Issue#01 I Don't Want to Set the World on Fire CHAPTER 5
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=24843658
本作の本家配信ページはこちらです。
キャラクターデザイン画、スケッチ等をそちらの本編内の挿絵もしくは
独立したイラストとした順次投稿していくつもりです。
https://www.pixiv.net/artworks/132158061
特に、さなの顔立ちに関してはすでに出来上がっていて、
このイラストの人物をさらに垂れ目がちにしたものと理解してもらって構いません。
アシュリーの線画もできた
https://x.com/piku2dgod/status/1941788175917322530
おせちとさなのスケッチや進行途中の絵はこっちや
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=24843658#4
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=24843658#5
太平洋公海上、雲ひとつない空を1機の大型輸送ヘリが腹を見せて旋回している。陽光を受けた機体はくすんだ光を放ちながら、ゆっくりと円弧を描いていた。
はるか眼下では、1隻のメガヨットが静かに流れている。巨体に見合わぬ楚々とした水尾を引きながら、奥から手前へと斜めに航行していく。
白い船体が青い海面に映える光景は、まるで地中海を宣伝した映像のように美しかった。しかしこの船の進路は、誰にも容易には断定できなない。
なぜならここは、島影はおろか、霞む水平線さえも遠くぼやけるばかりの凪いだ海域――どこを向こうと、
全方位が果てしない蒼色に閉ざされた場所だったからである。
ヨットには、甲板の一角にヘリポートまでが完備されており、この2040年代におけるチヌークの後継機とも言うべき重量級のヘリコプターが、
その上空へと威圧的な影を落としながら近づいていく。プロペラの轟音が海面を細かく震わせ、
圧倒的な潮風が巻き起こす白い飛沫と共に、渦を巻くように混ざり合う。
やがて両者の速度がぴたりと重なったとき、熟練した操縦技術によってヘリの脚が緑色の甲板へと正確に降ろされる。
エンジン音が徐々にしずまる中、スライドドアが金属音を響かせながら滑るように開く。
その扉の奥から、海風に白い髪をなびかせながら、吉濱尊の端正な着物姿が静かに、そして威厳を纏って船上へと姿を現した。
船体が受ける波のうねりと、まだ鳴り止まぬプロペラの余韻が、束の間の緊張感をあたりに振りまいている。
「1週間ぶりじゃの」
尊の声は穏やかだった。海風に揺れる白髪の間では、2本の角に集まった光が
せり上がるように走り、輪郭の片側を一瞬白く際立たせた。
「もうそんなに?」
出迎えた男、ハイムラはレーシングジャケット風の上下を身にまとっている。首筋には鍛錬の跡がはっきりと浮かぶが、
全体像としてはいかついわけではなく、むしろ、どこか飄々とした雰囲気ばかりを漂わせていた。
彼の腰の上では、特異な形状のベルトが、昼の光をいっぱいに浮けて金属部を輝かせている。
変身型のヒーロー「エイペックス・ストライダー」として知られる男は、尊の盟友であり、この船の臨時案内役でもある。
「いやぁ、しかしこの船よ!証拠が手に入ったと聞いてすっ飛んで来たが、何かと思って驚いたぞ!お主のヒーロー稼業はこんなにも儲かるものなのか?」
「だったらいいんだけど、借り物なんだよな。だから壊さないでよ?」
ハイムラの口調は、未熟な俳優に要求された陽気さの演技のように軽々しさばかりが目立つが、
目は、年経た人のやたらな細め方で、船の重厚な構造を値踏みするように見回している。
彼は肩をすくめ、広大な海原を眺めながらこう続けた。
「でも、中に入ったらもっと驚く」
2人は簡潔に握手を交わし、船内へと進む。
白い大理石の廊下に足音が静かに響いていく。そこでは、カーキ色の軍服に身を包んだアジア人の兵士たちが、
スリング付きのライフルを肩にかけ、無表情で要所に立哨している。彼らは表立って動かないが、つねに目線は、尊とハイムラの動きをしつこく追う。
船内の天井は高く、その設計は洗練されているが、調度品らしい調度品はなにもない。
かわりに、緑の弾薬箱やハングルが書かれたレーションの梱包が無造作に積まれ、またそれを運びこむのに使ったのだろう
空の台車が停まっている。
広い窓の外には甲板で見たものとまるで同じ穏やかな海が広がるが、船内の空気はまるで研ぎ澄まされた刃のようだ。
「なるほど、ここにその証拠が保管されとるというわけか」
尊の声は低く、抑揚を抑えたものだった。
「直接の対面までは、俺からは何も言えない」
ハイムラは肩越しに兵士たちを一瞥し、小声で答える。2人は監視の目を縫うように、慎重に歩を進める。
「『対面』のう?ほう――」
尊はハイムラの言葉尻と船内の異様な雰囲気を瞬時に読み取り、「証拠」の正体に薄々見当をつける。
「まあお楽しみだ……ここだよ」
廊下の突き当たり、重厚な装飾の両開きの扉前で青年が足を止め、小声で告げる。柔らかな絨毯が足音を吸い込み、静寂が一層際立つ。
「心得た」
尊は小さくうなずき、肩にわずかな緊張を走らせる。
遮音扉が背後でしずかに閉じられ、空気の圧が場をへだてる。北朝鮮の将校服に身を包んだ壮年の男が、テーブルの向こうに立っていた。
肩の徽章が照明を反射し、潮の香りが室内にはただよう。かたわらには、あどけなさを残す少年が、父の袖を握りしめ、呼吸すら忘れたように固まっている。
男は一瞬、やわらかな眼差しを息子に向け、「行きなさい」と朝鮮の言葉でささやいた。少年は唇をむすび、名残惜しそうに振りかえりつつ、
警護の兵士に連れられて部屋を出る。扉が閉まる音が、ひくくひびいた。
将校は背筋を正し、尊に向き直って一礼をする。
「元朝鮮人民軍戦略軍司令、キョン・スンホ(慶承浩/경승호)です」
その声には、幾多の修羅場を乗り越えてきた重みが透けて見えた。
……朝鮮人民軍戦略軍とは、アメリカの「戦略軍」、ロシアの「戦略ロケット軍」、中国人民解放軍の「ロケット軍」に相当する組織であり、
弾道ミサイルや、それに搭載される核兵器の運用を担う軍種のことをいう。
尊もまた、畏敬を込めて頭を下げる。
「はじめまして。わしは吉濱尊という者です。おそらくはオールラウンダーという名の方が通りがよいでしょうが――」
礼儀は簡潔だが、握手をけして筆頭の選択とはしない極東の人間同士の型がそこには潜み、瞬間、互いの歴史と覚悟がそこには深々と重なり合った。
「ええ、存じています」
船のかすかな揺れが、床を通じて2人の足元に伝わる。キョンは直立したまま、尊の言葉を待つ。
「あなたのことを、今回の国際間の緊張を解決できる生きた証拠と聞いてここまでやってきました。一体我々に向け
どういった証言をしていただけるんですかの」
尊の声は穏やかだが、底に鋭い探りの針を隠している。
「先に、私と家族、そしてこの部隊全員の日本への亡命の確約を。こちらの条件はそれです」
キョンは一瞬目を細め、こう答えた。
ほんのすこし、眉をひそめた尊はハイムラに視線を送るが、彼は無言で見返すだけだった。廊下の遠くで一時、軍靴の音が気まぐれに響く。
やがて彼女は、置かれた状況を独力で理解し、口を開いた。
「……構いませぬ。北の国に関する他の機密情報を握れるという観点からも、日本は、今回の件を逃しはせんでしょう。
ただ、そちらの証言は交渉のカードとして後で政府相手に直接使ってくだされ。今すぐ明け渡していただきたいのは、シャカゾンビとの接触の記録です」
「ええ、心得ています――」
キョンはデスクに手を置き、引き出しから小さなメモリを取り出し、尊に差し出す。2人の間に、みじかい視線の火花が散り、
「――オールラウンダーという方は、約束を破らぬ方だと聞いております」
という念押しの言葉を、あわせて口にした。
「……かたじけない。細部は後で解析しますが、さしあたって全体像を口頭でお聞かせ願えますかな?」
尊はメモリを受け取り、目を離さず問うた。将軍は椅子に腰を下ろし、卓上の地図に指を滑らせる。紙がわずかに皺を寄せた。
「……先日、労働党の内部で、私の直上の者が派閥抗争に敗れました。独裁国家において
そのような者が辿る末路はただひとつ――粛清です。私もまた、同じ段階で抹消のリストに名を連ねていたはずですが、
不思議と、ただちに拘束されることはありませんでした。そこで私は、自由に動けるうちに行動を起こすことにしたのです。
それが、すべての始まりです――」
キョンは背筋を正し、滔々と語り続ける。
「――およそ2年前から、シャカゾンビは我が国と接触を始め、高度な技術を供与することで軍の内部に深く食い込んでいました。
粛清の危機に瀕した私は、生き残りを賭けて奴との個人的な交渉に踏み切りました。すると奴は、驚くほどたやすく私の提案に応じ、
機密のリークと引き換えに国外脱出の手筈まで整えてくれたのです。しかし、今振り返ってみれば、党
内の政争も、私が機密を渡すにまで至った一連の流れも、すべて奴の仕組んだことだった。私の反乱は、奴の掌の上での操り芝居だったのです」
「その証拠が、このメモリに?」
尊の問いに、キョンは机上のメモリを指で滑らせて寄越し、深く頷いた。
「そうです。私もまた、亡命を決意した段階で、可能な限り奴とのやり取りを記録することにしました。それが私にできた唯一の抵抗です」
尊はしばし黙し、相手の置かれた境遇を思い量りながらも、やがて静かな声音で言葉を継いだ。
「ひとつだけよろしいでしょうか――」
「はい」
「……とても難しい決断をされましたの。お心中、深くお察しいたします。
そしてこの吉濱尚武尊、亡命の申請が正式に受理されるその時までは、
命を賭して、あなたの御身をお守り申し上げまする。この志に揺るぎはありませぬ。
しかし、それはそうとしてですじゃ、どのような御事情があったにせよ、
このたびの1件、あなたがなされた所業は、決して軽い咎とは申せませぬぞ。
被害を被る方々のことを思えば、どうしても、この言葉だけは申し上げずにはおれませぬ」
キョンはしばし俯き、真摯に応じる。
「仰る通りです。私は祖国を裏切り、かつての同胞、そしてあなた方の国を危険に晒しました。
家族を守り、生き延びるためとはいえ、シャカゾンビの誘いに乗った私の選択は、許されるものではありません。
しかし、だからこそ、奴の企みのすべてを収めたこのメモリをあなたに託すことで、せめてその過ちを正す1歩を踏み出したい。
それが、汚れたこの手で成し得る可能なかぎりの贖罪です」
将軍の言葉には、悔恨と決意がたしかに混じっており、尊もまた、その重さをありのまま受け止めた。
