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Issue#02 I UNDERTALE CHAPTER 3

もしこのお話が面白いと思ったらぜひ身近な方にも教えてあげてくださいね

SNSなんかでもどんどん宣伝してくださいね

面白くなかったらしなくていいけど・・・

CHAPTER 3



アラブ首長国連邦、首都ドバイ。ブルジュ・ハリファの高層階。

厚みある二重ガラス越しに、世界屈指の先端都市が放つ夜の光景が、静かに沈殿している。


摩天楼の光の筋は、大部屋の壁面と天井に幾重にも反射を返し、

はるか眼下、ドバイファウンテンでは、夜ごと繰り広げられる噴水ショーが、

まるで都市そのものの昂奮を代弁するかのような勢いで、水柱を打ち上げていた。


この、世界的超高層建築の1フロアをまるごと占有する広大なラウンジには、

濃紺のカーペットが夜の海を思わせる深みを湛え、重厚な革張りのソファが幾何学的な整然さで並んでいる。


最奥のひと隅に、前体制「ウルジクスタン」大統領の子息――カリム・トゥラベコフが、沈黙のまま腰を下ろしていた。

獣めいた顎鬚、垂れ下がる太い眉、その印象に反した鋭利な眼光。

その喉元に、二重顎の三日月を浮かべたふくよかな体は、漆黒のスーツに律儀に包まれ、

手首に巻かれた金時計と、分厚い指に嵌められたリングが、掌のわずかな動きとともに、

天井から差す照明をみじかく掬い上げては、すぐにその輝きを闇に沈めていった。


足を組んだ先、長いテーブルには銀のトレーとクリスタルグラスが静かに並び、空調がもたらす涼やかな気配が隅々に満ちる。

この広大なる私的な空間には、外の喧騒も、ただのはるかな幻影でしかなかった。


遠くエレベーターホールでフロア表示灯がひとつだけ穏やかに点滅し、密やかにドアが開いた。

カリムは掌に収めたスマートフォンの画面越しに、その様子をじっと見つめている。腫れぼったい瞼と陰のにじむ眼差し――

ラウンジの重い扉が押し開けられ、廊下のまばゆい光が部屋に細く流れ込んだ。


やがて、控えめな足音とともにひとりの人影がラウンジへ歩み出る。

その男は、スーツを着込んだ人間の肉体そのものを、外套としてゆっくりと脱ぎ捨てると、青白く乾いた骸骨の顔貌を

あらわにした。

シャカゾンビは、微笑とも皮肉ともつかぬ表情をたたえ、カリムへと無言の視線を投げかけた。


「お会いできて光栄ですぞ、坊ちゃん。これはこれは、しばらくお目にかからぬうちに、ずいぶんご立派になられて」

「お久しぶりです、国師殿」


窓の向こう、アラビアの夜を彩るきらびやかな光が、わずかに揺れていた。

カリムはふかく一礼を返す。その動作にはたしかに、王族の末裔らしい威厳があった。


「ところで、下の階に人の気配がまるで感じられませんでしたが――」

シャカゾンビが話題を切り替える。

「時期も近いですし、誕生日パーティーという名目でビルそのものを貸し切りにしました。余計な耳もなく、水入らずでお話できます」

「それは、かえって困りますなァ――あまり目立つ趣向は……」

「ご安心ください。万全の配慮をしております」

「なるほど。……それは結構」


カリムの丁寧な仕草に導かれ、シャカゾンビは対面のソファへと腰を下ろした。

もっとも、その間には10m近い距離がある。


背後の窓外では、ドバイファウンテンの水柱が根元の照明色の変化に合わせて怒張と萎縮をいたいけに繰り返し、

摩天楼の灯は地上から浮かび上がるようにして半透明の稜線を描きながら、夜空に溶け込んでいく。

だが、その華やかな光景とは裏腹に、ラウンジの空気には一片の熱もなく、

凍りついた沈黙と、はかり知れぬ心理上の隔たりが、ふたりの男の影をそこにただ淡々と沈めていた。


「……こちらの意向は、すでにご連絡差し上げた通りです」

カリムは抑制のきいた声で静かに切り出した。

「ええ、重々承知しておりますぞ。坊ちゃん。しかし昔馴染みとして、ここはやはり、ひとつ私に出資していただきたい。

要求は、先だって申し上げた額――1000億ドル。些細な額ではありませんが、あなたならけして不可能ではないはずです」


カリムはソファの肘掛けに腕を添え、腹の先で組んだ指に意識を落とし込みながら、

骨面の男を凝視する。


「残念ながら、それはあまりに買い被りというものです。――私でさえ、そうたやすく差し出せる額ではありません」


シャカゾンビは、骨の顔にぞっとするほど整然とした微笑を貼り付けたまま、肩をひとつ軽く上げてみせる。


「旧体制のウルジクスタンが瓦解した際、あなたが西側諸国に対して語らなかった数々の秘密――

それらの情報の断片が今も各地に“埋もれている”こと、そして、その隠蔽工作の裏でどれほど多くの金と命が取引されたか、

本当にご理解なさっているのですかな?私は今、あなたに一世一代の好意を示しているつもりです。

あなたのご尊父にはかつて大きな恩義を受けておりますのでな。

ですから――私はここを脅しの場ではなく、礼儀を尽くした交渉の場としたのですぞ」


その言葉にカリムは顔をしかめ、指先を、思わずグラスの縁にさ迷わせる。

まなざしは摩天楼のきらめきへとあかさらまに泳ぎ、地上で戯れる観光客や、噴水の揺らぎの中にまで意識が沈む。

男の瞳の奥で、逡巡と葛藤が綱引きのようにせめぎ合い、やがて呼吸は浅く、声もかすれ始める。

それでも彼は、肩をほんのわずかに落とし、乾いた唇を引きむすび、意を決したように言葉を紡いだ。


「――もちろん理解しておりますとも。その上で、私の答えは……変わりません。私は、私は……

いかなる脅しにも、屈するつもりはない!」


「……はて。50にもなって、その口の利き方はいただけませんな。昔を思い出し、今一度教育して差し上げなくては――」


その瞬間、ラウンジ全体――まるで宮殿の広間を思わせる1階層ぶんの空間――の大気が、

極細のワイヤーを幾重にも張り巡らせたかのような切迫感で満たされた。

窓の外、都市の光彩が急に遠のいたよう錯覚されて、すべてが1枚の無機質な背景画と化す。


そして次の瞬間、シャカゾンビが右手を真横へ閃かせた。

その動きはまさに電光石火――西部劇の早撃ちにも比すべき速さで、

虚空からヤギ頭の杖が即座に具現される。


ミトン状のガントレットが杖の中ほどを掴んだのとほとんど同時、

フロアの四隅から、あらかじめ仕組まれていた舞台装置が作動するかのように――

カルテット・マジコの4人が、寸分の遅れもなく飛び出した。


「――教育されるのは、お前の方だぞ!」


1番手の矢となったのは、ホットショットだった。

排気口の格子を抜けた瞬間、一気に膨張した不定形の火炎が、

滑降しながら凝集し、たちまち人の姿を象りつつ敵の頭上へと襲いかかる。


その体が凄まじい速度でダクトから吐き出された瞬間、

イムノの足元では床板の破片が直径数mにわたり円環状に散り飛ぶ。

両手で構えたガンブレードは、艦砲の弾頭じみた大口径の一撃と化し、

敵の胸元めがけて一直線に突進していた。


大理石の獅子像が爆散しその中から現れるのはスヌープキャット。

飛び散る破片に後押しされ、噴出した衝撃波を踏み台にして跳ね上がり、

腕をひねって、その剛拳を敵の側頭部へと叩き込む。


ミーティスは厚手のカーテンの陰から稲妻のように横滑りし、

手首を払う動作とともに札束を射出した。

青白い反射光を纏ったそれらは、空間に幾筋もの曲線軌道を描きつつ、

標的へと鋭く収束していく。


4人の攻撃は、寸分たがわぬ間合いで、宿敵の周囲へと収束した。

炎が閃き、ガンブレードが金属音をはなち、拳が空気を轟と圧し、

札が風の層を裂いて飛翔する。

ラウンジ全体が戦場へと転ずるなか、シャカゾンビを囲む力が、一斉に炸裂する。


「ヒヒッ……!」


だが、シャカゾンビはにやつきを崩さず、笑い声とともに杖を横へ薙ぐ。その動きに応戦の意思はなく、まるで入力に

出力を返す原始的なプログラムのようだ。無機質な反射運動に戸惑いながらも、いちど放たれた攻撃の勢いは4人を止ま

らせず、そのまま敵の懐へと押しやった。


ホットショットはその反撃を、魚が身を退くような機敏さでかわし、

空中から手を突き出して、扇状に広がる厚みのある炎を放つ。


それが敵の肩口を撃ち、床材を焼き抜いていく。

そこへイムノが追撃する。風と質量を乗せた刃が、

甲冑ごと胴体を断ち割らんと駆け抜けた。


ミーティスの札は敵の四肢へまとわりつき、

スヌープキャットは跳び込む勢いのまま正面から顔に拳を叩き込む。


連撃の直後、イムノとスヌープキャットはそのまま床へ滑り着地し、

手足で数m分の摩擦痕を刻んだ。


……しかし、それほどの攻撃を受けながら、シャカゾンビに痛覚の兆しはない。


「……!?」


「……なんだっ?」


機械仕掛けのように、その肉体は順序正しく崩壊を始める。砕けた骸骨の仮面と西洋甲冑の下から、

鈍く輝く金属の骨格が露出した。背骨の装甲が剥がれ落ち、断線したケーブルが火花を散らす。

次の瞬間、シャカゾンビの全身が沈黙したまま背後へ弾け飛んだ。

床に散らばる砕けた体と、点滅する赤いLEDランプだけが、そこに、一連の攻撃が重ねられていったことを示す唯一の証拠となった。


ラウンジには、奇妙な静止と、4人の困惑だけが残された。

ホットショットは額に手を当て、ぽつりと呟く。


「……なんだこれ?どうなってんだよ?」


たがいに視線を交わすが、誰の顔にも手応えらしいものはなかった。

場に漂うのは、戦いの興奮ではなく、飲み下せぬ虚無感ばかりである。


「なんでロボットなんだ?」

再度の問いかけにも、それらしい答えは誰も示せず、

「……まさか、ウチら、最初から踊らされてたんじゃ……?」

スヌープキャットが手を広げて訴えた。


そのとき――

ラウンジの壁面すべて、天井から床までが突如として青白く輝きだし、

まるで電器店のディスプレイ売場のように、無数の“男の顔”が浮かび上がった。

サングラスと長い髭に覆われた輪郭、やけに広くたくましい肩――

そこに、ジャケットを羽織った上半身の一部までが、無数の四角い枠の中には映し出されている。


同一の映像が室内の全体へと連鎖的に複製され、

サングラス越しの冷ややかな視線が、シャカゾンビを退けたにもかかわらず

いまだ警戒のひとつさえ解けぬ4人の少女たちを、四方から刺し貫く。

その顔は、天井から床へ、床から再び天井へと途切れなく流れ続け、

男――テラリアキングの冷笑を、終わりなきルーレットのように空間中へ振り撒いていた。


「UAEくらいの金満国家になると、選挙ポスターまでデジタルになるのか?」

アシュリーがまぶしげに目を細めつつ、乾いた皮肉を投げる。


「この演出ぶりで本人がソファで寝てたらギャグだよね。どこの誰なのかは知らないけどさ!」

イムノは、壁面や足元の光源を警戒するように、首の動きと連動して手元のガンブレードを小刻みに揺らした。


「だ、誰かの親戚……!?」

目を丸くして身をすくめ、一行の中でいちばん素直に動揺したミーティスは、思わず素っ頓狂なことを口走る。

カリムはその言葉を真に受けたらしく、慌てて首を激しく横に振って否定した。


「シャカゾンビのロボットを操ってたのがこの人ってこと……!?」

うろたえて、肩をすくめるスヌープキャットもあちこちを見渡したくなる気持ちを止められない。


直後、ラウンジ全体に投影された“顔”たちが、まるで合図でもあるかのように一斉に嗤いを浮かべた。

電子音を含んだ声が低くうごめき、少女たちの背筋を容赦なく強張らせる。


「親愛なるシャカゾンビよ――オールラウンダーの娘どもをよくぞここまで誘い出してくれた、

その労は確かに受け取ったぞ。だが、ここからは我らテラリアの出番だ。

カルテット・マジコの諸君、地下帝国からの挑戦状――しかと受け取ってもらおう。

……こっから先が、オメエらの経験する本物の『戦争』だァーーーー!」


青白い光の奔流が極限の速度に達すると、空間全体がねじれたような感覚が広がり、

まるで見えざる手に全身を掴まれでもしたかのように、4人の思考や動きはしばらくの間凍りついた。


その瞬間――。


地面の下から伝播する不規則な振動が、ドバイの夜景を根底から揺さぶり始めた。

交差点の信号機がきしむような金属音を立て、アスファルトには縦横に亀裂が走り、地表はわずかに盛り上がる。

一帯に広がる都市の喧騒が、急速に緊張へと転じた。


走り去る車両、悲鳴とともに四散する群衆。

人々は咄嗟の本能に従い、目前の混乱から逃れようと我先にその場を後にする。

舗装面がより顕著に隆起し、舞い上がる土埃が視界を覆い、街灯やビル照明の一部が断続的に点滅を始める。

さらに配線の断裂により生じたノイズがあたりに漂い、異様な雰囲気が加速度的に空間を侵蝕していく。


やがて、地表が蠢くように波打ち、

それから1拍もおかず、都市の中央部をつらぬく幹線道路に巨大な断層がぱっくりと口を開けた。


「――!!!」


その土砂の渦中より、テラリアンが誇るメタリック・モンゴリアン・デスワームが頭部を突き出す。

全長の知れぬ肉体は、露わになった部分だけで既存のビルを凌駕する太さを持ち、


金属質の外殻は油分を含んだ光を放ちながら、ななめの角度でそのまま立ち上がっていく。

胴の装甲板は果てなく連なり、周囲の建造物はその軌道に応じて次々と影を受け止めた。


無数の牙が、内向きに集束する口腔部が荒々しく押し開かれた。

その動作とともに、この異形の存在は、まるで月を目指すかのように無限の夜空へとためらいなく上昇を続ける。

躊躇なく、ひと時たりとも止まることなく、あらゆる建造物の輪郭が誇る威容を過去のものとしながら、

ワームの肉体は、ただ純粋な上昇運動としての“伸び”を誇示し続けた。


そしてついには、市内有数の超高層ビル――その屋上の縁に、喉元が激しく横たえられた。

押し潰された構造体がたまらぬ膨らみのなかで瓦礫をまき散らすところ、ワームは10数本の触腕を四方の壁面へと次々に叩きつける。

そのしなやかにして強靭な挙動は、自らの身を都市の骨格へ縫い止めようとするものだった。


この異様きわまる光景は、鬼気迫る破壊の描写と、多量の岩片や砕けたガラスを地面に実際に突き刺していくことによって、

それが幻視でも錯覚でもないという事実を、容赦なく群衆の目に突きつける。


なおも壁面のコンクリートがひび割れ、鋼材が悲鳴のように軋む音を響かせながら屈曲していく。

眼球を欠いた頭部が、やがて街の対岸に突き立つブルジュ・ハリファを捉える。

その動きは理性を欠いた本能の――それゆえにかえって早急に導かれる帰結にほかならず、


都市全体が、彼の次の1手を待ち構えるかのように、

純粋な静止の感覚が一瞬、この世界を覆い尽くした。


次の瞬間、ワームは全身をバネのようにたわませ、大口を開く。

