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Issue#01 I Don't Want to Set the World on Fire CHAPTER 4

【大切なお願い ぜひご一読ください】

有名な作品と無名の作品の間に存在する大きな隔たりは、実のところ作品そのものの出来不出来によるものではなく、主として宣伝や口コミの

量によって生じるものです。率直に申し上げて、この理屈には「ひとえに」という言葉を付け加えてもなお言い過ぎではないほどの確かさがあります。


人類80億に向けて十分に宣伝が行き届いた作品は、ほぼ間違いなく――その確率は99パーセントを超えるほど――時代に大きな潮流を生み出すでしょう。

そこで私は一つの試みとして、この信条に基づき、今作については例外的に積極的な宣伝を解禁したいと考えています。


そもそも『ソーミティアユニバースhttps://www.pixiv.net/novel/series/8245320』として発表してきた一連の作品群において、私はこれまでそのようなことを一切行ってきませんでした。

簡単に言えば、私の人間としての本質は老子やヘンリー・ダーガーのような「隠者」に近く、物語が有名になることは少しも魅力的な刺激ではなかったからです。

したがって今回の「積極的な宣伝」という方針は、本タイトルに限って言えば、とある理由によって思い立った気まぐれな味変――先に掲げた論理を具体的に実証してみようとする試み、ということになるでしょう。


つまり、私はこの作品に、これまでの拙作にはなかったある種の「公共性」を感じているのです。

私の創作活動とはそもそも、内向きに完結したものであり、作品の公開はオフラインRPGを攻略し終えた後のセーブデータを配布するようなもの――常にささやかな、主として潜在的な同行の士に対する社会貢献のつもりで行ってきました。

ところが今回、この作品に感じる公共性は非常に大きく、それゆえに積極的な宣伝という手段を選ぶ価値さえあると考えたのです。


もっとも、宣伝という営みは、GAFAMの例を持ち出すまでもなく、世界中から優秀な人材が集まる分野であり、彼らでさえ日夜、人に商品を認知させるために四苦八苦しているほどです。

そうしたことを思えば、宣伝とはそもそもそう容易に成し遂げられるものではありませんし、それに気を取られるあまり、作品そのものの質が損なわれてしまっては本末転倒です。


また当然のことながら、人の死や災害といった不幸に便乗するような形で話題を集めることは避けたいと考えています。

あくまでも節度を保ちながら、この作品に私自身が感じている公共性に見合うかたちで、慎ましくも積極的に伝えていければと思っているのです。


そこでお願いがあります。

ファンの皆様のお力を、ぜひこの作品にお貸しください。宣伝の主力を、どうか”外部委託”させてください。

SNSでのリポストや当ページのブックマーク、いいね、友人・知人へのお薦めなど、積極的な“布教活動”を通じてこの物語を広めていただければ、これ以上に心強いことはありません。


