第16話 狭間と渡部
「そうかィ、間に合ってよかったヨ」
『本当に。こないだダイヤモンドパウダーもらっておいてよかったです。おかげで結界の設定をいじれました』
狭間は華南からの電話を受けていた。先日狭間が商品にしてしまった女性の姉が来ている、という話だ。華恵は自分で電話すると話が噛み合わないことをわかっているので、息子に任せたのである。
華南はさっき結界の設定を書き換えたばかりで、渡部が立ち去るまで待機していた。喫茶店にめぐらされている結界も、一華が作ったものだ。ふだんからメンテナンスは華南がやっているが、急な仕様変更はたいへんだった。
問題がないか、渡部が帰るまで待っていたので、よけいに疲れている。それでも狭間に電話したのは、狭間の役に立ちたいという思いと、礼を言いたかったからだ。
『あのひと、こっち側に来る素質ありますね。ちょうど結界の境目のところで何度も立ち止まって確認してましたもん』
「不幸なことにならなきゃいいがねェ」
意外とふつうでない世界……こちら側に関わる素質を持つ者は多い。たとえば華南だと、同学年内で数人は結界師になれそうな人物を見つけている。または道具を作る才能がありそうな者、純粋に術を使うことに長けていそうな者、ほかの能力がありそうな者……。
まったくなにも持っていないほうが珍しいくらいだ。それでも大半はこちら側を知らない。知る機会がないからである。知ったとしても、よほどタイミングよく相性のいい相手に力を引き出してもらえないと、こちら側では生きていけない。
そういったことを見抜く力を持った者は人見や仲人と呼ばれ、こちら側への適合率やどんな能力へ適正があるかを見ることができる。華南に人見の力はないが、何年もこちら側で生きていれば、あるていどの勘ははたらくものだ。
渡部は素質がある。妹もふつうでなかったし、その姉もまた同じなのかもしれない。どんな力に才能があるか不明だし、生きていけるほどのものかはわからないが。
ただ、もし素質がなければ、喫茶店までたどりつけなかった。それはたしかだ。それに一華の結界の前で長時間待つことは、意外と難しい。去りたくなるような仕掛けがある。なにかしらの才能がありそうだ。
けれど華南も狭間も、渡部をこちら側に引きずり込もうとは思わない。素質うんぬんの前に、性格的に向き不向きがある。それに一度こちら側にきてしまえば、戻れない。長生きもできないだろう。
『母に言わせると、例の女は湯川に利用されたんだろうから、姉は見逃してやった……ってことらしいです』
「あァ、ハナさんらしィ」
湯川にはおそらく、別の依頼人がいる。依頼と狭間からの恨みが釣り合うよう、うまい具合に渡部の妹を利用した。おそらく真相はそんなところだ。道具を用意したのが妹自身なのか、湯川なのかは不明である。狭間はおそらく湯川の指示だろうと思っていた。
湯川としては、妹がいなくなることまでは予想通りだったはずだ。だがその後、姉がでしゃばってくることは予想していなかっただろう。
『結界の設定はしばらく、湯川さん出禁です。どうせ、ほとぼとりが冷めるまで来ないでしょうし、あんまり意味はないと思いますけど』
「違いねェ」
『狭間さんのところの結界はどうしますか? 変えるならサービスしとけ、って母が言ってますけど』
「ハナさんのサービスはおっかねェから、遠慮しとくヨ」
『実際に手を動かすのはオレなんですけどね』
電話の向こうで華南が苦笑いした。サービスするか否かを判断するのは華恵だ。若い華南の判断にゆだねると、つけ込まれたり、なめられたりしかねない。だから値段交渉はすべて華恵を通すようになっている。
しかし狭間は華恵相手に値段交渉をしたことなど、ほとんどない。華恵の提示する金額が適正であると思っているからだ。その華恵が私情(?)からサービスするなんて、よほど湯川は嫌われたらしい。そう考えた狭間は電話口で小さく苦笑いをこぼす。
「ところで、ムラさんたちとは最近連絡を取ってんのかィ」
『小村さんと大村さんですか? さあ……ぁ、でも小村さんから荷物が届いてたような……』
狭間がムラさんたちと呼ぶのは、華恵をふくむ仕事仲間たちのことだ。材料調達の小村、道具作成の中村、道具を使う大村の三人だ。ムラーズ、三村、道具村などとまとめて呼ばれたりする。
こちら側では有名な三人組だ。本人たちは腐れ縁というだけで仲がいいわけではない、と言い張っている。しかし能力の関係上どうやっても相性がいいので、まとめてあつかわれていた。名字が妙にそろっていたのも大きいかもしれない。
中村以外は隙間町にいないが、このご時世は連絡手段にこと欠かない。日本は交通も発達しているから、集まろうと思えばすぐに集まれる。
華恵が動くなら、小村と大村も必ず動く。そこに動きがないなら、華恵が動くこともない。
華恵は定期的に小村から材料を仕入れている。それだけなら日常の範囲だ。まだ許容範囲内である。狭間はそう判断した。
それに小村とは狭間もつき合いがある。小村の仕入れ先のひとつが、狭間だ。特殊な宝石などを小村はよく買っていく。大量入荷後に小村から問い合わせはあったが、まだ来ていない。
そろそろ来るだろうから、小村に直接確認すればいいだろう。そう考えて狭間は話を打ち切ることにした。
「そうかィ。……あァ、お客人が来たようだ」
