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Issue#02 I UNDERTALE CHAPTER 4

もしこのお話が面白いと思ったらぜひ身近な方にも教えてあげてくださいね

SNSなんかでもどんどん宣伝してくださいね

面白くなくてもしてくださいね・・・

CHAPTER 4



遠くには、赤茶けた斑の岩肌をところどころ覗かせつつも、全体としては深い緑にほぼ呑まれたメサやビュートの山々が並び立っている。

その手前、パステルカラーをした緑の低草に覆われた丘の中腹で、赤い花が風に揺れていた。それはまるでひとひらの幻のように。

シャカゾンビはその花弁に興味深そうに指をのばし、そっと撫でた。質感と色彩を、わずかに確かめる仕草だった。


彼のすぐ傍らには、白い円卓と椅子、日傘がしつらえられた、簡素ながらも洗練された一角があった。そこでテラリア

キングは、まるでビーチチェアの傾斜に身をゆだねるかのように腰を大きくずらし、投げやりな姿勢で座っている。そ

の姿には、紛れもない疲労感が漂っていた。


「フゥン、地下世界にこんな風光明媚な場所があるとはな。草もある、山もある、モンシロチョウも飛んでいる――それも桃色のだ。風さえ渡っている。

……そしてそもそもの話、この空間はどうしてこんなにも光り輝いている?太陽もないというのにな」


「最近発見されたばかりの領域だぁ……。調査を進めてわかったんだが、ここの真上が太平洋のど真ん中でな。

空洞と海底のあいだの岩盤がそこそこ薄い。もしひとつでも穴が空けば、そっから『ドバ!』っていくわけだ。

世界中の海が一気に――」


「――それで俺は、地上世界に脅しをかけてやろうと思ってたのさ。『言うこと聞かなきゃ、海の水全部抜くぞ』ってな。

あの『イーター・オブ・ワールド』って名前のワームを使って、岩盤に穴を開けるつもりで……それが、全部オジャンだ!!あのガキどものせいでなあ!!」


テラリアキングは拳を握りしめ、怒声とともに椅子の肘掛けを打ち鳴らした。

その悔恨は、誰に向けたものでもない。

それはまるで、酒に酔った者が時折発作のように繰り返す――いわゆる「くだを巻く」行為。

勢いこそあれ、肝心の熱量はとうに抜け落ちたただの発作だった。


「……なるほど」


シャカゾンビは感情の起伏も見せず、ただ頷く。


「……参ったなぁ、どうしたもんか」

かつて蛇蝎山に轟かせた覇気と威圧感は、もう、テラリアキングの声からは欠片ほども感じ取れなかった。代わりに聞かれたのは、長年の悪友に打ち明ける愚痴のような、どこか他愛なさすら含んだ語調だった。


しばらく沈黙が訪れたのち、テラリアキングはふと思い出したように腕に目を落とし、巻いていたデジタルウォッチのボタンを押す。……小さく解除音がした。

直後、シャカゾンビは掌を眼窩に当て、頭蓋骨の裏に仕込まれていた爆弾をサイコキネシスで引き剥がすように吸い寄せ、

まじまじとそれを見た。


「……お前、なんで加勢に来なかったあそこで。好機はあっただろう?」

そう問うテラリアキングに、


「……好機?ハッ、そんなものはなかったな。『4人に増えたオールラウンダー』を、あれっぽっちの戦力でどうにかしようという恥知らずと組むことなどない。

そんな無謀な考えの行く末など火を見るより明らかだからな」

シャカゾンビはしばし視線を漂わせたのち、ゆっくりと応じた。


「チッ、わかってたなら言えよ……ハメやがって……」

テラリアキングは軽く舌打ちしてから、


「……でもよ、できればよォ――こないだのケンカ、アレやっぱ……『酔ってやった』ってことになんねぇかな……?」

ふと項を垂れ、芝を一瞥してこぼす。


「酔っていようが、やったことはやったことだろう」


「……うぅん、それもそうか」


納得でもため息でもある声が、花の咲いた丘に、そよ風とともに吸い込まれていった。


「しかしだ――あの巨大なワーム、だいぶ改造を施してはいたようだったが、一応アレも生物の範疇に収まるものなのだろう?フン、

ならばまた育てればいいはずではないのか?」

とシャカゾンビが聞く。


「その通りなんだが、育成が難しい。あのサイズとなると生半可な日数じゃそもそも育たねぇ」


( フゥム、ようやく願ったりかなったりの状況になってきたな……)