皆様の熱意こそが、この物語に新たな息吹を与え、遠くまだ見ぬ誰かの心にまで届けてくれると信じています。

どうかその情熱を、この作品と共に分かち合っていただければ幸いです。

よろしくお願いいたします。

CHAPTER 4



あくる日、09月29日。


陽射しの角度がわずかに変わったこの日は、街の輪郭までもがそれに合わせていくらか静かに息を潜めていた。

「東京特別市」と「関東州埼玉」の文字が、矢印を向かい合わせに並べた1枚の青看板に刻まれ、

昼の光の中で淡く浮かび上がるように輝いている。


看板の背後では、道路がゆるやかな弧を描いて奥のビル街へと延び、遠くの音をかすませながら車の列がそこを流動している。

中央分離帯にはやや雑草が目立ち、舗装のつなぎ目には細かな影が落ちて、アスファルトの路面は初秋の熱気を孕んで白く乾いていた。

渋滞には至らぬまでも車列は途切れることなく、人影のまばらな歩道が、かえって静寂の濃度を際立たせている。


そういった場所からほど近い、コンクリート造りの河川敷。

そこの橋下のトンネルには、ラッカースプレーをひたすらに振るう男がいた。

我々も1度目にしたことがある、ストリートファッションに身を包んだ、あの男だ。


スプレーのカラカラという音が、暗がりの中に澄んだ残響となって広がっている。

道は、両側からわずかな光が差し込むものの、この空間を作業の場とするのに

十分な明かりを提供できていたのは、床に置かれた小型のバッテリー、

それとケーブルで繋がれた1灯のワークライトだけだった。


男は、スプレーの放つ音の「かたむき」――それそのものを指針として、

己の“作品”へと刻々と線を加えている。色も形も、瞬く間に姿を変えてゆくその壁面に、

彼は焦がれるような眼差しを向けながら、一向に手を止めずにいた。


――そこに、横合いから閃いたのはカメラのフラッシュだ。

1度目で男の体が硬直し、2度目の閃光には慌てて顔を手で覆った。


突発的な状況に悪意の所在を直感した彼は、スプレー缶を放り出してしゃにむに走り出す。

だが、暗がりにあらかじめ仕掛けられていたさなの呪符が足首をとらえ、


「……うっ!!」

派手に、腕を投げ出すような形で転倒してしまった。

うつぶせになった彼の視界に、ひとりの人物の影がちょうどよく差し込んでいく。


そこにいたのは、おせち。

ただし、その素顔は誰にもわからない。目出し帽をし、その上からフードまで深く被る。そうした、人相を消し去るための格好をしていたからだ。

そして、撮影者を務めたアシュリーもまた、同様の姿をしていた。


薄暗いトンネルの中、アシュリーの持つカメラのレンズがじっと男をとらえたままでいる。

「突然すみません――」

おせちは1歩、彼に近づいた。

「――いきなりなんですが、司法取引に興味はありませんか?」


……そして彼女は、このように続ける。

「ここ、私有地じゃありませんよね?――」

その声音は驚くほど落ち着いていて、まるで水が流れるように、言葉は次に移っていく。


「――マツバラショウゴさん。……防衛省にお勤めの方ですよね?あなたのSNS記録、すべてバックアップ済みです。

情報漏洩に該当する発言も抑えていますし、省の端末で株取引や違法なオンラインカジノをしていた履歴もあります。

それにこのグラフィティ、常習性が明らかなら器物損壊罪で十分に立件可能です」


彼の罪状を、おせちは淡々と読み上げていった。声に抑揚はなかったが、それがかえって重く響いた。


「……なんだ、お前ら、なんなんだ!?」

マツバラは戸惑いながらも、声にまだ抵抗の色を滲ませる。


「単刀直入に言います。去る09月07日に発射された弾道ミサイルの、軌道観測データを見せていただきたいんですが」

「な……なんでそんなものが必要なんだ?というか……出せるわけがない。

そんなものを外に漏らしたら、俺は本当に終わりなんだぞ」


「今さら罪が1つ増えるくらい、どうってことないだろ?」

と、やや離れた位置からアシュリーが口を挟む。おせちと同じく、覆面をかけた彼女の声には、はやし立てるような明るさがあった。


「もしかして取引のつもりか?だとしても、罪の重さが違う。わかってるだろ、お前たちも」

「はい、その通りです」

おせちは頷きながら、淡々と続けた。


「でもこれは、その“無理”を呑んでもらうための交渉なんです。

誤解がないように、こちらの方針をはっきりさせておきますね。

データさえ渡していただければ、あなたのやっていることは、私たち2人の胸の内に留めておきます。

別に正義感を満たすためにやっているわけことではありませんから。本当に、ただの交渉です」


「……つまり、“司法取引”か」

マツバラは絞るような声でつぶやき、


1拍置いてから、じつにありふれた手口を持ち出す。

「――家族がいるんだ。なぁ、俺にも……」

つまりそれは、少しばかり切り出すのが早く思われる「泣き落とし」の札だ。

しかしもちろんおせちは、こんな程度でほだされる安っぽい人情などこの場には持ち合わせてきておらず、


「安心してください。あなたがすでに離婚しているのも知っています。

そして、養育費をきちんと払い続けているのも。それは……偉いですよね?――」

と、逃げ道をにべもなく断った。


「――でもね、ひとつ聞いてください“イマムラ”さん。

データを渡すのは、むしろあなたにとって都合がいいことなんですよ?」

……“イマムラ”というのは、この男、マツバラの旧姓である。

こうしたさりげない一言からも、おせちは、彼の個人情報を自分たちがどれだけ正確に把握しているか

抜かりなく印象づけていく。


「はぁ?……てか、旧姓まで割ったのかよ」

これは、話す側の想定したよりずっと効果のある指摘だったらしく、いつの間にか座り込んでいたマツバラは

あからさまに臆した。


「もちろんです。あの……ひとついいですか?防衛省の方ならその~、“相互確証破壊”って言葉は、ご存知ですよね?――」

おせちは続ける。声は静かだが、その音色は徐々に凄味を増していく。


「――もし私たちにそのデータをお渡しいただけるなら、仮に将来、あなたのキャリアに何かの不利益が生じた場合、

その報復措置として、私たちを『特定秘密の不正取得』あるいは『漏洩教唆』の容疑で通報することができるようになります。

国家機密の漏洩ともなれば、単に『今日ここで脅された』なんて曖昧な証言をするよりも、

警察だって、もっと本腰を入れて捜査してくれるわけでしょう?


つまり、あなたが首を縦に振ることは、むしろ、

自分の身を守るための新たな交渉カードを手に入れるということになるんです。


反対に、今この場でデータの受け渡しを拒まれた場合はどうでしょう?

その瞬間から、あなたは私たちに一方的に弱みを握られたままになります。

私たちだけが選択肢を持ち、あなたは一生の間その心配に翻弄され続けることになります。


……お分かりいただけますかね、この論理?」


……それは、対等な立場での交渉ではない。

すでに追い詰められた者を相手に、出口をひとつだけ提示してやる詐術の一環だった。

だが、それでもおせちの言葉は、的確に相手の論理と恐怖心を突く、よく練られた理屈だった。


マツバラは黙りこくった。彼女たちの言動をひとつひとつ吟味するためだった。


「相互確証破壊」などという専門用語を、自分のような立場の人間に対して平然とちらつかせてくる。

そのふてぶてしさには虫唾が走る思いすらしたが、と同時に彼女たちの発言には、ある1点の、

素性にまつわる手がかりが見え隠れもしていた。


(……こいつらの正体は多分だが……「一般人」。逮捕拘留のリスクが交渉の材料として成り立つっていう考え方は、

そういうリスクは避けたいって当たり前に思ってるくらいの倫理感の持ち主から出てくるもんだ。

……そのあたりの話をしてた時の、コイツの口ぶりに何かを演じてる風はなかった!だったら、

殺しや暴力で口を封じてくるってことも……多分ない。テロや過激派みたいな連中でもないだろう。昔見たことのあるアイツらとは全然雰囲気が違う。

だったら……)