「――――」
会話は続いたが、終始淡々としたものだったのでいずれどこかで自然に途切れた。すると部屋には再び、船体が波に揺られる、あのゆったりとした音が満ちる。
窓の外には、どこまでも平坦で、境界もおぼろげな水平線と、光の粒でやたら煌びやかに飾り立てられた蒼い海が広がっていた。
「……ところで、祖国の動向についてはご存じですか。ここでは限られた情報しか手に入らず――」
と将軍が、沈黙を気まずく思ったかのようにそういった質問で仕切り直せば、
「今日の日本軍の演習にあわせ、大規模な艦隊を羅津港で編成しているというところまでは聞いてはいますがの」
と尊は答える。
その途端に、室内の空気が凍りついたのがわかった。
「まずい、それを知っていれば、こちらもこうもったいぶったコンタクトはけして取りはしませんでした。
吉濱さん、急いだ方がいい――」
キョンは言葉を切り、拳を握る。
……そして、防衛省のヘリでちょうど日本海に到達したばかりの4人は、
「……北の羅津という港には、核を搭載した原子力潜水艦が今停泊しておるとのこと。それだけは絶対シャカゾンビの手に渡してはならん」
無線口の尊から事のそうしたあらましを聞いたのである。
日本海の、色調が澱みながらも穏やかな海面を進む護衛艦「ひさめ」の艦橋には、潮と金属とオゾンの混合した香りがほのかに漂っていた。
レーダー端末が低く脈動する電子音を刻み、強化ガラス窓には海水と霧の飛沫がうっすらと曇りを残している。
薄青いARディスプレイの光が隊員たちの頬を照射し、彼らはホログラフィック・コンソールに視線を落としたまま、ほとんど呼吸の気配すら感じさせることなく静寂の中でデータの流れを追跡していた。
その艦橋のひと隅で、スコープを覗き込んでいた若い航海士の声が緊張を孕んでいきなり弾けた。
「艦長、北の艦影です!方位030、距離35キロ――確認できました!」
そこには、訓練の過程では本来混じるはずのない、生々しい不安の色があった。
通信席の士官が、暗号チャンネルの切り替えに手を動かしながら小さくつぶやく。
「北のフネは羅津港に集結してるんじゃなかったのか?」
指先は慣れた動作でタッチパネルを走り、衛星リンクから新たなデータが呼び出される。
艦内のスピーカーからは甲板上の整備員の足音や、ドローン哨戒機の離着艦を告げる低い振動音が、
艦橋へかすかに伝わってくる。艦内の空気は、誰も気づかぬうち空間が1mずつ圧縮されてしまったかのように、
すっかり張り詰めてしまっていた。
「艦長、この状況で本当に演習を続行するんですか?」
下士官の声には、抑えきれぬ苛立ちが混じる。彼の視線は、艦橋の中央に立つ艦長、コウロキ大佐に向けられている。
彼は、電子双眼鏡を目元から下ろし、疲労の浮かんだ顔でぶっきらぼうに答えた。
「……ああ、これではまるで参観日だな。だが、統合参謀本部からの命令だ。現場の判断で覆せる段階はとっくに過ぎている」
隊員たちは息を呑み、艦橋の照明が霧の反射で揺れる中、一瞬の無音が支配した。
……艦隊の先頭にあって、灰色の波頭を砕いて進むのが旗艦「しらぬい」だ。そこの艦橋――司令官席の脇には電子戦指揮卓があり、壁際には士官たちが規律正しく並び、各部署のオペレーターが黙々として端末を操作している。厚い装甲に覆われた艦体が、低いエンジン音と共にわずかに振動し、すずしい海風が甲板上を吹き抜けていく。
「各艦の準備完了信号、すべて揃いました」
と副官が報告した。指揮卓のレーダースクリーン上には自艦を中心にして、それに随伴する「たかなみ」「はやぶさ」「いかづち」など、各艦の位置が淡く点灯している。
実際の光景としても僚艦は隊形を崩さず円滑に並走し、遠方には補給艦や哨戒ヘリの影もわずかに確認できる。
司令官はひとつ息をつき、帽章に手を添えた。
「よろしい。全艦、通信回線オープン」
副官がうなずき、艦内に通信開始のチャイムが鳴る。
マイクを握った司令官は、
「各艦に通達する。本時刻をもって、日本海域における当軍の対艦ミサイル射撃演習を正式に開始する。
全艦、定められた作戦手順に従い、速やかに演習行動に移れ」
艦内スピーカーを通じて、その言葉を、一定の厳粛さとともに全船団に伝えていく。
通信員が「了解、全艦一斉受信」と合図し、艦橋の外――鉛色の波間に整然と並ぶ護衛艦群が、
わずかに舵を切り、各々の持ち場へと進路を変える。
甲板上にはミサイル発射管がゆっくりと持ち上がり、乗員たちは次の指示をじっと待ち受けている。
司令官は副官と短く目を合わせ、
「始まったな」
「はっ、閣下」
外の霧の向こう、遠ざかる僚艦を2人して見送った。
灰色の雲に覆われた空と同じ色調を湛える海原で、いま、日本海軍の演習が粛然と開始された。
護衛艦「ひさめ」の艦橋では、戦術ディスプレイが青白い光を放ち、オペレーターたちのタッチパネルの操作がほとんど無音のままリズムを刻む。
「対艦ミサイル演習、目標補足完了。発射準備、整いました」
射撃管制士官の声が、暗号化された通信リンク越しに響く。
「照準確認、レンジ・ファインダー同期完了」
電子戦オペレーターが、ヘッドセットに映るデータを確認しながら報告する。
「目標、廃棄貨物船。距離12000m、方位163、捕捉安定!」
航海士が遠望スコープを覗き、海の彼方で揺れる廃船のシルエットを捉える。錆びついた外板と崩れかけた甲板構造、
腐食で剥がれた白塗りの船体が、起伏のない波間に、孤独に浮かんでいる。
「発射許可を要請」
射撃管制士官が、艦長のコウロキ大佐に視線を向ける。
「許可する。第1射、発射!」
コウロキ艦長の声は、低く断定的だった。重いスイッチが切り替わり、甲板の垂直発射システム(VLS)から対艦ミサイルが咆哮を上げ、白煙を噴きながら曇天を裂く。艦橋に振動が響き、装甲壁が軋んだ。
「誘導追尾中。目標接近、残距離1,000m……500……!」
レーダースクリーンのマーカーが点滅し、隊員たちの呼吸が一瞬止まる。次の瞬間、遠くの廃船の甲板に火花が立ち、爆風が、腐食した鉄板を吹き飛ばす。
黒煙と炎が薄い霧ににじんだ。
「……命中確認!目標破壊!」
艦橋に安堵の吐息がみじかく漏れた。ディスプレイには、廃船の残骸が炎に包まれ、音もなく海底へ沈む映像が映し出されている。
だが、そんな成功の余韻もすぐに消えた。
「第2射、目標補足!発射準備完了!」
射撃管制士官の声が、緊張感をこの艦橋に引き戻したからである。
「発射!」
再びミサイルが甲板を蹴り、白煙の尾を引いて霧を突き進む。友軍艦「たかなみ」「いかづち」などからも同時射撃が行われ、
複数のミサイルの軌跡が曇天に交錯する。海面を滑る艦影が、隊形を維持しながら進む中、晴れ切らない空は白熱の光で一瞬染まる。
「落下物、着水確認!全弾命中!」
通信士官の報告に、艦橋の照明がわずかに明るさを増す。隊員たちの表情に、達成感が一瞬だけ宿る。
モニターには、廃船の残骸が黒煙を上げながら崩れ落ちる映像が繰り返し再生される。
「……全艦、つづけて第3射撃フェーズを実行せよ!」
しらぬいのCIC(戦闘情報中枢)から発せられるフクダ准将の熱い指令が、暗号化された通信網に脈々と浸透していく。各艦の垂直発射システムがまた作動し、
ミサイルが目標座標にロック。 J-TDL-40(J戦術リンク40)が僚艦とデータを同期し、新しい廃棄貨物船を捕捉した。
「射撃諸元入力済!発射準備完了!」
ひさめでは射撃管制士官が戦術卓でコウロキ大佐にそう報告する。
「発射許可!」
大佐は断言し、VLSが唸る。ミサイルが閃光を放ち、薄雲を突き抜け目標へ急行する。ホロディスプレイにもまもなくその軌道が反映され、
CICに昂揚が満ちる。
その刹那――、
「……レーダー探知!高空より未確認航空機、急速接近!」
電子戦オペレーターの急な叫びが艦橋を端から端まで駆け抜けた。
「IFF応答なし!識別不明、敵味方不明!」
別の隊員が、ホロディスプレイに映る異常な機影を指差す。
「スクリーンに投影しろ!」
しらぬいでは、准将の命令が、にわかに沸き起こった切迫感の中で響く。
メインディスプレイに、薄霧の帳を抜けて迫る異質な影が浮かび上がる。光学迷彩の揺らぎを纏ったその機体は、もったいぶるかのように、その姿を
徐々にあらわにする。
新幹線のような流線型の胴体に、本来は全翼機に与えられる非常に大きな翼――通常の航空機とはかなり異なる巨大な機影が曇天を引き裂いて低空に突入してくる。
その推進音は通常のジェットエンジンとは異なり、甲高い金属音が艦隊上空に不穏な余韻を残している。
「全艦、対空警戒態勢! CIWSをスタンバイ!」
ひさめではコウロキ艦長の即断で艦橋の空気が張り詰めた。
隊員たちがコンソールに手を走らせ、近接防御システムのレーダーが高速回転を始める。霧の向こうで、未確認機の赤い航行灯が不気味に点滅していた。
「全艦、演習行動中止! 戦闘配備に移行!」
しらぬいのCICより、艦隊司令官の命令が全艦に伝達される。戦術ディスプレイが警戒色に染まり、警報音が艦内に鳴り響く。
隊員たちの呼吸が硬く止まった。
霧の層を貫いて、黒光りする未確認機がついに艦隊の頭上へと現れる。
機体の下部が発光をはじめれば、高エネルギーのレーザーが艦隊の広範囲に向けて放射線状に投げかけられた。
艦隊の広範囲を一気に網羅するその光線は、演習の第3波としてすでに発射されていた数多のSSM(対艦ミサイル)を、
雲間から差し込む光のように柔らかでありながら、方向を大きく転換するサーチライトのように素早く、一瞬のうちに撫でていく。
ミサイルに意識があったとしても、その光に触れられた感覚を彼らは知覚しなかっただろう。
温度さえ持たぬ光が、音もなく飛翔体の輪郭をかすめ取る――そうした、無垢な接触の中には、
この場の誰もが予想だにしなかった深遠な意味が込められていた……。
「ミサイル、軌道異常!」
射撃管制士官の絶叫が艦橋を貫く。レーダースクリーン上で、ミサイルのマーカーが次々に進路を逸らしたのだ。本来、
大型の廃棄貨物船へ向かうはずの弾頭は、空中で無理やり旋回させられ、演習区域のはるか北側――霧の彼方にひそむ北朝鮮艦隊の集結海域へ猛然と加速する。
「弾頭、制御不能! 目標が北朝鮮艦隊に変更されています!」
電子戦オペレーターがヘッドセット越しに絶叫する。艦のホロディスプレイには、ミサイル群のシルエットが、
識別上は「味方」に分類される北朝鮮艦隊のアイコンへと突進していく光景が映し出された。隊員たちの顔に戦慄が走る。
「……お、オープン回線で緊急回避を要請しろぉ!」
コウロキ艦長の怒号がひさめの艦橋に轟くが、言葉は途切れる。次の瞬間、水平線の奥で複数の爆発が炸裂した。
霧を突き破る閃光と轟音が重なり、にごった波頭に黒煙と炎の柱が次々と立ちのぼる。
「……北の艦隊、被弾確認!」
