第20話 中村 華南
その日、華南は隙間町の脇道通りの裏を歩いていた。急いで出てきたので、高校の制服を着たままだ。紙袋を手に迷いなく質屋へたどり着くと、華南はこんにちはと声をかけながらドアを開けた。
狭間がいて、アオガネが不在であることはわかっている。一華から引き継いだ結界はすべて華南の制御下だ。その内部になにがあるか、すべて把握している。
華南はアオガネをよく知らないが、薄ぼんやりとして少し気持ち悪いと思っていた。アオガネは狭間とはべつの、掴みどころがない感じがある。苦手意識もないが、積極的に関わりたくもなかった。急にあらわれることが多いので、いないならびっくりする心配がない。
「カナちゃんじゃねェか、どうしたィ」
奥からのっそりと出てきた狭間は、眠そうに目をこすりながら華南を出迎えた。仕事ができそうな男が気の抜けた仕草をすると、どうにもちぐはぐというか、ちょっとかわいらしい。そんな感想を抱きながら華南は手にしていた紙袋を差し出した。
「これを母から預かってきました」
「これ?……あァ、封印箱か」
「はい、修復が終わったので。なんでも今日までの約束だったんですよね? すみません、母がすっかり忘れててギリギリになりました」
「……いィや、かまわねェ」
答える前の狭間は一瞬、なにか思い出そうとしていた。おそらく狭間も約束を忘れていたに違いない。まったく仕方のない大人たちだ。
華南が渡したのは、以前狭間が持ち込んだ華恵製の封印箱だった。持ち込まれたときはなかにあみぐるみが入っていたが、すでに取り出されている。あみぐるみも華恵によって解体済みだ。
封印箱はきちんとした手順で封印を解除すれば、再度利用可能である。解除は作成者である華恵でもかなりの手間だ。しかし解除後の整備はそう時間のかかる作業ではない。解除はとっくに終わっていたにもかかわらず、箱を狭間へ戻すのが遅くなったのは、単純に華恵の怠慢だ。
しかし狭間も一ヶ月近く封印箱がない状態で放置していたのだから、にたようなものである。その間になにかあったら、どうするつもりだったのか。華南は心配になるが、どうせ狭間のことだから、どうにかしてしまうのだろう。
今日までの約束だからと、華南は急いで来たのに、あわてていたのは華南だけだった。当事者たちはそろって忘れているなんて。本当に仕方のない大人たちだ。特に仕方ないのは、華南にそうあきれられても、当人たちが気にしないことである。
忘れられていた封印箱は、無造作に椅子へ置かれた。かなり高額な品のだが、狭間は頓着しない。
「ご苦労さん」
「いえ……なくて困らなかったなら、なによりです」
「あァ、まったく詰めが甘いこった」
「ん? えっと、それはつまり……それがなくても困らないってことですね?」
「おつむの回る子は嫌いじゃァねェ」
詰めが甘いというのは、狭間の敵に対する評価だ。華南はどんな相手なのか知らないが、その言葉から推測するに狭間はわかっているようだった。
華恵の作った封印箱のような道具は、そう多く用意されているものではない。つまり敵が本気で狭間の宝石を狙うなら、最初の道具が封印され、封印箱が使えないうちに連続で仕掛けるべきだ。けれど狭間の店はあれから攻撃を受けていない。
なにか事情があるのか、狭間のいうように詰めが甘いのか。華南には判断がつかなかった。わかったのは狭間の言葉に残念そうな響きがふくまれていたことだけだ。おそらく狭間は、追撃されたときの準備もしていたのだろう。そして封印箱を忘れていたことから、そこに封印箱は必要ないと思われる。
狭間のいうように華南は頭の回転が早い。勉強だって結界師の仕事をしつつ好成績を取れる。そもそも結界の作成や調整は頭を使う仕事だ。
華南は自身の頭脳を過小評価していないけれど、今のようなことがあると狭間には敵わないと感じる。いったい狭間はどこまで先を見ているのか。封印箱返却の約束は忘れるのに。ふしぎに感じつつも、華南はそれじゃと頭をさげた。
「もう帰っちまうのかィ」
「はい、用事は終わったので」
「……気ィつけな」
「ありがとう、ございま、す……あの、どういう意味ですか」
気をつけて帰るように。狭間が帰り際によくかけてくれる言葉だ。狭間にかぎらず、圧倒的に年上ばかりの客たちも、華南によく言ってくれる。
