第8話 義元の正体
『オレの事を呼び出すなんて、さすが分かっているな』
信長を睨みかえす覇洵。
「あの、覇洵様
その声は、御屋形様には届いてないかと……」
兵衛は小声で覇洵に語りかける。
『それには及ばん。
俺様には聞こえておるぞ。
なぁ、覇洵』
口を動かしていない信長の声が兵衛の頭に響き渡る。
「なんじゃ……」
信長の言葉に覇洵はニヤニヤとしている。
『おぅ、直接こちらに語りかけてくるとはな。
お前はやっぱり神だろう』
「隠し立てしても仕方ないな。
俺様は……
阿渡……
と言えば思い出してくれるかな」
『……
あーっ……
って誰だっけ?』
「あのな、お前……
まぁ、よい。
お前はそういう奴だったからな」
阿渡はため息をつきながら頭を抱える。
『オレはお前らが誰だっていいんだ。
オレにこんなことをした奴らを八つ裂きに出来ればな。
どれほど長い時間を閉じ込められていたかわかっているのか、お前らは!』
封印されたことに憤る思いだけが残っていた覇洵。
そうされた原因などどうでも良かった。
「思い出さないならそれはそれでいいかもしれないな。
お前を呼び出したのは他でもない。
義元のことだ」
『はっ?
そんなことはどうでもいい。
オレはお前のことをまず倒したいんだよ!』
気持ちは逸る覇洵だが、まだ兵衛の意識があるため、身体を自由にできない。
「まぁ、そう焦るな。
まずは俺様の話を聞け。
義元はお前を封印したことに関係した奴だ。
俺様なんかより、そいつの方が先じゃないのか?」
『……確かにそうかもしれないな』
覇洵は阿渡の言うことも一理あると思い始めた。
「はっきりと言っておく。
俺様は封印には関わってないぞ。
その後に知っただけだ」
『嘘を言え』
「そう思うなら思えばいいさ。
俺様は事実を言っているだけだからな。
それに、そこまで言うなら今すぐ相手してやってもいいぜ」
不敵な笑みを浮かべる阿渡は、持っていた扇子をクイクイっと手前に動かして、覇洵を煽り始める。
『ちぃっ……
なら、そうさせてもらうよ』
売り言葉に買い言葉。
怒りが増した覇洵は血気盛んになっていく。
一触即発の空気が流れる中
「あのぅ……
お話し中申し訳ねぇんだが、味方同士で争っている場合じゃないのではないかのぅ」
兵衛は差し出がましいと思いつつも二人の会話に割って入る。
「それもそうだな。
俺様としたことが……
あいつを……義元をまずは止めないと、次が無ぇ」
阿渡は正気を取り戻し、今の戦況と心情を伝えた。
「聞いているとは思うが、わが軍は数で圧倒的に不利な状況だ。
だからこそ、俺様はここで勝負に出ることにした。
義元を殺せば、形勢はひっくり返る。
奴が死ねば、総崩れもありうる。勝機はそこにしかねぇ。
もしここで義元を止めないと、俺様はここでやられることになる。
一か八かだ」
『それがどうした』
覇洵は阿渡が何を言いたいのかがよくわからなかった。
戦況も当たり前で、一か八かというのも分かり切ったことだった。
それでもなんであえて口にしたのか……
「俺様を直接殺り合いたいなら、義元を倒さないと殺れんぞ」
『はぁ?
そんなことしなくても、ここでやれば……』
血気盛んな覇洵だが、そこに兵衛が割って入ってきた。
「あの……覇洵様
大変申し訳ないのですが、今は御屋形様の家臣です。
そのことは、この戦いが終わった後にしてくれねぇかと……」
『そんなことはどうでもいい』
「どうでもよくないと思っております。
ワシはワシの役目を果たすのが役目で……
上手く言えないのですが……
ワシとしては今は御屋形様の家臣であることを全うしたいと思います。
それがたとえ覇洵様の意思と違えでも、今は……」
神である覇洵に逆らう兵衛。
勇気がいる行動だろうが、そこからは自分の信念を曲げない確固たる覚悟を感じた。
『……わかったよ
お前がそう言うなら、仕方ねぇな』
「ありがとうごぜぇます」
兵衛はぴょこぴょこと何度もお辞儀をした。
『オレが義元をぶっ潰すから、お前も簡単に死ぬなよ。
お前をぶっ潰すのはこのオレだからな!』
覇洵は阿渡に向かい啖呵を切る。
「俺様はそう簡単にくたばらないよ。
それにお前が俺様を守ってくれるしな」
阿渡はそう言うと高笑いを始めた。
『ちぃ……
お前を守るんじゃないって。
義元をぶっ潰すだけだって』
自分のやりたいことが結果的に阿渡を守ることになると思うとやりきれない思いがこみ上げる覇洵だった。
「好きなように暴れな。
兵衛、おぬしたちの部隊は引き続きこのまま先陣を切り、義元の本陣を狙え。
あと、こやつの好きなように暴れさせろ」
信長として兵衛への指示をする阿渡。
「はっ、御屋形様のご随意のままに」
兵衛は信長の指示を聞くと、そのまま下を離れていった。
部隊の下へ戻った兵衛は信長の指示を足軽大将に伝え、行軍を進めることになった。
兵衛は信長と直接話せたことや指示を受けられたことにご満悦の様子だ。
『何をお前は浮かれているんだ。
そんなにあんな奴の言葉が嬉しいのか。
そういう意味だと、オレだって神だぞ。
神から直接言葉をかけられて嬉しいだろ」
信長の言葉に浮かれる兵衛を見て、覇洵は信長に嫉妬していた。
「もちろん、覇洵様の言葉も大変ありがたく思っております。
ただ御屋形様は雲の上のような存在でしたので、つい……」
頭を掻きながら兵衛はそう返した。
『ふん、どうだかな。
ならその雲の上のあいつが言ったこと、覚えているな』
「はい、先陣を切って敵の大将の本陣をつけと」
『それも言ったが、大事なのはそこじゃないだろ!』
イライラしている覇洵は見当違いのところを話す兵衛に怒声を浴びせた。
「ひぃ……
何もそんなに怒らなくても……」
覇洵は苛立ちを落ち着かせるために、一呼吸おき、
『あいつの好きなように暴れさせろと言っただろ』
「あぁ、確かにそう仰ってましたな」
『思い出したか。
お前の大好きな信長様の言葉だぞ。
お前とオレが変わらんと、暴れることも出来んず。
そうなれば、お前は信長の言葉に逆らったことになるぞ』
「ごもっともで……」
『だから、そろそろオレと変われ。
もうすぐ戦いが始まるし』
「でも、どうやって変わるのでしょうか?