マツバラはこのような見当をつけていたのである。

しかし、まさにこうした推論の先にあるものこそが、おせちの望む彼の思考の着地点にほかならない。


おせちは、明示的なヒントこそ相手に何ひとつ与えなかったが、

それとは逆に、何気ない語り口や沈黙の間合いにこそ、

マツバラの思考を、ある方向へと自然に誘導する言語的な罠を多く織り込んでいたのだ。


人間という生き物には、みずからの力で導き出した答えを無垢な真実だと信じ込んでしまう、根深い愚かさがある。

その傾向が特に露呈するのは、相手との口論や、マインドゲームの最中で得た結論においてだ。

そうしたとき、人はそれを“相手が隠したがっている真実”だと、検証もせずに確信してしまう。


マツバラは、気づかぬうちに、彼女たちの正体を過小に評価し始めていた。

少なくともその時点では、少女たちを「覚悟の決まったテロリスト」のようには考えなかった。


もしも……もしも彼が、その仮面の奥に潜むものを見抜いていたならば、


彼女たちが、ただの反体制思想の持ち主でも、突発的な暴力犯でもない――ある意味でそれ以上におぞましく、度し難い存在、

すなわち「どのような法規を踏み越えてでも、みずからの手で戦争を止めようとする狂気の集団」であると見抜いていたなら。


そのときだけは、彼という人間に残されたひと握りの大義心が、

最後の警鐘として鳴り響いたかもしれなかった。

そうなっていれば、この交渉は、ここまであっさりとは進まなかったはずなのだ。


「……何のために?」

念のため、といった口調でマツバラは問うた。


「ミリオタの好奇心、と思ってくださって構いません――」

ここでの、目出し帽をしたおせちの語り口は、セオドア・ルーズベルトの言葉にある――“大きな棍棒を携えながら、穏やかに語る”――を地でゆくものだった。

いくら無害を装って声を柔らかくしてみても、結局のところそれは、相手の生殺与奪権を9割方握っているからこその鷹揚さなのだ。


「――たまたま、あなたという“セキュリティホール”が防衛省に存在することを知ってしまったので、

今回は、少しばかり踏み込んだワガママを言わせてもらいました。それ以上は何もお答えできません」


「しかし、そこまでの情熱か? 女でミリオタってのも珍しい」

その発言からは、マツバラの疑念がまだわずかにくすぶっていたことが感じ取れる。

けれど、肝心なところで彼は結局それを深く掘り下げなかった。

彼女たちが結局のところ何者かという問いに、ほんの1歩だけ踏み込むことを避けたのだ。


「ええ。防衛省勤めで趣味がグラフィティなのと、おなじくらいには珍しいと思います」

おせちの皮肉まじりの返答に、マツバラはあからさまに舌打ちを返す。


「……ひとつだけ条件だ。週刊誌に売ったり、ネットで晒したり――絶対するな。

もしそんなことをしたら、その時は……俺のほうから“相互確証破壊”だ」

それが、彼なりの精一杯の防衛線であり、取引条件だったようだ。


……つまり、交渉は成立したのである。


戦後復興ののち、東京という街に交通量の少なかった日など、はたして1日でも存在しただろうか。

列島の中枢として、物と人と時間が最もせわしなく流れるこの都市。

アスファルトの轟きも、信号の点滅も、ビルの谷間を渡る風も、すべてが黙々と人間を急かし続ける。


そのなかを、マツバラは歩いていた。

まるでいくつもの夜を越えるような、途方もない気持ちで

横断歩道を渡り、交差点の雑踏を縫い、勤め先――防衛省の本庁舎へと向かって。


肩をすくめるわけでも、周囲を振り返るわけでもない。

しかし、わかっていた。

自分が、どこかから“見られている”ということを。

あの2人――あの小娘たちが、どこかでそっと監視の目を光らせているのだと、彼は理屈抜きで感じていた。


ビルの窓。背後を通り過ぎるバスの車窓。地下鉄の出口。

誰かがいてもおかしくない場所すべてが、不意に気配を宿してみえる。

実際に誰かがいたかは問題ではない。

マツバラにとって重要なのは、自分がもう、無辜の市民ではなくなったということだった。


マツバラの背中を遠巻きに追いながら、4人は一定の距離を保っていた。

群衆にまぎれ、ビルのガラスに映る影を確かめ、交通のながれに身をあずけながら、

あくまで目立たぬように、彼が防衛省の庁舎へ向かう道を“同伴”していた。


そこに、異変が唐突に訪れる。

「あれ、ちょっと……」

はちるが、雑踏の中、ふと立ち止まってしゃがみこんだのだ。

ニットセーターにサロペットという格好の彼女は、そのまま、自販機の下から小銭を掻きだす時の四つんばいの姿勢で、

獣のまるっこい耳を、舗装の上にへばりつくほど押し当てていった。道行く人々の目など意にも介さずに。


「下から……なんか来る!」

追って彼女がそう断言した瞬間、アシュリーの気だるげな眼差しが、反射的に変わった。

おせちもすぐさま小声でさなに指示を送り、わずかに距離を取る。


「ゆれてるゆれてる!」

さなの声には、物理的な震えと、心の動揺が重なっていた。

実際、足元から伝わってくる微細な振動は、交通や道路工事のそれらとは異なる

特有の性質をあらわにしつつある。


やがて、市民もその異常に気づき始めた。

「おっ……」

「地震……!?」

「でも、Jアラートなくね?」

そう口々にざわめき、誰もが動揺の正体を測りかねていた、そのとき――、


「来るよッ!」

はちるが、まるで本能に突き動かされるように跳ね上がり、その場から飛び退いた。

続くように、アシュリー、おせち、さな――残る3人も即座に周囲との距離を取る。


轟――ッ!!


まさにその瞬間、爆裂音が大気を引き裂き、まるで街そのものの咆哮であるかのように、地面が爆ぜた。

石材が弾け、アスファルトの皮膜がめくれ上がり、瓦礫と砂塵があちこちへと飛び散る。


そこを割って現れたのは、銀色に輝く、巨大なステップドリルの先端だった。

日光をにぶく弾くその螺旋の刃が、なおも回転を続けながら、くだけた舗装を絡め取り、

地上へと、その構造体の残るすべてを這い上がらせてゆく。


「わぁあああッッッ――!!」

叫び声とともに、歩道にいた群衆が一斉に走り出した。

押し合いへし合いながら方々へと散っていく背中の列、その恐慌に満ちた足音が鳴り響くなかで、

アシュリーだけは、まるで別の時間に身を置くかのように

微動だにせずその場に立ち、目を細めて、ひと息ぶんの静けさに声を落とした。

「でかいな……」


地上に姿を現したものは、ちょうどスノーモービルの車体に、逆錐状に溝を刻んだ鋼鉄の円錐を接合した異形の機械だった。

名を与えるなら、「ドリルタンク」と言うほかないその頑健な車両は、まるで自らの重みに苦しむかのようにして、ひび割れた道路の、

土がむき出しになったところの傾斜を、えらく時間をかけて乗り越えた。スパイクが隙間もなく並んだキャタピラは、

細かな回転のたび地面を執拗にかきむしり、そのたびに破片と土煙を低く舞わせた。


車体の、前部のハッチがゆっくりと持ち上がると、その奥から、曇ったゴーグル越しの視線が4人の少女に投げかけられる。

つまりこれは、制御された兵器なのだ。人間の明確な意図を持って操られた……。


「ヘイデュード、お前、どいつを狙えばいいか知ってるか?」

その声とともに、オカピの獣人――プロディジーが、車のドアを内から乱暴に蹴り開け、地上へと姿を現す。

アスファルトの地面に、亀裂まで残す豪胆な1歩目には圧倒的な足の長さと質量があり、

次の瞬間、彼の全身が、見上げる者の視界を埋め尽くすように立ち上がっていく。


長すぎる首がゆっくりと伸びきり、猫背気味だった肩がぐいと開かれると、

異形の体躯が、青空を背にそびえ立つ。

かの狭小な車内に、いったい、これほどの巨体がどのようにして収められていたのだろうか?