通信士官の声が震える。モニターには、北朝鮮艦艇の甲板が炎に包まれ、爆風で鉄骨がねじ曲がる映像が映る。
艦橋内の空気が、恐怖と動揺で一気に重くなる。この日本海の上で、誰もが侵してはならぬと考えていた一線が、あっさりと踏み越えられたのだった。
悪魔じみた黒色の未確認機は、任務を終えたかのように音もなく旋回し、鮮烈な光跡を残して霧の彼方へ消える。
その背後で、水平線に新たな脅威が迫っていた――北朝鮮の反撃だ。
「レーダー探知! 複数目標、超低空で接近!」
電子戦オペレーターが叫ぶ。ホロスクリーンに、対艦ミサイルに混じった北朝鮮の新兵器――自律起動型のパンジャンドラムが映し出される。
専用砲で高々と打ち上げられたタイヤ状の巨大な機体は、通常の戦術ドローンとは根本的に異なる攻撃機構を持つ。
敵目標を、バイクのチェーンを無限に巻き重ねたような強化装甲の外殻で直接的に粉砕するのだ。
装甲を赤熱させながら異常な速度で自転するその姿は、制御不能の破壊兵器そのもので、従来の軍事技術を凌駕する禍々しいエネルギーを放っていた。
「敵ドローン、艦隊直上! CIWS、集中射撃!」
コウロキ艦長が咆哮し、CIWS(近接防御システム)のファランクスが火を噴く。無数の曳光弾が霧を切り裂き、パンジャンドラムの装甲に火花の嵐を巻き起こす。
しかし弾丸はナノ装甲の表面を滑るばかりで、内部への貫通は許されない。ドローンは甲板に着弾した瞬間、
跳ね上がりながら本格的な高速回転を開始し――車輪状の外殻が、艦の鉄板を縦横無尽に食い荒らしていく。
「回避! 全員、衝撃に備えろ!」
隊員の叫び声が響く中、ひさめの甲板もまた、パンジャンドラムの着弾を許している。
赤熱した車輪が砲塔基部に激突――溶断音と共に金属片が飛散する。火花と煙が甲板を覆い、艦橋方向へ真紅の渦が迫った。艦体が傾き、装甲側面から火炎が噴出する。
「前部甲板、炎上! 消火班、急げ!」
通信士官が絶叫し、対空砲の咆哮が海面に響いた。巨大なドローンは執拗に甲板を這い回り、
電磁砲塔やレーダーアレイを次々に粉砕。艦隊の戦闘能力が刻一刻と削がれていく。
「全砲門、応射開始! 射撃諸元を再入力!」
苦悶するように各艦が独自の回避行動を始めた艦隊に、フクダ司令の命令が一斉に響いた。
反撃の嚆矢として「しらぬい」の電磁砲が霧を揺るがせ、曳光弾とミサイルが北朝鮮艦隊へ向けて矢のように放たれる。
無線には北方からの悲鳴と、両軍艦隊の緊急通信が乱れ飛んだ。
――海域の秩序は、いつしか完全に崩壊していた。両軍の艦隊は、互いのレールガンが直撃し合う至近距離まで接近し、
青紫色の着弾が甲板のあちこちで炸裂するたび、分厚い黒煙が幾重にも立ち昇る。
曳光弾が赤い筋を引いて薄灰色の空を駆け抜け、爆発の閃光が一瞬ごとに新しい影と輪郭を浮かび上がらせた。
海面は炎と油で濁り、激しい揺れと衝撃波で波頭が歪み続ける。
F-51C戦闘機は、生来のステルス性能を放棄してスクランブル発進し、
直後から敵機との苛烈なドッグファイトに突入する。艦橋上空では緊急発進したヘリコプターが垂直に舞い上がり、
甲板上では他のジェット機もエンジンの咆哮を響かせて跳躍した。
見上げる空には、すでに複数の戦闘機が目まぐるしく旋回し、互いの後尾を狙い合っている。
ミサイルとフレアが絡み合うように火花を散らしながら、混沌とした戦場の空を鮮烈に彩っていた。
それからしばらくして、遙か高空からひとつの影が、この燃えさかる海の只中へ滑り込んでくる。
ティルトローター型のヘリ――防衛省の特務機が、水平線の彼方から一直線に現れたのだ。
海上では、今もなお砲撃の閃光と黒煙が重なり合い、波間を炎が走っている。
機体側部のスライドドアが開かれると、こうした修羅場には不釣り合いなほど若い4人の少女たちの姿が現れ、
轟音と突風の中、その地獄図を見下ろすことになった。
「おい、なんでもう戦いが始まってる? 何の時短レシピだよ!」
アシュリーが手すりをしっかりと掴みながら、戦場の混乱も構わず声を張り上げる。
「……シャカゾンビに違いないよ!」
おせちが、息を詰めて叫んだ。
「すみません、この機の武装ではこれ以上は――!!」
パイロットの悲鳴が、エンジンの轟きとともに胴体部を駆け抜ける。
「あっ、ありがとうございました!!ここで構いません!海面につけてください!」
回転翼が巻き上げる強風に髪とスカートが激しくはためく中、おせちは操縦席へ向けて大きな声を投げ返した。
そう――ここでの彼女は、裾を引くピンクのスクールカーディガンに目出しのハチマキという、「イムノ」としての正装をしていたのである。
「わかりましたっ……幸運を!」
パイロットの言葉とともに、キャビン全体が急降下のGでわずかにきしむ。
ヘリが、波間のギリギリまで降下しつつ機体を思い切り180度ドリフトさせれば、
吹き上がる飛沫が、ドアの内側にまで容赦なく押し寄せてくる。
「私はシャカゾンビをなんとか追い詰める!アシュリーはミサイルの処理を最優先にしながら私を手伝って、はちるとさなは潜水艦を探して制圧!」
おせちの力強い指示出しがはじまり、
「よし。世界にホットな愛を振りまいてやろう」
アシュリーは取っ手を握ったまま、炎のような輝きを身にまとい始める。
全身に熱が集まり、体の輪郭が揺れるように赤く光る。
「んにゃっ!」
「わかった!」
背後で、はちるとさなが身軽に準備を整えていく。いま彼女たちが、ふたりして縁に手をかけて、
貨物扉の近くまで導こうとしているのは1隻のパトロールボートだ。
「このボートははちるたちが使って、アシュリー!先に適当な船まで乗せてって、私のボートはそこで確保する!」
「ああ!」
……即席の作戦会議もそこそこに、ヘリの貨物扉が豪快に開かれた。
外気の一撃が4人を打ち、旋回中だった機体は荒波立つ海面へと完全にタッチダウンする。砲撃の轟音と白波が織りなす飛沫の中、
4人は風圧と地鳴りのような機体の震動を意に介さず、電光石火でボートの降下準備に取りかかった。
「……ハハハ!最高のところに来たではないか、オールラウンダー!これが吾輩のぜひとも貴様に見せたかった景色だ……」
戦場の上空、斜めに傾いた巨大な航空機のコックピットでは、シャカゾンビが鋭い眼光を眼下に注いでいた。
機体は光学迷彩を解除すると、海域に侵入したヘリめがけて急加速する。
その降下中に連射されたミサイル群は、途中で航跡を激変させ、スタートダッシュを切る短距離選手さながら海面すれすれを疾走した。
そして、彼の機体までが水面を平行に滑り始めるやいなや、中央部のガンポッドから放たれた20mm弾が曳光弾の嵐を巻き起こし、
戦場に華やかな軌跡を描いた。
「あっ!」
ヘリの後部スロープに立っていたミーティスの札が、瞬時に前方へと弓状に展開される。
それは古代ローマ兵が四角い盾で築くテストゥド陣形を、たった1人で構築したかのような光景にも見え、
降り注ぐ弾丸と爆発は、その霊的な"障壁"の上でことごとく炸裂した。
非常に広く、そして半円状に張り出した機体の風防越し――複雑なインパネの計器群に囲まれ、片手で操縦桿を手繰る
シャカゾンビの顔には、防がれることを見越して、あえて見舞った”挨拶が”、
「……まさか、来たのはヤツの娘だけなのかっ!?」
予想だにしなかった方法で片付けられてしまったことへの驚きがありありと浮かんでいた。
束の間の邂逅――その刹那の隙に、彼の航空機は慣性のままティルトローター機の真上すれすれを掠めて飛び、
ヘリコプターや4人の少女たちを揺さぶる激しい風圧と飛沫を巻き起こしながら、その一団を、圧倒的なスピードと存在感で追い越していった。
「作戦変更、アシュリーはシャカゾンビを追って!あの機体にミサイルの軌道を捻じ曲げる兵器が積まれてるなら、
邪魔さえし続けてれば、少なくとも潜水艦の核ミサイルまでは手が回らない!」
イムノが、風から顔をかばっていた腕を素早く伸ばし、航空機の去った方角を指差して指示を飛ばす。
「……ああ!」
指先まですっかり炎に染まりきったホットショットは、体に最高の初速をかけることで、艦砲の発射などよりもよほど派手にヘリから離陸した。
烈火の残像を引きながら一気に高空までのぼりつめ、そのままの勢いでシャカゾンビの航空機の背後まで肉薄する。
しかし、乱流のような風圧を切り裂きながら機尾に迫った瞬間、信じ難い光景が彼女の視界に立ち現れた――。
「お前……消えるのか!?」
彼方で、灰色の巨大機体が光学迷彩を起動させたのである。大様だった輪郭が空に溶け込むように、
徐々に曖昧な陰影へと変化していく。
「なるほど、あの赤毛の娘……ヒヒッ!能力は報告通りだな!」
シャカゾンビはモニター越しに状況を冷静に分析し、口元に不敵な笑みを刻んだ。
対するホットショットも口角を上げ、次の瞬間には、ここまでの激烈な追い上げさえ、まるで余裕の徐行だったかのように
みせる、そんな、常識を凌駕するほどの異様な加速で、一気に間合いを詰めていく。
これほど冴えない色の空に描かれると、かえって悪目立ちするひと筋の炎の軌跡が、
透明になりかけた機体の斜め上方へと高く舞い上がっていった。
「おいそこのお前!透明人間ごっこをやる時は、相手が赤外線カメラを持ってるかどうか確認した方がいいぞ!」
刹那、突き出した彼女の左掌から細かな火先がほとばしり、その頂点から、集束されたオレンジ色の線が出で、まっすぐに虚空を貫いた。
それはまぎれもなくレーザー――秒速30万kmで標的を捕捉し、焼き尽くす光そのものだった。
「正の質量」をもつおよそあらゆる存在は、これの追尾から逃れる手段を持たない。
「一瞬」という言葉では到底表現し得ない――人間の認知能力すら凌駕する速度で、尾翼まで透明化しかけた巨大な機体へと、
ホットショットのビームが、絶対的な正確さで投射される。大小の2者が超音速で空を並走する間、消失しゆく機影に抗うかのように、
灼熱の波紋は、機体のたった1点を揺るがせることなく穿ち続けた。
単純で強引なこの一撃が、カメラや眼球といった、およそすべての光学センサーにとって最大の障害となるステルスシステム――
それが、装甲に施していく欺瞞を、あっさりと阻害してしまうことに気が付いたシャカゾンビは
「……小癪な!」
コントロールパネルの上に激しく指を走らせ、機体の側面からレーザー妨害用のスモーク弾を次々と射出した。
遠くまで飛んだ円筒状の弾体が、炸裂とともに濃密な煙幕を空中に展開する。
その軌跡は、巨大な鳥をかたどる地上絵が、一瞬にして空間に描き上げられるかのようで、
白と灰色の層が複雑に折り重なり、
「なんだっ!?」
ホットショットの視界と攻撃を完全に断ち切ってしまう。
「……へぇ、いいな!でもそれ、あと何発打てる計算でやってるんだ?無駄な抵抗だぞ?!飛ぶだってこっちの方がずっと速いのに!」
