第29話 水野 志津
水野志津はごくふつうの高校生……とはちょっと言いづらい少女だ。ふつうの人間では知り得ない、裏を知っている。そしてその裏でひっそり生きる程度の力を持っていた。
それでもふだんは、ごくふつうの高校生として学校に通っている。水野の通う高校は、当たり障りのない水準の私立高校だ。地方都市のアクセスしやすい立地ということで選んだ高校である。
「ねーねー、シヅはもう読んだ?」
「ん? なにを?」
「昨日おすすめした……じゃーん、コレだよ、これ!」
休み時間、比較的仲のいい友人が席にやってくると、隣に座って声をかけてきた。隣の席の本来の主はどこかへ行っていて今は不在だ。水野の友人に文句を言うものもいない。
「あぁ、えっと……」
素直にまだ読んでない、と言いながらメッセージアプリに届いていたウェブサイトのリンクを開く。ウェブ上で無料公開されている恋愛小説のようだ。
かわいい義妹に婚約者を奪われ婚約破棄された主人公だが、実は特別な力を持っていて、自分より位の高い男性に溺愛されるようになる。……という、よくある(らしい)ファンタジー恋愛小説だ。
水野は前にもにたような小説をおすすめされて読んだ気がする。が、あまり覚えていない。
「なんでこういう小説の主人公は特別な力を持ってることが多いの?」
「えっ、そんなこと言われても知らんし」
「特別な力なんて、持ってても余計な苦労するだけじゃない?」
「特別な話を読みたいんだから、特別でもいーじゃん」
「そういうものかしら」
「シヅは現実的に考えすぎだよ。もっとこうさー、気楽に考えよ?」
「そうね……」
水野が気楽になれないのは、自身が特別な側だからだ。ふつうではない、という自覚が水野にはあった。でも、それが素晴らしいことだとは思っていない。
現実では特別な力があっても、白馬の王子さまはやってきてくれないのだから。すべて自力でなんとかするしかない。
「おもしろいから! とにかく読んでみて!」
「……わかったわ」
「あっチャイム鳴っちゃった、やばー!」
どたばたと去っていく友人を見送って、水野は小説のページに改めて視線を落とした。
「特別な力なんて、いいもんじゃないと思うけど……」
小さなつぶやきは、授業開始前のざわざわした空気にかき消される。隣の席の生徒も戻ってきた。スマートフォンをカバンへしまい、次の授業の教科書を引っ張り出す。
ノートを開いて先生が教室に入ってくるのを眺めながら、今日は早く帰ろうと水野は思った。なんだか、よくない予感がする。
水野は幼いころから、おかしなものが見えるタチだった。オバケとか幽霊とか妖怪とか、そういったたぐいのモノが見えるのだ。両親にいっても理解されなかったが、曾祖母だけはわかってくれた。
そして水野は曾祖母から処世術を学んだ。現実に存在するものと、そうでない存在の見わけかた。見ないふりをする方法。逃げるときのコツ。逃げられないときにどうすればいいか。
自分は特別ではあるが、特別中の特別ではない。それが水野の自分に対する認識だ。ふつうのひとに比べれば、たしかに特別かもしれない。しかし裏には水野なんか目じゃないほど特異な存在がいる。
それに比べれば、自分はぜんぜん大したものじゃない。だからたいへんな事件に巻き込まれないよう、気をつける必要がある。それが水野の考える『平穏に生きるコツ』だ。
授業を頭の片隅で聞きながら、教室内に視線を走らせる。いつもちらちら見かける害のない小物を、ほとんど見かけない。なにか大物が近づいているとき、または事件の起きる前ぶれだ。
もしかしたら早退したほうがいいかもしれない。水野は無意識のうちに自分の腕を抱いた。
★★★
体調が悪いと偽って学校を早退した水野は、急いで家へ向かっているところだった。高校から自宅まではバスで十分だが、自転車や徒歩でも移動可能な距離だ。なんのことはない、近さで選んだ結果である。