瞬間、シャカゾンビの石灰質の脳細胞が、活性の兆しをしめす。

「……なら、吾輩ならやってなれないこともない」

「なんだと?」

テラリアキングが、むっくりと椅子から身を起こす。


「ただし、成功報酬には地球のコアが直接作り出すというあの超稀少金属……ハート・オブ・アースを1トン要求する」

「それは……!」

テラリアキングはすぐさま息を呑んだ。


「……仕方ねえ、背に腹は代えられねぇ。マジで策があるってんならな。……聞かせろよ!」

しかし、結局おおきな戸惑いは見せずにそう答える。


応じるかのように、シャカゾンビはマントを翻して丘をゆるゆると歩きはじめる。

「……ヒヒィ、いいだろう。かつて吾輩は、高度に発達した星間文明と個人的な取引を交わしたことがある。

向こうにとって未知であった魔法や錬金術の知識を授けたところ、見返りとして得たのが――今でいう『マルチバース』を連結する技術だ。


あれは産業革命よりもはるか以前の話でな、当時は持て余すしかなかった代物だった。

だが、今や時代は21世紀も半ば。建造に不可欠な技術も、エキゾチック物質も、すでに必要量は揃っている。


そのゲートを通じて、ワームを、望むだけこの世界に引き寄せてやろう」


テラリアキングは、しばらくのあいだぽかんと口を開けたまま、ただシャカゾンビを見つめていたが、

やがて、もっともな疑問を口にする。


「マルチバース、はぁ……?だけどよ、もしそんな芸当ができるんなら、ハート・オブ・アースも別世界から呼び寄せりゃ済む話じゃねぇのか?」


するとシャカゾンビは、肯定とも否定ともつかぬ塩梅でわずかに首を振った。

「うむ、もっともな疑問だ。その質問についてはこう答えよう。マルチバースにまつわる諸々の技術というのは、吾輩にとっても……いや、おそらくは誰にとっても、

完全に掌握できる類のものではないと――」


彼は言葉を選びつつ、言い含めるように続ける。


「――つまりそれは、宇宙そのものを玩具として弄ぶにも等しい行為なのだ。

ゆえに、運用には厳格な制限を設けねばならぬ。並行世界への干渉は、常に両側の地球――ひいては宇宙全体に滅亡の危険をもたらす。

ひとたび事が起きれば、取り返しのつかぬカタストロフになりかねぬ。……それは断じて吾輩の本意ではない」


そして、口調をいっそう厳峻にし、

「よって、今回はワームの召喚にのみ用途を絞る。

他宇宙への干渉は必要最小限に抑え、リスクは極力回避する――それが良識ある悪人の作法というものだ」

最後に、そう断言する。


……冷却管の間欠的な音が、反響をともなって耳にこだまし続ける、密閉された地下環境。

そこはテラリアの科学研究施設群に存在する講義堂のひとつである。周囲を厚さ数mの鉛とコンクリートで囲まれたその部屋には、いかなる自然光も差し込まない。

唯一の空調は、壁面の高所で低く唸りを上げ、ホコリを含んだ人工の風を送り込むばかりで、その空気でさえどこか鉱物めいた鈍重さを纏っていた。


部屋の広さは大学の大講堂にも匹敵し、天井には金属製の配管が網の目のように張り巡らされていた。

その合間には、監視カメラが複数台組み込まれており、この空間が純粋な学究の場ではなく、監視と制御の網の下にあることを否応なく印象づける。


部屋の最下段――すり鉢状に沈んだその中心部には、PC端末とホログラムディスプレイの土台部が、おなじ机の上に並んで配置されている。

各装置は、有線によって機能単位での独立を許さぬほどに結合されており、非物質的に構成されたモニターは青白の淡光を発しながら、

音もなく何ごとかの演算を続けていた。


シャカゾンビは、壁際に据え付けられたサッシ型のホログラムプロジェクター――アナログの黒板と同じ役割を果たす構造体の前に佇み、

掌に収まるマグネットスティックを軽くかかげては、立ちのぼる光子のスクリーンに編み込まれた図面や数式の数々を、ひとつひとつ指し示していく。

カーディBを肩に乗せていることもあって、その姿には、忘れられた時代の錬金術師が蘇ったかのような異様な風格が漂っていた。


明滅するスクリーンの光が彼の顔貌を照らし出すたび、青白い輝きが眼窩の奥へと溶けるように流れ込んで、骨格の微細な起伏までもが際立って露わになる。

それはまるで、受講者として席を連ねる地底の学者や技術者たちの反応を、上目遣いをしてひとりひとり観察しているかのような、そこはかとない仕草にも映った。


「……無限の可能性を持つマルチバースには、たとえば、物理法則や数学定理そのものが根本から異なる宇宙が存在する。

具体例を挙げるなら――原子構造が四角や三角形をなしている世界。あるいは、原子や素粒子、4つの力という観念すら存在しない、

意味体系からして断絶した宇宙だ。

もし何かのはずみで、そうした宇宙がゲートに映し出されれば……その瞬間、我々の側は即座にゲームオーバーとなるだろう」


「原子が四角……リアルマイクラってことか?」

講堂の片隅には、プロディジーとハヴォックの姿もあった。だが、異なる次元間を連結する具体的な方法という、

地球人類にとっては史上初となる記念碑的講義の只中にありながら、この2名の聴講態度といえば、幼稚園児も同然だった。


「おおいいね、やりたくなってきたぜ!」

案の定、ハヴォックは言葉の誘惑に抗しきれず、手元のスマホで『MINECRAFT』を即座に立ち上げた。

しかしその直後、宙を裂いて飛来したチョークが額を直撃し、


「――うッッ」

彼の巨体は、見事後頭部から床へ倒れ込むことになった。


その間にもモニターは、記号と図式を一定の間隔で切り替え続け、そこに一瞬、幾何学的な迷宮めいた構造体も映し出される。

その直感的な理解を拒む映像に、居並ぶ研究員たちは顔をこわばらせる。


シャカゾンビは1拍の間を置き、声の調子をわずかに落とした。


「……だが――吾輩が用いる『∮ᚦ≠⟁∴⧫₪⌰ↃЖ(宇宙言語による発音)』……いや、訳そう。

『トポロジカル・コンコード』式マルチバーサル・ゲートならば、話は別だ。


この方式のゲートは、エキゾチック物質を呼び餌として投じることで、それが本来属していた宇宙、

あるいはその近傍に位置する宇宙の“チャンネル”を選択的に開くことができる。

つまり――無作為な干渉ではなく、『縁』や『物質的相似』に基づいた制御が可能ということだ。

必然、これは“探し物”にも適したチャネリング方式となる」


……トポロジカル・コンコード。「異宇宙との位相の一致を精密に調律する」という意味合いに取れる語であり、


スクリーンに映し出されたその装置の設計図は、

古代の銅鏡と粒子加速器とを悪夢的に融合させたような外観を呈している。


「……たしかに、電器屋で売ってるのは見たことないな」


プロディジーはどこか呆れたように、そう感想をもらした。


「いや、こりゃ羽ナシの扇風機に似てるぜ!」

ハヴォックは何かを得た顔で席を蹴立て、指を鳴らしながら、突拍子もない着想を堂々と口にする。


その直後、宙を裂いて飛来したチョークが額を直撃し、ふたたび彼の身体は後頭部から見事床へ倒れ込むことになった。


――講義はまだ、ゲートの概要を説明したにすぎず、 具体的な理論には一切触れもしていない。


……地下の大空洞に、ひときわゆるやかな勾配を描く広大な丘が横たわっていた。他すべての地域と同様に草が一面を覆い、湿った呼気のように時おり淡く発光するこの地形は、空洞の中でも特に安定した地盤をもち、かつ周囲からの見通しにも優れていたことから、装置の建造地点として選定された。


建造された装置のうち、粒子加速器に相当する環状構造は、直径数100mにおよぶ巨大な機械回廊で構成されており、その外周の3分の2は地上に露出している。構造体の外装には、光を反射する金属板が等間隔に並べられ、天井パネルを支えるアーチ状の補強フレームが、丘の輪郭に沿って蛇の肋骨のように延々と連なっていた。