咽喉から背部にかけて連なるヒダが無数に波打ち、

肉厚な胴がうなじにかけて膨張していく。

それ以外、すべての存在の息を詰まらせるほどの咆哮、あるいは嗚咽が地面を震わせ、

牙の根本まで開かれた口腔の奥から、粘性を帯びた黄色の体液がおびただしく飛び散った。


「……ギッ、シャァアアァーーーッ!!!」


そして、その開かれた咽喉の深奥から、数え切れぬ影が、一斉に解き放たれた。


ジェットパックを背負った空挺兵たちは、高温、極彩色の排気をほとばしらせながら宙を駆け上がり、

戦闘機はその刹那の包囲網を突き破って加速し、小型の支援機がそれに続いて編隊を成す。


――中でも異様な存在感を放っていたのは、その小型支援機だった。

搭乗者はコックピットに腰かけるのではなく、厚い装甲キャノピーの裏側へと腹這いで潜り込み、

腕と脚をガイドフレームに通して全身を固定する。操作は筋電センサーを介し、身体そのものを通じて行う。

翼の生えた金属製のスリッパのような外観を持つこの機体は、翼長6mにも満たない。

構造的には、機械制御されたグライダーに近いものだ。


そうした異形の航空機が夜の摩天楼を器用に縫い、複雑な隊列を編んで飛翔する様は、

従来の飛行部隊の常識を根底から覆す光景だった。


テラリアンの航空戦力は、堰を切った無数の蚊のように、砂塵とライトの海へ次々と躍り込んでいく。


……そして最後に、まるで吐瀉物の残滓の些細な1滴のように、ひときわ小さな影がワームの巨大な咽喉からこぼれ落ちた。


だが、その影は空気の流れを翼のようにまとい、大胆に――そして、あまりにも優雅な前宙で摩天楼の屋上へと着地する。人影――テ

ラリアキングは、パラペットに古の船乗りのごとく片足をかけた。


右手はサングラスをかけた眼の上に翳し、濃密な夜景と騒然たる戦場を飄然と見下ろすその姿には、

国家の軍事力を半ば私物化して振るう専制君主としての、隠しようもない余裕が滲んでいた。


背後には、顎を大きく開いたまま、粘液を滴らせるデスワームが鎮座している。

体内からは、工場の稼働を思わせる轟音とともに、蒸気がまだほのかに噴かれ、

その全容は、王の威光を示すためだけに存在する礎と化し、敬虔に佇んでいるかのようだ。


高所に立つテラリアキングの、リベットを打ち込んだレザージャケットの裾が、たくわえた長髭とともにビル風を孕み、静かになびく。

その足元には、光彩に満ちた都市のパノラマが広がり、彼が放った航空部隊が乱舞しながらその奥深くまで浸透して

いく。


「どれ、オールラウンダーのご令嬢方はどう出るか――」

すべてを睥睨する男の口元に、愉悦のかすかな笑みが浮かんだ。


満天の星と、砂漠の都市から立ち上る無数の灯火。そのふたつが交錯する大空の汽水域を、まるで剪定する大鋏のように

強烈な光跡の群れが切り裂いていった。


ミサイルの波状攻撃である。


それらはまたたく間にブルジュ・ハリファを包囲すると、紅

蓮の飛沫をまき散らして世界有数の高層建築を根元から揺るがす。続く衝撃波が内部に到達し、ガラスと鉄骨を深々と

軋ませた。


即応の防空システムが都市の要所で駆動し、展開と同時に白々とした煙を引く対空砲火を放つ。ミサイルが残す水平の飛行

雲と砲火の軌跡が交錯し、上空に白光と爆風が吹き荒れる。その一撃ごとに、調和に満ちた夜景は空間ごと明滅しなが

ら引き裂かれ、静寂と秩序を刻一刻と失っていく。


ミサイルの着弾と同時にビル全館の警報灯が点滅し、130階の空間を血のように赤く染め上げる。壁のアラートが鳴り

ひびき、光が走るたびに、天井パネルは痙攣するように小刻みにふるえ続けた。


「これ、カルテット・マジコランドのアトラクションにしてもいいな」

この極限的な状況下にあるというのに、吉濱家の問題児は肩の力を抜いたまま、あっけらかんと声を放った。


「何言ってるの……!?」

あまりにも独特な感想に、イムノでさえこの場ばかりは素の調子で突っ込まずにはいられなかった。


束の間のやり取りをよそに、天井パネルは内部の配線をだらしなく垂らしながら剥がれ落ち、遠くのガラス壁は苦鳴を

上げて絶えず震えている。


「がぅうううぅっ……!」


スヌープキャットは縄張りを脅かされた猫のように四つん這いになり、腰を引いて外界を睨みつける。その顔立ちはぬ

いぐるみの如く愛嬌があるが、今は印象にそぐわぬ幼い牙をこれでもかと剥き出しにしていた。周囲の衝撃と轟音に過

敏に反応し、ユキヒョウのような尾は、毛を逆立てて垂直に跳ね上がっている。


フロアの隅で、ミーティスが身構える。スケートのようになめらかな動きで腰を落として半回転すると、ひるがえった袖の内側

から札が束となって飛び出しかける。彼女は即座に両腕を交差させ、いつでも動ける体勢を整えた。


「……来ると思う!」

普段の幼さが鳴りをひそめた声は、予知による切迫した感覚にふさわしく張り詰め、敵意に満ちた光と音の渦中へと鋭く突

き刺さった。


薄く繊細な呪符の1枚1枚がふるえ、墨で描かれた文様が光を帯びて脈動を始める。


「――トゥラベコフさん、動かないで!!」


道士の号令一下、腕から放たれた数10枚の呪符が魔弾のごとく空を裂き、

カリムの足元から全身へとまたたく間に絡みつく。符は何重にも連なって彼の身体を覆い、

金色の経文が光の帯となってその身を封じていった。


「えっ……」


カリムが戸惑う間もなく、130階の窓ガラスが一斉に爆ぜた。

室内に突風と無数のガラス片が吹き込み、次の瞬間、札に包まれた彼の身体は繭と化して、渦巻く風のなかへと吸い込まれていく。


「――うわああああああ!!!!」


悲鳴を置き去りに、札の繭は宙を舞う。ビルの外壁をなぞるようにして凄まじい速度で滑り落ちていくが、無数の呪

符は絶えずきらめき、その身を確かに守り続けていた。


――そして、建物の内部から余計な人影が消えた瞬間、戦いの幕が華々しく切って落とされた。


高熱を帯びたまま飛翔する噴石が、ビルの外壁やガラスを相次いで粉砕し、その衝撃を伴うがまま内部へとなだれ込む。

破片と火花が舞い散るなか、砕けた床には鮮烈な火の轍が刻まれていった。


その灼けた岩塊に、見る間に分割線がはしり、外殻が裂けて開く。内側からあらわれたのは鉱石質の四肢と、サソリの全身像にも似た

異形の頭部だ。太く発達した脚で床を踏み鳴らし、クマを彷彿とさせる重々しい足取りで、崩れた室内をゆっくりと旋回

し始める。


やがて同じ性質の怪物が次々と現れ、その巨体が床へ叩きつけられるたびに岩屑を四散させた。

地底産の捕食者たちは、荒く息づく音とともに肩を広げて威圧し、徐々に間合いを詰めてくる。


その一触即発の状況へ、推進装置を背負った兵士たちが、幾筋もの光の軌条を描いて突入する。バイザーに反射光を走

らせ、降下の反動で姿勢を整えると、間髪入れずに武器を構え、光条を乱雑に浴びせてきた。


だが、カルテット・マジコの面々にとって、この程度の急場は条件反射で処理すべき事態でしかない。


ホットショットは足裏に力を込め、床をひときわ強く踏み抜く。砕けたタイル片が跳ね上がり、

腰元には鮮やかな熱の奔流が巻き上がる。その脚が横へ円を描くように振り抜かれると、四足の怪物の胴へ深く突き刺さり、

頑丈な外殻が潰れながら大きく裁断された。


「……はんっ!!」


みじかくも挑発的な気合が響く。

飛び散る鉱石の破片が床に届くより早く、彼女はすでに次の動作に移っていた。

回転の余勢から流れるように身体を前傾させ、飛行のための推進力を得ながら、視界を走らせて周囲の敵勢を捉える。


風をまとってきりもみしながら舞い上がったイムノの刃が、沈黙のうちに閃く。下から上への優雅な旋回のもと放たれた一撃は、飛

びかかる獣の鉱質な頸部を、微細な手応えだけを残して断ち割った。装飾のような目玉が床に打ち付けられた頭から落下する。

断面からこぼれた細粒の粒子が空中で曇り、崩れた身体は遅れて床に沈んだ。


「はちるっ!」

間髪入れず、彼女は連携の次手を担う者へ声を放った。


「に゛ゃ゛っ!」


標的を切れ目なく見定めたスヌープキャットの4足の姿が、風を孕んだかのように自然と背筋を膨らませる――次の瞬間、

その姿は元の位置からかき消える。壁を、柱を、天井を蹴って跳ね回る軌跡は、人の形をした弾丸そのものだ。

誰の視線も追うことあたわず、放たれた拳が狙い澄ました角度で敵兵の胸を貫く。反動で壁に叩きつけられ、

金属と肉が潰れる音が連続する。ひと呼吸の後、室内のジェットパック兵はすべて地に伏していた。


3人の動きと同時、部屋の他方ではすぐさまミーティスが前傾姿勢をとり、手元から札を扇状に放っている。

それらは跳びかかろうとする獣の脚部へ正確に滑り込み、絡みついた直後に淡く発光し、鋭利に炸裂した。

爆発の衝撃で脚を砕かれた怪物は、着地の余地もなく床へ打ち倒され、そのまま沈黙する。


そう、周囲を包囲していた敵勢は、4人の少女が前進の流れを止めることすらなく、

“踏み出す”という自然な運動の中で、ことごとく無力化されてしまったのである。


声を交わす必要もなく、4人は足並みを揃えて荒廃した130階の窓辺へ向かって駆け出す。

ひび割れた床を踏むたび、砕けたガラスの欠片が音を立てて跳ね、

疾走に巻き上げられて光のなかへと舞い散った。


――跳躍。


まよいなく130階の窓枠を蹴り、カルテット・マジコの面々は夜のドバイへと身を躍らせた。重力の束縛を断ち切り、光と爆炎の渦巻く空間へ。

くだけ散ったガラス片のきらめきを背に、遠ざかる残響を置き去りにして、彼女たちは夜気を翼とし、その飛翔の軌道を

どこまでも引き伸ばしていく。


眼下に広がるのは、人工の光でできた海。金銀の光跡が縦横に走り、車列の帯は流れ、

高層ビルの灯火は宝石のようだ。そして、その海の中心では――サーチライトを浴びて鎮座する巨大なデスワームが、

この都市の象徴を己が身へと塗り替えるかのように、圧倒的な存在感を示していた。


すべての感覚が異様に研ぎ澄まされる、壮麗な数秒間。上昇気流が頬をなで、遠いクラクションや、ガラスの砕ける音が、

鼓膜にかすかな残響をこすり付ける。時間の流れが凍てついたかのような浮遊感のなか、4人は互いの瞳に、眼下に広がる世

界の反射が映り込むのをあますことなく見た。


だが、その優雅な幻惑は轟音によって破られた。機首を揃えた戦闘機の群体が、超音速の軌道を編んで夜空を裂く。エンジン

の絶叫が宙の静寂を塗り替え、機銃の連射が蜘蛛の巣じみた火線を織りなし、追尾型ミサイルの列が、煙を残して複雑な航跡を描きながら飛び交った。


「……よっし!!今日も安心安全、魔法少女の『ゆめかわ暴力』で行くぞッッ!」


言葉とは裏腹に、その身を包む神聖なきらめきは白熱の臨界点に達し、濃縮されたプラズマが殻のように剥がれ落ちる。

その変容の中心から、ホットショットの姿が一気に隊列を抜け出した。

目前の死闘に向け、みずからを研ぎ澄ます衝動の具現――それはまさしく“孵化”であった。


異能の身でなければ断熱圧縮に消し飛ぶほどの超加速。成層圏を突く流星のごとく、光の尾を引いて空を奔るホットショ

ットは、視界を埋め尽くす敵の軍勢を前に、1歩たりとも退く気配を見せない。


突如、彼女の背や肩口から、無数の炎が千切れ飛ぶ。


「……パラララララ!」


遠い花火にも似た、乾いた破裂音が連続する。分離した炎は、一瞬で魔力を帯びたマイクロミサイルへと姿を変え、それ

ぞれが意志を持つかのように不規則な軌道を描いて宙へと弾け上がっていく。


同時に、空の対岸では戦闘機の銃口が一斉に光り、弾丸が滑らかに発射される。

光と光――異なる図形を描く輝線たちが、今まさに先端を触れ合おうとしたその刹那、


彼女は、一瞬前の自分の姿をまるで跳躍板のように蹴り、次元の壁を突き破るほどの速度で、敵陣のただ中へと突入した。


「――!!」


ジグザグに連鎖する爆発が、風のように一方へ吹き抜ける。その外縁を橙の軌跡で旋回したホットショットが、編隊の

ただ中へと突入した。両掌から放たれるレーザーは極限まで絞られた穂先となって突貫の道を切り拓き、

その勢いのままに編隊を別角度から貫く。それはまるで、たった1人で十字砲火を実行するかのような光景だった。


――交戦の火蓋が切られたそばから、両者の航空戦力には、ある1点において決定的な性能差があることが

明らかになった。


……速度である。


機体性能の開きは歴然。彼我の差は、じつに3倍以上。

もはや、それは「静物」と「動物」の戦いに等しかった。


敵も即座にそれを悟ったのだろう。なおも無尽蔵に湧き出る航空機群は、


「クラッシャー1より全機!あのケバいアマ、ちょこまかとウゼェんだよ!卍陣で囲んでとっちめてやれ!」


行動パターンの練り直しを余儀なくされ、四方八方へと散っていく。


……ホットショットが都市の天蓋を疾駆する。風圧とジェットの轟きを引き連れる

縦横無尽の彗星はわずかな軸移動だけで体を大きく傾け、軌道を切り返すたびに、プラズマの尾が夜空にきらびやかな残光を描いた。


散開した敵機のうち数機が、即座に彼女を再捕捉し、追いすがる動きのさなか、

翼下のパイロンから一斉に追尾ミサイルを放つ。白煙の尾を引く、

10数発の洗練された凶器が、獲物を狩る猛禽のように彼女の背後へと殺到した。


そのミサイルの群れを、彼女はまるで予知するように突然披露した鋭角の軌道でいなし、同士討ちを誘って無為に爆発

させる。体をひと捻りして衝撃波から逃れると、すぐさま前方の敵編隊へ激しく肉薄した。


「クソッ、パイルドライバー4だ!ケツに張り付かれた!あの火の玉女、誰かさっさとタマ取りやがれ!援護だ、援護ォ!」


「ユンボ隊、了解!パイルのダチは俺らが助ける!回り込んで排ガスで燻製にしてやらぁ!」


そうした通信がテラリアンの空軍に錯綜する中、ホットショットは、側面から接近してくる別編隊と正対する。

3機横並びの陣形と、互いの兵装をポーカーの手札のごとく切り合えば、迎撃の応酬がそこに爆風の花道を華やかに織り成す。

そして、その上でついに真正面からの激突が起きた。


ふたたびび爆発が連鎖し、そのただ中を勝者として胸を張って突き抜けるのは、数の劣るホットショットだ。バレルロールの軌跡

が、漆黒の夜空に鮮烈な炎のアートを残した。


アフターバーナーを炸裂させて衝撃波を置き去りに加速した彼女は、すぐさま別空域に達し、戦闘機群の背後へと滑り

込む。


「……そちらの生徒さん、まだご退塾には早すぎますよ? 当塾では、おひとりずつに合わせた“個別強化プログラム”もご用意しておりますのでね!」


明朗な声とともに、焔の少女は滑り台を降るような急角度の弧線で、散開を図る全長18mの機体へ突入した。相対速度を巧みに合わせ、機体の脇にぴたりと身を寄せる。その一瞬で掌から投じられたバーナーブレードが、装甲の表面を音もなく断ち割る。