攻撃を遮断されたことを敵の怯えと解釈したホットショットは、ためらいなく、渦巻く煙壁へと真正面から突入した。
濃密なスモークの層を切り裂き、炎に包まれた身体が、空気の白い筋を纏ってくるりとローリングしながら敵機の側面へと躍り出る。
バルカン砲の曳光弾と近接信管弾の爆発を巧みに翻弄しながら、その左手からは、小型の弾丸が連射された。
炸裂する1発毎に機体の全体が震撼し、計器類で彩られたコクピットを激烈に揺動させていく。
密雲に囲まれた2人だけの空域で、炎と衝撃波が複雑に交錯し続ける。
それに並行して、赤と白の二重螺旋の模様が空に止めどなく織り成されていく。
しかしその拮抗状態は、あたかも永遠に続くかのように思われながら、実際には、きっかけなどなくとも崩れうる脆さを内包している。
ホットショットの追撃は、煙と爆風の迷宮を突き抜けていささかの迷いもなく、シャカゾンビの機体を確実に追い詰めていったのである。
「ちっ、エネルギーシールドのリチャージが追いつかん……ならばァ!」
シャカゾンビは舌打ちをしつつ機体を操縦し、横のタッチパネルを怒涛の勢いで操作する。「ベクトル・マグネター」――ミサイルの軌道を
自在に操る、かの秘密兵器が、機内で淡い駆動音を響かせて起動した。
直後、機体後部の巨大なパラボラアンテナがギアの唸りと共に素早く回頭する。アンテナの表面には青白い光が帯状に走り、
その照射は夜空を渡るサーチライトのごとく、広範囲の海面を舐めるように掃射した。見えない手で空間そのものが撫でられ、
眼下の艦隊を瞬時に"標的"としてマーキングしていく。
その瞬間、戦場の空を飛び交っていた複数のミサイルが、不自然に進路を捻じ曲げられ、
真上へと巻き上がると、ホットショットを狙うかのような複雑な軌道を描き始めた。
「なるほど、“コイツ”が手品のタネかっ……!」
ホットショットは、空中でたえず軌道を変え続けるミサイル群に対し、
自分自身も機敏な動きで進路を切り替えながら応戦する。
蛇がのたうつかのように、でたらめに曲がりくねるミサイルを、身のこなしで巧妙に回避しつつ、1発ずつ追撃を振りほどいていく。
最後の1基が真後ろまで食らいついた瞬間、彼女は振り向きざまに片手を閃かせて火球を放ち、
炸裂する爆炎の中で攻勢を完全に遮断した。
「……ちっ!」
いそぎ下方を振り返ったホットショットが舌を打つ。
その間にもシャカゾンビの機体は、両者の間に再び距離を確保すべく、
新たなスモーク弾を展開しながら海面めがけて急降下していたのである。
「下に逃げた……。なるほどな、正面からじゃ分が悪いのがわかって、
ミサイルが無限湧きするそっちでケリつけようって気になったか。
耄碌ジジイにしては考えたもんだ……褒美に勝負に乗ってやるよ!」
ホットショットは全身に炎を装い直しながら、世界で今最も熱いこの海域へ一直線に突入していった。
ヘリの機内で短くうなずき合ってから、イムノはミーティスやスヌープキャットの乗るボートと別れ、
雷のソイルの突発的な初速を全身に帯びて、海上へと躍り出ている。
横向きにほとばしる稲妻に合わせ、まっすぐに弾け飛んだ肉体は遠く灰色の海原に着地し、
それで満足することなく、豪快な飛沫とともに次の1歩を勢いよく踏み出す。
――水面というものは、飛び込みに失敗して腹を打った経験がある者なら理解できるだろうが、
速く突入するほど鉄板のように硬質な感触で反発する。
時速108キロを維持できれば、人間が水面を走ることも理論上は可能だ。
そしてイムノは、その速度を余裕で保ちつつ、忍者のような低い姿勢で、1歩ごとの間隔の――非常に大きな跳躍を繰り返していく。
海面には白波が風紋のように刻まれ、彼女の疾走に呼応して、その景色が画面を滑るように悠然と流れていく。
そのはるか背後では、波が自然のうねりのままに静寂の中でめくれ上がっていたりもする。
そんな時、ふいに彼女の頭上で、轟音が大気を震撼させた。
見上げたイムノの顔に、
「……!?」
緊張が走る。空の一角からシャカゾンビの巨大な航空機が斜めに降下してくるのである。
しかも、事態はそれだけにとどまらず、機体からは複数のミサイルが先制攻撃として撃ち出された。
「アシュリーが……勝ちすぎたってワケか!」
イムノは即座にガンブレードを抜刀し、海面から跳躍して身をひねりながら、
ひと息に行う百発百中の狙撃でそのすべてを撃墜する。空中で爆ぜる火花と煙幕、そして水面を震撼させる轟音が、遅れて戦場を壮麗に彩った。
しかしその直後、航空機が水上で急停止し、莫大な推力を海面へと叩きつける。
一帯の波が爆発的に荒れ狂い、彼女の周囲には飛沫と渦巻く白波が乱舞のだった。
「――わっ!!」
突風に煽られたイムノは、横殴りに吹き飛ばされ、
水の上を何度も跳ねては転がり、ついには波間へと沈み込んだ。
シャカゾンビの機は、同じところに浮遊したまま大海に寸胴な影を落とし
「……まずは1人目だ! ではな!」
海面に孤立したイムノを嘲笑うように、「ベクトル・マグネター」を躍動させる。
青白い光が、彼方の艦隊の上を大雑把によぎっていった。
冷たい光が過ぎ去ったあとの光景は、まるでスクリーンを越えて押し寄せる映像の奔流そのものだった。
艦隊戦の喧騒――イムノにとってはまだ遠い、ただの戦闘の断片にすぎなかったその空域から、
ミサイル群の軌跡だけが異様な弧を描き、虚実の境界を越えて、観る者の目前へと突き抜けてくるように思われた。
シャカゾンビの機体が急激に力を宿して前方へ飛び去ると、10数発もの対艦ミサイルが、今やイムノただひとりを標的として殺到してきた。
「……やばいっ、これはまずいかも!!!」
胸から上だけを波間に出したイムノは、必死にガンブレードを構え直すものの、荒れる波と複雑な潮流に翻弄され、狙いを定めきれずにいた。
その刹那、彼女の視界全体に閃光が落ちる。
ホットショットのレーザーが左から右へと一直線に駆け抜け、周囲の海面を一瞬にして眩い光で染め上げたのだ。
それに呼応するように、イムノを追い詰めていたミサイル群も次々と爆発し、衝撃波と破片が白波の上を走って消えていく。
直後、中空で姿勢を制し直したホットショットは、波しぶきを蹴りながら滑空してイムノのもとへと迫る。
迷いなく差し伸べられたイムノの手をしっかりと掴むと、そのまま勢いよく空へと引き上げていった。
「そういえばお前、着衣泳の授業サボってたよな?」
濡れたイムノを吊り下げたまま高度を上げ、艦隊の方角へ向けて飛行するホットショットが、からかうように軽やかな声をかける。
「泳ぎは苦手なの!……ボートを拾うから、適当な船まで運んで!」
「兵器があの飛行機から出てるのは見たな?アイツ、ここで戦う気らしいぞ?」
「うん、それはおおむね私の読み通り。アシュリーの追跡を嫌がって、ここで決着をつけるつもりだって――そこまではわかってた」
「ヒューッ!カッコイー!」
失態を晒した直後であるにもかかわらず、得意げに戦況を分析するイムノを、ホットショットは冗談めかして持ち上げる。
その明るい笑い声が、燃えさかる戦場の海域に一瞬だけ平和な光を投げかけた。
姉妹とのドッキング飛行で戦場の中枢に突入したホットショットは、
「……あそこにして!」
「いいぞ!」
標的となる艦をひとつ見定め、火花と爆煙の渦巻く甲板めがけて大きく放物線を描いて降下していく。
甲板の上では、爆発の余波で鉄板がたわみ、黒煙が渦巻いていた。
その間にも背景では、艦砲の咆哮とミサイルの発射が絶え間なく繰り返され、至る所で爆発が巻き起こる。黒煙は途切れることなく空へ立ちのぼり、
甲板も海面も、濁流と閃光に塗りつぶされている。
「……よし、では存分に社会奉仕に励んでくれたまえ!」
イムノは、ホットショットの昇り調子な飛行から、なかば放り出されるように勢いよく甲板へと着地する。数10mの距離があった長い滞空ののち、
地面を転がりながらも動きを止めることなく、身を翻して素早く立ち上がった。
その刹那、耳をつんざく轟音がした。視界の先、黒光りするドローン・パンジャンドラムが狂ったように甲板を暴れ回り、
鋼鉄の車輪が火花を撒き散らしながら、逃げ遅れた兵士たちのもとへ不規則な軌跡で迫っていたのである。
「どいて――!」
イムノは、身をひねっての飛び込みのまま、ガンブレードを高く振り上げ、
甲板まで断つ勢いでそれを一気に浴びせかける。銀の剣光がドローンを両断し、その切断面を潜り抜けてイムノが鮮やかに着地を決める。
直後、断面からは複雑に組み込まれた内部の回路が一瞬のきらめきを放ち、分断された本体は甲板を何度も跳ねながら転がり、やがて壁際で力尽きて、
煙を吐き上げながら完全に動きを止めた。
ついには壁際で力尽き、煙を噴き上げて、完全に動きを止める――。激しい戦場の喧騒の中、静寂がすこしの間訪れた。
「早く!ここから離れて!」
学生服の剣士の叫びに、はっとした兵士たちは次々と船内へ駆け戻る。
彼女はみじかく息を整え、あたりを見回した。
……軍艦の1隻の船首から船尾までを舐めるようにカメラが低空を滑っていく。
爆炎と煙が立つ甲板から艦橋、そして船体の端までがひと繋ぎに流れていくその映像は――
ふいに画面が切り替わり、船内の暗がりになる。格納庫の開かれていく扉の隙間から差し込む眩い外光、
その場所ではイムノが、手早くボートのラッチを外し、次の瞬間には、光の中へ滑り出した。
一転して、視点は波間を跳ねるエンジンボート上に移り、それに乗ったイムノのシルエットが新たな戦場へと滑り出していく。
カメラが低空を這うように滑走し、 軍艦1隻の船首から船尾まで――つまり、爆炎と黒煙に包まれた甲板から艦橋、
さらに船体の端までをひと続きに映し出していく。
やがて画面は一転し、船内の暗い格納庫へと切り替わる。開きかけた扉の隙間からさしこむ外光――その中で、
イムノが手際よくボートのラッチを外し、次の瞬間、白い閃光のように軍艦の船尾からその姿を滑らせた。
我々の視点はそのまま、エンジンボートを駆るイムノに織り重なり、波間を跳ねる艇と共に、新たな戦場の只中へと飛び出していく。
ボートのエンジン音が唸り、白い飛沫が弧を描く。無情な海面の色、昼の光をうっすらとしか透かさぬ遠くの空。
そうした風景を基盤とする彼女の視界を賑やかすのは、いたるところで戦いを続ける傷ついた艦影の群れだった。
イムノの乗るボートは、ミサイル護衛艦が林立する、海上の「ビル街」を縫うように疾走していく。
今まさに彼女が抜けようとしていたのは、2隻の同型艦がほとんど間隔を空けずに並んだところだ。
巨大な艦影が両脇に迫って、幅は20mか30mほどしかないこんな縦長の水路にも、爆煙と白波が次々と立ち上がり、
弾ける壁となって小舟の行く手を遮る。
そうした難所を、半ばまで踏破したその瞬間、北朝鮮側から発射されたミサイルがついに左側の護衛艦を直撃した。