車外に解き放たれからの時間がたてばたつほど、その問題への理解は際限なく難しさを増していくような気がした。


「そりゃ簡単だぜ、ビッグ・ブラブ!つまりよ……オカピとカバじゃねえヤツ全員さ!」

そう吼えたのは、低くひびく地声を、その奥から引き裂いていくかのような明るさで笑う、カバの獣人ハヴォックだった。


降車に弾みをつけるために、車両のルーフを、手首のくびれもない巨大な腕でつかんだ彼は、

そこが本来固定された鋼鉄の1枚板であることなど意に介さず、厚手の布でもそうするよう簡単に押し上げていく。


黒光りする爪先が装甲の表面を引き裂きながらずり落ちる。塗装の剥片が宙に舞い散るなか、

1秒でも長くこの車内にいたくない、そんな、熱い風呂から逃げだす子供の衝動で、カバの男は巨躯を丸ごと車外へ飛び出させた。


するとその瞬間、彼の体重と力が集中した車体の側面に、おどろくべき変化が刻まれた。

地下の高圧にも耐えうる頑強な装甲板が、まるで粘土細工を指で押したかのようにふかく陥没し、5本の指の形がありありと浮かび上がったのだ。

さらに驚嘆すべきは、車体全体が波を打つように歪み、押しのけられた瞬間のままに、永続的な傾斜を描いて湾曲してしまったことだろう。


鉄を壊すというより、まるで鉄などそこには存在しなかったかのように振る舞う。

彼の圧倒的な腕力にとって、「物質」とは基本的に柔らかく存在するもののようだった。


「なるほどわかりやすいや!……でもハムスターにも優しくなるともっと環境にいいぜ?」

とプロディジーは、ややおくれて車から降りてきた相方に注文を付け加える。


「あとカラスも丁重に扱え!……いや、アレだよアレ、あのメスガキ4人組を狙え! わかったら、バカ共、そらいけ!」

第3の声が響くと同時に、プロディジーの乗っていた車両のコクピットから、ひとつの黒い影が勢いよく躍り出た。

それは1羽のカラス――そう、シャカゾンビの使い魔だ。


咆哮めく裂帛の指令を発したその漆黒の鳥は、陽光を背にして翼を大きく展開した。影が地上に落ちる間もなく、

螺旋を描きながら高度を上げ、街の喧騒を遥かに見下ろす蒼穹へと舞い上がっていく。

やがて上空に達すると、その鋭利な瞳は地上を見渡し、混乱する群衆の中から

確実に4つの標的を選り分けた。


「アシュリー、知り合い?」

おせちは、アシュリーと並んで後方に着地した直後、その肩越しに目を細めながら問いかける。

「昨日助けたブタとオカピかな」

アシュリーはまるで驚きもせず、そうとぼけてみせたのだが、やがて戦闘の気怠い確信が、その横顔を徐々に染めていく。


「きゃあああああ!」

「逃げろ!!」

街では、群衆のはじけるような叫びが幾重にも重なり、通りの全体までが動揺の波に呑まれていくところだ。

その混乱の奔流に乗じて――次の行動を決めかねていたようだったマツバラは、ひとつの重大な決断を下した。


騒ぎに呑まれまいとするのではなく、そのただ中に踏み込んでいったのだ。

肩をすぼめ、腕を果敢に前に突き出し、流れに逆らうようにして群衆を押しのけるその姿は、推定40代とは思えぬ俊敏さを見せる。

わずかな隙間を縫って、彼はひらりと横に身をひるがえし、

目の端に捉えた適当な路地裏へと、ほとんど反射的に身を滑り込ませた。


「あっ、逃げる!」

さなが、群衆からひとつこぼれ落ちた男の背を視線で追いながら叫ぶ。


それにすぐさま応じたのは、はちるだった。

「いいよほっといて、さな! たぶん、もう――直接この人たちに聞いた方が早いもん!」

その言葉に、さなは一瞬だけ目を見張る。

だが、次の瞬間にはすでに顔つきを変えていた。

静かな意志が瞳の奥に宿り、口元に迷いはない。


「――あっ、そっか!」

そう呟いた声は、空気を割る導火のようだった。

間髪を入れず、彼女は動き出す。両手にひと束ずつ握った呪符が、アコーディオンを勢いよく開くように、1枚1枚魔力に弾かれて宙へ舞い上がり、

紙片は螺旋を描きながら彼女の身体を巡る。ただの黒いオーバーサイズのトレーナーが、

霊力の働きに感応して黒とオレンジの2彩を宿し、あざとくも儀式めいた、

うさ耳フード・パーカースタイルの道服が、右から左へと鮮やかに染みわたっていったのである。そして腹の高さで両腕を交差させると、

すべての呪符は彼女の後背にて――まるでクジャクが天下に威儀を示すように、美しい扇状に展開される。


その立ち上がりには、ぎょっとするほどの鋭さと、平成ライダーの初変身を彷彿とさせる、侵すべからざる荘厳さがあった。

いまこの瞬間、たしかに彼女は"ミーティス"としてこの場に立ったのだ。


「さなには”コレ”があるからね!シャカゾンビの仲間……欲を言うと私やはちるもちゃんとした服を着てる時に来てほしかったんだけど……」

ピンクレンズのハートのサングラスを掛け、クロップド丈のインディゴカラーのデニムジャケットに身を包み、

ペルシャ絨毯を巻いたような柄で、ジャケットと同じ色に染められたカーゴパンツを穿き、厚底のサンダルで足元を固める――そうした、

ファッションモンスターな装いのおせちは、どこか残念そうにつぶやきながら、ギターケースの中に潜ませていたガンブレードをゆるやかに取り出していく。

その指のうごきは繭を割った蝶の羽化を手伝うかのように繊細で、ゆえに銀色の武器の物々しい煌めきは、昼光の下に

ひと雫ずつ丁寧にあらわれていった。


「……でも、どうやって私たちの場所を知ったんだ?」

ジャンパーに手を突っ込んだままのアシュリーの声は、焦りの感情というものからはほど遠い。


「それも捕まえて聞けばいいんだよ」

ガンブレードの薬室を開き、弾をひとつひとつ滑り込ませていく己の指づかい、そこから目を逸らさずに

おせちは答えた。その手つきには熟練の料理人の皮むき作業を彷彿とさせて急ぐところがなく、それでいて無駄がない。


「ああ~、まあそうか。でもやっぱ、攻めてみて正解だったな。100点満点じゃないが、こっちの思ったルールと場所で戦える……」

納得したアシュリーは、人混みが掃けた後の余韻のように自分の足元まで転がってきて、靴先にささやかな感触を押し付けてきた

空き缶を取り上げ、それを、何の気なしに燃やしながら返した。

指先で作ったちいさな輪の中に、目覚ましいほどの炎がいきなり立ち上がれば、その中で缶は茶色い粉となって崩れ去り、

焼け残りの粉塵はそのまま風にさらわれて消えていった。


「悪いが、今からここはジャングルに作り変えさせてもらうぜ!」

腕をあらわにした特攻服に身を包んだプロディジーが、片足立ちになって腕を開き、ひょうきんにそう宣言すると、すかさず隣で声が返った。

「あっ、俺はサバンナがいいな!」

親父臭さを漂わせるアロハシャツ姿のハヴォックは、その場で両足を揃えると小刻みな跳躍を始める。