しかし、そこからは逆に、ホットショットにとってのちょっとした驚きの瞬間となった。

焼き切られた胴部が赤い断面を晒すと、損傷に気付いた内部の兵士は

なんとキャノピーをみずからの拳で叩き割り、勢いそのまま機外へと身を躍らせたのだ。


「おらぁッッ、往生せいや!」


そして一直線で彼女に襲いかかる。


「おっ……!」


しかしホットショットは、ひらりと身をかわしながら、

「残念、だが意気はよし!」

と、即座に短評を返した。


空中でバランスを崩した兵士は、無為に1回転しつつ、

「クソッタレがよぉ!」

やむなく、無念の面持ちでパラシュートを展開し、ゆるやかに斜め下へと流れていった。


残された機体は旋回途中でふらついた末にバランスを崩し、やがて2つの爆炎へと分かたれた。


返す刀で別の一団に飛びかかると、手から放たれる火弾が幾度となく宙を駆け、紅蓮の爆発が各所で花開く。

その圧力に殴られ、吹き飛んでいく敵機は、カーブで操縦を誤ったバイクのように制御を失い、

慣性に引かれて編隊から次々と脱落していった。


身をひねって次の標的へ頭を向けると、同じ掌からまた性質の異なる光が奔出する。それは光速のレーザーとして編隊

の要を一息に横断し、戦闘機の翼や、支援機の、地底の熱で燻された鋼鉄のキャノピーを焼き裂いていった。


さらにホットショットはインメルマンターンで体勢を反転させ、その伸び上がった身体から、純粋な光熱のマイクロミ

サイルを無数に放つ。彼女の意志に呼応して細かく散開したそれらは、それぞれ別の敵影へと巧妙に正面から衝突し、

小さな破壊を連鎖させていった。


爆散した機体を見送るように、パラシュートが次々と白い花を開く。夜空に垂れた幾筋もの青白い帯は、風に揺られ、

やがて同じ高さに寄り添いながら、ひとつの緩やかで大いなる流れとなった。


……それは、都市の光と爆煙の狭間に架けられた、幻の橋。


逃げ場を失った兵たちの無防備なシルエットを連ねて、どこまでも続く光の橋。戦闘の熱が冷めた空に、それはただ、

静謐と、かすかな哀愁とを漂わせていた。


「温泉にでも浸かるつもりでゆっくり降りろよ~!下でドローンの警備兵が待ってるからな!」


先刻の発言通り、「ゆめかわ暴力」すなわち「命までは取らない」をチームぐるみの信念とするカルテット・マジコの一番槍は、その

上をただあざけるように掠め飛び、次の空域へと消えていった。


そこからのホットショットは、水面を跳ねる石のように三次元空間を奔放に駆け巡る。その軌道に一切の破綻はなく、き

びきびとした動きは、まるで戦場と戯れているかのように愉悦の色さえ帯びていた。


1条の光跡をともない、空を支配する勢いで翔ける彼女に対し、敵機が牙を剥く。


「スクレイパー3より全機!目標、正面、距離7km!速すぎてロックできねぇ!見えてるヤツからミサイルをフルサルヴ

ォでブチ込め!」


コールサインと共に猟犬のように殺到したミサイル群は、しかし目標の圧倒的な速度に追随できず、ビル壁に激突し、

あるいは迎撃のレーザーに狩られ、光の仇花となって散っていく。


続くレーザー掃射も、結果は絶望的だった。


「クソッ、当たらん!ビームも効かねぇぞ、あの女、光を喰ってやがる!作戦変更、今すぐだ!」


その報告通り、灼熱のレーザーパルスは炎の体表に虚しい波紋を描くだけで、その光さえもが彼女の内でエネルギーへ

と着実に変換されていく。


そうして力を蓄えた彼女が、ふいに身を翻した。

「プラズマに熱をぶつけるとね……より元気なプラズマになるんだよなあ、って。『みつを』……っと!」


その言葉を合図に放たれたのは、もはや砲と呼ぶべき光の奔流。荒々しいエネルギーの波紋を宿したそれは、夜空を真

一文字に灼き、進路上にいた機体を掠めるだけで瞬時に溶断する。光の柱はなおも衰えず、市街地の上空を貫いてはるか

彼方の砂漠に達し、ようやく先端から粒子となって霧散した。


敵編隊の腹を削るように駆け抜けたホットショットは、燃え盛る身体を錐のようにねじり上げ、その炎の渦の中から再

び数10発のミサイルを天へと撃ち上げた。


「お前らー!地上は任せたぞ!」

水平な身体のまま、後続の姉妹へ向けてそう咆哮する。


「おっけー!アシュリーはそのまま上ね!はちるは強そうなヤツから順に倒してボスまで行く!……さなは全部!」


「やったー!わかりやすい仕事!」

スヌープキャットが子どものように快哉を叫ぶ。


「……いいよ!」

道服のぶかぶかな袖を持つ黒とオレンジのパーカーを風に膨らませながら、ミーティスもまた勇敢に応えた。


イムノの指示は「全部」――それは空の援護、陸の防衛、人々の救命、そして巨大ワームへの対処まで含む、あまりに無

茶な一言。だが、1万もの呪符を霊気仕掛けの戦術ドローンとして操るミーティスにとって、

その無茶はなお、許容範囲の任務に過ぎなかった。


フリーフォールで落下するミーティスの身体で、ひときわ目を引く動きを見せたのは、背に掛けた白いショルダーバッ

グだった。キルティング生地に覆われた、どこか素朴で滑稽なほどに膨らんだその鞄は、さながら現代に蘇った風神の

袋。その紐口がわずかに緩むと、内側の呪符が風圧に押し出され、上昇気流を捉えて一斉に宙を舞った。


……このバッグにぎっしりと収められた札は、サイズだけを見れば1万円札と同じ程度のものでしかない。

もしそれが隙間なく詰め込まれていたとすれば、バックパックの中には、10万枚以上の札が収められているということになる。

仕切りもポケットも一切存在せず、ただ“入れる”と“出す”に徹した、投げやりなほど実用一点張りの構造である。


あふれ出た呪符の群れは、一見ただ風に流されただけに見えたが、次の瞬間には覚醒する。1枚1枚が独特の気配を宿し、

空中で身をきつくよじって主の動きを追い始めたのだ。ミーティスの落下に寄り添うもの、彼女を追い越し、前方の空域へ

雄々しく羽ばたいていくもの。やがて無数の呪符は、主の無言の合図に従い、飛び交う戦闘機や空挺兵の隊列めがけて

急激な角度で舵を切る。


おびただしい呪符は、紙片とは思えぬ速度で敵機の肌に張り付く。次の瞬間、鋼板を柔肌のように穿つ光の熱が迸り、

戦場に無数の爆炎が咲き乱れた。


なにしろ、その1発1発が、TNT火薬3kgの炸裂に相当するのだ。もし、衣服に仕込んだものと合わせて15

万枚近くの呪符すべてが自爆攻撃に用いられたなら――彼女がその身ひとつで操る総火力は、

2020年代のアメリカ合衆国陸軍を編成例に取った1個機甲師団が、いちどに投入できる量の、実に3、4倍にもなる。


これほどの圧倒的な弾幕を前に、敵機が算を乱して逃げ惑うのも無理はなかった。だが、さらなる空域へと逃げ道を求

めたその軌道を、とんぼ返りしてきたホットショットが見逃すはずもなかった。


今や彼女は、戦場の掃除屋だ。都市の夜景を縫い、時には、ビル群の中腹まで高度を落としていく敵機の群れを追う。

幾筋ものビームを収束させ 、3倍以上の速度差でその背後から追い抜きざま、一瞬のうちに標的を火の玉へと変えていく。


一方、地上の大広場では突如砂塵が激しく巻き上がり、その渦中からテラリアンの別動隊が出現する。

鯨が潮を吹くがごとき跳躍で地表を破り、陸生艦艇と1万の装甲歩兵が着地の衝撃をまき散らした。ひしゃげる石畳、立ちこめる煙濤。

その中を、兵士たちは四方へと列を成していく。異様な出現を前に、周囲の群衆は恐慌に駆られて四散した。


テラリアンの重砲部隊、それは鎖で牽引される陸上艦そのものだ。その鎖を曳くのは、身の丈40メートルに及ぶ溶岩

の巨人。2体1組の彼らは、まさしく俥を曳く奴隷のような重々しい足取りで、指のない足跡と艦の曳痕を石畳に深く

刻みつけ、艦隊を所定の位置へと押し進める。


やがて砲門が1列に整い、遠方に角度を定めると、地震をも凌ぐ轟音と

ともに砲弾と大型ミサイルが発射され、都市の中枢部へと無慈悲に降り注いだ。


整然と舗装された交差点、芝の整った公園、アウトレットモールの広場。そうした市民生活の象徴が、次の瞬

間には破片と炎の渦と化し、爆風が地面を打ち上げるように吹き荒れた。


衝撃波は高層ビルのガラスを片端から粉砕し、鋼鉄の梁を歪ませる。

炎とコンクリート片が宙を舞い、都市の谷間を形づくっていた構造物が、次々とえぐられ、押し流されていく。

破壊の連鎖は、都市機能を根こそぎ崩落させるべく、 抗いがたい速度で広がっていった。


そこへ、ひとつの流星が天より舞い来たる。

ブルジュ・ハリファの高みから降り注いだそれは、すさまじい衝撃波をまとい、白い風の尾を引いて落下してきた。


スヌープキャットだ。


彼女は、40m級の溶岩戦士に向けて躊躇なく突撃し、迎撃の暇すら与えぬまま、

全身の運動エネルギーを拳へと収束させて、真正面からその頭部を打ち据えた。


苛烈な衝突が放つ波動は、分子の境界をも揺るがし、光子の飛沫をともなって着弾点の空間に爆裂を巻き起こす。

そのかがやきが収まったとき、溶岩質の頭部は、もはや形を留めていなかった。


それは地底より来たる軍勢にとっての、支配の終わりを早々と告げる、忌まわしくも輝ける悪夢だった。


砕けた頭部の隙間からは蒸気が激しく噴き出し、

積み上げた岩石の不均整な手で顔を覆った異形の怪物は、味方の軍勢が逃げ惑うただなかへと、

ためらいもなく背から崩れ落ちていった。


その相方であるもう1体の巨人は、思いがけぬ崩落に度肝を抜かれ、怒りに任せて

肩に担いだ鎖を一本背負いするかのよう力のかぎり引っ張った。

砲門からなおも発射を続けていた艦艇は、乗組員の意思など一切省みられることなく強引に引き倒され、

その巨体――舷側――を、スヌープキャットめがけて空転するように放った。


その動きは、鉄でできた津波にも等しい。

たったひとりの存在――この場合は、獣の属性を宿す少女――に向けて放たれるなど、本来ならばあり得ぬ事態だった。

しかし現実に、それは頭上から彼女を大地ごと押し潰さんばかりの勢いで迫りくる。

その光景を目の当たりにした者の理性など、ふつうなら瞬時に雲散するほかなかった。


だがその災害めいた情景を前に、着地を終えたスヌープキャットが取った行動といえば、

ただいちど、素早く屈んだだけだった。彼女はそのまま、大地へと沈み込むように重心を落とし、

蓄えた反発をもって、しゃがんだ瞬間の1000倍の速度で跳躍する。

全身の運動量を乗せたその蹴撃は、真横から迫りくる艦艇の舷側へと真っ向から叩き込まれた。


「ドゴォォン――!!!!」


――金属が、金属だけが一方的に悲鳴を上げる。200m級の艦体は、蹴りを受けた箇所を軸にくの字型に折れ曲がり、

巨塊そのものが衝撃の余波でわずかに浮き上がった。圧搾された空気が渦となって押し付けられ、

衝突点には巨大な凹みが刻まれる。


スヌープキャットの身は、ひしゃげた鉄板を蹴り台に、そのまま三角飛びの軌道で爆発的に跳ね返る。

背後には、力学の常識を逸脱した破壊痕と、黒煙を帯びてバナナ形に軋む艦体の、まだ着地にはほど遠い姿だけが残された。


この時、鎖にかかった予想外の負荷によって、溶岩の怪物は体勢を崩していた。


「グルルォ……!!」


しかし彼は、反撃の機を逃すまいと、


「――ウグルアアァァッッ――!!!」

無理にでも振り向きざまの豪快なフックを繰り出し、飛翔中の彼女との正面衝突を狙う。


そしてその瞬間、怪物の岩肌は内側から膨張し、ついには盛り上がるように裂けた。

腕の内部から吹き出したのは、熔けた血と無数の岩片。

怪物は、その異常を未だ信じきれぬまま、破裂した腕を左手で押さえつけ、苦悶の表情を露わにした。


直後、地面を跳弾する勢いをそのまま乗せ、スヌープキャットの返す頭突きが巨人の胴を真横から突き抜けた。

爆ぜ飛ぶ岩屑とともに、そこには音を立てて大穴が穿たれる。

腹部から噴き上がる蒸気にその身を包まれながら、怪物の巨体は、崩土のごとくその場へと伏した。


万に及ぶ兵士たち――その誰もが、恐怖に突き動かされ、銃口をひとつの標的へと向けはじめる。

仮面越しの双眸は見開かれ、引き金にかけた指は硬直し、銃身の揺れがその怯えを物語っていた。


その背後では、他の溶岩巨人たちが振り返り、肩をいからせながら一団となって集結する。

煮え立つ肉体の頭部から放たれた咆哮は、口の裂け目から覗く咽喉に灼熱の光を灯しながら、地面ごと空間を震わせた。

その遠景では、ななめに列を組む陸上艦が、可能な限りの砲塔を一斉に兵士たちと同じ1点へと集中させていく。

火花と煤煙のなか、防弾ゴーグルのレンズには焦げ跡めいた陰が映りこんだ。


その大群と対峙し、射線と咆哮を浴びる只中にあっても、両腕を大きく広げて立つスヌープキャットの背には、いささかの力みもなかった。


「がおー!」


陸上艦隊と随伴歩兵をたったひとりで相手取りながら、彼女は心底楽しげに、からかうような声で吠え返す。

そのじゃれつくような声は、巨人たちの咆哮に込められた真の意味――すなわち「殺意」――を軽やかにいなし、

本質を歪め、まるで祝祭の音楽のように、戦いの雰囲気を盛り上げるだけの薄っぺらい要素へとひと息で貶めてしまった。


長いユキヒョウの尻尾が誇らしげに空へ跳ね上がり、その先端が無邪気に揺れる。


――彼女には、勝利への圧倒的な自負があった。


ミーティスは落下の勢いをそのまま用い、足元へ札の結界を半球状に展開した。

その斥力は、地面に浅い窪みを残すほどの衝突力を発生させ、着地の負荷を完全に打ち消す。


彼女の背後には、やや遅れて札の群れが幾重もの帯を描きながら降下し、守護者のように身を包んだ。

そして次の瞬間、ミーティスと札の一団は、昼間よりも明るく照らされた都市の大通りを、ホバーダッシュで一気に駆け出す。


絶え間なく迫る対向車の群れ――フロントライトの輝ける視線、ミーティスは瞬間の分析力を瞳に宿し、ひとつの過ちもなく、

その速い流れのような車間を突き進む。鳴りやまぬクラクションの中、札は細長く変形し、まるで鯉のぼりのような姿で、風のなかを彼女に忠実に追従した。


そのとき、ハンドルを誤ってタイヤを浮かせかけた車両が、目前に現れる。

ミーティスは即座に正面からそれを捉えると、地面を蹴って加速し、大きな放物線を描いて自分も宙へ舞い上がる。

完全に浮き上がった車体とすれ違いつつ、空中で身をひねり、螺旋の回転へと移行――

その動きに同期して、全身を覆っていた札が一斉に渦を巻き、

星空を長時間露光で撮影したかのような白い軌跡を、空にひとつ、残していった。


その雄大な札の渦が飛んだ車のルーフをはたきつけ、衝撃だけで車体は姿勢を立て直し、

バウンドしながらではあったが元のレーンの脇に強制的に着地した。


「気を付けてね!」


次の瞬間にはたゆまぬ疾走に戻り、衝突の現場を背後の遠景へと押しやっていたミーティスが、

その去り際に残したのは、どこか親身な響きを帯びた、ひとことの置き土産だった。


車両そのものに損傷は見られなかったが、

運転手は極度の混乱に襲われたままアクセルを踏み込み、怒涛の車列へと逃げるように再び紛れ込んでいく。


混迷の大通りを抜けたその先では、とりもなおさず、向こうから数機の支援機が低空飛行で突入してくる。

操縦手たちは、地上人という獲物を追い立てるため、ロッドガンを連射しながら進軍している。

弾幕の起こす爆風は、ミーティスの視点から見て奥から手前へと連なる順で、道路に放置された車両群を次々に吹き飛ばしていく。


炎が炸裂し、車体は激しく跳ね回り、アスファルトを抉りながら弧を描いて散っていった。


この光景を前に、ミーティスは両足で踏ん張り、地に足付けた反動によってアスファルトに白波のような衝撃波を蹴立てていた。

胸前へ突き出された掌には札が一斉に集束し、またたく間に1000を優に超える呪符が反転しながら展開され、

空間に巨大な結界の壁が築かれる。


そこへ支援機から放たれたミサイルが殺到し、一斉に札の壁へ突入する。

連続する爆発が、光と煙の山を横向きに築きあげ、小型のグライダー機は衝突を避けるべく機首を急上昇させた。

だがその背後で、札の束が一瞬で陣形を組み替え、獣じみた加速で追いすがる。

次の瞬間、連鎖的な炸裂が発生し、中空まで逃れた機体をことごとく空中で引き裂いた。


機体は、発光するオレンジ色の断面を露わにしながら、街灯の茶と紅が滲んだ路面を、火の粉を散らしながら空虚に滑走し続ける。


「飛ぶなら……落ちる覚悟もないとね!」


黒煙にまぎれてなお中空を旋回する札が、高潔な輝きを放ちながら、すでに次の目標や、あるいは逃げ遅れた市民たちの

救助へと急行していた。


イムノは、数100mの上空から、乱雑に交錯する照明に全方位を照らされながら、ほとんど頭を差し出すような体勢で、

真っ直ぐに降下していった。前髪は風にあおられて逆巻き、額からはね上がった細い毛先が、

宙に差し込む光を掻き乱すようにちらつく。

その下では、街灯の落ちたアスファルトが、くすんだ暖色を帯びながら、徐々に視界いっぱいへと迫っていた。


腕は完全なV字を描いて天に突き出され、長いピンクのカーディガンは気流に捉えられて、

襟元から裾の方向へと順々に、波が走るように、ひらひらとせわしなく翻り続けた。


降下の最中、急に背筋を反らした制服姿の剣士が、得物たるガンブレードを大上段に構えると、

その動きに合わせて布と髪が一段と強く後方へ引かれる。

刀身の先端が夜気を裂いて、ビルの屋上めがけて一気に振り下ろされる。


刃が触れた瞬間、鈍く硬質な音が鳴り響き、

屋上全体は、突入の勢いそのままに中心から一気に突き崩された。

そこから、半透明の衝撃波が球状に――そして強情に膨張していく。


周囲に布陣していた敵の小隊は、刃そのものに斬られるまでもなく、

押し寄せる空気の壁に打ち据えられ、無様に吹き飛ばされる。

さらに、外周を飛行していた支援機の群れも、突風の直撃を受けておおきく揺さぶられ、