炎煙が斜めに吹き上がった反動で、巨大な艦体が轟音とともに軋みながらバランスを崩していく。
傾きはじわじわと進み、艦橋の上部からデッキ全体が海面側へ倒れ込み始めた。
「あわっ――」
海面が大きくうねる。
「………!!!」
ひとつの巨大構造が転覆していく壮観な光景の中、あたりの海面はうねりと渦で劇的に姿を変える。
ボートは一瞬、波に呑まれそうになるが、イムノは、飛沫をさらに高く上げて加速する最中必死にハンドルを手繰り、
揺れにあらがって航路を立て直した。
そんな時、高らかな音に引き寄せられてふと見上げた頭上では、
燃えさかる空を突き抜けてシングルローター型のヘリが逃走を図っていた。
直後ろには敵の戦闘機が、ひとつの視野に入りきるほどの至近距離まで肉薄し、
ゼロ距離からミサイルを発射する。ヘリのパイロットが海に身を投げ出して緊急脱出した瞬間、
機体は爆発の閃光に包まれ、くの字に折れ曲がりながら海面へと吹き飛んでいった。
そうこうしているうちに、
「……2個洩らした!おせち!ミサイルが来るぞ!」
上空からホットショットの痛烈な叫びが響き渡る。
数秒もしないうちに、予告どおり2発のミサイルが音速で海面へ突き刺さり、右、左の順で起こった特大の爆発が相次いで水柱を上げる。
だがイムノのボートは、ハンドルを絶妙に切り返し、大胆な蛇行運転でこの難所もぎりぎりのところで突き抜ける。
だが安堵も束の間、今度は北の巡視艇が横合いに迫っていた。
向こうの乗組員が驚愕の顔を見せるや否や、少女のことを敵と判断したのか、ライフルや機銃が一斉に構えられた。
「……もう!!次からつぎへと来るんだから!」
休む暇もなく、イムノは片手でガンブレードを構え、撃ち込まれた弾丸を巧みに弾き返す。
リロードの隙間を縫うようにして、狙い澄ました1発を撃ち返せば、それが艇に積まれていた機雷を直撃。
爆発が船尾を吹き飛ばすと、乗員たちは慌てて海へ飛び込む。巡視艇全体が轟音とともに爆炎に包まれて四散した。
時おり、マグネターの起動にあわせて姿を現すシャカゾンビの機を追いかけつつ、
イムノはこの、容赦なき混戦地帯をひたすら突き進んでいく。
動く船も、朽ち果てた船も、区別なくミサイルが降り注ぎ、
左右の視界には炎と煙の“頭でっかち”な柱がひっきりなしに立ち上る。
海面は一面、白波と黒煙に覆われていた。
遠くの空では新たなミサイルの編隊が空を切り裂き、
対する日本の艦隊からも、複数の弾頭が煙の放物線を引き連れてかわるがわる立ち上る。
どれだけ視線を巡らせても、爆発、応射、煙、灰色の角ばった軍艦の輪郭――
そのどれひとつとして、視界から5秒以上のあいだ消えることはなかった。
ひとりの少女を取り巻く世界は今、混沌の極みに達していた。
………………。
「……まさか実戦ではじめて動かす飛行機が北朝鮮のになるなんて……!こんなの思ってもみなかったよ!
でもやっぱりちょっと……人の物を盗るのってウチ気が引けるナァ――」
……スヌープキャットが操縦桿を巧みに操り、日本軍との乱戦に乗じて奪い取った北のジェットを、荒れる海上すれすれに滑らせる。銀色の機体には、キャノピーのすぐ外に赤く大きな星章――北朝鮮機特有のマーキングが鮮々と浮かび上がっていた。
「今さらでしょ!後でちゃんと返せばいいんだよ!」
ミーティスは相方の緊張を解きほぐすように笑い、後席から軽快に応じる。
彼女たちにとって戦場の爆炎と喧騒は遠くに置き去りにしてきた幻影であり、
そのかわりに、機体の振動とジェットエンジンの唸りが、戦闘の核心に2人を引き留め続けている。
コクピットのコンソールには、暗号化された文字列が淡く点滅していた。
その通信履歴には、『KILO-7、状況確認。出港座標を再送せよ』『了解、現在座標は××―××』と、北側の符丁を
駆使した短いやりとりが何度か交差する。
潜水艦からかすかに発信されたESM信号、戦術データリンクを介した偽の質疑応答、そして断片的に連なる幾重もの情報――それらすべてが織りなす証拠の糸が、暗号「KILO-7」の座標がこの海域に位置することを高らかに謡っていた。
「……でも日本軍との戦いが始まったら、いそいで港を出るだろうっていうウチの予想は大当たりだったね!
友軍として現在地を把握しておきたいって通信飛ばしたら、潜水艦すぐ現在地を教えてくれたんだもん!」
スヌープキャットが意気揚々と報告すると、後部座席のミーティスが首をかしげて問い返す。
「でもさ、通信の『符丁』――?とかはどうやってわかったの?あるんでしょそういうの」
問いに、獣人の少女は得意げな笑みを浮かべて指をひと振り。
「……いいかいさなくん!大事なのはね、普段から知識を集めておくことなんだよ!」
「なるほど、せんせぇしゅんごーい!」
その即答に、ことに幼児がかった声を出したミーティスは、目を丸くして拍手を送った。
「よし来た!ここまでのやり取りから考えると大体このあたりの海域だね。……もーさっそく取り掛かってもよさそ!」
「……おっけまーる!」
さなきだに低空を飛んでいた哨戒機は、まるで空気の滑り台を下りるようにしていよいよ波間にアプローチする。
機体が水面にタッチダウンすると、波濤はその衝撃を柔らかに受け止め、きらめく飛沫を帯びて両側へ大きく押し流された。
キャノピーが跳ね上がり、外気がなだれ込む。ミーティスは身を乗り出すと、両手で包み込んだ符――それ自体の力で不可思議に
自立する1枚の符を高く掲げ、空へ自然に解き放った。打ち上げ花火の星のように空中をくねり続けたその札は、ある時急角度でUターンし、「ちゃぷん……!」というとても静かな音とともに海中へと突入していく。
ミーティスの五感をそっくり受け止めて、孤独な潜航を始めた霊札――「耳目符」は、
オタマジャクシよりも激しく身をくねらせながら、どんな小魚よりも速やかに、暗い水中をすり抜けていく。
札は「耳目」の名を負うが反映される感覚はそれだけにとどまらず、周囲の水の流れ、潜水艦がかき分ける圧力、
微細なソナー音波にまで全神経が研ぎ澄まされると、その情報までがミーティスの意識中枢にダイレクトに流れ込む。
――その刹那、ミーティスの意識は水面下の異物に突き当たる。
「……いた!」
風が吹きすさぶ操縦席で、白髪のかわいい道士がぱっと目を見開き、息を呑んだ。
「どこぉ!?」
スヌープキャットは、戦闘機の縁に足をかけ、身を乗り出している。片手を離せば、即座に水へと身を投げ出す体勢だ。
「……あっち!」
耳目符から感覚が鮮烈に逆流するのを合図に、ミーティスが示した先――
姉妹は呼吸を合わせてキャノピーをまたぎ、ためらいなく海中へと身を投じた。
身体が水面を割った瞬間、世界の色が変わる。光は急激に蒼さを増し、すべての音が遠のく。
まるで別次元に落ちたかのように、波のざわめきと共に視界が静謐に染め変わる。
深度を増すごとに景色は青黒く沈み――そこには、忌まわしいまでの膨らみを帯びた黒い潜水艦の姿が、まるで海底の影そのもののように横たわっていた。
ふたりの個性的なシルエットは泡の尾を引き、鋼鉄の闇に向かって音もなく近づいていく……。
彼女たちはいずれも超人であるだけに、潜水力も常人の域をはるかに超えていた。だが、広大な深海を背景にすると、
その泳ぎでさえ退屈なほど進みの遅いバタ足にしか映らない。
口元から1筋ずつ泡を吐き出しながら、ふたりは今も横へと推進し続ける全長150mの巨大な影――すなわち北の原子力潜水艦へと、
静かに、静かに相対速度を合わせながら幅を寄せる。……やがて上部の構造物へ確実に取りついた。
スヌープキャットが、ハッチとはまるで無関係な装甲板に鉄拳を叩き込み、
真下に大穴を開ける。大量の海水が流れ込み、破れた鋼鉄の隙間から彼女は船内の狭い通路に着地した。
それから1拍置けば、激流に押し流されながらミーティスも同じところに舞い降りる。
ミーティスは塩水の滝を鬱陶しがって小走りで抜け出し、素早く札を取り出すと、紙片を湯気のように優雅に立ち上らせて流入口に貼り付けた。
すると、たちまち水の流れは収まり、通路には静けさが戻る。
静かな機械音が支配する潜水艦の通路。壁面にはぶ厚い灰色の鉄板が隙間なく連なり、
天井の配管と計器の数々がむき出しのまま光を反射する。足元では金属のグレーチングがわずかに軋み、
冷たい空気が空調ダクトの奥から絶えず流れてくる……。
「えっ――」
巡回中の兵士は、突如目の前に現れた異様な光景に、ライフルを構えることも忘れて目を見開いた。その一瞬の隙を突き、スヌープキャットは床を蹴って間合いを詰める。反射的に手首をひねると、軽やかな裏拳を横なぐりに放った。
加減がなければ、戦車をアルミ缶のように潰す一撃である。
兵士の体は無抵抗に突き飛ばされ、壁に強く背中を打ちつけてから、糸の切れた人形のごとく床に崩れ落ちた。次の瞬間にはすでに意識を手放し、静寂がその場を包む。
「……いこ、なるべくケガさせないようにね!」
後ろを振り向いて、スヌープキャットが声をかけると
「わかってる!乱暴はダメ!」
ミーティスは、赤ん坊っぽい声質なりにはっきりとした返事を残し、すばやく札を指の間に挟み込む。
その細い手にスナップが効き、優美な指先までが毅然として前へと放たれる――そうした、ちょっとした手振りからは信じがたいほど膨大な札が、まるで奔流のごとく宙を一気に駆け出した。
浮遊するキョンシーのごとき娘が、時速数10kmの速さで解き放った呪符の群れは、
目を見張るほどの勢いでグレーチングの長い通路を吹き抜けていく。札の塊は空気をざわつかせながら、
部屋を見るごとにそのがさついた流れを鮮やかに分かち、ドアの隙間や換気口、ハッチの合わせ目まで、水を得た魚のようにびらびらと身をくねらせて船内の奥深くにまで浸透していく。
彼らの飛翔は常に地形の要求と共にある。廊下が直角に曲がっていればその角に沿って鋭く進路を変え、
個室に椅子や棚が置かれていれば、その四角い突き出しを確実になぞりながら進行する。
室内のあらゆる規矩に沿って規律よく身をくねらせ、すばやく空間を駆け抜け、すべてが共通の終着点――人間の生命力だけを目指した。
警報が鳴り響き、赤い警戒灯が断続的に明滅し始めた狭い船内。兵士たちは上官の怒号めいた号令に従い、
ライフルを手にしようとしたが、その瞬間、ミーティスの札が大挙して彼らの口元に踊りかかった。
札が鼻と口をぴしゃりと叩き、突如として呼吸の力が奪われる。兵士たちはあわてて銃を放り出し、必死にもがきながら札を剥がそうとするが、紙はまるで肉体の一部と化したかのように決して離れず、むしろ吸いつく力を強めていく。ミサイルの爆風すら遮るその力場に、人間の指先が抗う術はなかった。
息が続かず、意識が遠ざかっていく中で、兵士たちの顔が苦悶に染まり、ひたすら真っ赤になっていく。肺に空気を満たすことのできない辛さのまま、彼らは床に倒れ伏し、それぞれが、極めて個人的な――「死の感覚」との格闘に集中していった。
