第5話 信長という男
家次との戦いの後、兵衛は殿を務めたことで、いくらかの扶持をもらえた。
ただ負け戦だっただけに、本来ならそこまで出せなかったのだが、
前回断った分を足軽大将が残しておいたこともあり、兵衛は余分にもらえたのだった。
そのこともあって、兵衛は刀を新調することにした。
これまで使っていたのは刃毀れもひどくボロボロだった刀だった。
覇洵曰く
『ったく、こんなんじゃあ、小動物すら殺せんじゃん。
戦で活躍しようにも活躍できん』
ぐらい酷いものだった。
そのことを足軽大将に相談したところ、
これまで活躍してくれたこともあって、
新しい刀をいただけることになった。
兵衛は代金をと言って、足軽大将へお金を渡そうとするのだが、
「それはいいから、次も頼むぞ」
と言われて、お金は受け取らなかった。
「ありがとうごぜいます。
この刀に見合う活躍を、頑張らせていただきます」
兵衛は足軽大将にそう言って、その場を後にした。
それから家に戻り、いただいた新しい刀を眺めていた兵衛だったが、
前のボロボロの刀で覇洵が人をどう殺めていたか不思議に思った。
『そう言えば、あの刀で覇洵様は平気で人を半分にしておったのじゃねぇか?』
『それは神だからだよ。
お前には出来ない何かをいろいろやって。
こうだな、刀にバーっとしたものスルーっと出してだな……』
『覇洵様……』
絶句した兵衛に対して、覇洵は
『なんでそこで言葉が詰まるんだ!』
と兵衛の態度に対して怒りはじめた。
でも頭の中では何も出来ずに、ただ怒り叫ぶのみだった。
『だども、これで覇洵様のお役に立てそうだ』
兵衛はにこやかな顔をして、素直に覇洵の力になれることを喜んでいた。
その顔を見て覇洵は、怒る気を失っていった。
それから時間をあけずに兵衛に次の招集がかかった。
尾張統一を急ぐ信長が肉親を追い出して間もない信賢を倒すために動き始めたのだ。
『この信長って奴は強いのか』
覇洵は兵衛に参加する大将の信長について聞く。
『どうじゃろな。
雲の上のような方じゃからのう。
ここ最近力をつけてきた方とは聞いたことがあるのう』
『そっか。
急に力をつけてきたのだとすると怪しいなぁ』
『何が怪しいのですかい、覇洵様』
この時代、急に頭角を現す人は多かった。
信長も力をつけてはいるが。まだまだ世間的には知られている人物ではなかった。
兵衛も噂話程度しか知らないこともあり、特に普通のことじゃないかと思っていた。
しかし、覇洵は違っていた。
『お前みたいに神が憑いているってこと』
『えーっ!
覇洵様のような神様が他にもお出でで』
『あぁ、たぶんいる。
たぶんじゃないな。
絶対にいる』
自信に満ちた声で言う覇洵は何かを確信しているようだった。
『そういうものなのかのぅ』
よくわからない兵衛はどう返事をしていいかわからず、あいまいな返事をした。
『まぁ、いいや。
その時になればわかるだろ』
しかし覇洵は神に対して拘っているのかどうでもいいのかがよくわからない。
積極的に動くのでも無く、時に身を任せている感じもする。
運命であれば動かなくても向こうから来ると思っているのかもしれない。
行軍を進めている途中でそんな話を覇洵と兵衛はしていた。
その様子を周りから見ていた兵たちは独り言をブツブツ言っている兵衛を不気味に思えて仕方がなかった。
それからしばらく行軍を進めていたが、後ろから大きな声が聞こえてきた。
「信長様がこちらにこられるとのことじゃ。
みな、粗相がないようにしてくれや」
信長と聞いて色めき立つ覇洵は
『おい、兵衛!
早く気絶しろ!