彼なりの準備運動だろうが、3mにも近い身が地面を踏みしめるたび、舗装は軽やかに震動し、

近傍の街路樹は葉を散らしていく。この光景は、周囲の環境にとってたいへん迷惑と言うほかなかった。


「じゃあ半々にするか!」

とプロディジーが応じる。2人は一瞬、目を合わせてニヤリと笑うと、揃って前線へと飛び出す構えを

とった――その瞬間、空から刺すように声が降ってくる。


「おい、事前に決めた段取りで動けよォ!わかってんなァ!!?」

東京という街の、巨視の眺望においてははてしなく広がり、微視のまなざしにおいては

精巧無比なビル群を見下ろすほどの上空、そこを滑空する漆黒のカラスが声の主だ。

彼の翼が空気を強く打ち付け、次の瞬間には一段と上昇してみせるその様子は、

地上の狂戦士たちに下された号令の、視覚的なあらわれと見えた。


「うっせぇな……」

「しかたね、じゃ、さっそく行ってくるぜ」

そう言い残すと、ハヴォックは息を1つつき、ずるりと重心を落とした。

彼の肉体はもともと、肥満とも筋骨隆々ともつかぬ不定形な質量の塊なのだが、それが瞬く間に丸まり、

ちょうどオーブンの中で焼け膨れる餅のように異様な輪郭を成したのだ。


四肢が地に接した瞬間、足裏の肉厚がアスファルトにめり込み、

直後には、溜めた圧力をすべて爆発させるようにして地を蹴った。


音が跳ね、風が巻く。空気を押し割るほどの低い突風を背に、ハヴォックは猛獣の疾走を開始した。


ただし、その進行方向は――

4人の少女たちとは、まるで示し合わせたかのように真逆だった。


「あっ、どこ行くんだよ!」

アシュリーの叫びに返されたのは、プロディジーの陽気すぎる声だった。

「なに、ちょっとしたはからいさ!せっかくのパーティーがここだけじゃ寂しいかと思ってな!」

それと同時に、彼の両腕は動き始めている。

まるで窓を拭くときのような外回しの軌道で動き始めたオカピの男の手首には、規格外に大柄な手錠が嵌め込まれており、

そこから伸びた鎖が前腕には幾重にも巻きついていた。

今まさに、彼はその戒めをほどこうとしているのだ。風にこすれる鋼の音が、あたりの気流さえ不気味に乱し始める。


「……アシュリーはブタの方ね!」

したたかに、そして一切の余韻を残さず、イムノが叫んだ。

右手に銀の刃をたずさえ、まるで誰かの腕を引いていくようにそれを伴いながら、彼女は地を蹴る。

ひと蹴りごとにその歩幅は広がり、淡々とした足取りのなかに、明らかな加速の気配が宿っていく。


その隣を並走していたアシュリーは、

「よっしゃいくぞ!……ブードゥー・1、ホットショット――オンステーション!!」

次の瞬間、炎に身を包みながら、しなやかに跳躍した。

地面をひと際おおきく踏み切る一瞬、2人の進路は壮大に分岐し、ホットショットとして”完成”したアシュリーは、

灼熱の尾を引いてハヴォックの進路をまっすぐに追っていく。


そのとき向かいの地面が、

「ドオォオオオ…………!!!」

まるで彼女たちの進軍を迎え撃つ意志を持つかのように低く轟いた。

ドリルタンクが穿った巨大な孔から、蛇蝎山で確認されたあの作業用ロボットたちを戦闘用に再設計したものが、

次々と姿を現していったのだ。


ほとんどの個体が、携えたブラスターをすでに構えた状態で大孔より飛び出し、着地の瞬間には、ほぼ反射的に火を噴く。

その無差別な掃射によって、通りの一帯が、誘爆の始まった火薬庫のようにゆらぎ始めた。左右にそびえるビルからは煙が弾け、

砕けたガラスが陽光を屈折させながら舗装の行き届いた地上に降りそそいでいく。


ホットショットはその爆炎を背に、振り返ることなく加速を続けた。

一方のイムノは、敵の先陣を切ってあらわれた機体――車にハコ乗りした暴走族をそのままロボットに置き換えて、さらには火線まで

振り撒く4人乗りの反重力バイクと、のびやかな跳躍の最中にすれ違った。


そこで振るわれた銀の軌跡は、

空気の密度すら変えるほどに明瞭で、対向していたバイクの機体は、その一閃のもとに構造ごと裂かれ、

切断の勢いそのままに滑走し、後方で爆散した。その直後、上方から飛来してきたスヌープキャットが、音もなくイムノの隣に着地する。

体勢を崩すことなくそのまま並び、4つ足での駆け足を再び始めた。


プロディジーの鎖は、もはや扇風機の羽根など比較にならぬほどの速さで気流をかき乱しており、

ゆえに、金属が空気と摩擦する甲高い音があたりには響きっぱなしになっていた。すべての拘束が解かれた刹那――鉄環の直径が3センチを超す重厚な鎖は、空へと解き放たれた。


そして鎖は、ドラマーが決めの1打としてスティックを天高く振り上げるように、昇りつめられる限りの高さまで舞い上がり、

一瞬の静止ののち、その圧倒的な頂点から地面へと一気に叩きつけられる。一撃はアスファルトを紙よりも簡単に穿ち、

道路の白線などよりもはるかに鮮烈で深い裂け目を刻み込んだ。


「来な!」

敵勢の迫り来る気配を感じ取ると、鎖はふたたび引き戻され、プロディジーの、

肩の位置さえ越えた後方へと大げさにしなっていく。


「さな! ロボットの相手をしながらみんなを逃がして!」

姿勢を沈め、跳躍の身ごなしに研ぎ澄まされた鋭敏さを宿しながら、イムノは敵の正面へと果敢に踏み込んでいく。

向かい風に吹かれる彼女の前髪が後方へたなびく中、その声は、朗々と響いた。


「ウチもなんかかけ声…………クックドゥードゥルドゥーっ!!!」

その瞬間の、スヌープキャットの四肢がたわみ、地を蹴る動作に一切のためらいはなかった。白い影は弾かれた弓のように跳び上がり、

突貫するがごとく、一直線にプロディジーの位置へと襲いかかっていった。


「いいよ!」

イムノの要求に即座に応じたミーティスは、全身に1段階強い圧をかけ、ホバー移動を加速させる。

その背後、宙に浮かんでいた札群が、群飛するコウモリのごとくざわめき、前方へいっせいに放たれた。


それらは、ビル街の縁をなぞるほどに広く散開し、角度を変えながら滑空する。

そして次の瞬間、群れの先頭から順に高度を落とし、アスファルトの地表に限界ぎりぎりの距離まで迫った。


舗装面から数cmの空間を、札たちは風に翻弄されるビラのごとくさかんに縦揺れしながら滑走し、

車両や街灯、舗装の起伏をつぶさに回避していく。


そして、放置車両、ゴミ箱、ポスト、並木の生垣、コンビニの入った曲がり角のビル――

街のあらゆる構成要素を盾としながら、赤や青の光線を遠方へ放ち続けるドロイドの隊列へと、

一斉に突入していった。


直後、狙いすました着弾点に火柱が続々と巻き上がっていく。

車の影に隠れていた敵兵が爆煙ごと吹き飛ばされ、札はさらに次弾を継いで、別角度から再突入――その1枚1枚がまこと生き物のように、最短距離で敵戦力を捕捉しては自爆した。