ただし、装置の要ともいえる“ゲート”の正面部分、すなわち転送対象を受け入れ、送り出すための部分と

相対する箇所だけは、物流の効率化のため、丘の内部に埋設されている。


卓上鏡の形をした装置の中枢部は、全体構造の中でもひときわ異様な存在感を放っていた。

丘の一角に、まるで何かの象徴であるかのようにそそり立つそれは、直径150mを優に超える巨大な円環であり、

起動前は、細密に組まれた「枠組み」だけが、寡黙にそこへ存在しているにすぎない。


だが、ひとたびエネルギーが通電すると、そこには不可思議な変化が起こる。

無のはずの中央領域に、突如として異世界の光景が鏡面めいて立ち現れるのだ。


その外郭には、光学センサーや回転式の支持機構といった装置群が幾重にも折り重なり、

機能美と異様さが同居する、工学上の芸術性を見せつけていた。


この機械の全貌は、観る者にある種の奇怪な印象を与える。

粒子加速器を基盤としながらも、そこにはまさに聖堂の宗教的な威厳が宿っており、

しかも、子供が「近未来」なる観念に対し率直に思い描く類の、想像の産物そのものでもあった。


名もなき丘、その頂上、そこに息づくのは、まさしく、理知の果てに構築された境界技術の祭壇なのだ。


装置の基部に据えられたコンソール群には、4つの影――シャカゾンビ、プロディジー、ハヴォック、そしてカーディB――の姿があった。

それぞれが別個の端末に向かい、定められた手順を黙々と遂行している。


「電磁封鎖フィールド、スタンバイ……フランジリング照射、マイクロ秒単位で完了……チャンネル探索、開始」


シャカゾンビの低い声が、アルプスの山麓を思わせるほど清涼な大地に、抑揚なく淡々と響きわたる。

この時、ゲートの円環部にも、無数のチャンネルリストがまとめ上げられた姿が、立体映像として立ち上がっているのだが、

既知宇宙の系統樹はあまりに複雑怪奇で、見るだけで眩暈をもよおすようなものだった。


「接続よし。開くぞ……まずは干渉圏における最寄のレイヤー、A-1を走査」


シャカゾンビがレバーを倒すと、円環内の空間がゆらりと歪む。

遠くまで響きわたる駆動音にあわせて、艶をまとった流動面が突如として浮かび上がり、

見る間に中心部を満たしてゆく。


「すげー、こんなふうに動くんだ!」

「何が見えるかな!?なっ!?」

プロディジーとハヴォックが、作業をする手を止めてその新鮮な光景にしばらく見入る。


――次の瞬間、事態は一変した。ゲート中央に生まれた流動面が、まるで生き物のように脈動し、膨れ上がったのだ。彼

らが見たのは、その白く半透明な膜が、内からの圧力に耐えきれず一息に破裂する光景だった。


バシャァンッ――甲高い音とともに、異常な圧を帯びた水の塊がゲートの口から弾け出した。


奔流は、丘の斜面を獣のように駆け下った。みずからの勢いで純白のドレープを幾重にも刻みながら、

飛沫という無数の宝玉を惜しげもなく撒き散らしていく。


透明度が高く、そして暴力的な流れの中には、金銀の縞模様の魚や薄緑色に発光するイカ、さらに見たこともない甲殻生物が混ざり合って、回転しながら押し流されていく。

水と共に吐き出された生物たちは、岩肌にぶつかっては跳ね、坂を転がり落ちて外れ、やがて草むらの上で跳ね飛び続けた。

その湿った轟きが、丘全体に低く反響し続ける。


この光景を目の当たりにしたシャカゾンビは、反射的にレバーを引き下げ、

「……ふむ」

息を漏らしながら宇宙間の接続を冷然と断ち切った。

その顔面にちょうど、アジによく似た魚の尾びれが音を立てて貼りつく。無表情のまま手でそれを払い落とすと、彼は淡々と問いを放った。


「向こうの地球の公転軌道、地磁気、座標……すべて正しくトレースできていたのか?」


「はっ、はいっ! 指示どおりの入力で!」

おなじく、ぬれねずみになって眉をひそめるハヴォックが、あわてて応じる。


「……そうか。ならば水圧の高さと生態分布から見て、これは海洋惑星として成立してしまった地球だな。

――いきなりこの有様では、先が思いやられる」


その時、地面を滑ってきたイカがプロディジーの足元で跳ね上がった。彼は無言のまま顔をしかめ、軽く蹴り払った。


「……次ィィ! レイヤーC-14、切り替えろッ!」


いらだちを滲ませたシャカゾンビの声が響き、プロディジーはあわてて端末に数値を入力し直す。

再び、ゲート中央の円環が波紋を描いて歪み、光がじわじわと満たされていく。


その次の瞬間に映し出されたのは――闇。ただしそれは、無数の恒星が瞬く満天の宇宙である。


「まずい……!」


シャカゾンビが、ただ1人その異変の本質を即座に察知する。

そして、唐突に凄まじい風――いや、負圧の奔りが発生した。


「――この宇宙には、地球が存在していないッッ!」


警告と同時に、1t超の体重を誇るカバの獣人、ハヴォックの体躯があまりにも呆気なく浮き上がり、

そのまま、尻から真空の淵へと吸い込まれていく。この時、向こう側の宇宙の様相をありのまま反映したゲートは、

何かとてつもなく巨大な獣の、牙をむき出しにした口腔に他ならなかった。


「うわあああああああああ!!!」

ハヴォックの絶叫がこだまする中、プロディジーは咄嗟にみずからの武器――手に巻かれた鎖を、

懸命に放つ。