まるで臆病者のように、近郊の空域から慌ただしく退散せざるを得ない。


屋上の床全体に稲妻模様を走らせた巨大な斬撃の力は、そのままビルの内部へまっすぐ突き進み、

ゆうに10階層を突き抜けて、白い粉塵を各階の裂け目から勢いよく噴き上げる。


破砕されたコンクリートの断片や、鉄骨の細かな破片がたかく舞い上がる粉塵に混じり、爆ぜるように四方へ散る。

散乱した光源のフレアがそれらの欠片をひとつずつ刹那的に照らし出し、

暗がりの中に、瞬間ごとのきらめきと軌跡を刻んだ。


気を失った敵兵たちは、崩れかけたビルの壁際に沿って円を描くようにうなだれ、

割れたコンクリート塊が織りなす隙間からは、衝撃の余韻を孕んだ白い粉塵が、

今まさにもっとも激しく、湯気のように噴き上がるといったところ。


火のついた煙草のようにくすぶるビルの只中から、

ひとつの影が白い尾を引きながら、慌ただしく外界へと飛び立つ。

――当然、それはイムノだった。


まとわりついていた煙を振り払うようにして姿を現した彼女は、

両腿をそろえて右へと突き出しつつ膝を折り、

スクールカーディガンの裾を大きく広げたまま、風の甲高い鳴き声と、それに呼応する衣の脈動を身にまとい、

悠然と空を渡っていく。


その真下に、ふと開けていったのは――まるで天を逆さに映したかのような、星空めいた夜景だった。

無数の灯火が一斉にイムノの身体へと群がるように照り返し、

その莫大な光量は、まるで彼女をもう一段、夜空の高みへと押し上げようとするかのように見えた。


そして、ひときわ高所に張り渡された気流を受けて、首元から1度、カーディガンの全容が鮮明になびいていく。

刹那、空気が張りつめ、何事かの“機”が仕切り直されたかのような感覚が、彼女にも、我々にも、同時に訪れる。


イムノは右手のガンブレードを、馬賊がライフルを扱うように横へとキザに傾け、

口元から短く、凛然たる声を解き放った。


「ソイルッ!」


その瞬間、ガンブレードから放たれた「ソーダ味」のソイルが、

まるで消防車の放水めいて雄々しく噴き出し、発射されたそばから無数のつららをしたたらせつつ一直線に空を駆けた。

それはやがて、高層ビルと隣のビルの角を結び、薄く、危うげながらも確かに――氷の橋を架けてみせたのだった。


すでに体を十分に丸めていたイムノは、その姿勢のまま氷面へと背中から身を預け、

次の瞬間には白い火花を撒きながら、氷上を流れるように滑り込んでいた。

滑走のあいだ、重心はつねに低く保たれ、その動きは淀みなく、安定している。


敵機――エンジン駆動のグライダー型戦闘機――が搭載するロッドガンの砲口からは、

赤いプラズマの塊が連続して撃ち出され、氷の滑走路を目がけて迫る。


しかしイムノは、その攻撃に対して一切の動揺を示さない。

ただ身の軸だけをわずかに傾け、夜空をえぐるようにガンブレードを回頭させ、


「撃つ」と定めた瞬間にのみ、その回転動作を機械的に止める。


すると、放たれた曳光弾が正確無比な照準のもと、群がる敵機の中枢を百発百中で貫いていくのだ。

撃ち抜かれた機体は、内部から火柱を噴き上げ、あるいは翼を折り、

操縦者があわただしく脱出する直後には、制御を失ってビルの側壁へと激突していく。


爆散の痕跡と衝撃波を撒き散らしながら、

それらはやがて、都市の高層を照らす炎の花のひとつひとつへと姿を変えた。


氷の滑り台の終端となるビルの屋上へと滑り込むと、そこにもまた、蛮風の仮面をかぶった兵士たちが待ち構えていた。

スクラップを継ぎ接いで作られた粗野なライフルを構え、茶褐色の長いローブをまとった彼らは、

上空からの突入を受ける直前から、異物の侵入に対し、まるで免疫系が作動する肉体のように過敏に反応して

ブラスターを一斉に乱射していたのだが、それが本格的な集団射撃へと移行し、瞬く間に、光と音の奔流が屋上を覆い尽くしていった。


だが、イムノはその中を的確に進んだ。まるで合わせ稽古の段取りのように、ターンを多く取り入れた最小限のステップだけで間合いを刻み、

わずか数度、雷を纏った刃を翻すことで、次々と兵たちを昏倒させていくのだ。


そのまま、雷光を身に宿した彼女の身体は、屋上からビル街のパノラマを真横に駆け抜けるように飛翔し、

ほとんど瞬間移動と呼べる速さで、次なるビルの上空へと滑り込んでいく。


「ソイルッ!」


空中に響き渡ったその声――それに呼応して引かれたトリガーとともに、彼女の姿には、手元から異なる色が滲んでいく。

眼下から立ち上る光と影を鋭く反射し、正弦波状の光紋が絶え間なくよぎるようになった銀色の体は、

異様なまでに肥大化したガンブレードを、肩担ぎに構え始める。


「こんにゃく味」のソイルによって強化されたその刃は、放物線に乗って降下する肉体の運動に沿い、

建物のコンクリート層へ深く突き入れられ、

やがてビル全体を――あたかもケーキを無造作に押し切るかのごとく――大胆に刻み割っていった。


その刃面が抜けるのに1拍遅れてずり落ちはじめた岩塊は、ちょうどこの壁を這い昇ってこようとしていたメタルスラッグ軍団の頭上へと降りかかり、

咄嗟の反撃としての、生ける戦車とその乗り手たちは、大きなコンクリート塊ごと地上に引きずり落されていく。


その刃面が抜けるのに、1拍遅れて切断面は岩塊としてずり落ちはじめる。

崩落の重みは、ちょうどこの壁面をよじ登ろうとしていたメタルスラッグの一団に容赦なく覆いかぶさった。

咄嗟の反撃として放たれた重火器の砲火も、重厚な砲火も射線がまるで合わぬまま、

生ける戦車とその乗り手たちは、巨大なコンクリートの塊ごと壁面を落ち、地上に引きずり落されていく。


そしてイムノは、一瞬の逡巡も見せぬまま、みずからの手で顕現させた断崖のふちを軽く蹴り、

灰色の瀑布――降り注ぐ瓦礫の濁流の中へと、姿をそのまま頭から溶かし込んだ。


飛び交う瓦礫のなかでも、ひときわ大きな1片を一時の足場としてしゃがみ込み、

雷のソイルを再び全身へと充填すると、空中の地盤を盛大に爆砕しながら、

自身の残像だけをその場に置き去りにして、はるか彼方へと飛び立っていった。


次の瞬間には、人体を芯に据えた1条の稲光が、遠くの空を飛んでいた敵戦闘機のキャノピーへと突き刺さる。

余光を揺らめかせながら、その機首の上でイムノは小さく身を旋回させた。


「――!」


パイロットが何かを叫ぶより早く、イムノは後ろ宙返りの軌道で機体の首をさっと斬り落とし、

胴体に生じた爆風の中から、さらに影を射出させる。


その勢いをまったく殺すことなく、彼女は飛び込んだ。

亜音速で飛行する編隊機――飛行機雲を相互に編み合いながら、空を緻密に織り上げていく、その立体構造の只中へと。


イムノは、まるで八艘飛びのように戦闘機の間を縫い渡り、各機の上に次々と着地しては、

そのたびに一刀を装甲の奥深くへと滑り込ませ、鮮やかに斬り裂いていく。


彼女の進路であり、また足場となったすべての機体は、斬撃によって正確に割かれ、

爆発の閃光と破片を空中に撒き散らしながら、一定の間隔で空を崩れ落ちていった。


テラリアキングは、悠々と物見遊山を決め込んでいたその顔に、徐々に焦りの色をにじませていた。

「おかしいじゃねえか、何を見せられてるんだ俺は!?……仮にも艦艇師団だぜ?こっちが“念のため”と思って投入したのはよ!」

巨大な従者を背に従え、薄く笑みを浮かべていたその余裕はもはやなりを潜め、代わりに苛立ちが前面に出はじめる。


「あ〜ったくよぉ!!結局なァ、俺が直接カチコミに行くのが1番なんだなぁ、はいはい!……いつの時代だって、どんなケンカだってよぉ!」


寸胴な矮躯の肩を怒らせ、腰に巻いたツールベルトから、右手にスクラップ製のソードオフ・ショットガンを、左手には無骨なハンマーを引き抜く。

次の瞬間、影も残さぬほどの跳躍で真上へと飛翔し、それに呼応するかのように、巨大なワームの頭部が頭を垂れて流れ込んできた。


テラリアキングは、その頭頂部へと異様な安定感で着地する。

直後、ワームは都市上空をらせん状に旋回しながら、進撃を開始した。


無数の触手をフックのように建造物へと投げかけつづけ、ビルの谷間を蛇のごとく這い回る。

本体がそこを通過する頃には、壁面はためらいなく貫かれ、跳ね散る石屑と共に突き破られていく。

ガラス片とコンクリートの断片が都市の光源を散乱させ、そのたびに闇は異なる色で染め上げられる。


列車を凌駕する速さで、ビル群の間をその巨影が奔り抜ける。

上空を覆う全長1200mの影は、地上に取り残された人々にとって、永遠に尽きぬ恐怖そのものとなった。


メートル単位の岩片が容赦なく降り注ぎ、悲鳴が四方から交錯する。

人々はただ本能に突き動かされるまま、地面を蹴り、身を投げ、直撃を免れようと奔走した。


触手がまたひとつ、ビルの角をねじ取るように掴み取り、そのまま躯体を横なぐりに振るって強引に突進した。

直後、巨大な顎が閉じられ、ひと噛みでビルの中腹がまるごと吹き飛される。

その破壊はまさに、これまで地下世界の奥深くでのみ行われていた大規模な掘削作業が、

空気という透明なケースの中で露わに展開されている光景に他ならなかった。


ドバイの街全体を、無軌道な環状線と化した暴走列車――

それがこの状況下における、テラリアキングとその騎獣、メタリック・モンゴリアンデスワームの姿だった。

鋼もコンクリートも意に介さず突進を続けるその体の上、彼の双眸は、はるか前方で編隊機を蹴散らすイムノの姿をたしかに見据えていた。


「……さっきからこの俺にイットーメンチ切ってくるガキ!――どれ、どの程度のモンか見せてもらおうじゃねェか!」

その全身を打ち付け、ジャケットや髭をことさらなびかせる風圧の中、不敵な笑みを浮かべたテラリアキングは、

右手のスクラップガンを軽く傾け、仮初めの照準を彼女に合わせる。

「ばーん!」

その手振りは、反動を表すかのようにわざとらしく大げさで、口から滑り出た銃声は、状況の深刻さに反するほど飄々としていた。


……しかしその瞬間、彼の戯れにはたしかな実体が伴った。

ワームの胴体が、いななく馬のように大きな弧を描いてしなり、下方のビルに対し、その全身を預けるようにのしかかる。

鉄骨と建材が一斉に歪みながら砕け散り、構造全体が押し潰され、

その反動――建物の崩壊が生んだ歪みの力を、そのまままっすぐな突進力へと変換し、ワームは都市の空へ弾かれるように跳ね上がった。


不可視の手綱に操られるかのごとく、ワームは一気にイムノへと殺到する。

その巨体が、林立する高層ビルの世界を食い千切るために首を振るたび、彼の周りの景色は激しく流れ、巻き上がる粉塵と破片が渦を巻き、

その灰褐色の濁流のなかからワームの頭部がひときわ突き出て、都市の景観を破壊の矢となって突き破っていく。


ちょうどその頃、イムノは航空機を足場にした八艘飛びの最終段階に入っていた。

また1機、装甲が砕け散って爆炎が夜空を彩る。彼女はその瞬間、正面から開かれたワームの(あぎと)を視認し、

みずからの位置を、それに正対するように微調整しながら跳躍した。


「――こいよ!」


身をひねるがままに放たれたイムノの斬撃は、銀光をまとう一閃。

それを、テラリアキングの右手に握られた鈍重なハンマーが凶悪な音とともに真っ向から受け止める。


「――ッッ!!!!」


激突の余波が、砕かれたビルの余燼や火花を巻き込みながら、淀んだ大気を同心円状に押し払う。

イムノはその反動を利用し、後方への宙返りでワームの背へと舞い降ると、その場ですばやく体勢を立て直し、自然体になった。


そして次の瞬間、ワームの体躯が一気に俯角を取る。

鋼鉄の装甲をまとった史上最大の蠕動体は、降下軌道へと滑り出し、かたむいた景色のすべてがその道連れとなる。

高層の街並みが斜めに崩れていくように視界を流れ、街路の高さから放たれる光がふたりの身体を、まるで

ワームが、火口にでも突き進んでいくかのような体で一気に染め上げていった。


その束の間、2人の間に交わされたのは、不思議な程とぼけていて、それでいて火花のように鋭い応酬だった。

「どうも!巨大生物との戦いは今日が初めてなんで、いろいろ勉強させてもらいます」

イムノは軽快な口ぶりを意識的に保ち、挑発の意図を笑みに変えてぶつける。火の粉を孕んだ

熱い風がカーディガンの裾を荒々しく巻き上げる中、彼女の眼差しは、対面する怪物の主をまっすぐ捉えたまま、

一瞬たりとも逸れることはなかった。


「オールラウンダーの娘の、4人のうちの……えーと、たしか……」

テラリアキングは、極太の銃口をしたショットガンでこめかみをくすぐりながら、すこし困ったように眉根を寄せてみせた。

「……イムノ!」

見かねた彼女が、語気強く名乗り返す。


「ああそうだ、ありがとよ。俺は地下帝国テラリア――そこのアタマを張ってる、テラリアキングだ!」

武器を握った手、ナットのような八角形の、異様に太いリングを嵌めた手、

規格外の野菜のように粗雑で、油にまみれた小汚い手――

その両手を大きく広げた彼は、まるで獣の咆哮のように、可能なかぎり野蛮に、無遠慮に、

イムノに向かって己の名を叩きつけた。


その言葉は、語尾へ向かうごとにエンジンの鼓動が高鳴るようにして熱を帯び、

やがてその響きは、すさまじい圧力と存在感を孕みながら、空気を激しく震わせていった。


「最近の子ってさ、本名より先にハンドルネーム名乗りがちだよね!」

唇の端をわずかに吊り上げた少女の言葉に応じて、宙にかろうじて留められていた見えざる世界の均衡が、音もなくはじけ飛ぶ。


次の一瞬には、ふたたび互いの武器が激突し、乾いた金属音とともに、夜の高所に鋭い火花が縦横に散った。


むき出しの殺意が形を取ったかのような刃と鈍器は、

命をかなぐり捨てた猛禽の鉤爪のごとく、後先も省みずに繰り出され、

音速をゆうに超えて幾度となく交錯し、その軌跡が空中に複雑な網目を刻みつづける。


太刀筋と打点とが互いに濃密に干渉し合い、

刹那の遅れすら命を左右する、極限の応酬が続く。


「おらよぉッ!!」


本人の体格は寸胴で小柄、手にする武器は槌と銃の変則的な二刀流。

必然的に生じるリーチの不足を補うべく、テラリアキングの戦闘様式は見た目に反して驚くほどしなやかで、

舞踏を思わせるような躍動感すら漂わせていた。


ハンマーがイムノの腹部を浅くかすめ、返すガンブレードを、続いて繰り出す銃身が払う。

(重いなっ……!)


その一瞬を逃さず、テラリアキングはすぐさま距離を詰め、旋回とともに身を沈めた。

膝を支点にして重心を傾け――そこからさらに地を蹴っての一撃だ。


反動ごと力を乗せて繰り出されたハンマーが、放物線を描いて飛来する。

イムノの頭部を狙ったその一撃は、かわす暇もなく直撃し、


「ぐっっ!!!……」


彼女の身体を軸から無理やり捻じ曲げて倒した。


「……なんてねっ!!」


――だが、イムノは倒れ切らなかった。

そうしたかに見せかけて、その全運動エネルギーを、巧みに反撃へと転化していたのだ。


膝を折ると同時に重心を制御しきったまま、身体を低く構え、そこから地をなぞるような360度の足払いへと移行する。

スクールローファーを履いた足の甲が、ジーンズ越しのふくらはぎの奥深くにまでめり込み、


「ぬぅっ!」


反射的に跳ね飛ばされたテラリアキングは、

強い弾性を受けて後方へと転倒した。それはふたりして、「∞」という字の半分ずつを描くかのような刹那の攻防だ。


しかし、追撃の余地は与えない。


腹ばいになったままテラリアキングは左手のスクラップガンを持ち上げ、気を張るようにして即座にトリガーを引いた。


「ドゴォンッ!」


炸裂したのは、高温高圧の弾丸。

火山の噴火を模すような煤煙が銃口から膨れ上がり、煙と熱がイムノの視界を丸ごと焼き潰す。

その砲撃は、もはやショットガンというより、瞬発的な火炎放射器そのものだった。


「わっ!」

イムノは持ち前の反射神経により、追撃を寸前で止め、火焔の壁を越すようにジャンプした。


煙が晴れ、視界が戻る頃には、位置こそ入れ替わっていたが――ふたりはまた、わずか数mを隔てて対峙していた。

その刹那、ふたりの戦士は互いの戦法が本質的に相似していることに、ほぼ同時に気づいたようだった。


「武器の構成、同じか!」

イムノが、その気持ちを声にしてみせた。


「なら、勝ち負けはウデで決まるってこった!……」

テラリアキングが片頬を吊り上げ、煙の中でハンマーを逆手に構え直す。

「――年季の違いを見せてやるよ!」


「いいね!」


刹那、空気が爆ぜ、両者はふたたび激突した。

火花が飛沫のように鋭く奔り、踏み込みの衝撃とともに、砕けたワームの装甲片が四方へ散る。

夜の高所にあって、閃光と衝撃音がまた幾重にも交錯する。


テラリアキングは大きく踏み込み、身体をきりもみ回転させながら、敵めがけてまっすぐに突進する。

遠心力を乗せた回転の勢いごと、渾身の横薙ぎを放った。イムノはそれを紙一重で後方へと跳ねてかわすが、


「そら、次々いくぜェっ!」


ワームの背面装甲に足を付けてからの、テラリアキングの連撃にも淀みはない。

前のめる攻勢と、後退する防御とが、阿吽の呼吸でワームの背筋に軌跡を描いていく。


だがその流れの只中、テラリアキングは一瞬の間を、異なる目的に充てた。

重たい上体を足ごと沈ませ、影を作るようにかざした腕の下から、もう片手に握ったショットガンの銃口を突き出す。


隙を晒したにも等しい1手――その時、イムノの脚が地面を強く踏み込んだ。

一気に空気を圧縮し、周囲の粒子を震わせる彼女の身体は爆縮の芯のように収束し、

音の壁を突き破った突進が戦場を貫いていく。


瞬間、テラリアキングの左手が“手品”を披露した。

関節の構造すら疑うほどに自在な動きを見せながら、手がツールベルトの上を無音のまま滑走し、

気づけばすでに、鉤爪の付いたチェーンが弾丸さながらの加速で抜き放たれていた。


(!!)