今日は天気もよかったので自転車だ。体調不良という名目で早退したのに、自転車を飛ばして帰るのもどうかと思う。けれど急いだほうがいいと勘はいっている。だから安全に気をつけつつも水野は足をせいいっぱい動かしていた。
家というより、家の近所にある稲荷神社へ急いでいるというべきかもしれない。その神社は水野が幼いころからお世話になっている、いわば聖域だ。よくないものを寄せつけない。こんなときは自宅より、よほど安全な場所といえた。
少し息を切らしながらもたどり着くと、鳥居の横へ自転車を停める。そして鳥居の端をくぐって中へ入った。すぐに振り向き、パン! と手を合わせる。簡易的な結界を張ったのだ。ないよりマシだろう。
神社の中にも、いつもはよく見る小さき者たちがいない。学校や町中でもそうだった。神社にいつもいるのは、気のいい精霊のような存在や、優しい妖怪とかだ。ここはお狐さまが守っている地なので、弱い者たちの避難所にもなっていた。
それなのに、この神社にすら、そういった人ならざるものがいない。そのことに水野は不安を覚えて首をすくめた。
力のない者が姿を隠すときというのは、いくつかパターンがある。なにかに呼ばれて別の場所に行っている場合。なにかの理由で追い払われてしまった場合。そしてどうやっても立ち向かうことができない大物が来ている場合。
水野の勘ではおそらく最後のパターンだと思われる。ずっと肌がピリピリしてしかたない。水野が早退を決意したきっかけは、急にあらわれた街全体を覆う結界だ。その結界もなくなる気配がない。
どうしよう、ここにいるべきだろうか。それとも電車とかでもっと遠くへ逃げるべきか。もしくは……。
水野が悩み始めたところで、なにかが近づいてくることに気づいた。ハッとそちらを見あげる。
灰色の小鳥だった。それが降り立つ瞬間、ぬるりと男の姿になる。無意識のうちにじりりと後ろへ足がさがった。
薄らぼんやりとした印象の男だ。背が高く体格がいい。それだけで水野の恐怖を煽るには充分だった。それに人間でないことは確実で、えたいが知れない。
小鳥だった男……アオガネは、じっと水野を見る。アオガネの正体を知らない水野は、ひっと身体をすくませる。
逃げようかどうしようか、けれど足がうまく動きそうになかった。そんな水野にお構いなしにアオガネは口を開く。
「米田の手の者か?」
「……え?」
「米田を知っているか?」
「えぇ? な、なんの話?」
この近所で、そんな名前をした裏の住人はいないはずだ。理解が追いついていないながらも、ゆるゆると首を振る。そんな水野をよそに、アオガネは無言のまま、また灰色の鳥になって飛んでいった。
「い、いったい、なんだったの……?」
思わずその場にへたり込む。たった数分……もしかしたら一分ほどの時間だったと思われる。それでも水野は変な鳥男に気押され、同時に毒気を抜かれていた。
自分ではどうやっても勝てない相手だ。逃げることすらできなかった。
「なにが起きてるのかしら」
鳥居の外へ視線を向ける。そこはいつもの住宅街だ。一見しただけでは、なにも起きていないように見える。
立ち上がり、ふらりと一歩足を進めた。あと一歩で鳥居から出そうな位置だ。出ないほうがいい、それはわかっているが、出なければなにが起きているかはわからない。
「よねだ、よねだ……たぶん漢字なら米に田んぼの田。米に、田……あっ、もしかして吾朗さん?!」
吾朗というのは、この町に住む有名な裏の住人だ。表向きは引退した人形製作者だ。水野は詳しくは知らないが、かつて浄瑠璃人形を作っていたという。
吾朗の能力は詳しく知らないけれど、おそらく人形を操るのだろうということは想像がついた。水野はその能力が使われているところを見たことがない。それどころか、名前は知っているが親しくなかった。