「掴まれ兄弟ッ!」


その声に応え、

「うおぉぉおおぉ!!」

ハヴォックは宙に舞いながらも眼前を横切ったチェーンの端を掴む。

だが、引き戻すにはいかんせん気流が強すぎる。


ハヴォックは、まさに2世界の境界線上で、生き残りを賭けた戦いを演じていた。

そのたくましい半身は、すでに異界の冷厳な空間に引き込まれており、もしこのままゲートを閉じれば――その身体は上下に分断され、

2つの宇宙にまたがる惨烈な断面を晒すことになる。


その危うさは、シャカゾンビにも理解できていた。

「ふんぬぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!!」

やがて、プロディジーが腰を低く落とし、地面に轍を刻みながら、渾身の力でチェーンを引っ張りこむ。

こめかみに青筋を浮かべ、一気に引っこ抜けば、バネのように伸びていた鎖が縮み、ハヴォックの身体が一気に引き戻された。


その好機を見計らったシャカゾンビがレバーを即座に引き倒す。

すると空間は収束し、鏡面は虚無のように霧散した。


場に残ったのは、地面に叩きつけられたハヴォックの、ぐったりとした背中と、

「……おまえ、1トンもあるなら風なんかに飛ばされるなよ!」

と、息を整えるプロディジーのぼやきだけだった。


「……気を取り直していくぞ。次、レイヤーD-2だ」


とりもなおさず、シャカゾンビが、ほとんどムキになったような声色でそう告げる。


「えぇっ!?まだやるんですか?!」

プロディジーとハヴォックが同時に声を上げ、顔色を失うが、


「成功までだ!」

その時シャカゾンビの手はすでに勢いよくレバーを押し倒している。


ゲート内の鏡面がみたび歪み、ざらつくノイズを孕んだ液状のゆらぎを帯びる――次の瞬間、

すべての現象に先んじて、とてつもない腐敗臭が空間を裂くように吹き抜けた。直後、粘度の高い異物が堰を切って噴き出す。


それは、野菜くず、骨付き肉片、液状化した果実、調味料の沈殿物、そして明らかに生活廃棄物とわかる残飯の塊だった。

巨人のする嘔吐のような濁流が丘の斜面を滑り落ち、粒立った油膜と泡を撒き散らす。


「わあああああッ!」


カーディBが慌てて翼を広げ、弾かれたように空へ舞い上がった。先の海洋惑星の比ではない向こう側からの圧力に、

全員が必死で走り去る。しかし幸い、この奔出は時間の経過とともに減衰していった。


最も不運だったのは、ゲートの真正面に立っていたシャカゾンビだった。


逃げ出すのも間に合わず、彼の姿は、レバーを引くがまま生ぬるく不快な濁流に正面から呑み込まれていったのだ。


やがて山肌が崩れ落ち、ようやく上半身を現した彼は、カボチャとオレンジの皮を溶かし込んだような得体の知れない粘質液に全身を覆われていた。

肩口を伝うそれを追うように、炒め損ねたキャベツや揚げ油のかす、コーンスープの凝固塊が流れていく。


「…………うぅむ」


山を抜け出したシャカゾンビは表情を変えぬまま、汁にまみれた手で制御パネルに寄りかかると、無造作にレバーを下げ、ゲートの命脈を一時的に断った。

その眼窩のくぼみにはピーマンの切れ端が貼りつき、さらに背後から飛来した生魚の尾びれが「パシン」と音を立てて後頭部に命中する。


「……チャンネルの選定基準を、再考せねばなるまいな。

“隣の宇宙”と言えど、同質の地球が存在する保証はない。とにかく、一旦、実験からは離れる!」

シャカゾンビは踵を鋭く返し、濁流に濡れた背中を振り払うように進んだ。


「で……この、めちゃくちゃな量のゴミは……?」


「吾輩がこういう時、いつもお前たちにどういう指示を出すか。思い出してみろ」


そう言って、彼は肩に留まっていたエビの殻を掴み、手の中で静かに握り潰した。

腐汁を含んだ甲殻の破片が指 の間からこぼれ落ちる。シャカゾンビはケープの裾を整えつつ、

ぐちゃぐちゃになった白骨の頭部を片手で無造作になぞった。


「……ええーっ!?」

「この片付けはさすがに……」

「うるさい、さっさと動かんか!装置に匂いがわずかでも残っていたら減俸だぞ!」


「そんなこと言われたって、俺ら、もうだいぶ前からタダ働きですよ?」

このプロディジーの抗議に、シャカゾンビは一瞬虚をつかれ言葉を詰まらせた。一連の失敗は、彼のパワハラ気質を鈍らせ

るには十分だった。


「……とにかく清掃が終わり次第、実験を再開する。なに、あとはトライ&エラーだ。お前たちは辟易していることだろうが、

どんな実験にも、総当たりで解決するしかないという局面はつきものなのだ」


「マルチバースって、もっとこう……夢のあるもんだと思ってたぜ……」


上空からこの様子を見守るカーディBが呟いた言葉に、応えられる者は誰ひとりいなかった。


腐汁に濡れた残骸の山――その主成分は、有機物の死骸と、それを分解する無数の微生物である。すなわち、そこにある

のはもう2度とは活発に動くことはないはずのものたち。しかしその中に、ただ1つだけ、異様な律動を刻み続けるものがあった。


ピンク色の触手だ。


食材の断片や廃棄物の陰に埋もれながらも、粘性を帯びたその先端は、お好み焼きに乗せられたカツオ節かのようにぬめりを纏ってうごめき、

気流のかすかな変化を追い続けていた。


はたして、その正体は何だろうか?