……そして札には、この激しい1群とは別に、まったく異なる役目を担うもう1群の存在がある。

彼らもまた、ひとたび宙に放たれれば速度を緩めることないが、ただしその動きは先の攻撃隊とは根本から異なっていた。

つまり、最初は攻撃部隊に紛れ込みながら飛翔していた札が、ある瞬間、鋭い転回とともに急降下したのだ。

そして街の各所へ散開し、建物という建物の隙間をめざして滑り込む。


両開きドアの狭間、わずかな通気口や割れた窓、空いたマンホールの口元……。

ネズミが配管を伝うように、虫が壁の裏を這うように、その動きには、生き物の周到さと生々しさが宿り、

都市の内部へと深く、ふかく、浸透していく。


札は、かすかに震えながら屋内の空中を滑り、壁や爆煙の向こうにある生命の気配に自然と吸い寄せられていく。

とある集団の先頭にある1枚は、火の粉の舞う瓦礫のあいだに、うずくまる老夫婦を認めた。


次の瞬間、護符の文様――紙の上で乾ききっていたはずの墨文字が、ふたたび滲み始める。


《わたしはミーティス。》


《いまからあなたを》


《あんぜんなばしょまでおおくりします》


《こわがらないで》


《まかせてください☺》


まさしく10代の女の子が書く、丸みのある柔らかな筆跡で、そういったつたない文言が、かわるがわる札面に浮かび上がっていった。


「……な、なんだいこりゃあ?」

老爺がかすれた声でつぶやく。不意に背後へと札の数10枚ががふわりと舞い降り、2人の周囲を円を描くように回り始めた。


「気持ち悪……でも……なんか……この感じ……」

老婆は身をすくめながらも、札から立ち上る霊気のぬくもりに、目を細めていた。


そのとき、札たちは意思を持つ生き物さながらに2人へと群がり、最初の1枚が勇気を出すようにぴたりと肌に貼りついた瞬間――

ついで一斉に、残る札までが容赦なく全身へ殺到し、2人を頭の先から足の先まで強引に包み込んでいく。


わずかな抵抗の余地も許さず、肌も衣服もすべて紙の層で隠され、短い悲鳴すら閉じ込められてしまう。


「お、おい!ちょっと待てって――」

地面を離れる間際、ミノムシも同然の存在にされてしまった男がかろうじて声を上げるが、それも一瞬でくぐもり、彼らの身体は

塵と煙の帳の外へと滑るように運ばれていった。やがて安全な区域の歩道に、札ごとそっと降ろされる。


……こうした光景が、攻撃部隊の大規模な爆撃とまったく並行して――地上のいたるところにおいて同時多発的に展開されたのである。

呪符に全身を閉じ込められ、身動きも取れぬまま宙に浮かされた人々が、巨大な集荷センターのベルトコンベアに載せられた無数の荷物さながら、

途切れることなく、おどろくべき速度でこの砲火飛び交う通りを外れ、各所の曲がり角へとひとつひとつ滑り込んでいった。


「……う、浮いた!?」

「嘘だろ、なんで俺まで――」

「こ、これ助けてくれてんのかな!?」


宙を舞う札たちは、熱と煙の渦の間を休むことなく奔走しつづける。人間という荷を見つければ、黄ばんだ紙片の束で包み込み、即座に空中へ持ち上げた。

札の群れは、通りの曲がり角や障害物も正確に計算し、必要な進路を瞬時に選んで、要救助者を次々と運ぶ。

たとえ見知った者同士であっても、その搬送先は戦況の要請に応じて細やかに分けられるが、しかしいずれは、戦いと無関係な場所に送り込まれる……。


安全圏まで退避できた者たちは、無数の紙片が体から剥がれていくのにつられ、


「えっ?」

と、お互いの顔を呆然と見合わせた。

誰もが、急に取り戻された「現実感」を咄嗟には信じられずにいる。


「……夢か?」

「いや……でも、さっきまで……」

「助かったのか、これ……?」

風に舞う数枚の呪符――ひとりの視線が、無意識にその背を追う。

紙片には、幼い手跡でひと言、優しい文言が書き記されている。


《このまま、できるだけはやく》

《とおくまでにげてください》


人々の胸に残ったのは、そのささやかな墨跡と、ようやく靴底に感じられてきた地面の実感。

札はそれだけを告げて、次の任務を急ぐように、都市の空を流れていった。


この高度なオートメーション救助が各所で進む中、ミーティス自身もまた、親衛隊としての約100枚の札を背後に従え、

逃げ遅れた者の捜索に乗り出していた。迅速なホバー移動で次々と角を曲がり、視線を細やかに巡らせながら、

取りこぼした存在の気配を自身の感覚で直に探って、この戦場という迷宮を踏査していく。


集団から離れて、腰だめで義務的な射撃を続けていた1体のロボットに向けて、

イムノは1歩ごと10mを超える超人的な踏み込みで疾駆し、すれ違いざまの軽やかな一太刀で斬り伏せた。

刃先には光の残像が漂い、イムノは直角に身をひねりながら、低い姿勢のまま一気にプロディジーの懐へと肉薄する。


その瞬間、両側から迫る敵を視界の端で捉えたプロディジーが、腕を交差させつつ鎖を各方向へ大きく外払いに振るった。

狙いは、わずかに早く飛び込んでいたスヌープキャットだ。

「――わッッ!!」

嵐のような衝突音が響くと同時に、彼女の身体は強烈な弾性を受け、空中に残像を描いて飛ばされた。

その速すぎるシルエットがもぬけの殻のケータイショップに突入し、待合の机を砕き、ガラスの粉を街路に撒き散らす。


(そういう軌道か――!)