けれど今のニュアンスはいつもと違った。華南は敏感にそれを察して、帰ろうとしていた足を止める。そして振り返ると狭間を見た。
ちらりと狭間の輪郭が一瞬ゆがむ。それもすぐに直り、いつものスーツをピシっと着こなす狭間に戻った。よくわからないが、なにかが気になる。華南は自分の勘を信じた。
「狭間さん、なにに気をつければいいんですか」
「おっと。そう睨むもんじゃァないヨ、かわいィ顔が台無しだ」
「オレはかわいくないです」
「だが、こっから先はカナちゃんでもタダとはいかねェ」
華南に自身の顔を論じる趣味はない。それに年頃の男子として、かわいいと言われることに抵抗がある。でも、むすりと言い返したところで、狭間はまったくこたえない。
狭間は店内の中央に置かれたテーブルへ行儀悪く腰を乗せ、鷹揚に腕を組みながら、にやにやと華南を見返してくる。気をつけろというくせに、この態度だ。狭間はいったいなにを知り、なにが見えているのか。つかみどころのない狭間に華南は顔をしかめた。
「いつから情報屋になったんですか、狭間さん」
扉の前で狭間へ完全に向き直ると、華南も腕を組んで見つめ返す。それが気に入った狭間はククッと喉の奥で笑うと、口の端をゆがめた。
「記憶ってのは情報の集合体だ。あながち間違っちゃァいねェな」
狭間は多弁でも雄弁でもない。しかも、わかりづらい言いかたをすることばかりだ。問いかけても、ほとんど明確な答えがないままはぐらかされる。
それを知っているだけに、華南は意識して狭間のペースに引き込まれないよう、気を引き締めた。この場は狭間の店ではあるが、華南の制御可能な結界内でもある。なにかあっても対応できるという自負が華南にはあった。
もし華南を自由にできたら、華南が管理する多くの結界とその中身を手に入れたも同然だ。それは狭間の店も例外ではない。狭間の店を荒らそうなどとは思わないが、華南はやろうと思えば貴重な宝石を盗める。
つまり、華南になにかあって困るのは狭間も同じだ。にもかかわらず、注意しろというばかりで狭間は具体的なことを教えてくれない。実はたいしたことではないのか、またはなにかあっても狭間は困らないのか。
からかわれているような感じも受けるので、前者かもしれない。でもさっき覚えた違和感は本物だったと、華南は思う。
狭間がいうのだから、華南はなにかに注意するべきだ。それは確実である。問題はなにに注意すればいいのか、ということだ。
華南は結界師の端くれとして、自分の身を守ることに長けている。一華から護身術は叩き込まれたし、常時結界を発動していた。華恵から待たされている道具もある。不測の事態や危機の対応はできるつもりだ。
いくら考えても、なにに気をつけるべきなのか、よくわからない。かといって狭間に金をはらうことも簡単ではなかった。華南が自由にできる金額は限られている。
小遣いはふつうの高校生より少し多いかもしれないが、宝石を買えるほどかというと疑問だ。結界の仕事で払えば楽だが、それは華恵から禁止されている。華南に買えるのはせいぜい、狭間が好きだという店のまんじゅうくらいだろう。
「言っておきますけど、オレに払えるのなんて、太福屋のまんじゅうくらいですよ」
それをそのまま告げると、狭間は珍しくほうけた顔をして、目をしばたかせた。それから一泊遅れて、ククク……とおかしそうに笑いはじめる。なにかツボに入ったらしかった。
「くく、はははっ……まんじゅう、まんじゅうか! そりゃァいィ」
こんなに笑っている狭間を華南は初めて見た。組んでいた腕は腹に回され、長身を折り曲げて、くつくつと笑い続けている。なにがそんなにおかしいのか、華南には理解不能だ。
「狭間さん、笑いすぎでは?」
「はは……ククッ、悪ィな。くくく……」
「そんなにおかしいこと言いました?」
「いや、ははっ……なァに、ンなこたァねェ。……はァ、笑かしてもらった礼に、ひとつイイことを教えてやろゥ」
やっと笑いをおさめた狭間が、寄りかかっていたテーブルから身体を離し、姿勢を正した。なにを言われるのかと、華南は思わず身がまえる。
「太福屋のまんじゅうは、いつもの薄皮蒸しまんじゅうも絶品だが、かりんとうまんじゅうもうまい」