しかしこの謎が、ふたりの手によって解き明かされそうな気配は今のところない。

シャカゾンビから下された厳命――ゲートの清掃――が、今は何よりも優先さ

れるからだ。


プロディジーとハヴォックに、命じられた労働を拒否する術はない。どれほど不本意であろうと、ここを離れてしまえ

ば、人間の世界にもそれ以外の世界にも彼らの雇用口などないからだ。ゆえに、士気の低い2人は、ただ言われるがまま、

それぞれの作業を淡々とこなすだけだった。


地下帝国から借り受けた重機を操り、薬液を満載した散水車で装置表面の汚れを念入りに吹き飛ばす。かと思えば、ワイパーで細部を

磨き上げ、時には、隙間に詰まった汚物を素手で掻き出す。作業は煩雑を極め、くわえて彼らの感性は、お世辞にも繊細とは言えなかっ

た。


である以上、彼らが気づくはずもなかったのだ。

静的な残骸の山に、ひとつだけ紛れ込んだ生命の異質な動きになど――。その微細な違和感に、目を留める余裕などあろうはずも

なかった。


悪臭と汚泥にまみれた清掃作業がようやく終わり、シャカゾンビの号令一下、忌まわしき実験は再開された。プロディジ

ーとハヴォックの顔には疲労と諦観が色濃く浮かんでいたが、シャカゾンビの執念はいささかも衰えていない。幾度となく繰

り返される失敗。ゲートが開かれるたび、彼らの目の前には意味不明な光景が展開されては、即座に閉じられていった。


そして、30数度目の試行。ついに、ゲートの鏡面に、どこまでも続く暗黒の洞窟が映し出された。湿度と、有機的な腐臭をか

すかに孕んだ空気がこちら側へ流れ込む。シャカゾンビはコンソールの数値を食い入るように見つめ、やがて確信に満

ちた声で叫んだ。


「……見ろ、ついに成功したぞ!ワームの生息条件に完全に合致する地下空間だ!急げ、奴を――テラリアキングをここへ

呼んでこい!」


ほどなくして、テラリアキングが虫使いたちを従え、無音の闇を湛えたゲートへとその身を投じた。向こう側の世界に

渡った一行の姿は、洞窟の奥へと遠ざかるにつれ次第に小さくなり、やがて無尽の暗黒に呑み込まれるように消えた。


息詰まるような1時間が過ぎたころ――2世界の鏡面に、一行の影が汚れのようにしてふたたび混ざり込む。

彼らは、何かに追われる者の切迫感を帯びたまま一直線に駆け寄り、地面を蹴って跳躍し、勢いにまかせ、そのまま元の世界に転がり込んでくる。

その有様は、まさしく命からがら逃げ延びた敗残兵のそれだった。


だが、その足は止まらない。

ただならぬ気配に、シャカゾンビの背筋までが冷たくなる。

彼は直感にみちびかれて、ゲートの奥を凝視した。


「……ブチギレてる!お前らも逃げろ!!」


ぼうっと突っ立っている4人に向け、キングが走り去りながらの警告を飛ばす。


直後、ゲートの鏡面が、闇の奥でうごめく金属の躯体をほんのわずかな間捉えた。

だが、次の刹那――いや、ひと呼吸の間もなく、それは光を乱反射させながら得物を追う蛇の執拗さでこちらに迫る。

口蓋の外縁から中央へ向け、放射状に牙が並ぶ環形動物の異形の口腔が、

直径150mあるゲートのほとんどすべてを覆い尽くす。


かつて地上を蹂躙したあの怪物と寸分違わぬ巨躯が、渦巻く筋肉をねじらせ、ついに両世界の境界をこじ開けた。

その咆哮は、もはや獣の域を超え、惑星全体が断末魔を叫び上げるかのごとき重低音となる。


全長2kmの巨体が、ゲートの円環を火の輪のごとく跳び越え続ける――その永遠にも似た10数秒間、

なすすべもなく光景を見上げる誰もが、我が身と世界の終焉を同時に覚悟した。


並行世界のメタリック・モンゴリアンデスワームは

解放されたというにはあまりに壮絶な勢いで地下の大空洞へと躍り込み、地面を抉りながら着地する。

その身がうねるたび岩盤は粉砕され、天井からは巨大な鍾乳石が雨のごとく降り注いだ。

このままでは、ちっぽけなこの地下世界そのものが崩落しかねない。


その刹那、稜線の向こう側へ転がり込んだテラリアキングが、すぐさま身を起こす。そして、満身創痍の体で、ただ鋭く、右腕

を振り抜いた。

「今だ――やれッ!」


号令と同時に、草原の各所に潜伏していた虫使いたちが、あらかじめ地面に設置しておいたひと抱えほどの四角い蝋へ

一斉に火を放った。それはただの煙ではない。鎮静効果を持つ特殊なフェロモンを凝縮した、紫色の濃密なアロマだった。


風にあおられ、幾筋もの煙柱が待ち伏せのように斜めへ昇り、渦を巻いてワームの顔面へ殺到する。

紫煙を吸い込むごとに、狂乱のごとき動きは目に見えて鈍化し、洞窟を揺るがす咆哮も戸惑いを帯びた低いうめきへと変わっていく。

やがて進路を見失ったかのように、その巨躯は緩慢に身を揺らし、ついには動きを停めはじめた。


山脈にも匹敵する巨体は、土砂の渦巻く丘のふもとへとゆるやかに身を沈め、長大な胴をとぐろ状に折り重ねている。

ひとまずは大人しくなったようだが、しかしそれでも、金属の装甲板がこすれ合う時は、大陸がうめくかのような

轟音が大空洞を揺らす。


なんにせよ、事態はこうして終息を迎えた。

しかしそれは、火山が息を潜めるわずかな休止のように、底知れぬ不安を孕んだ静けさにすぎない。


それから3日後のことだった。


ハヴォックの操る車両は、古びたゴミ収集車だ。錆が全身を覆い、塗装もまだらに剥げ落ちている。取り柄といえば、その並外

れた巨体だけ。満載の廃棄物を積み込んだその車は、重い足取りで地下の草原帯を横断していた。


やがて草の波間を押し分けるようにして進んだ車体は、掩体壕じみた覆いのある大型昇降機へとたどり着く。大がかりな音と共

にエレベーターが起動し、車両ごと下層の地底都市へと吸い込まれていった。


都市の物流帯では、無数のトラックが列を成し、巨大な投棄用の縦穴へと向かっている。ハヴォックの車両もその流れに乗り、

やがて地面が忽然と尽きる断崖の縁へと達した。だが、その間も車が運ぶ廃棄物の山――濡れた死骸の隙間に、

あのピンク色の異物は息を潜めていた。艶を湛えたぬめりをまとい、それはひとつだけ確固たる脈動を保ちながら、

静かにうごめき続けている。


「へッ、もう2度と魚とは関わりたくねぇや……」


台座ごとコンテナがせり上がり、後部が開かれる。腐肉と生野菜の泥濘、紙片と油脂の混交体が、どろり、と音を立てて深淵へ

と吸い込まれていった。他の車両と同様、不要なものをすべて、底の見えぬ暗黒へと還していく。


巨大な縦穴の底は、もはや個別の廃棄物を判別できぬほどに溶け合い、黒褐色の海と化していた。液化した有機物がねっとりと

重なり、油膜の浮かぶ水溜まりからは、ときおり泡が弾け、生温かそうな蒸気が立ちのぼる。壁面には廃棄物の層が地層さながらに

堆積し、重金属の腐蝕による虹色の斑が妖しく滲み出ていた。


ハヴォックの車が投棄したばかりの新鮮なゴミの山は、その色彩や水分量において明らかに異質だった。それはひとつの塊とし

て、まだ黒褐色の泥には屈しないという、最後の自己主張を続けているかのようだった。


そのゴミの山の一角が、ゆるやかに隆起した。粘性を帯びたピンクの触手が、外気に向かってするすると伸び上がる。やがてそ

の中から、人間の頭ほどもある、濡れててかった球状の器官――脳が、ずるりと姿を現した。


その球体には、解剖学の常識を無視して、強気な眼差しと牙の並んだ顔が直に張り付いている。


「……ゴッホゴッホ!ゲッホ!くっせぇでちゅなぁ!!目が覚めていきなり

この臭いっっっ……いったい何なんでちゅか!?…………オッップ、ウェッ!……レロレロレロレロ!!!」

いきなり人語を口にした“それ”は、間髪入れずに黄土色の液体をあたりへと盛大に吐き散らし、ゴミ捨て場の衛生環境にさらに追い打ちをかけた。


続けざまに、濡れた犬さながらに顔全体を左右に激しく振り、水滴とともに異臭まみれの汁を四方に飛散させる。


「むぅ……しかしなんでちゅかこの空間は……まったく見たことがないところでちゅ。

直感での解析結果――酸素濃度21%、重力加速度9.8……そしてこの忌々しい腐臭!