ワシはよくわからんですが……」
『お前の意識が無くなればいいんだよ。
寝てもいいぞ』
「そう言われてもですなぁ……
変わりたいのやまやまですが……」
『いいんだよ、さっさと変われ!』
覇洵は強引に変わろうとした。
「うっ……」
兵衛が少しうめいたかと思うと、覇洵の意識が表に出ることが出来た。
「おっ、やれば出来るじゃん」
覇洵はニコニコしながら手を開いたり閉じたりしている。
今までは無理に替えることが出来なかった。
二人の替わりたいと思う気持ちの波長があったのか、うまく出ることが出来たようだ。
『あの……覇洵様
くれぐれもやりすぎないようにだけお願いします』
兵衛も意識がなくなる訳ではなく、話しかけることが出来るようだ。
「あぁ、わかったよ」
覇洵は兵衛にそう語りかけると、隊の後ろをついていくのだった。
その後も織田軍の行軍は順調に進んでいた。
相手の今川軍はその間丸根砦と鷲津砦を陥落させていた。
そのことで、今川の戦況は俄然有利となっていた。
織田の行軍は知ってはいたものの、力で押し切れると判断して、見逃していたのだった。
そういった今川軍の慢心もあり、特に大きな戦いもなく、今川の本陣の近くまで足を運んでいた。
さらに今川の本陣に近づいたころ、突然の大雨が降り始める。
視界も遮られるほどの大雨だ。
「いいじゃねぇか。
これだと周りが見えにくいし、単独行動してもバレねぇ―な」
覇洵は隊列からすっと抜けると、1人で今川の本陣に向かっていった。
『覇洵様……
単独で動くのはいかがなものかと……』
兵衛の心配を余所に雨に紛れて本陣に近づく覇洵。
「いいだろが。
オレの好き勝手にやらせろと言われているんだろ」
『……それでもご無理なさらぬように』
「わかってるって、そんなこと!」
覇洵はいちいち言葉尻をつく兵衛にイラつきながらも、大将のいる本陣を目指していた。
途中、今川の兵たちに気づかれるも、叫び声や悲鳴が出る前に、相手を斬りつけていく。
刀を抜いた瞬間、空気が刃の形に引き裂かれたように見えた。
血しぶきよりも先に、兵たちの体が音もなく崩れ落ちていった。
しばらく戦いながら進むと、義元がいると思われる神輿の前に到着すした。
そこにも義元を守る兵たちも多くいた。
「この雑魚どもが。
邪魔だ、どけ」
「1人で乗り込んできて何をほざいている。
この人数を前によく言えたな」
「雑魚がいくら集まっても雑魚だよ」
覇洵は大勢の兵に取り囲まれながらも、刀を抜いて軽く一振りした。
その瞬間に十数人を一気になぎ倒していく。
覇洵にとっては『多勢に無勢』という言葉の意味がまったく成していなかった。
その一振りをみた兵たちは
「お……鬼じゃ。
鬼が出たー」
と喚きながら、一目散に逃げていった。
その声を聞いたのか、神輿の奥から
「なんだ、騒々しいな。
あたいの出るようなところじゃないだろ。
ったく、何してるんだ」
男の声とは思えない甲高い声が聞こえてきた。
「お前が、義元か?
オレは覇洵。
お前がオレを封印した奴か!」
覇洵は名を名乗り、義元がいる神輿に近づいていった。
その時、神輿から光が放たれる。
その光と共に周囲の空気が一変する。
一瞬止まったかのような静寂が辺りを包み、ほのかに甘い香りが漂い始めた。
「あっ?
あたいが封印?
なんのことだい?」
そう言いながら出てきたのは、狩り衣を着た女の人だった。