『予想より早いですね。それじゃオレはこのへんで。またなにかあればご連絡ください』
「あァ、また」
電話を切り、結界の様子を確かめる。だれかが結界内をうろついていた。華南ならばだれがどこにいるか、正確に把握できるだろう。
しかし狭間にそんな才能はない。ただなんとなく、だれかがいるだろうと思うだけだ。力の強い相手ならともかく、こちら側にいない、力のない人間を感知することは難しい。
拒否することも可能ではある。質屋の扉に鍵をかけてしまえばいいだけだ。そうすれば結界などというよくわからない力に頼らずとも、物理的に入ってこられなくなる。
だが狭間はそうしなかった。待っていると、がたがたん、と建てつけの悪い扉が鳴る。
「あの、すみません……おうかがいしたいことが、あるんですが」
そろりと渡部が顔をのぞかせた。この店がどんな店なのかわからずに、なんとなく気になるという理由だけで入ってきたようだ。華南のいうように、渡部には素質がある。
狭間はいつものように、中央に置かれたテーブルセットの奥側に座って渡部を出迎えた。ちらりと顔をあげるが、すぐに手元に目を戻すのも、いつもと同じだ。手には文庫本をもっている。華南との電話前から読んでいたものだが、まったく進んでいない。
★★★
「えっと、おじゃまして申し訳ありません」
入り口で少しとまどっていた渡部は、意を決したように中へ入ってきた。しかし扉を閉めようとして、うまく閉められず手間取る。やがて完全に閉めることを諦めて狭間の前へ歩いてきた。
渡部はふしぎな器具が乗っているテーブルを確認し、狭間を確認し、また卓上を確認する。そして少し顔をしかめて狭間をもう一度見つめた。
そこには無愛想な顔をした老婆が座っている。一瞬男が座っているような気がしたのは、気のせいだったのかもしれない。渡部はそう判断し、緊張をまぎらわすようにつばを飲み込むと手前の椅子を引いた。
「おうかがいしたいことがあります」
「あァ」
「行方不明の妹を探しているのですが、渡部由美香という者を知りませんか?」
これまで渡部は妹についてたずねるとき、基本的に名前を出さなかった。それは言っても望んだ答えが返ってこないだろうと予想してのことだ。予想というよりは勘といってもいい。
けれど今はなぜか、眼の前の老婆に対しては名前をまず伝えるべきだと思った。しかし勘が外れたのか、老婆は表情を全く動かさない。顔もあげない。それどころか、本を開いたままだ。
「探し人なら来る場所が間違ってるヨ」
「警察にはもう届け出ました。でもまったく進展がなくて……妹の部屋にあったメモに、この町のことが書かれていたので、ここへ来ました」
「……ここがなんの店かわかってンのかィ?」
「え? いえ……お店……?」
問われ改めて渡部は室内を見渡した。これまで中央のテーブルと老婆しか目に入っていなかったが、そういえばここはおかしな空間だ。
片側の壁は一面がほぼ本棚で埋め尽くされている。もう片側には低めの棚が置かれており、妙に真新しい電話機が置かれていた。それだけが、どうにもここに不釣り合いなように見える。
店の奥はよくわからない。そのことを渡部は気にすることができなかった。見ようとしても見られない。見たつもりで見えていない。見ようとしたことすら記憶にない。本当であれば奥には小さな古びたシンクややけに頑丈そうな金庫がある。
入ってすぐのところに、ひっそりと衝立がたっていた。さっき入ったときはまったく気づかなかったので、渡部はぱちりと目をまばたかせる。こんなもの、あっただろうか。疑問に思うが、それよりもふしぎなものが目の前にあった。
渡部側と老婆側に握るための取手がついた道具だ。道具の中央には柔らかいフェルトでできた皿がついている。取手はふしぎな光沢の金属でできており、取手から伸びた金属はぐるりとフェルト皿を取り囲んでいた。
一見してなんに使うのかよくわからない、変な形をしたものである。その横にはいくつかの宝石が納められたケース。そして老婆のそばには、空のカップ。
店というからには、なにかを売り買いするための場所だ。ここで売り物といえるのは、わずかだが宝石くらいだった。よくみれば、小さく値段らしき数字がそえられている。
渡部はそうやってぐるりと店内を見渡したあと、目の前へ視線をもどした。その間も老婆は黙って本を読んでいる。渡部が店内に入ってから、何度かページがめくられていた。つい先ほども。
「えっと、宝石屋さん……?」
「少なくとも探し人をたずねる場所じゃァねェ」
「そうかもしれませんが、でも、ええと……」
「なんでまた、ここへ来ちまったンだィ?」
「それは……その、笑われるかもしれませんが、ネコが……えっと三毛ネコに誘われたというか」
渡部がもごもごと小さな声で答える。眉はさがり、まったく自信がなさそうな様子だ。そんな渡部のことも、言った内容についても、老婆は笑わなかった。
ただずっと読んでいた本に栞をはさむと、ぱたんと閉じる。そして深い息をついた。
「やれやれ……こりゃァ本当に素質があるねェ」
「え? なんて?」
「いィやこっちの話だ。アオガネ、茶を一杯」
「ひっ?!」
小さな悲鳴は渡部のものだ。どこか暗くなっている衝立の向こうから、急に男があらわれたからである。薄ぼんやりとしたその男……アオガネは渡部のことをまったく見ないまま、ぬるりと動いた。
「座ンな」