ほぼ同時に放たれた次の一撃を、イムノは走る姿勢を崩さぬまま、最小限の前屈でかわした。

屈んだ体勢から跳ね上がり、剣を横手に素早く振るい、一直線にプロディジーの胴を狙う。

プロディジーは片腕にはめた分厚い手錠でその斬撃を受け止める。


数手にわたる斬り結びが立て続けに繰り広げられ、火花と衝撃波が間断なく飛び交う。

互いの得物が激しくぶつかり合い、激突の勢いでいちど両者が大きく押し戻された。

その打ち返しの速さ――ほんのわずかな差で、プロディジーがイムノを上回ってた。


「――せッりゃァッッ!!」

獣人の膂力を込めたラリアットが、すかさずイムノの顎を捉える。

激突音をともなって少女の身体が地を打ち、アスファルトは陥没した。数メートルにおよぶ半球状のクレーターが、瞬く間に広がる。


「……ふっ!」

だが彼女は崩れない。勢いのまま跳ね起きると、再び渾身の力をもって剣を振らんとした。

「木の葉みたいに飛ぶ割には頑丈だな?」

嗤いながらプロディジーが逆水平に拳を打ち出す。イムノはその攻撃を、大きく飛びのいてかわしたが、

間髪入れず彼の手元から放れた鎖は、絶妙に曲がりくねってその軌道を追い詰めていく。


「インターセプトぉッ!」

そこへ横合いから飛び込んだスヌープキャットが、勢いを1点に凝縮したキックで、せまる鎖を見事に弾き飛ばした。のびやかなバク宙で着地したのち、

とりもなおさず彼女は、再びプロディジーめがけて猛然と突進する。


「こっちも帰りが早いなァ!」

すぐに、プロディジーは鎖をあらためて獣人の少女に向かわせる。


……場面は、攻防のこの決定的な瞬間の10数秒前にまでさかのぼる。

大きな歩道橋のそばを、優雅な弧を描いて滑るミーティス。地表すれすれを、

アイススケートのようなしなやかな横移動で進み、軌道の終点で厚い袖の右腕を大きく振り抜く。


札の束が、そこに陣取っていた敵の分隊へ向けて奇襲的に放たれたのだ。


空を裂いて扇状に突進する札は、反撃のほんの撃ち始めしか許さぬまま、

標的となったドロイドたちの胴や首を正確にとらえて斬り裂いた。

袈裟懸けに切断された鋼体が宙を舞い、切り口からは即座に火焔が噴き上がる。


「――!!」

直後、ミーティスの視線は素早く横手へすべった。風を裂く鎖の軌跡が、その霊感を刺すようにかすめていったからである。


判断は迷いのないものだった。

身体を旋回させるよう体勢を転じると、霊力をこめた足元が、空気を弾いて急激に加速する。

「いけっ……お邪魔虫っ!」

というかわいらしいかけ声にあわせ、一方へと向かって流れだすのはやはり大量の呪符だ。


こうしてふたつの時系列が合流し、矢よりも速くスヌープキャットにせまる鎖の軌道へと、吹き上がった札の嵐が衝突する。

その流れはまさに怒涛だった。続々と放たれるダーツが1点へと収束するかのように、無数の札が角度を変えつつ空中を駆け、

精密な間合いで鎖に干渉していったのだ。1枚、また1枚と貼り付く音がビルの壁に連続し、鎖の運動は、

時が止まったのにも等しく完全に凍結される。


「なんだぁっ!!?」

鎖ごと、腕が無理につり上がっていく感覚がオカピの獣人を困惑させ――、

「……隙ありィ!」

振りかぶりながら飛び込んだスヌープキャットの拳が、プロディジーの頬を真正面から捉える。

「!」

骨が軋むほどの衝撃が頭部を揺らし、足取りまで乱す。


間髪入れず、膝をついたイムノがガンブレードの引き金に指をかける。その銃口を青く、玄妙に染め上げているのは

ほとばしる電撃の束であり、

「……ソイルっ!」

放たれたのは、「レモン味のソイル」と彼女が名付けた、黄色い砂の魔法弾である。

刃に込めぬかぎり、これは直撃雷にも等しいエネルギーを備えた電磁誘導式の単発弾として作用し、

スヌープキャットの強打を追うように、プロディジーの腹部へとめり込んだ。


これこそは彼の腹に、先刻の“クレーター”のお返しをする一撃といえて、

「ぐ、ぼぁッ……!」

雷光の閃きが、獣人のへこんだ胴を一瞬、焼け焦げるような白に染め上げた。

臓腑を圧搾する衝撃は骨の芯まで達し、白目を剥いたその長大な身は、螺旋状の気流を引き連れて吹き飛ばされる。

長く、速く空を飛び続けた彼の体は、棄てられた車を5台、立て続けにひしゃげさせてなぎ倒しながら、その破片とともにようやく地に伏した。


イムノとスヌープキャット、ふたつの影が相次いで地面を蹴り、直線的に敵へと迫る。間髪を入れず、次なる攻撃を繰り出すべく――。


目前で乱打されるブラスターに、子供の喧嘩のような調子で札の塊をぶつけ返しているミーティスは、

そのまま光線を押し切って、また1体の敵を撃破する。

「ロボットの数、だいぶ減ったっぽい……!」

そしてくるりと身をひるがえし、全方位へと警戒の視線を配りながら、長い袖をさっと払い切った。

その先端からは、新たな札の頭がわずかに覗き出ている。


そうして改めて見回してみると、初めて気が付くことがあった――。敵の装甲だったものか、あるいはこの街を形づくっていた何かの一部だったのか、

もはや判然としない黒ずんだ破片の山が、あちこちに累々と横たわっていること。

焦げついた鉄の残骸が煙を吐き、爆炎の尾が今もいくつかの箇所でくすぶっている。

つまり見渡すかぎりの世界の様相が変わり果ててしまったのだが、それと同時に、そしておそらくは、

他ならぬ彼女自身の奮闘によって――いくらかは落ち着きを取り戻しつつもあった。


あれほど絶え間なくひらめいていたブラスターの閃光は、いまはもう目立たず、

耳にこびりつくほどだった金属的な足音も、いつの間にか途絶えていた。

荒れ果てた街を吹き抜ける風も、自然のまま今は感じることができる。


「これだけ安全なら――耳目符も使えるかも……!」


ミーティスは袖の内から、ひときわ細長い1枚の呪符を抜き取った。

「耳目符」。それは、術者の視覚と聴覚を一時的に札へと完全に移すことで、遠方の状況を探索できる特殊な符である。

ただ、その代償は小さくない。使用中、術者本人は目も耳も使えなくなり、現実世界の感覚を一切失うことになる。

状況が不安定なうちはおいそれとは使えない、その性質ゆえに、いままで温存していた切り札だった。


――だが今なら、この瞬間ならば。


ミーティスは指先に力を込め、耳目符をふわりと空へ解き放つ。

呪文が浮き出た紙片は、彼女の掌を離れるとたちまち加速し、風の流れをなぞりながら急激に上昇を始めた。

すうっと、煙突をすり抜ける煙のようにして舞い上がり、ビル群の背よりもさらに高く――。


空の穹窿のただ中。札が静止した瞬間、ミーティスの視界が1遍、がらりと切り替わる。