放たれた鉤は、咄嗟の判断で身を捻ったイムノの肩甲骨の裏へと、寸分違わず喰らいつく。


「いッッッ!!!」


オールラウンダーに施された“英才教育”の賜物――

尋常ならざる頑強さを誇る肉体が、鉤が皮膚を穿つことまでは防いだが、

それでも背中に走る衝撃は強烈で、肩の奥にまで焼けつくような痛みが突き抜ける。


そのわずか一瞬、注意が逸れた隙を突くようにして、テラリアキングにとって必勝の”形”が完成に向かう。


彼は、身体を大きくひらきながら構えを整え、

ソードオフ・ショットガンの銃口を、まるでアッパーカットを放つ拳のごとく、弧を描いて大胆にすり上げた。

するとその銃口が――なんと、イムノの腹部へと、寸分の隙もなく密着してしまう。


轟然たる発砲音が夜気を震わせ、銃口からは特大の噴煙が噴き上がる。

それは、ワームの体躯をひとつの道とみなせるほどの遠景──そのかなたからさえも、空の1ヶ所にくっきりと刻まれるほどの、

比類なき明度と量感を備えた白濁の柱だった。


「~~ッッ!!」


爆炎に巻かれたイムノは、顔にも胴にも焼け付くような熱を受け、そのまま後頭部から激しく弾き飛ばされた。

体は制御を失い、時化の海のように常に角度を変え続けるワームの背を滑落し、翻弄されるように何度も転がり落ちていく。


それでも、学生服の剣士は踏みとどまった。


「くぅっ……!」


咄嗟に突き出されたガンブレードの刃が、ワームの硬質な装甲に深く食い込む。

その1点に全体重を預け、風に翻る旗のように体を揺らしながらの過酷な数秒を耐え抜くと、

全身の軸を一息に整え、ひとひねりの宙返りを――しなやかに、されど力強く――描いてみせた。


空中にいる間、無駄に伸びた手足を回転力で巻き取りきった彼女が、

ワームの背へとスーパーヒーロー着地したときには、すでに構えにも、意志にも、一片の揺らぎはなかった。


「おいおい!地底のかたぁ~い岩盤を50mはブチ抜けるくらいチャージした1発だぜ!!?」


テラリアキングは、「地上人」と侮っていた相手の、思いがけぬ根性に目を見張った。


「そんなにヤワなら、攻めずに逃げてたってば!」

焦げた制服の裂け目からところどころ素肌を覗かせながら、イムノはにっこりと笑った。


「なるほど、しっかり、あの女のガキってワケか――気に入ったぜ!ウチの族のレディースメンバーに迎えてやる!」


豪語すると同時に、テラリアキングは猛然と駆け、ハンマーを大きく振りかぶった。

だがイムノはその気勢に怯むことなく、ひとこと吐いて銃を構え直す。


「……いらないよ! どうせトップク(特攻服)、ダサいんでしょ?」


その瞬間彼女は翻りながら華麗に膝射の構えを作り、レモン味のソイル弾をガンブレードから発射する。

稲妻の閃光がワームの背を吹き抜け、テラリアキングの胸部へと一直線に突き刺さった。


衝撃が駆けていくにつれて、雷鳴が夜空を揺るがす。

その音は、ただの響きではない。打ち込まれた一撃の凄絶さを、大気ごと宣言する一声だった。


その瞬間、彼女は身を翻しながら華麗に膝射の構えを作り上げ、

レモン味のソイル弾をガンブレードの銃口から迷いなく撃ち放った。

稲妻の閃光がワームの背を颯然と吹き抜け、テラリアキングの胸部へと一直線に突き刺さる。


「おぅっ……!!」


たった1発の弾丸――しかしそれは、たしかな重みを持っていた。

その瞬間、地底人の指導者は、この戦いが始まって以来はじめて、意に沿わぬ吐息を漏らしたのだ。


男の体を先頭に衝撃が駆けていくにつれて、雷鳴が夜空を揺るがした。

それは単なる音ではない。打ち込まれた一撃の凄絶さを、空気ごと、世界そのものへと突きつけるような、

決定的な叫びだった。


剛鉄のような躯体が、ワームの進行とは逆方向へと吹き飛ばされる。


だが、落下の淵を目前にしてなお、彼は己の武装を忘れない。

咄嗟に放たれたフックが装甲の継ぎ目に噛みつき、転落を寸前で回避、

身体を強引に引き戻したその勢いを利用して、テラリアキングはすでに次の構えへと移っていた。


銃とハンマーを両手に、獣のような呼吸を整えながら――

その瞳は、ますます獰猛な光を宿す。


超音速の踏み込みが生むマッハコーンをみずから突き破りながら――彼は再び、イムノのもとへと襲いかかった。


――その時だった。星々を擁する天穹を貫いて、1点の紅が轟音混じりに落ちてくる。


次の瞬間、ワームの横腹に沿って、立て続けに3発の大爆発が走った。


深紅の閃光が宙に飛び出し、炸裂の熱が大気の層を湾曲させながら押し広げていく。

その理外の衝撃に、全長1200mの怪物はあきらかな苦痛を覚えて、

躯体をひときわ大きくうねらせながら、軌道を著しく元の進路から外していく。


それは、ワームが声なき悲鳴を上げたともいえる変化であり

攻撃の全容など視認できぬ位置にいた乗り手の2人でさえ、

肌や内臓にじかに響く何かとして、その異変を即座に察知せざるを得ぬほどの衝撃だった。


イムノは、光景の意味を理解するよりも先に、胸の奥が不思議な温もりに包まれていくのを感じていた。

爆炎の色、熱、その余韻に漂う赤――それは種々の理屈や初動の仮説を超えて、彼女にひとつの確信をもたらす。


まるで戦場のただ中に焚き火が灯されたかのような、あたたかい気配。

それはまぎれもなく、「味方」がそこにいるという実感だった。


爆発の余煙のまわりを、光の奔流はいちど見渡すように旋回し、

速度と傾斜が秒ごとに変化し続けるワームの背――まるで大地が絶えず崩れ落ちるかのような足場に、

驚異的な精度で相対速度を合わせ、ついにはイムノのすぐ隣へと滑り込んだ。


轟々とうねる風のなかで、縦に長い炎の塊が、ふと人の声を発する。


「なに他の奴らが真面目にやってる時に、1人だけジェットコースターで遊んでんだよ!」


炎髪灼眼のヒロイン――ホットショットは、

胸の奥に薪をくべるような明るさで、そう叫んだ。


「見てわかんない? これが《カルテット・マジコランド》の目玉アトラクションになるんだよ」


イムノがそう言い放つやいなや、ふたりの少女は、まるで最初からこの世界の時系列に組み込まれていたかのような動きで、

いかなる合図も交わさぬまま、ぴたりと同時に地を蹴った。


星月に霞む夜空を背に、並び立つふたつの影は、腕を大きく振りながら、

正面から迫るテラリアキングの威容を目がけ、低く、鋭く、宙を駆ける。


都市の灯と影はめまぐるしく入れ替わり、まるで夜のトンネルを突き抜けるかのように、

その明滅がふたりの身体に次々と映し出される。

巨虫の装いの上を走るそれは、生きた紋様のごとく、たゆまずかたちを変えながら流れ、


そしてふたつの陣営は――勇敢に、大胆に、一片の迷いもなく、まさにいま、交錯しようとしていた。


次の瞬間、ホットショットは空間のまだ未開な領域へと、自身の肉体を無理やりめり込ませるかのように疾走した。

その軌跡は、まさしく朱墨の筆が半紙を疾駆し、跳ね、払い、渦を描く、そうした書の極意を、

純粋な加速と破壊力へと昇華させたものだった。


一撃ごとに余剰な速度が肉体に重圧をかけるなか、それでもなお彼女は無理に上昇し、

テラリアキングの周囲を中心とする円環軌道へと突入する。


猛烈な回転――きらめく遠心。


その軌道上から、ホットショットはミサイルを斜めのベクトルで次々と射出する。

放たれた弾体は空をえぐる流星となり、円環の内側に位置する男へと正確に降り注いだ。


「なんだっ!?」


テラリアキングは即座に反転し、左腕のスクラップガンを翻して迎撃に転じた。

連続する噴煙がいくつかの弾丸を撃ち落とすが、残りは収まりきらぬ勢いのまま襲いかかったので、

やむなく彼は、大振りに振り上げたハンマーで正面からそれを打ち払う。

金属が擦れ合う濁音と爆風が重なり、夜の空間に衝突の連鎖が走った。


そこへ、


「どりゃあッ!」


横合いからイムノの跳び蹴りが飛来する。

視界の外から放たれたその不意打ちを胴に受け――


「!!」

テラリアキングの身体が大きく弓なりにしなる。


「逃すかぁッ!!」

その浮き上がった一瞬を見逃さず、

ホットショットが踏破力を込めて突進する。全身で巻き込むようにして敵の胴を押さえ込み、

そのまま突き抜ける推力で押し流した。


空間の隔たりを越えて、炎の轍がワームの背上を刻む。

噛み合った肉体の塊は、地表すれすれの高度を保ちながら、航跡を横へと引き延ばしていく。


「……どきやがれッ!」

テラリアキングは反射的にハンマーを振りかぶり、繰り返し抵抗を試みる。

だが、その努力を嘲るかのようにホットショットの拘束は緩まず、


「サウナよりもっといいとこ連れてってやるんだから、大人しくしてろよな!」


瞬間、雷のソイルをまとったイムノが、ふたりの終着点に滑り込みながら姿を現した。

膝を落とし、地に構えを取った姿勢から、短く声を張る。


「そらっっっ、いくよッッ!!」


足裏の反発を活かしてふわりと跳躍し、背をそらせた反動をそのまま回転へと転化、

全身の軸をしならせ、ガンブレードを擦り上げる。脚から肩へと力が通い、刃に重みが乗る。


ためらいも、緩みもない一撃が、敵の後頭部に深く刻み込まれた。


「――ッッッッ!!」


宙に炸裂したのは、雷鳴にも似た轟音。風圧と火花が周囲に渦を巻き、空気そのものが撥ね返った。

テラリアキングの顔面が歯を食いしばる力にこれ以上なく歪められる――しかし、砕けはしない。

彼はなおも気迫を保ち、まるで火砲のごとき一撃を、真っ向から耐えきってみせた。


「……石頭!」

「やるなこいつ!」

「かなりフィジカルな方の超人だ!」


ふたりの少女が並び立ち、呆れと感嘆の入り混じった短評を漏らす。

その声音には冗談めいた響きがあったが、胸の奥底には敵に対するしずかな敬意と、激闘の続きを待ち受ける高揚が同時に広がった。


「オあああああァァァ!!」


テラリアンの王はにわかに激昂し、肉体の芯から赤熱した闘気を爆ぜさせる。

その解放により、彼の身にまとわりついていたふたりは、それぞれ等しい速度で強制的に吹き飛ばされた。


溶岩の巨人が、野面積みの石垣によく似た豪腕で鎖を引くたび、陸上の軍艦は大地を削って軋ませながら、巨大な砲身を強引に目標

へと向け直す。艦上の砲門が一斉に咆哮し、凄まじい衝撃波が地を揺るがす。続くのは、1万の地底兵が放つブラスターの奔流。

赤、青、緑の毒々しい光線が横殴りの驟雨となって空間を縫い、広大な公園を瞬く間に蹂躙した。


やがて無数の火線は1点に集束し、摩天楼のシルエットすら飲み込んで、都市の一角に巨大な火球を穿つ。その爆炎は

天を衝き、大気の流れを捻じ曲げるほどの質量と熱を孕んでいた。


だが、この光景を遥か上空から観測する者には、その狂乱の意味が理解できない。

何に対する恐怖が彼らをそうも駆り立てるのか、肝心の“対象”が炎と煙と閃光の混濁に遮られ、まったく見えないのだ。

まるで虚空へ向けて、無意味に火力を注ぎ込んでいるかのようだった。


だが実際には、地底人たちの射線は刻々として――秒ごとに、わずかずつ窮屈さを増していた。

あらゆる砲火が、逃げるでもなく、止まるでもなく、ただ加速し続ける“たったひとつの点”へと収束していたからだ。


そこに存在していたのは、この広大な戦場における、ひとつきりの特異点。

すべての重火器の照準がそこへ引き寄せられ、地の軍も背後の艦も、知らず知らず、その座標に取り憑かれてゆく。

その異様な収束こそが、戦場にただよう静かなる異変――戦況の趨勢が一方に傾き始めていることの、決定的な兆候に他ならなかった。


……特異点の正体とは、もちろんスヌープキャットだ。

ふたたび艦砲の斉射が地を走り、その爆炎は隊列の後背から、順に火の波となって押し寄せた。

しかし、それらの大半は“賑やかし”にすぎなかった。

石畳の地面を大々的に覆し、原初の土の色をむき出しにする程度の、視覚的な混乱以上の力はない。


だが、数発の弾頭は確かに彼女を捉えていた。

極超音速で飛来する数tもの鉄塊を、スヌープキャットは、白銀の体毛に無際限の弾性を与えることにより、

「……胸トラ!」

その胸で、真正面から受け止めてみせる。


その肉体は、着弾の瞬間、まるで職人の手で回されるピザ生地のように膨張し、すさまじい圧力を巧みに受け流す。

直後、白銀の毛並みが逆巻くようにうごめき、繊維1本1本の構造が変質。表層は絹のしなやかさを保ったまま、その内側

は神話の金属にも匹敵する絶対的な硬度を獲得する。それは柔らかな毛皮の擬態をした、最新鋭の複合装甲だった。


「ギ……!」


艦砲弾は、金属のこすれた音をひとつ立てるなり彼女の胸で完全に静止し、その運動エネルギーと熱量を根こそぎ奪われると、

まるで磁力で弾かれたかのように真逆の方向へと撃ち返された。


その意図された跳弾の軌道上に、運悪く、猛進するマグマビーストの群れがいた。

生ける溶岩の波濤の先頭が、凶弾の直撃を受け、閃光と共に爆砕される。


爆心地の炎が晴れるより早く、雪色の影――スヌープキャットが、輪郭すら曖昧になるほどの速度でそこに突貫した。

彼女が地を踏みしめると、足元の岩盤そのものが巨大な壁となって隆起し、その超常的な突進力を殺す。

そして、跳躍。

それは先の突進とは打って変わって、まるで舞い上がる羽根のような、やわらかく抑制された動きだった。


そして、空の頂点で、彼女は大きく背中を反らし、まるで世界を抱きしめるかのように両腕をいっぱいに広げた。

次の瞬間、振り上げた両足の勢いをそのまま利用して、身体を限りなくしならせ、正面で力強く掌を打ち合わせる……!