狭い艦内には、床を爪で引っかく音と、うめき声がだけ響きわたる。それはじつにむしむしとした絶望の感覚で、
中には、激しくエビ反りになってまで、「この宇宙を継続的に観測する権利」を保とうと必死にもがく者もいたが、
やがて誰1人として例外なく、目を見開いたまま、その場で悔しそうに失神していった。
ミーティスの札がもつ第2の能力――「生命力の注入」によって「失神」の時点で止めるという1点を除けば、
即効性の毒ガスを撒くのと見た目の上でほとんど変わらぬ、執拗な制圧がひとつの区画で淡々と実行された。
人の怒声も銃声も、今となっては響かないが、倒れ伏した者の数はあまりにも多い。
そんな煩雑な通路をスヌープキャットは小走りで進み、段差の手すりも軽やかに飛び越える。
「さな、隔壁の向こうにまだ結構いるよ!」
小さなガラス枠越しに向こうの様子を確かめながら、すぐ後ろの相方にそう声をかけた。
「うん!」
ミーティスは1拍も置かず、札をダーツのように放つ。
呪符は一直線に飛び、着弾と同時に密室の扉を激しく爆ぜさせる。
その焼けた大きな穴からまた大量の札がうごめきながら溢れ出し、
「……うっ!」
「なんだ、今の音……」
「何かが飛んでるぞ!見えるか!?」
「――たすけ、っ……!」
扉の先で、数発の銃声と怒号、そして喉を詰まらせるような悲鳴が断続的に漏れ聞こえる。
だが、それもほんのひととき。やがて一帯を支配したのは――先ほどと同じ、誰もが床に崩れ落ちる、寂然たる制圧の光景だった。
ミーティスは船内の表示板を手早く確認し、
「制御室、こっち!」
と、この無慈悲な制圧作戦の実行者とは思えぬほど愛らしい声で指示を出す。
「いこいこ!」
するとスヌープキャットもまた、銃声や警報が鳴り響く鉄の密室にいながら、
まるで街角で友達に呼ばれた10代の少女そのままの声で応じ、足取り軽やかに駆け出した。
やがて2人は、艦の最深部にある制御室へとたどり着く。
同様の手順で打ち破った扉から、ミーティスが呪符の群れを注ぎ込む。
やがて静けさが訪れたのを確かめ、2人はゆっくりと中へ足を踏み入れた。
「全員、無力化完了!」
スヌープキャットが小さくガッツポーズを見せ、
ミーティスも「……やった!」と微笑む。
異能の姉妹は、床に濡れた足跡を残しながら、
敵に1人の犠牲者も出すことなく、そしてみずからも無傷のまま潜水艦の制圧を成し遂げたのだった。
……同時刻。
いちど、上空から戦場全体を俯瞰することにしたホットショットは、
急降下を決断して光の残像を纏い、無数の艦橋の間をくねりながら旋回する。
そのたび、光速のビームを矢継ぎ早に放ち、発射されるミサイルも、北の方から迫るミサイルも、すべて空中で的確に撃ち抜いて粉砕していく。
するとその瞬間――空間を欺いていたシャカゾンビ機の光学迷彩が、彼女の目の前でいきなり弾けた。
急なターンとともに機体が進路を変え、かの機体はホットショットめがけて扁平なノーズコーンを傲然と突きつける。
同時に、水面に差す陽光のような線状の光――ベクトル・マグネターの放射が空を奔り、
その光に絡め取られたミサイル群の軌道が、次々と不規則にねじ曲げられていった。
だが、本来はロイ・キーン並みの闘争心を秘めているホットショットである。普段使いの人格としての――冷静で皮肉屋な自分、
それを極限まで抑えた今、彼女の目に恐れの色は微塵もなかった。
むしろ、もっとも原始的な自分の"かたち"――パーソナルカラーと能力と、応援するフットボールのクラブ、
その色合いと、まったく同じクオリアを持つ本来の自分をさらけ出した彼女の口元には、まるで焼けつく鉄のごとく獰猛な笑みが浮かんでいた。
「……ガキの使いだと思ってんのかぁ!?ビームもシールドも、そっちの手品は全部見切ってんだぞ!」
そう不良の因縁めいた叫びをぶつけるや否や、ロイ・キーンが
アルフ・インゲ・ハーランド(アーリング・ハーランドの父)を引退に追い込んだ、あの伝説的なタックルを彷彿とさせる勢いで、
頭からミサイルの群れへ猪突猛進に飛び込んでいった。
予測不能な軌道で迫る弾頭の合間を、それ以上に予測不可能なマニューバで絡み合うようにすり抜け、
最小限の迎撃でひとつずつ撃ち落としていく。爆炎と閃光が間断なく背後に咲き乱れる中、ホットショットは一瞬たりとも止まらず、
ついには敵航空機の目前にまで肉薄する。
それはまさに緩急の極み!超音速の突進から一転して、まるで妖精のような優雅さで敵の眼前を挑発的にひるがえった炎の少女が、
両の手足を指先までおもいきり広げる。
「……悪いな、R-3000指定の映像だっ!2500歳以下の若造は目つぶし確定ッッッ!!!!」
即座に、その全身が極限まで輝きを放ち、特大のフラッシュがコクピットのシャカゾンビへと叩きつけられた――。
……エネルギーシールドは、けして万能の防護壁ではない。
そこには、高強度のエネルギー――レーザーや衝撃波――には抵抗するが、閾値以下の低エネルギーは透過させるという厳然たる設計が存在する。
なぜかといえば、もしすべてのエネルギーを無差別に遮断すれば、光もまたエネルギーである以上、コクピットは外部の視界を失い、
さらに装甲に張り巡らされたシールドは、空気分子との接触だけで急速に消耗してしまうからだ。
この選択的な防護は、戦闘における実用性を確保するための必然的な妥協にほかならなかった。
そこへいくと、ホットショットが発したものは閾値を下回るエネルギーの放散、ようは、ただの「明るすぎる光」にすぎなかった。
それゆえエネルギーシールドの検閲を易々とすり抜け、コックピットを情緒もなく直撃したのである。
熱のない超新星爆発が、群青の空をはるか遠くまで染め上げていき、
無数の艦影や海面の波頭という、灰色に沈んでいた戦場のすべてを銀白色にあばき出す。
「……ぐわあああああ!」
意識の輪郭さえ吹き飛ばされそうなそのまばゆさに、シャカゾンビは反射的に手を顔に当てて身をよじった。
その、純粋な閃光が戦場の空を支配した時――海原を疾駆するイムノのボートはちょうど、へし折れた空母の甲板を目前にしていた。
「よし、ここだ!」
ボートは水飛沫を高くあげて突入し、艦体をジャンプ台代わりに大きく跳ね上げる。
イムノはその反動を利用して、2段ジャンプの要領で、
「ソイルっ……!」
雷のソイルを発動。彼女の身体は、たった一撃の雷光とともに、ボートの座席を踏み切ってはるか上空へと舞い上がる。
戦場の風と光がすべて遠ざかり、制服の剣士の視界の中では、バランスを崩したシャカゾンビ機の腹部が、不規則に揺れる影として目前に現れる。
空中で体勢を整えた彼女は、両腕でガンブレードをしっかりと逆手に握り、鋭く絞った全身の力で、その剣先を機体の装甲へと突き立てた。
刹那、金属の装甲を叩く高音が空に響き、電子的な波紋が機体全体に電撃のように走る。
光学迷彩はその瞬間、ガラス細工が砕けるように崩壊し、シャカゾンビの機体は無防備な姿を露わにした。
コックピットの内部では、まだまだ目の奥にこびりつく残光に、眼窩の骨を細めながらやっとモニターを見つめられたシャカゾンビが、
どこか夢を見ているかのような虚ろな声でつぶやく。
「なんだ……なにかが、起こったか……!」
機内に不気味な静寂が訪れる。だが、その間隙を切り裂くように、扉の向こうで金属が無残に歪み、
鈍い破砕音と軋みが連打される。シャカゾンビが目を見開く間もなく、爆発が扉を蹴破った。吹き出す黒煙と火花、その合間をぬって、煤まみれのイムノが煙の尾を引きながら飛び込んできた。彼女は鋭く息を吐き、ガンブレードを肩越しに振りかぶる。
「ようやく……会えたね!!」
「まさかっ!!!」
咄嗟に操縦席を飛び出したシャカゾンビが床を滑る。彼は怒号を上げ、杖を強引に振り抜いて牽制する。
航空機の内部は広大で、2人の戦士が本気で暴れても空間にはなお余裕がある。
「……ちぃっっ!」
瞬間の鍔迫り合いは激しく、衝撃波の生まれるに合わせ、両者は同じ距離を後ずさった。
一方は宙で後転し、もう一方は衝突の反動に思わず姿勢を低くしたのだ。
学生服の剣士の踏み込みが、初動の勢いそのままに再度炸裂すると、ローブと甲冑の魔術師もまた、
杖を閃かせて豪胆にそれを迎え撃つ。ヤギの骨でできた杖の先端がイムノの側頭部を狙うが、イムノはガンブレードの刃を巧みに滑らせて受け流し、
そのまま宙で身をひねるようにして、穿弓腿を、西洋鎧の胴に激しく叩き込んだ。シャカゾンビが踏ん張る床は軽く陥没し、
計器のガラスが音を立てて細かく割れていく。
「やるな、だが――吾輩の要塞の中、貴様1人で何ができる!」
天井に仕込まれていたセンサーが鮮やかに点灯し、防衛システムが作動する。
幾重にも折れ曲がった細い管がすみやかに降下し、先端の微細な穴から、管の直径をはるかに超えるレーザーを水平に激しく迸らせる。
その閃光がイムノの肩を正確に貫き、
「っく!」
という短い呻きとともに、彼女の身体を壁へと叩きつけた。
シャカゾンビは間髪を入れず、杖の先端に蒼白い電気を集約し、稲妻の大魔法を準備した。
「終わりだ、雷霆よ、粉砕せよ――!」
「……やれるもんならやってみろ!ソイルッ、我が力!」
イムノは瞬時に「こんにゃく味」のソイルを装填し、ガンブレードのトリガーに指をかける。巨大なシリンダーが段をひとつ跳ね上げ、
空砲の炸裂とともに、銀白の光がその場に爆ぜる。
高圧な水飛沫のように、体を打ち付けていく光の粒子に、イムノは苦しげに背を反らし、指先まで力をこめて堪えた。
やがて、押し寄せる波の強引さに情けなく地色を明け渡す砂浜のように、彼女の肌は手先から少しずつ銀色へと染まりはじめる。
その変身の過程は奇妙で、風船に空気のみなぎる勢いがありながら、元ある彼女の輪郭にだけはつとめて手を加えなかった。
体のすべてを銀の膜が包んでいく間にも、くせ毛1本の跳ね方まで、かつての姿を忠実に残したのだ。
体を銀に染めながら、イムノは地を蹴り、脇構えで敵に走り込んだ。
だがいまの彼女に、踏み込みの1歩1歩を飛行同然にするほどの、あの身軽さはない。
体全体に鉛の重みを帯びたせいで、疾走もまた、武器を携えた普通の人間の全力のそれと変わらなくなった。
最初、荒い研磨にすぎなかった肉体には、勇敢な突進の最中にも「完成」を目指して注がれる力の中で独特の光沢や陰影が次第に波及していく。
しかし真に驚くべき変化は、常にその傍らの空間で起きていた。ガンブレードの刃渡りまでが、本体の、金属としての洗練と足並みを揃えた成長を続け、
見る間に、元の数倍にまで伸びていくのである。
だがその直後。シャカゾンビが判決の宣言のように大上段から振り下ろした杖が、唸りを上げて幾筋もの稲妻をほとばしらせ、イムノの全身を容赦なく貫く。
「!!」
しかし、彼女の勢いは衰えない。その動きにも、闘志にも……!
