第35話 水野 志津
「えっ?」
きょとんとした顔がまぬけだ。かなり年上の大人に失礼な感想を抱きつつ、水野は手を出した。さっさと要件をすませてしまいたい。
「見せてください」
「いやいや、なに言ってんだ! こんなところで危険すぎる」
「ええー……」
そんなに危険な宝石とは、いったいなんなのだろう。狭間という男の能力が、宝石を使うものだということは水野も一応知っている。けれどそんなに危険な宝石だなんて聞いていない。
狭間の本質は変換にあると水野は思っている。ということは、なにかを宝石に変換しているということだ。質ということはなにか物を変換しているのだろうか。
知らないなりに水野は推測しようとした。実際それはほとんど当たっている。
「正直にいうと、私はあなたを信用できません。場所を移動するなら、私の指定するところにしてください」
「わかった」
男の力は増加だ。といっても、さほど強力なものではない。身体能力といったものを少し補強することができる。
しかし大人の男というだけで、一般人であっても水野にとっては脅威だ。目の前の男が自身の力を増加できるとしたら、もっとおそろしい。そんな初対面の相手を、か弱い女子高生が警戒しないほうがどうかしている。
向かったのは稲荷神社だ。一ヶ月ほど前にも避難した場所である。水野は自転車に乗っていたが、男は走ってついてきた。五分は走ったのに息を切らしていない。
そのことにムッとしつつも、いつものように鳥居の前で自転車を降りて停めた。水野が鳥居から中を覗くと、お狐さまが前足をそろえて座っている。よかった、今日は居る日だ。そのことに水野は安心した。
もちろん、ふつうの狐ではない。裏の人間でも、見る才能がないと見えない、神さまの遣いだ。
「すみません、ご迷惑をおかけします」
「えっ? なにが?」
男には見えない。だからふしぎそうに水野を見てくる。お狐さまは小さく鼻を鳴らしただけで、その場に香箱を組んで腰を落ち着けた。見守る体勢だ。
「ここなら安全です」
「安全……まぁ、マシってくらいだろ」
「私は嫌ですよ、不審者に強固な結界に連れ込まれるのなんて」
「へいへい、仕方ないか……」
男はポケットから小さな袋を取り出した。封印が施されているのがわかる。複雑に結われた紐を解くと、中からきれいなパステルグリーンの宝石が出てきた。
「!」
見た瞬間、水野は目を見張る。
「これは……」
「おっ、やっぱ寿々ばあさんの曾孫だな。わかるのか?」
「色々な情景が見えます。……受験の合格発表の場、きれいな花束を受け取っているところ、美しい夕日の海……すごくポジティブな感情が渦巻いていて……っう」
「おっ、おい! だいじょうぶか!?」
くらりと頭が揺れる。うずくまって目を閉じたことで、宝石から流れ込んでくる情報が途絶えた。そのことで、魅入られるようにして集中していたことに水野は気づく。
一瞬でものすごい量の情報が頭に入ってきたために、気分が悪い。目を閉じてもまだ目が回っているようだ。
「……近づかないでください。あとそれ、しまって……」
水野は自分の周りをおろおろと回る男に言う。すると男は少し離れてくれた。自分自身が脅威になると理解していない者は、えてして相手との距離感を間違える。男はそのいい例だった。
落ち着いてから水野はゆっくりと顔をあげる。ふらふらしつつも立ち上がって、鳥居にもたれかからせてもらった。
「なんて危ないなものを……」
「だから危険だって言っただろ!」
男の言う危険と水野の感じる危機感は違うものだ。奪われることを危ぶんでいる男に、見るだけで危ないのだということを説明したところで、理解してもらえない。だから水野は説明を省いた。
「あの、よく知らないんですけど、狭間……さんって何者なんですか」
「えっ、お前知らないのか? こっち側なんだよな?」
「一応は……」
「マジかよ、超有名人だぜ。いい意味でも悪い意味でも」
男の口ぶりは、裏を知るものなら知っていて当然、くらいの勢いだ。あのぼさぼさ髪の男が、そんなに有名だったとは。たしかにふしぎで、底しれない力を感じたが……。水野は理解できない。
「狭間ってのは、ひとの記憶や感情を見ることができて、しかもそれを宝石にできるんだ。ただそれだけ、って思うなよ。よく考えなくてもすっげぇ危険な力なんだからな!」
「記憶や、感情……あぁ、なるほど」
狭間に見られたときの嫌悪感を思い出す。あれは水野の記憶や感情を見られていたのだ。だからあんなに気持ち悪くて……。水野はあのときの嫌悪感の正体を知った。
そのとおり、あのとき狭間は水野の記憶を見ている。だからこそ連絡先を聞く必要もなかった。あのときすでに狭間は、水野の連絡先を知っていたのだ。
宝石に込められた大量の情報も水野は納得した。たくさんの記憶を固めたものが狭間の宝石だ。使うひとが使えば、ものすごい力を引き出せる。たとえば結界の礎にしたり、道具の動力としたり、霊術や妖術の媒体にもなるだろう。
――特に狭間には近づかんほうがいい――
曾祖母の言葉を水野は思い出す。あれは、狭間の視界に入ってはいけないという意味だったのだと、今さら知った。
もっと詳しく教えておいてくれれば、ちゃんと警戒できたのに。忠告がまったく役立っていない。水野は遅ずる気づきに肩を落とす。
「それでこれは、どんな宝石なんだ?」
「宝石の種類は詳しくないので知りませんけど……。それには、嬉しかった記憶や、お祝いごとの記憶が詰まってるみたいですよ」
「なるほど。つってもおれじゃ有効活用できないんだよな……。狭間の宝石は高値で売れるっていうが、いくらなら売れるんだこれは……」
「知りませんよ、そんなこと。でも利用価値は高そうです」
「さっさと手放したいんだが、安く手放すのも悔しいし……う~む……」
狭間の宝石は価値が高く、希少価値も高い。男はこの宝石を持っているために狙われていた。水野が男の身体をよく見ると、傷ついたようにところどころ力が滞っているところがある。宝石を奪おうとする相手とやりあったせいだ。
……ふと、水野は通学カバンの中に入れたままにしてある名刺を思い出した。質、という漢字と電話番号しか記載されていない名刺だ。
質屋というからには、宝石を買い取ってくれるのではなかろうか。狭間本人なら、適正な価格で引き取ってくれると思われた。たぶんだけれど、そういうところで狭間は相手をだましたりしない。確信はないが、水野にはそういうことがなんとなくわかる。
「ここなら、ちゃんと買ってくれると思いますよ」
カバンから出した名刺を差し出す。男はそれを見て顔がこわばった。
「こ、これって……」
「狭間さんの店の名刺です。どうぞ」
「い、いやいや! いらん!!……あっでも番号だけ控えさせてくれ」
スマートフォンを取り出して電話番号をメモすると、男は助かったと笑顔を見せた。礼を言ってもらったが、水野は結局ほとんどなにもしてあげられていない気がする。
本当の意味で男を助けたのは、狭間の名刺だ。水野ではない。そう考えてのことである。
本当にありがとうな、と去っていく男を見送りながら、はぁとため息をついた。足元にやってきたお狐さまが、気遣うように見あげてくる。
「ありがとうございました」
礼を伝え、お供物としてちょっとしたお菓子を差し出す。カバンにいつも入れてある、個包装のクッキーだ。それを口にくわえると、お狐さまは立ち去った。
「それにしても……すべてお見通しだった、ってことかなぁ」
男に見せた名刺を手に、狭間のぼさぼさ髪を水野は思い出す。すべてを見透かされた気がして、なんだかとても悔しかった。