刹那、世界が絶叫した。

彼女の掌中から迸ったのは、万物を白く焼き尽くす光と、あらゆる音を塗り潰す轟音を伴った、純粋な衝撃の波。

それは宇宙創生の最初の脈動を思わせる、絶対的な破滅。時空の制約すら振り切った無形の力が、球状に膨張していく。


衝撃の境界面では大気が異常屈折を起こし、内と外で世界の景色が異なる段のように見えた。

同じ景色を映した光景だというのに、明らかに内側の方が盛り上がり、


衝撃の境界面で大気は異常屈折を起こし、内側の景色が外側よりも明らかに1段高くせり上がる。

空間そのものを断層として刻む透明な津波が、戦場すべてを洗い清めるべく、全方位へと広がっていった。


爆風は、大広場に存在するすべて――兵、砲、獣、装甲車――を、順にひとつの方向へと傾け、なぎ倒していった。


この領域においては、もはや人も弾丸も、車両すら無傷ではいられない。

爆発の波が通過した地点には、倒されたものではなく、通過の痕跡――その圧だけが刻まれていた。


……疾走の勢いに乗じて放たれる拳打のひとつひとつが、敵をまとめて吹き飛ばしていく。

スヌープキャットの攻撃は、単なる1点への打撃ではない。

それは、広域をまとめて削る“面”の破壊であり、純然たる質量のうねりが、敵軍という名の土層を

前方へ向かってひたすら掘り進んでいた。


そんな彼女の両腕に、左右からマグマビーストが飛来する猛禽のごとく襲いかかり、荒々しく喰らいついた。

「ギャウゥル……グシャァ!」

灼熱の牙が深々と肌に食い込み、獣たちは咆哮とともに噛み締めを強める。

だが、なお余裕の面持ちを崩さぬ彼女は、力任せに腕を振り抜いた。

岩皮がきしむ音が走り、次の瞬間――

「ガギャウッ……!!」

噛みついたままの顎ごと、マグマビーストの頭部は鈍い音とともに裂け、砕け散った。


そして、ユキヒョウの戦士は返す動きでその首筋を抱え込むように腕を絡め、自らの体を大きく回転させた。

連動して、2つの大きな質量が螺旋を描いて振り回される――ジャイアントスイングだ。


その一撃は、敵陣に新たな混乱をもたらす。

包囲の陣形は大きく崩れ、敵兵は散開を余儀なくされた。


スヌープキャットはその隙を見逃さず、獲物を掴んだまま横へと跳躍し、

そのまま力任せに、マグマビーストの体を最寄りの艦船の舷側へと叩きつける。


潰れたのは猛獣の骨格か、それとも艦の鋼板か――

判然としないほどの衝撃が、あたりの構造物すべてを深く震わせた。


すぐに、無事だった兵士たちが浮足立ちつつも半包囲の陣を敷き直し、ブラスターの集中砲火を浴びせかけていく。

無数の砲口から放たれる色とりどりの閃光は、万雷の拍手にも似た熱烈さで、スヌープキャットの肢体を戦場の只中に鮮烈に浮かび上がらせた。


しかし、物理攻撃に対して無尽蔵の耐性を誇る彼女は、微動だにしない。

咄嗟に己をかばうことすらせず、全身でその衝撃をあるがまま受け止めながら、瞳の焦点はただひとつ――

その眼前にそびえる巨大な艦体だけを、執拗に見据えていた。


そして次の瞬間、彼女は両足を地に沈ませ、全身の筋肉を連鎖的に駆動させる。

突き出された両腕が艦体に深く食い込み、金属が歪む音が空気を裂いた。


「……うにゃああっっ――」


膂力のすべてを腕へと送り、艦体の一角をえぐり上げると、それはみしみしと軋みながら傾斜をはじめた。

続く一挙動、彼女はそのまま重心を強引に傾けさせ、地面を軸に回すようにして、


「――にゃおおゥッッッ!!!!」


さらに声をねじり込んで、全長200mはある巨躯を、大気を押し退ける音とともに、地上へと転倒させた。


鉄塊が潰れる衝突音と、舞い上がる土煙。

無数の視線が、ただ呆然とその破砕の瞬間を見守っていた。


彼女は横倒しになった艦の舷側を、ちょうどスケートのように軽やかに滑走しつつ、袖から撒き続ける札の数々を次々と構造の隙間へと差し込んでいく。

紙片は風に煽られ、ビラビラとした音を立てながら標的に貼り付き、間を置かず連鎖的な爆発を巻き起こす。


誰もがその破壊の跡に息を呑む、その一瞬の硬直を突き破り――黒とオレンジの影が、戦場に躍り出た。

パーカーのフードから生えたウサギの耳を揺らし、道士ミーティスが乳臭い声で叫ぶ。


「おまたせ!」


彼女は横倒しになった軍艦の舷側を、ホバー移動で瞬間的に駆け抜けながら、袖から霊符の奔流を解き放つ。

その紙片の川を、装甲の継ぎ目や砲塔の隙間へと、流れるように滑り込ませていく。

風に煽られ、ビラビラとした音を立てながら標的の各所に吸い付いていった無数の札は、1拍の後、

艦の内側からすさまじい連鎖爆発を引き起こした。


艦橋が目前に迫ると、ミーティスは滑走の勢いを殺して、いちどぴょこんと小さく跳躍する。

艦内へ飛び込むや否や、彼女に随行していた護符の群れが、まるで硬い意志を持ったつぶてと化して乱雑に旋回し旋回し、横転

した船内にしがみつく兵士たちを的確に打ち据え、叩き落としていく。


次の瞬間、ミーティスは何事もなかったかのように艦の窓枠に手をかけ、軽やかに身を翻した。

空中を舞いながら、流れるような動作で腕を払うと、新たな霊符の群れが公園の跡地を疾走。

彼女自身がスヌープキャットの隣に着地するのと寸分違わず、対岸の敵陣で連鎖爆発が巻き起こった。


「はちるっ、待った!?」

「んーん!ウチも今きたとこっ!」


まるでアイドルのリハーサルでも始まるかのように、2人の少女は甲高い声を弾ませる。戦場の片隅で無邪気な再会を

祝う、その頭上を巨大な影が覆った。


「グウゥォオオア!!!!」

怒り心頭に発した溶岩巨人が、体ごとなだれ込むがままに灼熱の拳を反撃の1打として振り下ろす。

だが、それより早く、ミーティスは袖を翻し、舞うように反転する。指先からほとばしった霊符が空間に炸

裂し、爆発的な勢いで膨張しながら斥力の結界を編み上げた。


「ドガアァン!!」

トラックほどもある拳が、目に見えぬ障壁に激突する。轟音と共に炎と蒸気が渦を巻くが、

その圧倒的な質量は文字通り紙一重で受け止められ、破壊の力は虚しく拡散する。


「わうっ!」

その瞬間、結界の“ひさし”の下から、スヌープキャットが弾丸となって飛び出した。

一切の無駄がない、完璧な軌道を描く滑り出しからの跳躍。その鋭い蹴りが、巨人の岩塊の頭部を正確に捉える。


鈍い音が響き、岩の顔面が内側から弾けるように砕け散った。

頭部を失った巨体は、しばらく天を仰いで静止した後、ゆっくりと後方へ、音と共に倒れ伏した。


戦況の天秤は、もはや疑いようもなく、彼女たちへと傾いていた。


上空での死闘のさなか、主攻を一時ホットショットに任せたイムノの視界に、遥か下方の光景が飛び込んできた。

廓大なドバイの都市を切り拓いて生まれた異形の戦場。その片隅に並ぶ、数隻の陸上戦艦――それが

彼女の注意を強く引いた。


「そうだ、あの戦艦で――!」

力の解放によって紅く染まったテラリアキングと、目まぐるしい格闘を続けるホットショットへ、イムノはすかさず指示を飛ばす。


「アシュリー、伝令お願い!」

「それ、スマホじゃダメか!?」


衝撃波が絶え間なく空間を叩き、一瞬の油断が命取りになる超近接戦闘のさなか。ホットショットは、敵の拳をいなし

ながら、背後の姉妹へ向けて叫び返した。


「はやくして!」

「わかったってば」


やや強引に押し出されるような勢いで、頭上から振り下ろされるハンマーを紙一重で回避すると、ホットショットは

足元で爆炎を噴射し、その身を弾き出した。


破片と煙が渦巻く混沌の戦場を、彼女は灼熱の彗星となって一直線に突き抜ける。その鮮烈な光の軌跡は、何よりも雄

弁に彼女の存在を主張していた。


公園の中空に躍り出たホットショットは、空中でぴたりと静止すると、荒い息のまま2人に叫んだ。

「……戦艦でぇ、あのミミズ撃てってさ!」

イムノからの伝言。ホットショットが腕を振って目標を示すと――


「「わかったあぁ!!」」

2人は即座に駆け出した。


「……人力回頭よーし!!」

スヌープキャットは、それまで巨人が手繰っていた巨大な鎖をその両腕で掴み取った。

獣のように歯を剥き出し、足元の地面を踏み割りながら、全身の筋肉を総動員して鉄の束を引き絞る。掌に食い込む鉄

の重みを意にも介さず、力任せに引っ張ると、200m級の戦艦が鈍い軋みを上げて回頭を始めた。

彼女はその超人的な作業を、都合3度も繰り返した。


「もいちどお邪魔しますっ、うんしょっ!」

一方、ミーティスは気絶した兵士の転がる艦橋へふわりと舞い降りる。床に片膝をつくと、その袖から無数の霊符を、

まるで蜘蛛が糸を吐くように際限なく解き放った。紙片は風に乗り、艦内から他の艦隊にまで広がりながら、操作盤や

レバーを覆い尽くす。装填、照準、点火――術式ひとつで、全艦の砲撃システムを瞬時に掌握していく。


「発射管制、掌握完了!」

ミーティスの、いつもと変わらぬあどけない声が響くと、砲門の奥で青白い光が脈動を始めた。


「カウントダウン開始、5秒で撃て!」

先行して上空へ舞い戻ったホットショットが、空中で急制動をかけて腕を突き出す。五指を全開にしたその手をもう一

方の手で固定すると、特大の火炎弾たちが空を裂いて飛翔した。

激しい連鎖爆発が怪物の巨腹を穿ち、その進路を狙い通り、艦隊の射線中央へとねじ曲げていく。巨大な影は火の粉

をまといながら、まるでケージに飛び込む獲物のように、完璧なキルゾーンへと誘い込まれた。


その刹那――全艦、一斉射。

見えざる指揮者のタクトが振られたかのように、艦砲が黒煙を吹き上げ、夜空を貫く光の奔流が、怪物めがけて殺到する。

無数の火線は巨大な円弧を描いて市街地の上空をめぐり、全長1200mの巨体へ次々と直撃。爆炎が分厚い外殻を貫き、その身に

何本もの巨大な炎の柱を打ち立てた。


……爆風の只中、鉄と火薬の嵐に呑まれながら、イムノはその渦の中心にいた。


「うわあッ!」


戦術級の衝撃が彼女を襲い、引き裂かれた装甲の破片が旋風となって荒れ狂う。断熱板が空を舞う中、彼女は腕で顔を

かばい、直撃を避けた。空間を震わせる破壊の流れに晒されながらも、イムノの足は、しかし確かに地を踏みしめている 。


その視線の先で、戦闘の余熱で赤く染まっていたテラリアキングの肉体が、さらにその色を禍々しく変えていた。裂け

た衣服から覗く肌は赤黒く脈動し、やがて全身が火口のように明滅を始める。皮膚の下から、もはや隠しようもなく岩漿

の光が漏れ出していた。肉も骨も、存在の構造そのものが変質していく。下半身は床ごと泡立ち、泥のような高熱の塊と化して崩れ落ちた。


「見せてやるよ……これが本物の“地底の王”の姿だ……!」


「……モルテンコアアアァァァァア!!!」

絶叫と共に、かろうじて原型を保つ上半身が軟質のまま天へと昇る。対照的に、

液状化した下半身はメタリック・モンゴリアンデスワームの頭部へと、煮えたぎる溶鉄の川となって流れ込んだ。


脳を直接焼かれる熱量に、ワームは1度、苦悶に身をよじる。

だがそれも束の間、テラリアキングの肉体はワームの構造と完全に融合し、その神経系統を塗り替えていく。主権は生

体から「マグマの意思」へと完全に移譲された。


瞬間、ワームの眼孔に相当するスリットが深紅に染まり、

装甲の継ぎ目からは灼熱の光が滲み出す。

砲撃で穿たれた外殻も、逆に熱量を糧としてほのかな赤熱をはじめる。


「地上なんぞ……飽き飽きしてたところだ……」

ワームのうなじから生えた、もはや非人間的なテラリアキングがどこか郷愁的に呟くと、全長1200mの巨体は街路へ顔から突っ

込み、崩れかけたビル群の間へ、さながら大地に殉じるかのようにその身を沈めていく。地盤が重たく軋み、土砂を際限なく噴出させながら、金

属と光を纏った怪物は、圧倒的な運動量で地面を穿孔し、地下深くへと消え去った。


その衝突が巻き起こすエネルギーは、いかにイムノが超人といえど、正面から受け止めるにはあまりにも荷が勝ちすぎている。彼女は

それを発生のコンマ数秒前に察知し、すでにガンブレードの引き金を引いていた。


「くっ……ソイルッ!」

雷のソイルが炸裂し、背面から放たれる高圧の電磁パルスが彼女の身体を射出する。強引なまでの速さで、彼女は

戦場の外縁まで跳躍した。


孤独な電光が、敗走の感をにじませてどこか弱々しく空を奔る。その軌道に、巨大な円弧を描いて炎の軌跡が交差した。

「……はい、お帰りはこちら!」

空中で待ち構えていたホットショットが、飛来したイムノの腕を片手で掴み、その勢いを完璧に受け止めたのだ。


「……まずいことになったよ!」

「ああ、あんな隠しダネがあったなんてな!」

2人は手を繋いだままの不安定な姿勢で、しかし一切速度を緩めることなく、特定の方角へと飛翔を続ける。

やがて、スヌープキャットとミーティスが待機する高層ビルの屋上へと、ふたつの影は舞い降りた。


「おせち、ダイジョブだった!?」

心配げな表情でミーティスがイムノに駆け寄り、

「なんか、ドえらいことになってるけど?」

スヌープキャットも、不安そうな面持ちでふたりに近寄った。


「テラリアキング、あっ、あの選挙ポスターのおじさんね、やばい進化しちゃってる。ていうか……溶けた」

イムノは、まだ浅い呼吸を繰り返しながら、要点だけを伝える。


「え、溶けたの……?」

途端に、ミーティスの顔から血の気が引いた。

「溶けた上に、ミミズと合体したっぽい。たぶんあれ、夏映画の限定フォームだな」

ホットショットがやれやれと肩をすくめ、冗談めかしてそう付け加える。


「う~ん、どう動こうか……」

イムノが義務的な調子で呟いてみせたが、


全員が疲労を抱えていたこともあり、次の行動に向けた言葉は、互いの胸中で宙吊りとなったまま、ひとときの沈黙に取って代わられる。

遠くから、地中深くを何かが蠢く地鳴りと、消えぬ火の手が立てる爆ぜ音が混じり合い、破壊されたドバイの夜に不気

味な脈動を刻んでいた。


だが、その束の間の安堵さえも無惨に踏み潰し、


「――!!」


ワームがふたたび姿を現した。


出現地点は、ブルジュ・ハリファ直下。

かつて世界一の高さを誇った摩天楼、その巨大な基礎の真横から泥と火花を撒き散らしながら這い出ると、

その巨体は塔を背後から抱きしめるように絡みつく。装甲の裂け目から漏れる灼熱光がガ

ラスを焼き、執拗に構造体へと食い込んでいった。


鋼鉄の骨格が軋み、塔そのものが不協和音の悲鳴を上げる。

ワームはブルジュ・ハリファの外殻を巻き込みながら、くねる巨体を螺旋状に伸ばし、

ついに尖塔の最上部へみずからの頭部を並べた。


「なにか始める気だぞ!」

反射的に宙へ跳んだホットショットが、動くべきか否か決めかねたまま警告を発する。

カルテット・マジコの4人でさえ、無力な観衆へと一時的に追いやった怪物は、間もなく第2の変態を開始した。


塔を締め上げる胴体、特に頭部付近の菱形装甲が一斉にせり上がり、なかばまで剥離していく。そこから露出し

たのは、大小無数の鉄製シリンダー群。数え切れぬほどの円筒が、まるで意思を持ったように脈動し始めた。


例えるならばそれは傘の開いた松ぼっくり――もしくは、鱗を逆立てる古代の爬虫類のように急激な戦闘反応だった。

だがその内部に蓄えられているのは、毒でも火でもない。

あらゆる構造物を無に帰す、異常なまでの吸引力だった。


ワームの喉元が、無数のパネルとパイプを震わせながら全開になる。

それは、都市そのものに対する猛然とした捕食が開始された合図だ。


鼓膜を圧する重低音のなか、最も近場の摩天楼が、外壁から瞬く間に崩壊していく。コンクリートは繊維状に解きほぐ

され、鉄骨は飴細工のように歪み、その全てが塵芥と化してワームの喉奥へと吸い込まれていく。建築物が完全に消滅

するまで、時計の針は僅か10数秒しか進まない。

直後より、背面のシリンダー群から吸引の反動として吐き出された煤煙が、ドバイの空に横長く棚引く不吉な暗雲の天蓋を形成しはじめた。


もはやそれは、F5クラスの竜巻などという陳腐な比喩では表現できない。

天の気まぐれではない。地上の1点へ、持ちうる全エネルギーを叩きつける「意志ある天災」そのものが、そこに顕現

していた。

その一方的すぎる力の行使は、掃除機が部屋の埃を吸い上げる、冷徹で無慈悲な物理法則の働きと何ら変わらない。


法外な破壊が、世界有数の大都市を、今まさに蹂躙していた。


そうして混迷を極める砂漠の空を突如、白銀の矢が馳せていく。

UAE空軍所属、ラファールF7多用途戦闘機の1隊が、暗夜を切り裂いてスクランブル発進したのだ。巡航速度はマッハ1.6。そ

の超音速で緻密な幾何学陣形を組み、都市の心臓を貫く塔、ブルジュ・ハリファへと急行する。


パイロットの声が無線を叩く。次の瞬間、コックピットの前方――視界の果てに、摩天楼の頂に頭を預ける、あまりにも

冒涜的な“何か”が姿を現した。


「ファルコン1、AWACS。ブルジュ・ハリファ上空、目標視認。タイプ・ワーム、サイズ1000オーバー。建造物に固着、周辺を吸引中」


その報告を、後続機のパイロットが即座に引き取る。

「サーベル2、コピー。レーダースキャン、コンタクト。熱源多数、ターゲット静止」


電子戦を担うAWACSは後方を旋回しつつ、連続的なセンサー照射で敵影をトレースしている。

ブルジュ・ハリファに絡みつく鋼鉄の怪物――それがF7のHUD上に、冷徹な座標データとして浮かび上がる。


「AWACS、ファルコン1。ターゲットは未確認敵性存在。交戦許可を要求する」

「ファルコン1、AWACS。交戦許可。ウェポンズ・フリー。ドローンリンク確立」

「ファルコン1、コピー。AIターゲット・ロック。ライフル!ライフル!」


その声とともに、編隊はビル群の縁を掠めるような超低空から一斉にバンク角を取り、右旋回での急上昇へと機首を切る。

翼下から、対地ミサイルが次々と脱落するように切り離され、白い航跡の槍となって魔性の顎――都市の核心を喰らう“それ”の口腔めがけて殺到し

た。


しかし、ビルの核心を締め付けるワームは、まるで嗤うかのように、

その大口を開け放ったまま、微動だにしない。


ミサイル群が標的へ到達する直前、周囲の気流が意思を持ったかのように渦を巻き、弾体を絡め取る。飛翔体は抗いが

たく進路を捻じ曲げられ、まるで巨大な生物の呼吸に吸い込まれるように、顎の奥へと消えた。


そして、炸裂。


……口腔の底から吹き上がる火球はたしかにあった。だが、それはワームが絶え間なく吐き出す排熱の濁流に掻き消される、一瞬の赤

