男達は皆意識朦朧で、
とうに疲れ果てて居た。
「歩け。罪人共。」
いきなり鞭が飛んだ。
「むむっ。」
一人の男がくずおれた。
その時背の高い、
逞しい初老の男が手を差し延べた。
倒れた男がふと見上げた。
「手をお貸し致します。」
「おお、ヨルダン川の…。」
「ヨハネです。遣わされしお方。」
遣わされし者は、微かに微笑んだ。
「良くまいった。」
捕縛人が叱りつける。
ヨハネと云う者、一瞥するも騒がず、
「私は水にてバプテスマを施す者です。」
遣わされし者はじっと、
優しい目でヨハネを見つめた。
「…。」
「わが後に来たる者は、我に勝れり、
我より前にありし故なり。」
遣わされし者は、そっとうなづいた。
その時雲間から、明るい光がさした。
「わが後に来る者は、貴方です。」
遣わされし者はじっと、
優しい目でヨハネを見つめた。
「そして、霊にてバプテスマを施す者、
其れは貴方です。」
遣わされし者は、そっとうなづいた。
「ぴしり」と鞭が鳴った。
「むう。」
「此のお方に手を触れるな。」
群集のざわめきは、
津波の様に轟いた。
捕縛人達は、
恐れを成した。
更に
又、一同は
歩き始めた。
熱い荒野を黙々と行列が続く、
三人の男達が熱気の立ちのぼる丘を、
捕縛人達に引かれて、
のろのろと進んで行く。
男達は皆意識朦朧で、
とうに疲れ果てて居た。
「歩け。罪人共。」
いきなり鞭が飛んだ。
「むむっ。」
一人の男がくずおれた。
「嗚呼。酷い…」
「助けてください。」
その時
必死に取り縋った男が居た。
遣わされし者は、
そっと目をやると、
優しい眼差しで、
「よく、来てくれた。」
取り縋った男は
わっと泣き崩れた。
陽が陰り
夕刻になると
弟子達は
海辺に向かった。
船を借り
海の向こうの
カペナウムに行こうとした。
時は既に遅く、
しかし、彼らの師は
未だ姿を
みせなかった。
海は嵐と成り
波は泡立って来た。
師とは、いずこでか落ち会うと云う事で、
皆で沖に向かって漕ぎ出す事になった
。
「おいっ。あれを見たまえ。」
弟子達の内一人が叫んだ。
薄暗い海の上を、
白い人の如き者が歩いて来るのが見える。
「ううぉ〜っ。」
「落ち着くんだ。」
人々が慌てふためいて居ると、
静かに静かに、白い人影は近づいて来た。
その時、静かな厳かな声で
「我なり、怖るな。」
誰あろう、彼等の師、
遣わされし者で有った。
弟子達は、
夢の様な出来事に驚き入り、
また狂喜した。
船はやがて静まり返った海を、
街明かりを目指してしずしずと
漕ぎ進んだ。
熱い荒野を黙々と行列が続く、
三人の男達が熱気の立ちのぼる丘を、
捕縛人達に引かれて、
のろのろと進んで行く。
男達は皆意識朦朧で、
とうに疲れ果てて居た。
「歩け。罪人共。」
いきなり鞭が飛んだ。
「むむっ。」
一人の男がくずおれた。
「嗚呼。酷い…」
「助けてください。」
其の時一人の男が
くず折れるように近付いた。
穏やかな日々が続いた。
草原の中に、
白い道が連なる。
人々の長い列が途切れ無く
彼方まで続いていた。
その頃、辺りでは祭が行われて居た。
遠く太鼓や笛の音色が姦しく響いて来る。
この日遣わされし者はエルサレムに上られた。
ベテスダと云う名の池が有ったと云う。
時折精霊が天下り、水面がその時波立ち
、病める者が池に入りて癒されると云う。
遣わされし者は一人の病人に問うた。
「汝、癒えんことを願うか。」
すると云う。
「遣わされしお方。
哀しいかな、
己の身一つ動かし得ず、
貴い池に入る事すら出来ない。」
と嘆いた。
遣わされし者は語った。
「汝、起きよ、床を取り上げ歩め。」
病める者は即起き上がったそうな。
「遣わされしお方。有り難うございます。」
白い雲が
眩しく輝いた。
熱い荒野を黙々と行列が続く、
三人の男達が熱気の立ちのぼる丘を、
捕縛人達に引かれて、
のろのろと進んで行く。
男達は皆意識朦朧で、
とうに疲れ果てて居た。
「歩け。罪人共。」
いきなり鞭が飛んだ。
「むむっ。」
暫く前の事であった。
其の時、一人のユダヤ人現れ
「汝は我等の父アブラハムよりも偉大であるのか」
其の時
遣わされし者が云った
「私の栄光を我がものとすれば、空しい。
しかし、私に栄光を帰すお方は
お前さん達の良く知る神なり
それなのにお前さんたちは
真の神なるものを知らない。
私は真の父
我が神の事を知っている。
もし、
私が天の父を
知らないと
云ったとすれば、偽者と云われるだろう。
私は父を知り、
その御言葉を守る。
汝らの父
アブラハムは
私の栄光を楽しみにしている」
その時男は
腹を抱えて笑った。
「何を云うか、
汝は精々五十路をも迎えぬ歳にして
我等の父アブラハムを語りしか。」
しかし、遣わされし者は云った
「我はアブラハムの生まれぬ先より
生き通しの者である。」
すると其れを聞いた男達は
遣わされし者を
石で打ち殺そうとした。
「こちらへ。」
その時彼を導き逃した若者が居た。
「逃すな。」
熱い荒野を黙々と行列が続く、
三人の男達が熱気の立ちのぼる丘を、
捕縛人達に引かれて、
のろのろと進んで行く。
「お師さま。
我が師に罪は無い。」
「邪魔だ。」
役人より
いきなり鞭が飛んだ。
「むむっ。」
熱い荒野を黙々と行列が続く、
三人の男達が熱気の立ちのぼる丘を、
捕縛人達に引かれて、
のろのろと進んで行く。
男達は皆意識朦朧で、
とうに疲れ果てて居た。
「歩け。罪人共。」
いきなり鞭が飛んだ。
「むむっ。」
一人の男がくずおれた。
「嗚呼。酷い…」
「助けてください。」
数人の女が駆け寄って庇った。
「このお方に罪はございません。」
一人の男が、
庇いて云う。
遣わされし者振り返りて
そっと頷いた。
「師よ。」
遣わされし者
或日道で盲人とすれ違う。
その時弟子が問うた。
「師よ、あの若者が盲人たるは
誰の罪でしょうか。
己か其れとも親のでしょうか。」
其の時遣わされし者
「あの者の罪に非らず
そして親の罪にも非らず
神の御業の顕れんが為である。」
遣わされし者盲人の若者の目に唾を塗り
「シロアムの池にて浄めよ。」
若者は、仲間に手を曳かれ、シロアムの池にて
目を洗う。
「お師さま。」
「只管光りを求めよ。」
熱い荒野を黙々と行列が続く、
三人の男達が熱気の立ちのぼる丘を、
捕縛人達に引かれて、
のろのろと進んで行く。
男達は皆意識朦朧で、
とうに疲れ果てて居た。
「歩け。罪人共。」
いきなり鞭が飛んだ。
「むむっ。」
一人の男がくずおれた。
「嗚呼。酷い…」
「助けてください。」
数人の女が駆け寄って庇った。
「このお方に罪はございません。」
すると役人は、
「へっへ。この世に罪の無い奴など一人もいないさ。」
「…。」




