第32話 水野 志津
水野は待ちくたびれていた。ため息をついてから、ぐっと伸びをする。水野が神社に避難してから、三時間はたった。町全体を覆っている結界はまだ解除されていない。そしてピリピリした空気もそのままだ。
暇つぶしのためにスマートフォンをいじっていたが、通信料も気になってきた。なにより電池残量が心許ない。省エネモードにしてあるが、いつまで待てばいいのかわからない以上、使いすぎると後で困る。
今のところ危険はないけれど、いつなにがあってもおかしくない。いざというとき助けを呼ぶためにも、通信手段は残しておきたかった。
「……あーぁ、もっと早く逃げるべきだったわ」
水野がさっさと町から出ていれば、巻き込まれることもなかった。しかしどのくらい早く行動していればよかったのか、水野にはわからない。
ずっと座っていてこわばってきた身体をほぐすため、立ちあがった。手足を軽く動かしていると、数時間前にも感じた気配が近づいてきた。水野の認識では、鳥男のものだ。
立ったまま出迎えようとするが、なかなか近づいて来ない。それに上からではなく地面に近い位置にいるような気がした。鳥ならば飛べばいいものを。
水野は疑問に思って、さらに感覚を研ぎ澄ます。すると鳥男のすぐ近くに、得体の知れないナニカがいることに気づいた。
「!」
ぞっと鳥肌がたつ。よくわからないもの、というだけで恐怖だ。水野は目がいいので、さまざまなものを見てきた。さらに、その多くは正体まで見通してきたのだ。
それなのに、わからない。知らない。見たことがない。そんなもの、水野はこれまでほとんど遭ったことがなかった。だからこそ、こわい。
逃げなくては、と本能がいう。しかし逃げ場がないことも、逃げようがないこともわかっていた。どうしよう。どうすれば。あせるが、足も身体も恐怖に固まってしまい、水野は動けそうにない。
結局水野は、鳥居の下で立ちすくんだまま、相手と対面することになった。鳥男もといアオガネはのっそりと薄らぼんやりしたまま、歩いてくる。その後ろにもうひとり男がいた。
水野にとっては得体の知れない男だ。黒いぼさぼさ髪に、鮮やかすぎるオレンジの瞳。若くも見えるし年配にも見える。しかし目をこらすとまた違う姿が重なっているような……。
動けない状態ではあったが、無意識のうちに水野は観察していた。知らないからこわいのだ。正体がわかれば恐怖も薄らぐ。……きっと、たぶん。
「あんたが寿々さんの曽孫か?」
見られていることはわかっていたが、ぼさぼさ髪の男……狭間は気負うことなく声をかけた。その顔にはなんの表情も見えない。
寿々は水野の曽祖母の名前だ。しかし曽祖母の知り合いは多い。水野はこれまで寿々の知り合いや友人、または元恋人や親戚にたくさん会ってきた。曽祖母はもう亡くなっているので、彼ら彼女たちのいう関係性がどこまで本当か、水野にはわからないが。
うかがうように狭間を改めて見る。と同時に、水野は滅多にない感覚に襲われた。
見 ら れ て い る。
とっさに身体が後ずさり、男の視線を遮るように両手が前に出た。そんなことをしても意味がないかもしれないが、腕が勝手に動いたのだ。
『見る』『感じる』ことは力のない水野にとって、数少ない武器である。そして自分ほど見ることに特化している者は少ないと知っていた。だから見ることはあっても、見られることはほとんどないのだ。
最後に見られたのは、曽祖母からだった。彼女が亡くなってもう何年も経つ。久しぶりの感覚は全身が震えるほど気持ち悪かった。
「あァ……悪ィな。つい癖でねェ……あんたもだろゥ?」
狭間は水野が嫌がっていることに気づいた。防御していないこっち側の相手は久しぶりである。それだけに狭間は水野のことが心配でもあった。
その言葉のあと、気持ち悪い感じがなくなつたことに水野は気づく。自分はいつも無意識に見てきたが、これほど気持ちが悪いものだったとは。曾祖母から見られたときは、そんなことはまったくなかったのに。
ただ見ているだけなのに、気づかれることは少なからずある。それはきっと、こんなふうに嫌な感じがするからなのだろう。今度からは見るときに、もっと気をつけなければ。
水野はそうやって気を取り直し、やっと姿勢を正して狭間へ視線をもどす。アオガネはその後ろで薄ぼんやりと存在を希薄にしていた。
最初に会ったとき、アオガネは水野に強烈な印象を残している。だが今はその存在があやふやだ。とはいえ、もとよりアオガネはふしぎな存在である。水野が一見で理解できずとも仕方ない。
狭間の存在感が強すぎるせいもある。水野だけでなく多くの者は、気をつけないとアオガネがいることを忘れてしまう。そういうものなのだ。
「信じられねェかもしれないが、あんたに敵対するつもりはない。寿々さんには世話ンなったからな」
ひょうひょうとした口調だ。のらりくらりとして本質がつかみづらい。水野が睨みつけても、まったくこたえた様子がなかった。
水野がいまだ自分を見ていることは、狭間もわかっている。だが気にしていない。寿々相手のときも、隠しようがなかったからだ。
水野が見る狭間の中は、複雑に力が絡み合っている。外見をごまかす膜のようなものも全身を覆っており、とても見づらい。
大きな流れは変換だ。アオガネと同じ、鉱石や金属の気配もある。痛む頭を無視して、さらに水野が集中して見ようとしたところで、狭間と水野の間にアオガネが割り込んできた。
「それ以上は危険だ。やめときな」
「……あなたは?」
見ても正体がわからないなら、聞くしかない。だから水野は素直にたずねた。
「狭間だ。そっちはアオガネ」
「あおがね……青金……あっなるほど」