い染みに過ぎなかった。この怪物にとって、ミサイルの爆発など、燃え盛る炉に投げ込まれたマッチのようなもの。そ

の堅牢な肉体に、傷ひとつつけることすらできない。


その絶望的な光景を目の当たりにした時、パイロットたちは悟った。自分たちもまた、とうに“レッドライン”を越えていたの

だと。


「回避!風圧が――ぐっ、機体が持っていかれる!」

「これは……吸引されている!?ジェットの推力が効かない!」

「脱出!イジェクト、イジェクトォ!!」


旋回し、背を見せた機体が、次々と風の奔流に捕獲される。抗う翼はへし折られ、コックピットは軋み、機体ごと巨大

な捕食者の喉元へと引きずり込まれていく。


数条の脱出シートが空に射出された。だが、

「……駄目だ!」

「うわああああああ!!」

それらもまた風に弄ばれ、渦巻く気流の檻の中へと無慈悲に引き戻されていく。


その光景を、ひと筋の赤い閃光が切り裂いた。

風を突き破り、線のようなスピードで割り込んできた影が、


「――パイロットのバーゲンセールかな?全部いただくよ」


落下するパイロットたちの身体を次々と腕の中に掻き抱く。

ホットショットだった。


「動くなよ!」

彼女は慣性を殺しながら慎重に減速し、3人のパイロットを遠方の街路へ軟着陸させる。滞空したまま、彼らに向き直

った。


「走って逃げられるか?」

その毅然とした問いに、

「あ、ああ……」

ひとりが戸惑いながらもうなずくのを見届けると、彼女は即座に反転する。また空へ舞い戻り、敵を睨み

据えた。


そして、思わず息を呑む。

吸引は、終わらない。地上のすべてを、砂粒の1片すら残さず喰らい尽くさんと、その勢いは増すばかりだ。都市そのも

のが、巨大な顎の前で無力に解体されていく。


「まずいな、このままじゃ“旧ドバイ最後の目撃者”の称号が私たちのものになるぞ……」


こんな惨事がなければ、誰もが余暇を謳歌している時間。

だがホットショットには確信があった。あの怪物を放置すれば、地球で最も先進的な都市のひとつが、日付が変わるよ

りはるかに早く、元の砂漠に還るだろう。


……カルテット・マジコの3人が集結するビルの屋上に、ホットショットが帰還する。

吹き荒れる風圧に目を細めながらも、イムノはそれをこじ開けるように大声を上げる。


「……あれを無差別に暴れさせるのはマズい!攻撃方向を固定させよう。――アシュリー、囮になって!」


「顔を上に向かせるってことだな?でもあの風とはぶっちゃけ相性が悪いけどな」


「……うん、だからそこにはちるを隠し味でひとつまみ!はちるが溶岩おじさんと戦って、

アシュリーが常に後ろを取って飛び続けてれば向こうもずっと頭を上げてるしかないでしょ」


「えっ、それって……!アシュリーはともかく、ウチはあそこまで行く間に、あのトレマーズ君に吸われちゃうくない!?」


「そうだよ? 吸われて、歯に掴まって、そこからよじ登っていけば、最短ルートでしょ?」

イムノは、こともなげに言い放った。


「え、えええええええぇぇぇッ!?」


スヌープキャットは目を剥き、尻尾をボトルブラシのように逆立てる。その凄まじい反応には、隣にいたホットショッ

トすら一瞬ぎょっとした。スヌープキャットの顔は、ネコ科動物が未知の臭気に遭遇した際のフレーメン反応のように

ゆがみ、全身全霊でその狂気の作戦への拒絶を示していた。


「大丈夫、ほらあの牙、風でも折れてないでしょ!?」

イムノは、街を無差別に攪拌するワームの口内、その円周にヒマワリの花弁のように並ぶ鋭牙の列を指差す。そして唐突に問いかけた。


「……リズモ、ブルジュハリファの重さって何トンくらい?」

制服のポケットが点滅し、


「ブルジュ・ハリファの重さは、およそ50万トン。これは10万頭の象に相当します」

スマートフォンのAIアシスタントが平板な声で答える。


「……なら!さすがに効くでしょ!」

イムノは目を輝かせ、風の中に声を突き上げる。


「ふたりが頑張ってる間に、私たちでブルジュハリファを倒して押しつぶすから!」

「その作戦、ありよりのありけり~♪」

ミーティスも楽しそうに応じた。


「ああ、そのプランが多分取れるベストだろうな」

ホットショットが静かに頷く。

「それでビルが倒れたら、アシュリーが中に突っ込んでトドメ。よろしくね!」

「トドメだけでいいのか?ブルジュハリファの建て替えまでは任されないか?」


……最小限、だが最適解に近い突貫作戦が、その、雨にも風にも弱い会議場でひととおり

組み上がると、ホットショットは迷いなく脚に力を込め、風を割って高く跳ね上がった。

その身体は夜空の漆黒を突き破り、やがて1つの光点となって遠ざかっていく。


「おせちの計算、いつも狂ってるよぉ……!」

スヌープキャットは額を押さえ、しゃくり上げるように嘆いた。


「でもはちるにしかできないことからさ。がんばって!」

ミーティスが、励ましの気持ちを込めて精一杯の声を送る。


「ユキヒョウってさ、千尋の谷に子を突き落として育てるって言うじゃん? あれと同じだよ。愛と信頼の証ってやつ!」

イムノもまた、悪びれずに言葉を継いだ。


「それほぼ殺意だよ!!――」

尾毛は逆立ち、顔はくしゃくしゃ。唸るように呻きながら、獣人の少女は肩を震わせる。


「――ううぅ……絶対トラウマになるやつぅ……」

それでも、彼女は諦念と共に1歩を踏み出した。


「……でもしかたない、行ってくる!!――骨だけは拾ってね!!」

その絶叫を決意に変え、スヌープキャットは屋上の縁を力強く蹴り、自らの身を空へと投じた。暴風に逆らいながら、

その跳躍は一直線に、巨大な顎へと向かっていく。


「じゃ、こっちもいくよ、さな!」

「御意!」

それを見届け、残されたイムノとミーティスもまた、ビルの縁を蹴って夜空へと飛び出した。


スヌープキャットの跳び出しは、本来まっすぐなはずだった。


「……あぁん?」


だが、その飛来をワームの頭上から見下ろすテラリアキングが、ただ首を巡らせる。それだけで風向きは激変した。


「あっやばっ…………うわああああああああああ!!!!!」

悲鳴が渦を巻く。抗いがたい吸引力に軌道をねじ曲げられ、彼女の身体は制御を完全に失った。風に弄ばれる紙片のよ

うにきりもみ回転しながら、巨大な顎の奥へと、一直線に吸い込まれていく。


外向きに並ぶ牙の列が、ギチギチと不吉な音を立てて迫る。


「なんとかなれーッ!」


そのただ中で、スヌープキャットはかろうじて下顎の牙の1本に指を食い込ませた。だが、掴んだそばから象牙質の表

面がやすりのように削れ、白い粉となって喉の奥へと吸い込まれていく。


「……さすがにこれはムリィィィィ!!」

悲鳴を上げながらも、彼女は歯を食いしばった。ここは象牙色の絶壁。凹凸のほとんどない滑らかな曲面を、1手1手、命綱なしのクライマーのように慎重に登っていく。


さしものスヌープキャットでさえ、この極限状況下では、常人と何ら変わらぬ、遅々とした歩み

しか許されなかった。


だがその時、対岸の牙の稜線の先、歪んだ空の向こう側にテラリアキングがぬらりと姿を現した。溶解した鉱石の下半

身を蠢かせ、はるか上方から、蟻のように牙を登る彼女を嘲笑うかのように見下ろしている。


「面白いやり方を思いついたもんだな!?ガキどもよ!」


地盤の突き上がる感覚が、スヌープキャットの足裏から体の芯へと駆け上がった。支えとしていた牙が――今、ゆっくりと、しかし確実に閉じ始めている。


「わっ、わっ……!」


彼女は即座に状況を理解した。このままでは丸呑みにされる。そうでなくとも、 │

続いて形成される牙の檻から逃れる術がなくなる。


だから彼女は、イチかバチかの賭けに出た。


全身の筋肉を、一瞬、極限まで収縮させる。


――解放。


次の瞬間、彼女は滑るのではなく、疾走していた。体の軸を牙の曲面と平行に保ったまま、横へ。

爪が象牙の壁を掻き、四肢が虫のように細かく駆動し、閉じていく顎の隙間という、ただ1点の光へ向かって。

そして、弾き出されるように、彼女は口の外側へと飛び出した。


体の左右で、巨大な歯列が完全に噛み合う音がした。視界から口腔内の闇は消え、間一髪で死地を脱した彼女は、暴

風の吹き荒れる牙の外壁に、逆さまのまま張り付いていた。

伝わってくる振動に耐え、荒い息をつきながらも、その瞳だけは、次なる1手を求め、みずからの股越しに上を見据えていた。


「はっはっは!」


その間抜けな逃走劇を、テラリアキングは高らかに嘲笑う。厚く盛り上がった両肩を引き、月を仰ぐほどに体を反らす

と、両腕にすべての力を集約させ、深く、静かに力を溜めた。


「――はアぁッッ!!」


次の瞬間、交差させた掌から、溶岩と隕石の合いの子のような灼熱の塊が唸りを上げて連射される。白熱した外殻が空

中で砕け、剥き出しのコアが尾を引きながら、流星群を遥かに凌ぐ苛烈な速度で、牙に張り付くスヌープキャットへと

降り注いだ。


「し・ぬ・っっっ!」


首を絞められたニワトリのような悲鳴を上げ、彼女は再び同じ決断を迫られる。先ほどの機転を逆再生するかのように、牙の

外壁を蹴って口腔内部へと飛び込んだ。その直後、赤熱した噴石群が、ほんの今まで彼女がいた空間を轟音と共に舐め

尽くした。


だが、その避難先が安息の地であるはずもなかった。


牙の内側――そこは、海王星の表層すらかるく凌駕する暴風が渦巻く、むき出しの圧力領域。上昇と下降の気流が絶えず衝突し、

空気そのものが質量となって荒れ狂う、まさしく気圧の墓場だ。唯一の風防だった牙をみずから捨てた今、環境が放つ

すべての暴力が、何の緩衝もなく彼女の全身を打ち据える。


「……毛が剥がれるぅぅぅぅぅぅ!!!」


長い髪も雪色の体毛も、すべてが後方へ激しくなびき、身体ごと引き剥がされそうだ。彼女は両手両足の指を牙に深く

食い込ませ、必死にその身を繋ぎ止める。


「裏に逃げたっていつまで耐えられるってハナシだぜ、んなもん!!……オラオラァー!!」


さらに、テラリアキングの手からは大仰な肉体の上下にあわせて断続的に溶岩弾が繰り出されており、

爆炎の光が牙の向こう側から差し込み、その影が裏側にまでちらつくたびに、

彼女の身体を灼いた。


歯を食いしばり、爪を喰い込ませたまま、

この強風と熱波の交錯する「死の通路」を、ただひたすらに進み続ける。今の彼女には、それ以外の選択肢は残されて

いないよう思われた。


「……おい、うちの末っ子いじめんな!」

しかしその怒声が響いた途端、はるか天空から飛来したホットショットのドロップキックが、ほとんど隕石の勢いでテラリアキ

ングの脇腹を穿った。


「ごっっ……!!」

鈍い衝突音とともに炎とマグマがぶつかり合い、男の身体が大きくたわむ。口から灼熱の吐瀉物を撒き散らし、苦悶の

声を上げる間もなく、その巨体はぐらりと軸を傾けた。


「――!」


その“上空の変事”を、スヌープキャットは全身の毛先で感じ取っていた。好機――ネコ科の双眸がするどく光る。

即座に腰を落として力を溜め、牙の柱を爪先で蹴ると、まるで木を駆け上るネコのように、尋常ならざる速度で牙を裏から表へと

螺旋状に駆け上がっていく。頂点に達すると同時に、全脚力を込めて白い断崖を蹴り飛ばし、その反発力で天を衝く跳躍を敢行した。空

間を斜めに切り裂き、未曽有の巨体を持つ環形の怪物の、さらにその上へ――。


「なにっ!?」


「……とりゃあああああああ!」


降り注ぐ拳が、マグマの胸に炸裂した。それは単なる打撃ではない。全身をバネのようにしならせ、回転の力をすべて

乗せた会心の一撃だ。すさまじい衝撃波とともに、テラリアキングの流体ボディが溶けたガラスのように歪み、ワームと

の連結部が悲鳴を上げて引き伸ばされる。張力の限界まで突き飛ばされ、彼の意識が、わずかながらも確実に揺らいだ。


大いなるバク宙の後、ブラックウィドウさながらのポーズで着地を決めたユキヒョウの少女。その隣に、燃え盛る炎の

少女が音もなく滑り込んでくる。スヌープキャットは彼女を見やり、食ってかかった。


「……ちょっとアシュリー!いつウチが末っ子になったの!?」


「知らなかったのか?さなとお前の、その時々で情けない方が末っ子になるシステムだぞ」

ホットショットは、悪びれもせず肩をすくめてみせる。


「……ふ~ん!」


スヌープキャットはわずかに口を尖らせてそっぽを向くが、数秒後には振り返る。その瞳には、すでに次なる戦いへの

決意が宿っていた。


「……でも、とにかくやる!ウチがアイツを抑えるから、アシュリーは排気口を壊して!」


語気を強めた声は、風を裂いて進むようにまっすぐだ。


「いい答えだ。それなら長女を任せてやる」

ホットショットが片眉をはね上げると、そのひと言にスヌープキャットの顔がぱあっと輝いた。


「――ああ、でもひとつだけ思ったこと言っとくな?」

だが、ホットショットはどこか遠い目をして続けた。


「なに?」

「私わかるんだけどさ。今日は“風”だったからよかったけど、お前多分この先、中性子星かブラックホールでも同じことや

らされるぞ」


その言葉は、何の比喩でも冗談でもない、純粋な確信に満ちていた。


「……」


スヌープキャットは、一瞬、懸命に言葉の意味を咀嚼しようと試みる。すると脳内には、中性子星の表面に爪を立て――

あるいは、ブラックホールの事象の地平面に張り付き、無限の重力に抗う自分の姿が、嫌でも鮮明に再生された。


ぷつり、と思考が途切れ、感情が抜け落ちた。

すぐに晒されたその顔は、死人すら真似し得ぬほど、無垢で空虚なものになっていた。


「…‥小癪なァ!」

そこへ意識を取り戻したテラリアキングが、怒声とともに殴りかかってきた。

だが、ホットショットは振り返りもせず、それより一瞬早く跳躍している。離陸ざまに背後へ放ったレーザーが、男の顔面で炸裂した。


「がアァッ……!」

爆炎に顔を覆われ、テラリアキングは身もだえる。加速のつけ際に、ホットショットはありったけの萌え声を置き土産にする。


「……じゃ、頑張ってねっ!お姉ちゃんっ♡」

赤い飛行軌道を描き、彼女はワームの背後へと巡航を開始した。


「……”お姉ちゃん”……悪くないカモおおおおお!!!!」

新たな境地に目覚めたスヌープキャットは、無防備なキングへ、ときめきを乗せた連撃を叩き込む。

その拳は、先ほどよりも明らかに鋭く、そして重かった。


「……よし、ミスター“ボブ・マーリー”!今日は最高の対バンにしような?」


きざな宣戦布告と共に、ホットショットは一気に加速。ワームの背に林立する、ドレッドヘアーめいた無数のシリンダ

ー群へ、雨あられと爆撃を叩き込んでいく。連鎖する炸裂が鋼鉄の鱗を弾き飛ばし、内部構造へ熱と衝撃の楔を打ち込 んだ。その振動はワームの全身を駆け巡り、頭頂部で繰り広げられる格闘戦の舞台までもを激しく揺るがす。


「くそうっ!」

足元から突き上げる衝撃に、キングの体勢がわずかに泳ぐ。スヌープキャットはその隙を逃さない。


「がううっ!」


男の拳を潜り抜け、懐へ飛び込むと、腹部へ獣のような連打を叩き込む。マグマの身体が粘液のようにたわみ、熱い飛

沫を散らした。だがキングも即座に反撃し、頭上から溶岩の拳をハンマーのように振り下ろす。スヌープキャットはバ

ックステップで回避するが、その動きすら、ホットショットの爆撃が生むワームの身じろぎに操られているかのようだ。

2人の格闘は、いまや爆発という名のビートに無理やり踊らされていた。


狼狽を隠せないキングは、背中の“痛み”を振り払おうと空へ首を振り、そのたびに頭上の2人の戦闘はさらに苛烈さを

増していく。


「……ああっ!」

突如、テラリアキングが眼前の戦闘とは無関係に声を上げた。その視線は、下方のブルジュ・ハリファに向けられ

ている。

「まさか、あとの2人まで登ってくる気か!!」

裏拳でスヌープキャットの突進を乱暴に払い除け、彼は敵の真の狙いに気づいた。


「ようやく気付いたか!」

その声に応じるように、ホットショットが支援に飛び込んできた。溶岩の魔人は即座に目標を切り替え、彼女へ向

けて拳を振るう。ホットショットはそれを紙一重で回避し、ゼロ距離からエネルギー弾を2発、男の上半身に叩き込んだ。

爆発に悶えるその隙を突き、スヌープキャットが背後から鋭い蹴りを放つが、キングは振り返りもせず、その足首を正確

に掴み取る。


だが、2人は怯まない。掴まれた足を軸にスヌープキャットは身を翻して回し蹴りを放ち、

ホットショットは休む間もなく追撃の弾を浴びせかける。あたかも男兄弟のように荒削りだが、息の合った連携。

圧倒的なチームワークで仕掛ける2対1の激しい肉弾戦が、巨大なワームの背で繰り広げられた。


戦闘の激しさに比例し、キングの内なる動揺は、ワームの狂乱となって現れる。高層ビル群に巻き付いた巨体は、獲物

を探す大蛇のように、絶えず上空へ旋回を繰り返す。前後の敵に対応しようとする焦りが、支配下にある巨躯までも連動して右往左往させ、

制御の軸を乱していく。その不安定な挙動こそ、まさしくイムノが描いた設計図の、完璧な実現に他ならなかった。


地上の大通りを時速数100kmで疾走しながら、イムノは口元に不敵な笑みを浮かべていた。


ふたりは比較的損壊のすくない都市区画を駆け抜ける。道中、ビル壁に張り付く機械化された巨大なナメクジや、散発的に現れる

歩兵群を掃討しながら。


イムノが先陣を切り、両手のガンブレードを構えて疾走する。ビルの中腹から、空気を灼く高出力レーザーが放たれた。


彼女の姿が掻き消え、踏み抜かれたアスファルトの破片だけが宙に残る。次の瞬間、イムノはすでにレーザーの眼前に

いた。果断な跳躍とともに、真っ向からそれを迎え撃つ。


高貴な銀の輝きを放つ刃が光の奔流と衝突し、裂かれた光そのものから無数の火花が延々とほとばしった。レーザーを両断し

た勢いのまま、イムノは空中で身を翻す。そして、反応できずにいた生ける戦車を、そのまま斬り捨てた。


そのかたわらでは、ミーティスが霊符の奔流を街路に解き放ち、あらわれる敵すべてを爆炎で撹乱する。ふたりはその間隙を縫っ

て、高速で突き進んだ。


ブルジュ・ハリファの根元に到達すると、2人は合図を交わし、勢いよく進路を分けた。ミーティスは、ワームの頭部

が突き出す側とは反対の壁面へと迂回する。


彼女たちが向かうブルジュ・ハリファという建物は、単なる尖塔ではない。Y字状に広がる3つの翼棟が、中央の主塔を支えるように収束し、セットバックを繰り返しながら天へと伸びる、巨大な鍾乳石にも似た異形の建造物だ。