この穴の外壁になっている物質の組成は……人工の……フム、コンクリートってとこでちゅかね。

おそらく技術到達階層は7、きわめて未熟な文明の産物と見受けられまちゅ!――」


ひとしきり悪態をつきながら周囲を分析していた彼は、ふと我に返る。


「――そういえば、わちきの体は……?――」


そう呟くと、彼は警戒しつつ周囲を見回し、みずからの身体――脳から直に生えた4本の触腕の、もたげてみた

その先端をまじまじと見つめた。


「……かっ、体がない!? 何かすさまじい負荷が頭部にかかったところまでは覚えていまちたが……

まさか、脳だけがこの場所に達してしまったということでちゅか!?……次元間の転送で!?

たしか意識を失う前に見た最後の光景には――安っぽい造りのマルチバーサルゲートが映っていたような……。

なら、気絶している間に廃棄物と間違えて捨てられてしまいまちたか?このわちきが!?」


しかし、彼に過去に思いを巡らせる暇などはなかった。

眼前の巨大な門――半割れのマンホール蓋を思わせるそれが横開きとなり、うずたかい廃棄物の山が、ゆっくりと暗黒の空洞へと

吸い込まれはじめていたからだ。


「……これはっ、まずいでちゅ!」

彼は即座に反転し、流れとは逆方向へと這い進む。触手の先端を器用に突き立て、ゴミの不定形な起伏を、高速な“はいはい”じ

みた動きで駆けのぼった。だが、足場はすでに腐汁に満ち、バランスを崩した身体が傾いていく。壁際に手をかけ、数mを余勢の

ままによじ登ったところで、ついに粘滑な油分に負けて体は宙へと弾かれた。


そのまま後頭部から濡れた残渣の山へと派手に沈み込むと、彼の身体は、なすすべもなくゴミの流れに乗って、熱を帯びた長い

トンネルへと運ばれていった。その中で、彼はしかし、冷静に状況を分析し始める。


「……ふむ、環境温度の上昇傾向、明らかでちゅな。どうやらこの処分場は、高温焼却を主とした熱源方式のようでちゅ。

熱勾配からの推算によれば、進行距離は約5km。現在の速度ならば、到達まで残された時間は30分強……。

まったく――詩情というものがありまちぇんな!この惑星の文明、どうやら風雅という概念を焼却炉に捨ててきたらちいでちゅ!」


その皮肉な語り口とは裏腹に、彼の思考は次の行動を決定していた。くるりと身体を転がして体勢を立て直すと、顔を上げる。


「……無限なる大宇宙の名において!このマクロブランク様をナメちゃいけまちぇん!」


脳の皺の間に埋もれていた瞳状の器官が、カッと音を立てるように見開かれた。

それと同時に、触手の動きが活性化し、まるでアライグマの手先のような素早さで足元の廃棄物をかき分け始めた。


周囲に散らばる電子機器の残骸――冷却ファン、バッテリーユニット、破損したスマート端末、折れたドローンのアームなど――を次々と選別し、

触手の中、パンをこねるような手際で別の構造体へとそれらを組み上げられていく。


彼はその場で、骨董的な真空管と歪なソーラーパネルを組み合わせた、奇怪な造形の装置を組み上げてしまったのだ。


「……ふふ、見た目はポンコツでも、中身はキラリと光る逸品でちゅ。

これだけのガラクタがあれば、サバイバルに必要な機材くらい、ちょちょいのちょいで製造可能でちゅな!わが熟練の工芸技術、

なめてもらっては困りまちゅ!」


その声音は不思議な威厳すら帯びていたが、語尾だけは、やはり高性能な愛玩ロボットの音声設定を思わせる。

そのミスマッチな抑揚が、熱いトンネルに奇妙に反響した。


……大型昇降機の震えがゆっくりと収まり、重い扉が左右に開く。

扉の先には、思いも寄らぬ光景が広がっていた。見渡す限りの薄緑色の草原。

そよ風がその上を撫で、生命の息吹そのものが満ちる広大な空間。


そこは、地下帝国テラリアが発見した新領域、「緑の空洞」。高さ数10kmに及ぶ大空洞でありながら、その隅々までが柔らかな

自然光に満たされ、湿気を帯びた空気が肌を優しく包み込む。招かれた各国の技術者や代表団は、足を踏み入れるなり息を呑み、その非現実的なスケールに圧倒されて言葉を失った。


「これが……地下……?」


誰かが、呆然と呟く。

案内役のテラリア兵は、その問いに応じるでもなく、一言も発することなく、ただ視線と手先のわずかな動きだけで一行を先導

していく。


やがて一行は、黒いパネルの舗装地に辿り着いた。未来的な意匠のその場所は、さながら空母の甲板を思わせ、蛍光色の縁取りが幾筋も

走っている。


広く開けた中央部には座席が整然と並び、その前方には、光子の霧で編まれたかのような球状のホログラム・スクリーンが鎮座

していた。スクリーンはすでに起動しており、「緑の空洞」の空間構造と、太平洋プレートとの位置関係を、

壮大な立体映像として描き出している。


そして、その中央に立つ影があった。

バイカースタイルの衣服に身を包んだ、ひどく小柄ながらも屈強な老人が、まっすぐに来訪者たちを見据えているのだ。


地下帝国の元首、テラリアキングである。


「ようこそお集まりいただきました、地上の諸国の皆さん――」


低くひびく声が、またたく間に広間の空気を支配する。


「――我が方の招待に快く応じてくださり感謝いたします。今回初めて顔を合わせる国も多いでしょうが……まずは、どうぞご着席を」


促されるまま、特使たちは列を成して腰を下ろす。テラリアキングはその1人1人を、サングラスの奥の

鷹のような視線で値踏みするように見つめていた。聞き取れぬほどの小声で側近に指示を与える。


やがて、列席者の中から1人の男性が静かに立ち上がった。


「陛下。まず、この度の歴史的な場へのお招きに、我が国を代表し、心より感謝を申し上げます――」


老練な外交官であるその大使は、テラリアキングに深く一礼した。その声は穏やかだが、

広間の隅々まで明瞭に響き渡る。


「――貴国より賜りました招待状には、『新たに発見されたこの領域について、南極条約と同様の国際的枠組みを想定し、その過程として各国の意見を伺いたい。ゆえに現地において協議を行いたい』との、極めて先進的なご提案が記されておりました。その崇高な理念に対し、我々は深甚なる敬意を表するものであります――」


大使はそこで言葉を切り、ゆっくりと視線を球状のホログラムへ移した。その瞳の奥には、老獪な探求心の色が潜んでいる。


「――しかしながら、今われわれの眼前に広がるこの空間の壮大さ、そしてその地政学的価値を鑑みますに、本会談の主旨が単なる環境調査や友好的な意見交換にとどまらぬことは、もはや明白かと――」