裏の住人と仲よくなれば、助け合える。しかしそれは同時に、しがらみに縛られることでもあった。水野を育ててくれた曽祖母も水野自身も、助け合いを期待する性格ではない。だから裏で親しいひとはほぼいなかった。
吾朗のことも有名だから知っている、という程度だ。比較的広い土地に昔ながらの平家があり、日当たりのいい庭に向かって作られた縁側で、のんびり茶を飲む姿なら、水野は何度か見たことがある。
頑固そうなおじいさん、といった印象だった。けれどその頑固そうな老人が、どうして探されているのだろうか。さっきの鳥男のふんいきからして、穏やかな要件ではなさそうだ。うとい水野でもそう感じた。
助けにいかなくては、という考えは水野にまったく浮かばない。自分では有名な吾朗の足元にもおよばないし、じゃまになるだけ。そもそも助けに行くほど交流がない。
「はぁ……つまり巻き込まれたってこと?」
迷惑なことだ。しかし裏の顔を持つ以上、仕方のないことでもある。
座らせてください、とだれともなく断ってから水野は鳥居の台石部分に腰をおろした。亀腹(台石の上部分)と鳥居の柱に背をつけ、息を吐く。
なんだか疲れてしまった。休憩しつつも、いつでも動けるように、現状を把握しようとする。目を閉じて精神を研ぎ澄ませるのだ。
この町全体に、結界が張られていることを、改めて感じる。おそらく中心地は吾朗の家だろう。結界は裏の者……もとい吾朗を逃がさないためのものだ。その中に水野も取り込まれてしまっている。
そして、結界内にはいくつかの大きな力が点在していた。そのうちひとつは、先ほどの鳥男だろう。それから吾朗のものと思われる力も感じられる。何度か感じたことのある力だ。
それから、もうひとつ。大きな力をはらんでいるように思えるのに、どこか不安定なゆらぎを持つ力があった。つかみどころがなく、どんな力なのかよくわからない。きっとこの力がいるせいで、小さい者たちが姿を消してしまっているのだろう。水野にとっては鳥男以上にえたいが知れない。
いつもなら、長時間探っていると気づかれる可能性がある。そもそも遠くから見るのは本来準備が必要だ。しかし今なら、結界がそれを助けてくれていた。水野を閉じ込める檻でもあるが、同時にその能力を助けてもいる。水野はだれの結界か知らないが、ひどく相性がよかった。
結界が内側へ力を抑え込んでいるので、いつもなら外へ拡散してしまうものも内側にとどまっているため、とても確認しやすい。そして結界から町全体を俯瞰するようにして見ることができるおかげで、水野自身は見つからずにすんでいる。
「吾朗さんは……操者かな。操る力……人形の製作者でもあるけど、その人形を操ることが本来の力な気がする。きっとひとも操れるけど……私、操られてないよね……?」
ふと心配になって水野は自分の手足を見た。いくら目をこらしてみても、糸はついていない。だいじょうぶそうだと判断し、息をつく。
操者は通常、ふつうの人間には見えない糸を人形につけて人形を操る。人間を操る場合も同様だ。
「あの鳥男は、なんだろう……無機物っぽい。石、金属? ううん……よくわからない……影の力も濃い。影使いかな……」
「もうひとつは、もっとわからないわね。近くで視ればわかるかもしれないけど……いくつもの力が重なってるように見える。人間に近いけど、人間じゃない……ふしぎ……見たことのない力……うぅっ」
もっとよく見ようとするが、集中しすぎて頭痛がしだした。首を振って息をつくと、後頭部を鳥居の柱へくっつける。いつの間にかじっとりと汗をかいていた。久しぶりに長時間力を使ったせいかもしれない。
いつもは見すぎないように、わざと力を制御している。水野はふだん、少し勘がいいだけのふつうの人間のように振る舞っていた。そうすることで裏側の危険をある程度避けることができる。今回のように大規模に巻き込まれてしまうと、どうにもならないが。
「はぁ……早く終わってくれないかな」