「せー、のっ!」

静かなかけ声に決意を乗せたミーティスは、人影のない、風の轟音だけが響く異様な道路へと、ドリフトを決めながら

しゃがみ込みんでいき、その勢いを爆発的な跳躍へと転化する。

ビルの段差部に着地し、さらに後方へおおきく跳ね上がると、手にした霊符の大半を夜空へ解き放った。


散り散りになった呪符は、しかし広範囲のガラス面に吸い寄せられるように張り付き、不思議なほど整然とした陣形を

成す。そして、すべての呪符が呼吸するように、淡い光を明滅させ始めた。


直後――連鎖的な自爆が始まる。出来物のような光がビルの低層部から次々と膨れ上がり、支柱の幾本かが轟音とともに

弾け飛ぶ。構造体全体が、断末魔の如き軋みを上げながら、ゆっくりと傾いていった。


時を同じくして、ビルの反対側。アスファルトが常に砕かれるほどの速度で、ひとつの影が疾走していた。イムノだ。莫大な風圧

にカーディガンを激しく波打たせながら、彼女は手首のスナップひとつでガンブレードのシリンダーをこともなげに弾き出す。

空薬莢が排出される小気味よい金属音。ポケットから取り出したレモン味のソイル弾を、寸分の狂いもなく3発、空いた薬室へと

送り込んだ。


「いつもこればっかり品切れになるレモン味……美味しいからね、仕方ないよね!」


頬を緩ませて独りごちると、彼女は装填数と同じ数だけ引き金を引く。そして、巨大な交差点の中央で、その疾走をぴたりと止めた。

いや、止まったのではない。来るべき一撃のため、全運動エネルギーを内側へと極限まで圧縮したのだ。


宙に身を躍らせれば、アスファルトに落ちる影だけがその軌跡を追跡する。

頂点に達すると同時に、彼女は抜刀の構えへと移行した。それは居合の始動に似て、しかし殺意の密度は比較にすらならない。

印を結ぶような指の形が柄に添えられ、足は深く、蹲踞のごとく開かれる。上体はわずかに左へ捻られ、鞘尻は荒々しく内側を向く。


彼女の周囲に生まれた風が、カーディガンの裾を、異様なほど静かに翻した。


「ソイルッッッッ!!」


その絶叫は声からしてひとつの爆発であり、風の轟く都市の空気を一瞬だけ上書きする。そこからの急加速は、もはや通常の物理法則による記述を拒否した。彼女の速度は瞬間的に数1000倍にまで跳ね上がり、その姿はほとんど紫電の化身と化していたのだ。

帯電した刃が白熱の稲妻となって描線を引き、高さ800m超を誇るブルジュ・ハリファの巨大な土台を、バターのように、しかしそれよ

りもはるかに冒涜的な滑らかさで切り伏せていく。


刀を振り抜き、うつ伏せのまま片膝で着地した銃剣士の姿は、この宇宙の時系列の、

ずば抜けた途絶のつじつま合わせのようにして突然そこに姿を現しており、


その背後では、現代建築の奇跡が、焼き切られた断面を基点に、重力に抗うように、わずかに、しかし確かに浮きあがっていた。やがて訪

れる崩壊の序曲として、巨塔は軋み、呻き、その身を震わせるのだった。


「当社の銃付き包丁、これ1本で調理から高層ビルの切断まで完璧対応!まさに現代人の味方です――ってね!」

イムノが即興のテレビショッピング風に締めくくった直後、ビルの反対側でミーティスの霊符が一斉に起爆した。遅れ

て届く轟音と爆炎が、彼女の前後の通りを高々とした波の姿で塞ぐ。


格好をつけたのも束の間のことである、眼前に急速に広がっていく巨大な影。

50万tの鉄とコンクリートの塊が、よりにもよって自分の真上へ倒れてくるという、単純かつ致命的な事実に、彼

女はようやく思い至った。


「……あっ、やばいっ!」


先ほどの勇姿はどこへやら、逃げるカエルのような跳躍で、イムノは命からがらその場を離脱した。


……だが、その効果は覿面だった。イムノの一閃に切り裂かれ、ミーティスの霊符に爆破され、骨組みも心臓部も断たれた

ブルジュ・ハリファはついに、その巨体に絡みつくワームごと、ゆっくりと、しかし確約された終焉へと向かって、傾

き始めたのだった。


この異変にもっとも衝撃を受けたのは、


「……なにぃッ!」


他ならぬテラリアキングだった。わけも分からぬまま、世界の全てが急速に横倒しになっていく。


「……じゃあねっ!」

一方、スヌープキャットはすべてを知る者であり、戦場を離脱する好機を逃さない。

ワームの装甲から軽やかに身をひるがえすと、夜空へ鋭く跳躍し、元はビル街だった都市の闇へと姿を消した。


「まさかっ、謀られたのか!?」

その一瞬の叫びも、かたむく景色と共に虚空へ滑り落ちていく。直後からテラリアキングはたったひとつの感覚と

だけ戦うことになる。それは抵抗しがたい重力感だ――。


……倒壊というには、それはあまりにも堂々たる運動だった。

1km弱にもなる長さの鉄骨とガラス、そして広大な空間を内包した構造体が、地球の引力に身を委ね、長大な時間をかけ

てその姿勢を崩していく。


下敷きとなるワームの頭部は、抵抗するように空中でよじれる。だが、みずからの巨体がビルに作り上げた戒

めを解くには、時間があまりにも足りない。地底産の怪物は、自壊しだす膨大な質量の壁に押し潰され、噴火のように吹き上がる砂

煙の中で、のたうち、崩れ、そして完全に飲み込まれていった。


――大地が震撼した。

都市全体が膝をついたかのような衝撃が大気を震わせ、

倒壊の中心から巻き起こる熱風と瓦礫、鉄の嵐がすべてを呑み込んだ。


砂塵の漂うなか、砕け散った鋼鉄の残響が、いつまでも耳の奥にこだましていた。


空中を旋回しながら急降下してきたホットショットは、吸引力を失い、無力に開かれたままになった

ワームの口を正面から捉える。その身に纏う炎を風になびかせ、一気に突入を図った。


「ギィッ――!」


だが――間一髪、ワームは最後の抵抗とばかりに巨大な顎門を閉ざす。牙はまるで岩盤の断層が噛み合うような勢いで

重なり、激しい衝突音と共に火花を散らした。


「ゲッッッ、まだ息があったのかっっ!?」


空中で強引に進路を変えようとしたホットショットの背後から、別の影が躍り出る。その瞬間、ワームの牙が生み出す

クレーターに亀裂が走り、隅から隅までが陥没した。スヌープキャットの渾身の一撃が、天からの判決のように下されたのだ。


「……お代はラヴで結構!」

得意げに鼻をこすってみせたスヌープキャットとホットショットが、走者を替えながら空中でハイタッチを決める――その鮮烈な一瞬。

直後、ユキヒョウの少女は、極超音速で真横をすり抜ける炎の塊を見送るように振り返り、親指を立てた。


「これからこのグロい穴に飛び込んでいくアシュリー先生に、応援のお便りを送ろう!」

粉砕された歯の破片が舞い散る中、ホットショットは明朗な叫びを残して洞内へと突入する。その身体は、単調な傾斜

を帯びたワームの体内をなぞるように、深淵へと吸い込まれていった。


ワームの体内は、生ける金属のトンネルだった。管腔の壁に無数のシリンダーが密生し、管路が網の目のように交錯す

る。その中心に、異様な存在感を放つ機械の炉心が鎮座していた。白熱する炉心の高鳴りに合わせ、

空間そのものが緩やかに拍動しているのだ。


「おまえ、核融合仲間だったのか……!」

ホットショットは溜め息まじりに呟いた。


直後、霊的な核融合炉たる焔の少女は、目前の炉心へ呆れたように掌を差し伸べ、

火花の渦巻くチャージ弾を矢継ぎ早に叩き込む。衝撃に炉心は断裂し、内部から臓腑めいた電磁部品と光粒子が

激しく噴出した。


その爆発は、単なる破壊を超越していた。急速に膨張するエネルギーが体腔のすべてを押し広げ、飽和させていく。そ

して――世界を喰らう魔性の環形生物の体躯から立ち昇ったのは、圧倒的なキノコ雲。それは、かつてのブルジュ・ハリ

ファをかるく凌駕し、天を衝く威容を誇った。


その中から、ホットショットの身体が噴煙の矢となって天空へと射出される。

瞬間、彼女は宙を滑らかに反転し、堂々たる宙返りで夜空に円弧を描こうとした。


「そうだ……!」


その時脳裏をよぎったのは、衝動にも似た着想。ホットショットは即座に姿勢を制御し、

意図的にその軌道を大きく歪ませる。炎の光跡が星空の下に鮮やかな一筆を刻み、

やがて虚空に浮かんだのは――巨大な「Q」の文字。


カルテット・マジコ。


その頭文字が世界に解き放たれた瞬間、彼女の凱旋飛行は根本から意味を変え、一層の次元へと飛躍した。

それはもはや自己満足の飛翔ではない。破壊にしずむ世界へ希望を告げる狼煙であり、4姉妹の誇りと連帯を体現する、唯一無二の尊き曙。


のちに語り継がれることになる数多の伝説――その様式美の、まさしく原点であった。


「嘘だろ!ワームまでやられた……!!」

辛うじてワームとの分離を果たし、元の姿に立ち返っていたテラリアキングは、

瓦礫の散乱する地面に倒れ伏したまま声を張り上げる。


「……ちくしょう!……全軍、撤退、撤退だァ!!」

恐慌と騒乱の渦中、彼は正気を取り戻したかのように、指示を発した。その声が、砂漠の素顔を半ば露わにした

ドバイの街に響き渡ると、勇猛を誇った蛮族の大軍勢は、一切の秩序と統制を失い、我先にと最初に穿たれた大穴を目

指し、雪崩を打って駆け出した。


だが、撤退を始めたテラリアン軍を待ち受けていたのは、UAE空軍による第2次攻撃だった。戦域に再突入した戦闘機

群が整然たる編隊から対地ミサイルを一斉に放つと、置き去りにされた陸上艦は次々と火球に包まれ、炎上していった。


そのおよそ10分後には、煙が立ち込め、空と地が炎で結ばれたかのような市街を、ルクレール戦車隊が歩兵部隊を率いて進む。

瓦礫と煙塵に塗れた通りには、逃げ遅れたこと悟り、次々と銃を捨て両手を掲げるテラリアン兵

の姿が散見された。


征服の終わりは、あまりに唐突に訪れた。だが、それこそがカルテット・マジコの圧倒的な勝利の証に他ならない。

戦場の熱気と破壊の余韻が緩やかに夜気へと溶け、砂漠の向こうに、午前0時前の涼やかな空が、その本来の静けさを

取り戻していった。


戦いの幕が下りてからも、カルテット・マジコの4人は現場に残っていた。倒壊した建物の周囲で、負傷者や取り残さ

れた市民の捜索・救助に奔走する。札による索敵と搬送、魔法弾や怪力による障害物の除去、飛行能力を活かしたピンポ

イント救援。それぞれが力を尽くしたが、その足取りは次第に重くなっていった。


やがて現地の消防や警察、UAE軍の地上部隊が態勢を整え始めた頃、4人の顔に浮かぶ濃い疲労の色を見て、指揮官の

一人が声をかけた。


「ここから先は我々に任せてくれ。君たちにはもう十分すぎるほど助けられた」


その言葉は、過不足のない配慮と、名誉ある引継ぎの証だった。

彼女たちはうなずき、やがて仮設テントの一角――応急処置の済んだ者たちが体を休める小さな休憩スペースに身を落ち着けた。


簡素なランタンの明かりの下、彼女たちは折りたたみ椅子を背に、しずかに呼吸を整えていた。開け放たれた出入り口の

外では、燃え残りの熱を帯びた風が遠くを揺らし、くすんだ空には、ようやく夜明けの兆しが混じり始めている。


アシュリーは長ベンチを占有し、仰向けに転がるように倒れこんでいる。手足をだらりと垂らしたまま、天幕の布越しに空を見上げてぼやいた。


「……なあ、地球ってこんなにハードモードな星だったのか?社会の先生、そんなことひと言も言ってなかったぞ?」


「あれでしょ、『辺境国家』ってやつ。海底とか地下にあって、他の国とほとんど交流してないから、実態がぜんぜんわかんないっていう……」

おせちは椅子の上で、膝を抱えながら頭をゆらゆらと揺らしている。


「わたし……ブルジュ・ハリファのレストランでディナー食べれるの、めちゃくちゃ楽しみにしてたんだけど……」

その隣で、さなが深々とため息をつき、砂まみれの前髪を払いながらつぶやいた。


「ウチ……いつお風呂入れるのかな……全身ホコリで構成されてる気がする……」

はちるは背中からずるりと崩れ落ちるように座り込み、ホコリを払うかのように尻尾を床に這わせながら、半泣きの顔で文句を言う。


「……ぜっっっったいトラウマになった。あの歯、夢に出る……ていうかもう夢でしょこれ、起こして誰か」


ランタンの光はゆっくりと揺れている。

誰もしばらくの間その場から立ち上がろうとはしなかった。


戦いの記憶が脳裏に焼け付いている。だが、それを言葉にするには、世界はまだあまりに騒がしすぎた。

代わりに沈黙のなか、4つの呼吸――今にも寝入りそうな、頼りない息遣いだけが、ぴたりと揃っていた。


一方その頃――。


ブルジュ・ハリファも、あたりの建物も丸ごと薙ぎ払われた、その跡地。

瓦礫と鉄骨が積み上がる焦土の歩道脇に、1台の古びたキッチンカーがかろうじて無傷で停まっていた。不意に、そのヘッドライトが灯る。

運転席にはひとつの人影。リクライニングシートを限界まで倒し、寝そべるような姿勢のまま、その影は突如として饒舌

に語り始めた。


「テラリアキングよ、進捗はいかがかな?」

それは独白に見せかけた、明確な通信。がらんどうの頭蓋から発せられた声が、どこか遠くの敗者へと届けられる。


「貴様が吾輩の体に付けた爆弾――まさか爆発するだけが能ではあるまい。こちらの位置情報も、会話も、すべて

筒抜けだと承知の上で、こうして独り言をくれてやっているのだ――」


「――つまり吾輩は――吾輩自身を模したロボットを交渉の場に赴かせた。その観測座標から完全に外れぬ範囲に、始終身を潜め

ていたというわけよ。それこそが、今なおこの身が無事である“手品”の全容だ」


シャカゾンビの飄々とした声音には、勝利を確信していた者の余裕が滲む。


「まったく、何日ものあいだ、筆談で本当の指示を飛ばしつつ、口先で即興の劇を演じ続けるのは、なかなかに骨の折

れる仕事だったぞ。骸骨だけにな、ヒヒヒ!……そうだとも。たしかに吾輩は貴様を出し抜いた。だが、ここで感情に任

せて爆弾のスイッチを押すなどという、浅はかな真似はするなよ――」


「――何しろ、貴様らテラリアンがガキどもを引きつけてくれたおかげで、吾輩の部下は朝の散歩のごとくCERNを襲撃し、

1000億ドルなど軽く超える価値の物質を、易々と手に入れることができたのだからな」


時はややさかのぼる。

場所はスイス・ジュネーヴ。欧州最大の素粒子物理学研究所『CERN』の構内では、すでに、警報がひっきりなしに鳴り響いていた。

赤色灯のフラッシュがコンクリートの壁面を染めるなか、粒子加速器の長大な回廊に現れたのは、黒翼の外套のようにはためかせる1羽の鳥類――カーディBだった。


その背後には、テラースクワッドが誇る2人の戦士、プロディジーとハヴォックが控える。

足元には、足元には警備ドロイドの残骸が散乱し、焼け焦げた金属から白煙が立ちのぼっていた。


「いいか、何度も言うけどな、今日だけは――絶ッッッ対に間抜けはするなよ!エキゾチック物・質、なんだぞ!?

シクったらこのスイスごと跡形もなく吹っ飛ぶかもしれないんだからな!」

裏返ったカラスの声が、コンクリートの厚壁を貫かんばかりに響く。


「わかってるって!」

「まったくよ、『今日だけは』ってな、そのセリフ今日だけで24時間分は聞いたぜ?」

ふたりの応答にもカーディBは疑いの目を光らせていたが――その目前で、隔壁に護られた保管庫が慎重に解錠される。

ステンレス製のエアロックがスライドし、警戒区域へと接続されたシリンダー式の携行容器が、わずかに青白く冷たい光を帯びて姿を現す。


「……問題なし。確保完了だ」

容器の係止フックを外したプロディジーが、汗のにじむ額をぬぐいながら、淡々と報告する。


その頃には施設内の警備網は完全に沈黙し、通路の奥には、

非常灯に照らされて逃げ惑う研究員たちの背中がちらつくだけだった。


……シャカゾンビの独白は、なおも続く。

その口ぶりはまるで舞台俳優の朗読のように流麗で、過剰なまでの演出をまとっていた。


「これだけの損失が軍に出てしまった以上、そちらも今や1銭でも多くの金が欲しいはずだ。

単なる国庫の肥やしではなくてな。では――お互い紳士的な態度を保ったまま、次は地下で、ゆっくりと交渉のテーブルにつこうではないか」


ほんの1拍ののち、シャカゾンビの頭蓋内に、通信開始を知らせる低いノイズが響いた。

続いたのは、疲労と苦悶に満ちた、くぐもった声だった。


「……わかった、爆弾は解除してやる。話がしたいから、すぐ地下に来い。迎えをよこす」


テラリアキングの声音が、頭骨に直接届いた。その声には、敗北を噛みしめる者の苦悶がはっきりと浮かんでいた。


「ヒハハ――そうこなくては」

シャカゾンビは、あくまで意地悪く笑う。


やがて、スライドドアの開くキッチンカーから、ゆっくりとその影が姿を現す。

まるでリムジンからレッドカーペットへと、ハイヒールの鋭い踵に任せた高飛車な1歩目を踏み出す女優のように、

過剰なまでの間合いと気取りを込めて――甲冑に包まれた片足が、コンクリートにそっと下ろされた。


続くもう1歩は、すでに劇の主役として舞台に立つ者の足取りだ。

シャカゾンビは闇を背負い、みずからが世界の中心であるとでも言わんばかりに、ゆったりとケープを翻した。


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