すでに金属へと変じた体表はすべての雷撃を受け流し、衝撃もまた、赤熱した鋼の肉体が余すことなく呑み込んでいったのだ。
「なんだッッッ!!何をしたっ……?効いていないのかッッ……!!?」
「残念!こうなった私はもう無敵も同然!これが、お前の術への答えだ!」
蒸発した白い煙が、熱を帯びた身体の――しだいに小さくなる赤い焦点から、ゆるやかに立ちのぼる。
刹那、ふたりの間にあった間合いは消え失せた。
イムノは肩と腰を大きく回転させながら、機体内部をなぎ払う勢いで剣を振るう。
艶やかな銀染めの巨大な刃が、咆哮して下段から斜め上へと疾り、
その剣閃は、機内の壁板や操縦装置、そして鋼鉄のフレームさえも、紙のように断ち切っていった。
――ああ、気高い魂に導かれながら、あくまで純粋な暴威として振る舞われるこの一撃よ!
「――ッッ!!」
特大の攻撃をつまらぬ細杖で受けるしかなかったシャカゾンビは、壁ごと刃の暴風に巻き込まれ、骸骨の顔を軋ませながら操縦席の壁面に激突する。
跳ね返った体は計器群を巻き込んでさらに破壊し、2度目の衝突でさらに遠くへと弾かれる。それでも体勢を立て直し、額に汗を滲ませつつ、狂気じみた笑みを浮かべた。
「オールラウンダーのガキごときに――この吾輩が、負けるものかッ!」
だが、イムノの剣筋は苛烈さを増す一方だった、金属の気配が刃先へと新たに集約され、
さらにガンブレードが肥大する。彼女はそれを、自分自身制御しきれないほどの重剣へと膨張していくのをひしひしと感じながら
構わず肩に担いでいく。足裏にただならぬ力を込めて、たった1歩だけ踏み出すと――激甚な破裂音が機内を満たして床板が盛大に陥没し、
規格外の大剣が、
「終わりだ、受け取れ……!」
コクピットごと両断せんと、全力で振り下ろされる。その刹那――
「……これはッ、"アデュー"だな――!!」
それは、常に宿敵を抱えながら、紀元前5世紀から2040年代の今日までという
途轍もない年月を生き抜いてきた魔人の嗅覚が、最もいかんなく発揮された瞬間と言えるかもしれない。
シャカゾンビは、前言を撤回してたちまち勝負を見切った。
踵を返し、肘でガラスを叩き割り、風圧をまといながら外へと身体を放り出す。
破片とともに機外へ押し出された彼の体は、空中へと跳躍し――
その瞬間、雷鳴のような声が空に響き渡った。
「――待てよ、私のために『What A Wonderful World』を歌ってくれる約束はどうなったんだ!?」
空気を熱する轟音とともに、斜め上から駆け下りてくる1筋の炎。
その先端を成した炎の少女の飛び蹴りが、シャカゾンビの体を鮮やかに貫いたのだ。
「ぐはッ――!!」
男の胴体は真っ二つに引き裂かれ、鎧の隙間からは一瞬、赤熱した肋骨と髄が露わになる。
ホットショットが振り向きざま、容赦なくエネルギー弾を1発撃ち込むと、
爆発が断面をさらにえぐり、赤熱する骨片はゆっくりと――それでも抗うことなく、青く広がる海面に、
信じられないほど鮮烈な光彩をきらめかせながら落ちていく。
引き起こされた飛沫の、粒状になった先端と綿密に触れ合う一瞬を経て、
白いモウセンゴケの繊細な抱擁を余すところなく受け入れたシャカゾンビの残骸は、そのまま音もなく、冷たい水底へと沈んでいった。
甲板に残る爆炎の揺らめきと、風に煽られて広がる煙。
シャカゾンビの最期を見届けるためか、世界の騒がしい音は、その瞬間だけ、潮の引くように遠ざかっていく。
さっきまで荒れ狂っていた海上には、かすかな波音と、空に広がる元来の淡い光だけが、
ただそこに、すべての喧噪を越えて佇んでいた。
戦いの余熱がことごとく天の清浄な領域へと召されていく中で、煙の不確かな切れ端もやがて、蒼の無窮の中に溶け込んでいく。
ほんのひととき――静かで、ゆたかで、愛と威厳に満ちた日の本の海原が、誰のものでもない安らぎとしてそこに取り戻された。
……金網が敷き詰められた床は、わずかに冷気を孕んで足元に湿り気を伝えてくる。無骨な照明が頭上でくぐもった白色光を落とし、
影は金属の壁に淡く溶ける。中央には、鋼管の手すりに囲まれ、上部モニターで半ば視界を分断された、
角ばった潜望鏡のブースが鎮座していた。座り心地など考慮されていない艶消しグレーの椅子、壁の2面に渡って張り巡らされた計器群。
そのどれもが黙々と冷徹に、この艦の神経を織り成している……。
そんな制御室の片隅で、ミーティスは慌ただしく無線機を掴み取った。心臓の鼓動が、冷たい機械のざらついた感触に打ち消される。
「そっちはど?こっちはいま制圧が終わったよ!」
彼女の声が、鉄とオゾンの香りの中に小さく響く。
「うん、私たちもシャカゾンビを……倒せたよ!」
イムノの、頼もしくもどこか煤けた声が応じる。
「えっ本当に!?……はちる、やったって!」
ミーティスは半ば叫ぶように背後へ振り返り、コンソールパネルに両手を預けたスヌープキャットも、
一報を聞くや顔を明るくして振り向いた。
「よかった!やっぱり持つべきはおせちとアシュリーだね!」
だが、艦内の静けさをよそに、スピーカー越しにわずかに伝わる戦場の轟音――爆発の余韻と、甲高い金属音。
それは遠いようでいて、なお今この場所にも流れ込んでいた。
「でも艦隊同士の戦闘は終わってない。何ひとつね――」
シャカゾンビの機内、焦げや戦いの跡生々しいコクピットで、イムノは無線に耳を当てながら物思いに沈む。
どこか決意に充ちた背中、その輪郭が、雲間から急に照り付けた陽光によって、一瞬、白く孤独に縁どられる。
「えっ?……じゃあ、すぐそっちに戻る!」
ミーティスの声には急いた不安がにじんでいた。
「いや、そこでいいよ――」
イムノは、静かに言い足した。
「――じきに、どっちの艦隊にも増援が来るはず。もしかすると、その後は本土からのミサイル合戦にもなるかもしれない。
きっかけはシャカゾンビのやったことだったとしても、戦いが始まっちゃった以上、
もうあとはエスカレーションしていくしかないんだよ。……残念だけど。……でね?そんな状況でね、
私たちにできるのは今ある兵器をできるだけ壊すことだと思う。
せめて母さんが北の将軍を送り届ける間、どっちの国も、物理的に戦争ができないような状態にする。
……ひとつだけいい案があるんだ。誰の命も奪わずにそれが出来る方法がある」
「……なに?」
ミーティスが、思わず小さく息を呑む。その傍らで、スヌープキャットはイムノの真意を即座に理解し、
すばやくタッチパネルに手を伸ばして弾道ミサイルの諸元一覧を呼び出した。
「その船に積まれてる核ミサイルを高高度に設定して発射するんだよ。そうすれば爆風じゃなくて、『電磁パルス』っていう
電子機器を破壊する強力な電磁波だけが地上にまき散らされる」
「……積んでるの、一部はEMP特化の弾頭みたい。これが使えるよ!」
スヌープキャットは、『クムガン(金剛/금강산)』と記されたミサイルの制式番号をちらりと目で追いながら、
部屋の隅に倒れている司令官の制服を素早くまさぐった。胸ポケットに手を入れると、冷たいランチキーの重みが指先に伝わり、
その片側をミーティスの手にしっかりと握らせた。
「でもそれは……こわいよ」
鍵を包んだ手を胸の前に押し当て、ミーティスは声を震わせて応じた。頼るもののない空間のなか、
コンソールのパネルに反射した自分の顔が揺れて見える。彼女は、懇願するような目で無線の向こうのイムノを見た。
それは彼女にとって、自死の道を選ぶこと、あるいは誰かを殺すことと同じくらい怖い決断だった。
超能力がどれだけあっても、16歳の普通の少女の心は――その選択の重さに、迷いなく応じることなどできなかった。
「……さな、こわいよね。私も、ホントはすごく怖い。でも――このまま何もしなかったら、
もっと、もっとたくさん、多くの人が傷つく。下手すれば、それは世界規模の話になるかもしれない。
それを、ただ見ているだけなんて、きっともっと怖いことだと思う――」
イムノは、胸の奥に溜めていた思いをゆっくり言葉にし始めた。
静かな制御室の片隅、かすかな振動と金属のきしみが、少女たちの呼吸に混じって響く。
「――だから、4人でやろう!さなだけじゃない。全員の意志だよ。これは、もともと私たちが始めたことだ。
だから最後まで、私たちでやりきろう。……大丈夫、どんな時も一緒でしょ?――ずっと。……でしょ?」
その真摯な声が、心の鎧を1枚ずつほどいていく。イムノの言葉を聞くうち、ミーティスの目にはじわりと涙が浮かぶ。
「――みんなで約束したじゃない?母さんにも。私たちは、できるかぎりのことをやるって。
それを守るには、いま、ここで勇気を出すしかないんだよ。
私だってさなにはちるにアシュリーががいなきゃ、絶対できない。みんな一緒じゃなきゃ、誰にも無理なんだよ」
その時、スヌープキャットが何も言わず、毛の温もりを伝える獣の手でミーティスのか細い手をそっと包む。
機械油の匂いが残るこの艦内に、優しいぬくもりがほのかに灯った。
「ふたり同時にひねるんだよ、さな」
すでに覚悟を決めていたスヌープキャットが、優しく促す。
「おいお前ら、ちゃんと私たちの分の気持ちまで乗せるんだぞ。じゃないと、多分動かないからな」
普段ならここは茶化しに出るはずのホットショットが、ただのぶっきらぼうな優しさで無線越しに背中を押してくれる。