それで、オレがあいつの目の前に立って、確かめてやる!』
と出ていく気満々だ。
『そでなことしたら、ワシは打ち首だで止めてくれ』
『そこをなんとか。
ワシが出ていけば絶対そんなことにはならないから、たぶん……』
最後に小さい声でたぶんと言ったことに兵衛は気づいていた。
『たぶんって……』
その言葉にため息をついた兵衛。
『覇洵様には大変申し訳ねぇが厳しいのぅ……』
『ちぇっ』
そうこうしているうちに、馬にまたがった信長が目の前を通り過ぎていった。
頭を下げて控えている兵衛をよそに、覇洵はなんとか信長の中にいるかもしれない神の気配を感じようとした。
だが一向に気配は感じられない。
上手く気配を消しているのか、それとも神が憑いていないのか……
と、その時一瞬信長が兵衛の方を向いたようだった。
その時の笑みは狂気に満ちた笑顔のようだった。
覇洵はそれに気が付いた。
『あの、信長がって奴……
オレの方を見て、笑ったぞ』
『そんなのは覇洵様の気のせいではないですかね。
たまたま向いて、偶然笑ったのではないでしょうかのぅ』
兵衛はずっと伏せていて、信長の顔は一切見ていなかった。
顔を上げようものなら、取り巻きにすぐ連れていかれてしまう。
以前に信長の前で不用意に動いた者が、引きずられていく様を、兵衛は目にしていた。
そのこともあって、びくびくしながら、通り過ぎるのを待っているしかなかった。
『いや、間違いない。
あいつはオレの方を見やがった。
それにあの目……
普通の人間の目じゃない』
覇洵はあの信長の顔を見て、確信した。
『だけれども、その神様特有の気配と言うかそういうのは感じたでか?』
『うーん……』
『覇洵様、その気配って言うのはどんなもんなのじゃろ?』
『そうだな……
こうピリピリとしたというか、刺さるというか、ビビビッとくる感じだ。
あいつはそういう感じはなかった』
そういう感じがなくても、信長の異質さを感じた。
あくまでも覇洵の直観ではあったが……
『であれば、やっぱり偶然だったんじゃないかと……』
それでも覇洵は信長には神が憑いていると主張を譲らなかった。
頭の中で
『早くあいつに追いつけ!』
『オレがあいつの正体を暴くんだ!』
と痛みが出そうなくらい叫びまくっていた。
しかし兵衛は
『それこそワシの首が何個あっても足りん』
『ここから離れる訳にはいかん』
と言い、頑なに覇洵の言うことを聞かなかった。
『本当に融通が聞かないんだから、こいつは』
最後には覇洵が折れる形になった。
それからしばらくした後、軍は浮野の地へ到着した。
迎え撃つ信賢軍はこちらの軍より数の上では上回っていた。
それでも信長は侵攻を止めず、両軍が合いまみえることになった。
当初は数で上回る信賢軍が優勢となっていた。
その中で兵衛も奮闘していた。
鎧と刀がぶつかり合う音が響き、土煙が舞い上がる中、兵衛は懸命に刀を振るった。
いただいた新しい刀の切れ味は以前と違い鋭く、敵を倒すには十分だった。
それでもなかなか劣勢を強いられていた。
しばらくは劣勢で耐え忍んでいた信長軍だったが、犬山より援軍が到着した。
その援軍が合流すると気勢が増し、徐々に相手を圧倒し始めていった。
そのころ覇洵はと言うと、兵衛と入れ替われずにイライラとしていた。
『なんでお前は気絶しないんだよ!』
『そうは言われてものぅ。
そうそう気絶は出来んし』
『その辺りの岩に頭ぶつければ出来るだろ!』
覇洵は兵衛に無茶な要求をする。
『自分でぶつかりにいって気絶なんてそうそう出来るもんではないかと……』
『オレが暴れられるところなのに……』
『それはわかりますが……
覇洵様が入れ替わりたいのであれば、出来れば気絶じゃなく、
そのまま変わってもらえると助かるんですがのぅ』
『オレだってそうしたいよ。
でも現状は出来ないから、頼んでいるじゃん』
『今回は諦めてくだせい。
それに……』
『それに……それになんだ?』
『今、覇洵様に入れ替わると、信長様のところにいくじゃろう』
兵衛に図星なことを言われる。
『そ……そんな……ことはしないぞ……
オレは戦いたいだけで……』
動揺する覇洵に兵衛は続ける。
『絶対に信長様のところへ行かれるはずじゃ。
覇洵は分かりやすいからのぅ』
『分かりやすいって言うな。
素直と言え素直と』
『素直ではないとは思いますがのぅ』
そうこうしているうちに、信長軍の圧勝でこの戦いの幕が閉じた。
『信長、やるのぅ……
次に会う時は必ず正体を……』
覇洵は心の中でそう誓うのだった。
一方、兵衛の方はというと、少しは活躍したようで、敵軍を数名討ち取ったのだった。
「これもみな新しい刀と覇洵様のおかげだ」
覇洵と入れ替わらずに敵を倒せたことに、喜ぶ兵衛であった。