声の調子がわずかに沈む。それは、相手への圧力と敬意を絶妙に織り交ぜた、熟練の外交官ならではの響きだった。


「――つきましては僭越ながらお尋ねいたします。……貴国が真に提示されんとする議題は、

今なお、あの招待状に記された理念の延長線上にあると……そう解釈してよろしいのでございましょうか?」


問い詰めるとも探るともつかぬその声に、テラリアキングは口元をわずかに歪めた。返答はない。

だが、その笑みに籠もる何かが、広間の空気をさらに引き締める。


「地上人といえど、中にはずいぶん察しの良い方もいらっしゃるようだ。

――ならば、隠しておく理由もありますまい。

事前にお伝えした通り、計算上、この空洞の総容積は地球の全海洋を上回ります――」


地底帝国の君主は、自分の言い分のみを淡々と伝えていく。


「――そして頭上に広がる岩盤の厚みは、太平洋海底からわずか13.2kmしかない。もしここに亀裂が生じれば――上層の海は一気に流れ込み、地上へ回帰することなく、この空間に吸い尽くされるでしょう。その結果、地表からは海という存在そのものが消滅します。そして、我々の技術はこの岩盤を容易に掘削できるのです――」


場内の空気が、鉛を溶かして流し込んだかのように重く沈んだ。各国の地質学者や技術者たちは、互いの顔に驚愕と疑念を探り

ながら、声もなく相手の出方を窺っている。テラリアキングの言葉は、単なる虚勢と切り捨てるにはあまりに具体的で、その声

音には揺るぎない確信が宿っていた。


「――疑わしければ、ご自身の眼で存分に確かめていただきたい。そのために諸君は機材を携えて来られたのであろう?

よろしい、どうぞ心ゆくまで調査なさるがいい。我らは一切、妨げるつもりはない」


促されるがままに沈黙を破ったのは、技術立国で知られるドイツの代表団だった。主席技官が無言で深くうなずくと、

彼のチームは即座に立ち上がり、携行していた複数のジュラルミンケース――大小合わせて10数個――を

手際よく草原へと並べ、展開を始めた。


彼らの動きには一分の隙もなかった。

アイコンタクトと最小限のハンドサインだけで、全員がそれぞれの役割を完璧に遂行していく。

ケースが次々と開かれ、緩衝材に包まれた精密機器が金属光を帯びて姿を現す。

各パーツは迷いなく組み上げられ、縦方向へと滑らかに構造を伸ばしていった。


「指向性地殻変動ソナー、設置完了。アンカー固定、良し」

「高出力ジオ・レーダー、起動シーケンス開始。充填率30%」

「重力勾配計、水平出し完了。周辺フィールドとの同期、異常なし」


短く区切られた報告が、一定の間隔で飛び交う。あっという間に三脚に据えられたアンテナ型の装置が中央に出来上がり、

その周囲には冷却ファンが唸りを上げるバッテリーユニットや、何重にもシールドされたケーブルで結ばれたラップトップPCが並んだ。

マットに直置きされたキーボードを叩く乾いた音だけが、緊迫した空気の中に鋭く響いた。


主席技官はメインコンソールの前に立ち、ただならぬ眼光で天頂を仰いだ。

そこに広がるのは、朧げではあるが、青空よりははるかに硬質な固体性の天蓋。

視線を戻すと、彼は簡潔に命じた。

「第1次スキャン、開始。音波プロファイリングを優先。海底基盤岩との共振データを洗い出せ」


「了解。プロファイラー、照射」


「ブゥゥン……」という地を這うような重低音が響き渡り、足元の地面がわずかに震える。不可視の音波が天蓋へと放た

れ、その複雑な地層構造を探っていく。ラップトップの画面には、反射波のグラフが滝のごとく流れ込み、オペレーターたちは指を疾風のように走らせ、ノイズを除去し、データを濾過していった。


「レーザー測距、クロスチェックに入る。ターゲット、天蓋中央部。最小出力で照射」


薄緑の霧を突き抜けた1条のレーザー光が、吸い込まれるように空洞の天井へ届き、そこに淡い波紋の反射を刻んだ。

その信号は即座に解析装置へ返送され、ディスプレイへ膨大な数値の羅列となって流れ込む。


無機質な数字と波形だけだった画面が、徐々に輪郭を帯び、やがて画像として実を結び始める。

海底からこの空洞に至るまでの地殻が、幾重にも重なる層ごとに色分けされ、透視図のごとく立体化されていく。

そして――その異様な構造が誰の目にも明らかになった瞬間、現場の視線は一斉に画面へ吸い寄せられた。


「……信じられない」

若い技術者が、思わず息を漏らす。

シミュレーション結果では、岩盤の最も脆弱な箇所が警告色の赤で示され、まるで亀裂の走ったガラスのように映し出されていた。


主席技官は、複数のモニターに映る数列と波形を何度も見比べ、眉間に深い皺を刻んだ。

まるでみずからの視覚を疑うかのように瞬きを繰り返す。だが、別々の探査手法で得られた結果は、無慈悲にも同じ結果を指し示していた。


彼はゆっくりと顔を上げ、代表団の面々へ向き直る。その表情には、技術者としての冷静さを超えた、一種の戦慄が宿っていた。


「……間違いありません――」

声を上げた地質学者の口調は硬くこわばっていた。

「――彼らは嘘をついていない。岩盤の厚さは平均で13.17km。箇所によっては……10.8kmまで薄くなっています」

その言葉は、この会談の場が、各国の利害を調整するための非暴力の円卓ではないという事実の、明示化に他ならなかった。


報告と同時に、数名の大使が無意識にテラリアキングへ視線を送った。それは詰問というより、真意を探るための鋭い眼差しだった。


その注視を一身に受けながらも、テラリアキングは薄氷の笑みを崩さない。まるで、来訪者たちの狼狽を愉しんでいるかのように

だ。ゆっくりと腕を組み、彼は静かに、しかし絶対的な支配者の声で告げる。


「繰り返しになるが、この空洞は我らテラリアでさえ、つい最近発見したばかりの処女地。居住の予定もなければ、利用の計画もない。つまり――どのように使おうとも、我が国民の誰1人として不利益を被ることのない、完全なる白紙の土地であります」