「おっと、さすが寿々さんの曾孫だ。すぐわかっちまったか」
くくく、と狭間がおかしそうに笑う。青金にはさまざまな意味があるが、金と銀の合金のことをいう。こんじょう、きんせいとも読み、古くは貴重な鉱石から取れる藍色を指す。
おそらくアオガネはその鉱石や金や銀が混ざってできたなにかなのだろう。どうりで存在が希薄なはずだ。生きた人間ではないのだから。水野はそのことに今まで感じていた違和感に納得した。
アオガネの中にある鉱石や金銀をつなぎとめているのは影の力だ。影は常に存在するにもかかわらず、ほとんど気に留められることがない。だからその存在は人間に比べるとかなり希薄だ。
「ん? あれ、待って。それよりあなた、なんて言った? はざま? 狭間って言わなかったかしら??」
「あァ」
「えっ? えぇ……えーっ?! 嘘でしょ……」
水野は寿々からいくつか気をつけるべき名前を聞いていた。そのなかでも、日本にいる裏側の住人で近づいてはいけないトップスリーとして教えられた名前がある。それが月乃、CR、そして狭間だ。
そんな相手と会うことはないとたかをくくっていて、その名前はずっと水野の記憶の片隅へ追いやられていたものである。そのためうっかり聞き流し、気になっていたアオガネの正体に気を取られてしまった。
近づくなと言われていた相手は、もう目の前にいる。とても今さらだが、逃げることもできない。なにしろ結界を張っているのは狭間だからだ。この結界は裏の住民を逃さないし、結界を壊す力が水野にはない。
「こっちの用事は想像ついてると思うが、米田……吾朗じいさんだったか? の居所だ」
「え? えっ、なんの話??」
驚き呆然とし、そしてあわてる水野を無視して狭間は話を進めようとする。ちょっと待ってほしい。水野は必死に過去の記憶を掘り起こしていた。
たしか寿々はこうも言っていたはずだ。絶対に敵対してはいけない、と。それにしても狭間の言うことが正しければ、曾祖母はそんな危険な相手を世話していたことになる。いったいどうなっているのか。
祖母を一言であらわすなら『おせっかいババァ』だ。狭間にもおせっかいをやいた可能性が高い。なんということをしてくれるのだろう。狭間がいう『世話になった』がいい意味であることを祈るばかりである。
水野はあわただしく思考をめぐらせながら、頭がくらくらしてきた。
「結界の中に閉じ込めたかと思ったンだが、逃げられちまった可能性もある。あんたなら、どこにいるかわかるんじゃァねェか」
「ま、まって待って……えーと」
敵対してはいけないなら、要望には応えたほうがいい。でも吾朗はこの町では有名な裏側の住人だ。水野が情報を売ったことが知られれば、吾朗に報復される可能性もある。
狭間は今回のことをしのげば、きっと今後関わることはないだろう。でもこの町に住む以上、吾朗の存在を無視することはできない。
かといって答えなければ、ここで殺される可能性もある。それも避けたい。水野はすぐに考えがまとめられなかった。
「……ど、どうすれば……うぅ~ん……」
「悩んでいるとこ悪ィが、米田はこっちで始末させてもらう。これはあんたが協力してくれなくても決定事項だ。そのうえで答えな」
「え? 始末……っていうと、つまり……?」
「遅かれ早かれ、いなくなるってこった」
「……わかりました、協力します」
それならば話は早い。吾朗に恨みはないし、嫌いといえるほど親しくないが、目の前の危険を回避することが優先だ。やっと結論が出た水野は、逃げ腰になっていたのを、すっと姿勢を正す。
「米田さん、つまり吾朗さんがどこにいるか、ですね」
「あァ、結界内にいるはずなんだが」
「力は感じるので、いるとは思います。でも吾朗さんはいたるところに人形を置いていて、あちこちの人形に入り込んでいるので……完全に結界内にいるかどうかはわからないです」
「どういうことだ?」
眉をしかめる狭間からじりじりと距離を取りつつ、これまでに吾朗を観察したときのことを水野は思い出す。
「たぶん吾朗さんは、力を分散させて複数の人形を操ることが可能だと思います」
「めんどくせェ。つまり本体がここにいるかどうかはわからない、ってェことか」
「はい。もしかしたらすべて本体で、すべて本体でないかもしれません」
「……そうするとあんた、人間の吾朗を見たことねェのか?」
「ない、ですね……たぶん。もしかしたら人間の身体を捨ててるのかも……?」
水野にとって吾朗と言われると、黄色いベストのようなものを着て縁側に座っている老人姿が一番多く見かけた。それ以外でも吾朗とにた気配がすると見渡したら、知らない相手がいたこともある。どれも一瞥すればすぐ人形だとわかったが、そのときによって存在感があったり、希薄だったりした。
分散させているのでは、という予想はさっき暇にあかせて、じっくりと吾朗の力をさぐってみた結果だ。というのも、結界内にふたつ吾朗の力を感じる。大きなものは結界の中心から少し外れたところに。もうひとつは結界の端にあった。
「たぶん力が大きなほうが囮で、弱いほうが逃げるためのものじゃないかと思います」
考察も含めて伝えると、狭間は目をふせて少し考えた。しかしそれも数秒ほどのことで、すぐに顔をあげる。
「仕事を頼まれちゃァくれねェか」
そういってポケットをあさり、おもむろにきれいな色の石……高価な宝石を取り出す。それが報酬だと水野は気づいた。それにしても宝石を雑にポケットに入れてるなんて、その神経はどうなっているのか。同時にふしぎにも思った。
水野はどうにかうなずいて了承を示す。怖すぎるので断ることはできない。それなら、できることをやるしかない……そう判断したのだ。