それが最後の力となって、全員の気持ちがひとつに重なる。
「……わかった」
ミーティスはぐずりながらも、ついにこの先へ進む覚悟を小さな声で告げた。
「……私、みんなと一緒にやる。ひとりじゃ、できないから。でも、みんなとなら……がんばれる。いこ、はちる!」
「うん!」
瞳に凛とした決意を宿して、ミーティスとスヌープキャットはそれぞれ1本ずつ鍵を選び、セレクトスイッチに静かに差し込む。
呼吸を合わせ、2ヶ所のスイッチをゆっくりと――まるで新しい夜明けを迎えるように――同時にひねった。
低く唸る機械音が艦内に響き渡る。ミサイルサイロの巨大な内蓋が、警告の赤を灯したままゆっくりと開かれ、
その隙間からは炎と白煙が渦を巻き、夜の空へ向かって吹き上がっていく。
ごうごうと燃えさかる煙の中心で、銀色の弾頭がらせんを描きつつ射出され、瞬く間に空へと吸い上げられる。
紫の閃光が、空間に裂け目を穿つかのようにほとばしり、
続く爆風が、音すら飲み込んで成層圏の暗がりを呑み込んでいく。
やがて、地球そのものを威圧するような白い光が、天蓋の彼方に翼を広げていった。
弾頭が解き放つEMP――それはまるで浄化の光のように、
一瞬で日本海全域を塗り潰していく。波間に浮かぶ艦艇のブリッジ、高層ビルの窓、沿岸の町々、
軍港にて、急ピッチで出撃の準備を続ける両国の艦隊、中国や朝鮮半島の港町まで、電子の都市と兵器群すべてに、目には見えぬ白い波が走っていった。
都市の交差点では信号が一斉に消え、巨大なビルのエレベーターは途中で止まり、
アウトレットモールのエスカレーターも静止する。オフィス街のパソコンやモニター、自動販売機、
地下鉄の構内放送まで、すべての電子音と輝きが例外なく途絶えていく。
人工の光が消え失せた都市には、西日差す空のがらんどうな明るさだけが取り残された。
そして日本海の戦場では、艦の砲塔が枯れ花のように項垂れ、ミサイルは無力な鉄筒となって水面へ落下する。
ボートから海面へと手を伸ばす者、それを掴んで舷側にブーツの底を必死に引っかけ、水を滴らせながら這い上がるもの、別の艇には、制服が違ってもかまわず抱き合って、
目に見えるすべての景色からありありと感じられる終戦の気配を、喜ばしい虚脱感のもとに分かち合う兵士の姿もある。
動力を失って海面に受け止められるヘリや戦闘機、そこからペイルアウトしていく人影――しばらくの間、その数は絶えなかった。
静寂と、一定の間隔で揺動する波と、陽光の無欠に満ち溢れた、夢の末端のようにはかなげな世界で、
もう2度と動くことのない機械群だけが、戦いのおわりを、物言わぬまま雄弁に語っていた。
……日本海の底。
首から下を失ったシャカゾンビの頭――水の色が真っ黒になるほどの深度には、かえって馴染まぬ青い頭蓋骨が、砂に半ば埋もれながらギロリと眼窩を光らせている。
「……ふん、覚えておけよ、オールラウンダーの娘ども。貴様らの“勝ち”は一時の夢にすぎ――」
そう、負け惜しみを口にし始めた時、小魚がシャカゾンビの鼻の穴をちょん、とつついた。
「やめんか、コラ!貴様らごとき雑魚に構っている暇はない!次は――うわ、やめんか、歯はいかん!」
怪人の叫びをよそに、魚たちは一気に群れだしていく。
「この屈辱、奴らめ……必ずやリベンジしてやるぞ……ぐぬぬ……やめろ、やめんか、頬骨はやめろ!」
もぞもぞと開閉する顎であたりの砂を蹴立て、魚のいたずらを受けながら、彼はなおも次の悪だくみを考えはじめていた。
手下の誰かが自分の消息を掴むその日を、ひっそりと待ちながら――海中2000mの闇の中で。
あとがき、あるいはライナーノーツ
この話、サブタイトルは当初『Bone Thugs-N-Harmony』と『MEGALOVANIA』のどちらにするかで迷っていました。
前者は、同名のギャングスタ・ラップグループからの引用です。「Bone(骨)」と「Thug」という2語から、シャカゾンビというキャラクターが自然に想起されることからの選出でした。そして後者――『UNDERTALE』に登場するサンズのテーマ曲としても名高いこのタイトルには、「骨」、そして「誇大妄想(megalomania)」的な彼のふるまいがひと言で要約されているという点で、やはり魅力がありました。
けれど、ある日ふいに得たひらめきが、チャプター2以降の展開すべてを覆してしまったのです。しかもその閃きが訪れたのは、皮肉なことに旧チャプター2の文章をすべて書き終えた、まさに直後のことでした。なんとも因果な話というほかありません。
そして私は、書き直しの段階で、物語の展開と響き合う――より切実で、誠実な――サブタイトルを新たにこの物語へと与えることにしました。
「I Don't Want To Set The World On Fire ”世界に火を点けたいわけじゃない”」。
その言葉は、核ミサイルをみずからの手で撃たねばならなくなってしまったカルテット・マジコの、抗いがたい心情を表していると同時に、
作者である私自身の叫びでもあるのです。
余談ですがこの曲名はそのまま曲中の歌詞でもあり、続くフレーズはこうです。
“I just want to start a flame in your heart.”――「ただ、あなたの心に小さな火を灯したい」。
……まったく、とんでもない符合ですよね。
この1節が、カルテット・マジコがシャカゾンビに向けた敵意そのものとして読めてしまうなんて。
さて、2話の公開にはさっそく明日から取りかかっていくつもりです。
とはいえ、後半部分についてはまだ1行たりとも出来上がっていません。
それでも私は、物語を完成させてからまとめて出すより――すなわち、出来ている物を
意図的に秘蔵したままにしておくより、今この瞬間に続きを届けることのほうが、
読んでくださるあなたに対して、より誠実で、善意ある態度なのだと信じています。
拙くとも、自分にできる1番まっすぐなやり方で、今後とも物語を紡いでいきます。
それではまた、次の話でお会いしましょう。
【大切なお願い ぜひご一読ください】
有名な作品と無名の作品の間に存在する大きな隔たりは、実のところ作品そのものの出来不出来によるものではなく、主として宣伝や口コミの
量によって生じるものです。率直に申し上げて、この理屈には「ひとえに」という言葉を付け加えてもなお言い過ぎではないほどの確かさがあります。
人類80億に向けて十分に宣伝が行き届いた作品は、ほぼ間違いなく――その確率は99パーセントを超えるほど――時代に大きな潮流を生み出すでしょう。
そこで私は一つの試みとして、この信条に基づき、今作については例外的に積極的な宣伝を解禁したいと考えています。
そもそも『ソーミティアユニバースhttps://www.pixiv.net/novel/series/8245320』として発表してきた一連の作品群において、私はこれまでそのようなことを一切行ってきませんでした。
簡単に言えば、私の人間としての本質は老子やヘンリー・ダーガーのような「隠者」に近く、物語が有名になることは少しも魅力的な刺激ではなかったからです。
したがって今回の「積極的な宣伝」という方針は、本タイトルに限って言えば、とある理由によって思い立った気まぐれな味変――先に掲げた論理を具体的に実証してみようとする試み、ということになるでしょう。
つまり、私はこの作品に、これまでの拙作にはなかったある種の「公共性」を感じているのです。
私の創作活動とはそもそも、内向きに完結したものであり、作品の公開はオフラインRPGを攻略し終えた後のセーブデータを配布するようなもの――常にささやかな、主として潜在的な同行の士に対する社会貢献のつもりで行ってきました。
ところが今回、この作品に感じる公共性は非常に大きく、それゆえに積極的な宣伝という手段を選ぶ価値さえあると考えたのです。
もっとも、宣伝という営みは、GAFAMの例を持ち出すまでもなく、世界中から優秀な人材が集まる分野であり、彼らでさえ日夜、人に商品を認知させるために四苦八苦しているほどです。
そうしたことを思えば、宣伝とはそもそもそう容易に成し遂げられるものではありませんし、それに気を取られるあまり、作品そのものの質が損なわれてしまっては本末転倒です。
また当然のことながら、人の死や災害といった不幸に便乗するような形で話題を集めることは避けたいと考えています。
あくまでも節度を保ちながら、この作品に私自身が感じている公共性に見合うかたちで、慎ましくも積極的に伝えていければと思っているのです。
そこでお願いがあります。
ファンの皆様のお力を、ぜひこの作品にお貸しください。宣伝の主力を、どうか”外部委託”させてください。
SNSでのリポストや当ページのブックマーク、いいね、友人・知人へのお薦めなど、積極的な“布教活動”を通じてこの物語を広めていただければ、これ以上に心強いことはありません。
皆様の熱意こそが、この物語に新たな息吹を与え、遠くまだ見ぬ誰かの心にまで届けてくれると信じています。
どうかその情熱を、この作品と共に分かち合っていただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。