そこでいったん言葉を切り、列席者たちを見渡す。


「そして貴殿らは、その事実をご自身の機材で確認された初の地上人である。結構。その証拠も、会談の模様を収めた録画データも、

すべて持ち帰られるがよい。我々は何も隠しはしない」


その声音は寛大ですらあったが、その裏に潜む悪意を、場の全員が感じ取っていた。テラリアキングはなおも続け、その声

はいずれ宣告のように響いた。


「ただし――その知見を、地上でどう扱うかは、くれぐれも慎重にお決めなさい。

その“真実”が貴殿らの世界にもたらす混乱は……まあ、誰にとっても予想できる範囲内の事ではあろうが。

我々はただ、静観させてもらうとしよう」


テラリアキングが言うべきことを真に言い終えた、まさにその瞬間だった。


予兆は、グラスの水面がわずかに波打つほどの振動だった。遠方で大規模な工事が続いているかのような、

意識の片隅を、ほんのかすめる程度の地鳴り――だが、それは一瞬で無視できない揺れへと変わり、

やがて立っていることすら困難な激震へと変貌した。


「な、何だッ!?」

「地震か!?この深度で!?」


悲鳴と怒号が飛び交う。各国の代表団は、あるいは地面に伏せ、あるいは互いに支え合い、この天変地異に耐えようと

した。だが揺れは収まらず、次いで地獄の釜が裂けるような轟音が空洞全体を呑み込む。蛍光色のラインが走る黒い床に、

草地もろとも鋭い音を伴って大きな亀裂が走った。


直後、広場に隣接する草原の一角が、巨大な円を描くように崩落する。そこから奔出したのは

ひとえに圧縮された土砂と蒸気――その勢いは空洞の天蓋を突き破らんばかりだった。


ドッゴオオオオオオォォォン!!!


岩盤の破片が砲弾さながらに四方へ飛び散り、ドイツ代表団の探査機器一式もその中の1片として宙を舞う。

誰もが死を覚悟し、衝撃に身を固めた。


そして、噴煙と薄緑の霧が渦を巻く中――ゆっくりと、しかし抗いがたい力で「それ」が姿を現した。


イーター・オブ・ワールド。


全長は2kmと、先代の個体よりひとまわりも大きなその体は、もはや生物というより、地殻そのものが意思を持って動き出したかのような、無二の

存在感を放っていた。金属質の鱗はその1枚1枚が大型装甲車を延べても賄えぬほどの面積になり、継ぎ目からは地核の熱を思わせる禍々

しい赤い光が明滅している。天を衝く塔のように伸び上がった胴体は、空洞をみたす光を遮り、広大な領域

に絶望的な影を落とした。


ワームは胴の半ばまでを直立させた姿勢のまま動きを止め、真下を睨み据えつつ、巨大な顎をわずかに開閉させる。

そのたびに砕けた巨岩が地上に降り注ぎ、さらなる混乱と破壊をもたらした。それは、テラリアキングが口にした「掘削」がいかに容易であるかを示す、無言のデモンストレーションにほかならなかった。


全員の視線が、その現実味のない”力”の具現に釘付けになる。

悲鳴も、言葉も、思考すらも奪い去られ、彼らが築いてきた科学、外交、軍事という概念さえ、

この絶対的存在の前では等しく無力に思われた。それは、ただの兵器ではない。文明そのものを容易に飲み込み、歴史をリ

セットする、惑星の権能として今ここに君臨していた。


やがて、土砂の噴出さえ幻のように鎮まり返った。砂煙は薄れ、残されたのは代表団の押し殺した息と、

ワームの体内から響く、巨大な炉心の低い駆動音だけとなる。


重く、完全な沈黙が訪れる。それこそが、テラリアキングからの最終的な回答だった。


「この空洞を、こうして地上の皆様にお見せしたことこそ――我らテラリアが、地上諸国との究極的な意味での和合を志している

何よりの証であります」


巨大なワームを背に、テラリアキングの声は驚くほど理知的だった。

まるで大学教授が講義をするかのように、1語ごとに吟味を重ね、聞き手の胸へ沈めていく努力を怠らなかった。


「ただし……我らは、民意に基づく合議制を採るつもりは毛頭ありません。目指すのは1国独裁の体制であります。

よってこの場をもって、私は正式に宣言する――地上世界の統治権をテラリアに移譲することを、諸国に求める」


一瞬、場の空気が明然と歪んだ。要求は突飛でありながら、その口調は限りなく冷徹だ。


「無論、当面は平和裏にすべてを進める。現段階では岩盤の粉砕は考えていない。

誠意と合理性に基づく対話こそ、最も望ましい解決策であると信じているいるからだ」


だが、そこで彼の声音は冷たく沈みこむ。理知的な響きは消え、ひたすらに断定性を増した。


「……だがな。万が一、お前らがその誠意の意味を履き違えたならば……」


彼の言葉に呼応するように、ワームが身じろぎし、体表の赤い光が脈動を始める。低い声が空気を震わ

せ、代表団の足元にかすかな揺れが走った。


「その半端なオツムで考えることなんて、およそ見当はついている。この地下に軍隊を送り込うか?

資源を奪うか?テラリアの民を人質に取るか?――そんな下らねぇ方法で再交渉を迫ろうとすれば――」


次の瞬間、彼の口調からは一片の丁寧さも消えた。剥き出しの、荒々しい支配者の声が広間を圧倒する。


「――その時はッ!一切のためらいなく、こいつの牙を岩盤にブチ込んでやる!」


叫びと同時に、ワームが顎を天へ向け、岩盤を削り裂くような甲高い音を響かせる。

代表団の足元が信じがたく揺れ、恐怖が彼らの表情を歪ませた。


「貴様らの母なる海は、1滴残らずこの大地の裂け目に吸い尽くされる。そして地上は――永遠の渇きに沈むことになる!」

にやりと口元を歪め、野蛮に言い放つその顔には、もはや理性は欠片も残っていなかった。


瞬間、誰もが悟った。これは外交ですらない。絶対的な支配の宣言――世界への一方的な宣戦布告であり、

降伏勧告だった。代表団の背後では、無言のテラリア兵が大型昇降機の扉を再び開け放ち、帰路を示す。


「安心しろ、お前らは全員、生かして返してやる。……もっとも、この通路はお前らが去った直後に爆破し、2度と使えなくするがな。

地上に戻り、それぞれの飼い主にありのままを伝えろ。世界連邦だか何だか知らんが、好きなだけ会議を開き、存分に

議論するがいい。それが、お前たち人類に許された、最後の『モラトリアム』だ――」


そして、彼は最後の一撃を叩きつける。


「――だが、覚えておけ。もう1度だけしか言わねぇからな。もしお前らが俺らの世界へ不愉快な干渉を試みるなら、

その瞬間に――俺らはこの『地球の栓』を引っこ抜く。これが、俺からの最初にして最後の通牒だ!」

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