それは、天空の1点に開けた瞳の座である。

一望されるのは、灰色に煤けた都市の俯瞰図――プロディジーと激突する2人の姉妹、爆炎に囲まれた車列、崩れかけた歩道橋、散り散りになりながら避難を急ぐ人々……。

なかでもひときわ異彩を放っていたのは、ホットショットとハヴォックで巻き起こしているものだろう、はるか遠くにちいさく映る奔流のような戦いだった。

炎と衝撃波が断続的に都市の静寂を裂き、地形すら変形させながら、まるで画面の1点だけが生きているかのように激しく明滅しているのだ。

……そして――なにより大事な情報として、

ドロイドの全勢力が、この直下の通りにだけ集結していることが、あまりにも明瞭に、その景色には刻まれていた。


「……やっぱりここ!敵は全部、この通りに集まってる」


ミーティスの耳に、上空で鳴る風の音が届く。

それは、地上ではけして聞こえない、都市そのものが発しているような深くて長い呼吸だ。


その時である。

「うわぁーッッ!!」

街の片隅から、喉が潰れそうなほどの悲鳴が響いた。それは、命に危機が迫った者の本気の叫びだった。


プロディジーとの、激しい白兵戦の最中、

「おじさんの声だ!……さなは耳目符を使ってる!はちる、おじさんをお願い!」

空をちらりと窺い見たイムノの一声に応じ、


「わうっ!」

プロディジーに殴りかかるのをやめたスヌープキャットが、そのまま身を宙でひねって地を蹴りなおす。しなやかな脚が舗装を弾き、

耳をたたみながら一気に路地裏へと身を投げた。


その先――、

路地の壁際、背を押しつけるようにして縮こまる中年男の姿があった。目を見開き、手は無力に宙を泳いでいる。

目前には銃口を突きつけるドロイドの影。今にも引き金が絞られようとしていた、まさにその時、


「やっほっ!ジュース買ってきたよ!」

白い影が、頭上から降ってくる。

スヌープキャットだ。空中でひときわ大きく身をひねり、着地の反動を四肢へと伝えた彼女は、

腕の毛並みをしなやかに逆立たたせ、射かけられる無数のブラスター弾をものともせず、肩を軸にしたラリアットで力強い1歩を踏み込んだ。


鋼よりも頑丈な前腕がドロイドの胸郭に深くめり込めば、機体は軋みながら上半身をもぎ取られていく。

その破壊の余波は、後方にひかえていた小隊にも時間差なく波及し、連鎖的に装甲を砕いては宙へと飛ばしていったのである。


ぶつかり合った機体群はたがいの肢体を巻き込みながら、衝撃の突風に一掃され、破片は礫のようにビルの壁面へとぶちまけられていく。

最後に跳ね返った機体の胴が地に叩きつけられ、電流の残滓をまといながら瓦礫の山に崩れ落ちた。


この大立ち回りの隙を縫って、マツバラは本能的に反対方向へと走り出していた。目の前の惨状を振り返る余裕などとてもない。


――だが、その瞬間だった。

「……捕まえたぜェ!」

空の1点から、破裂感のある声が地上に叩き落とされた。

旋回していた黒い鳥――あのカラスが、すさまじい急降下でマツバラの両肩へと襲いかかり、

鋭い爪が、まるで獲物を逃がさぬ意志そのままに、男の肩をがっしりと挟み込んだのだ。


次の瞬間、カラスの翼が大きくしなり、力強い羽ばたきが空気ごと人を巻き上げる。

羽音が一瞬、すべての音を飲み込んで消えれば、地上の重力から男の体を引きはがすように、

カラスは浮揚する気流に乗って、悠然と上昇していった。


60kgの身体が、まるで重さという概念から切り離されたかのように、空へと持ち上げられていくのだ。

鳥の身体は普段通りのリズムで羽ばたき続けるが、その軌道は不気味なまでに滑らかで、超常的な浮遊感を周囲に刻みつけた。


黒い翼はビルの影を斜めにすり抜け、まばゆい大通りの上空へ舞い出る。

さらに陽光を受けて深い漆黒が一際きらめき、カラスと囚われた男は、ビルの狭間が作り出す鏡面世界を抜けた

空へと、揺るぎなく昇っていった。


「やっぱアレも普通のカラスじゃなさそ!」

地上からその影を追うスヌープキャットが、焦りながらも声を上げた。脚はひたすら地面を蹴り続け、獣耳が風を裂いてたなびく。


まさにそのとき、

「えいっ!」

手が空いたばかりの、ミーティスがすぐ戦線に復帰した。投擲された札が迅速に空を駆け、上空のカラスの目元をめがけて直進する。

紙片は1枚、2枚、3枚と連なるように接近し、最後の1枚がぴたりとその顔面へ命中した。


「ゲェッ! 見えねっ!」

悲鳴を上げるカラスが、翼を不規則にねじる。バランスを崩したその身体から、マツバラが空中へと乱暴に投げ出された。


「うおおぉおおぉお!!!」

――落下。

男の影が空中を舞い、風を切りながら真っ逆さまに地上へと落ちてくる。


「ダイジョブだよ!ネコ毛のベッドがあるからね――!」

その真下へ、スヌープキャットはスライディングで滑り込んでいく。


全身の毛を限界まで逆立て、ふくらませたその体は、まさに輪郭のギザギザした大福そのもの。

見た目のおかしさが示すとおり、 空気が押し返される音もこの熾烈きわまる戦場には似つかわしくないほど滑稽なものになった。

だが、仕事それ自体には一切の抜かりがない。

すべてを抱え込んだ彼女の体は、人ひとりにかかる着地の衝撃を完璧に吸収していた。


「通りからなるべく離れたところのビルに隠れてて!」

要救助者の着地と同時に”大福”はスピンし、踏み込む足に力を込めて立ち上がる。

目線の先では、マツバラが半ば茫然としてこちらを見ていた。


「なんだお前!?」

おびえ混じりに問う声に、元の姿を取り戻したスヌープキャットは、耳をひとつ、ぴくりと動かした。

「ウチはあの2人の仲間!とにかく走って!」

その真摯なひと言に、マツバラは一瞬きょとんとする。だがすぐに表情を引き締め、無言で背を向けて駆け出した。

ビルの陰にその姿が吸い込まれていくのを見届けて、スヌープキャットはひとつ、深く息をつく。


そして、イムノとのふたりで、躍動的な剣戟を繰り広げているあの縦長い敵影を目で追った――。


……カバの獣人、ハヴォック。彼の全身にみなぎる猛進の勢いは、今や明白に、この過密きわまる

東京都心の交通動線を圧倒していた。

信号の赤は、あたかも存在しないかのように扱われ、

行き交う自動車たちは、その巨躯の前にまるで紙細工のように機能を失っていた。


ひとつの、遠景のアングルでしかその全容を捉えきれないほどの大跳躍――それに合わせて、

重心を横へなめらかに流していくハヴォックは、乗り移った先の高速道路を、

両足での着地に合わせ、いきなり粉砕してみせた。


分厚い舗装面が砕け王冠状に飛び上がり、鉄骨の継ぎ目まであらわになった。アロハシャツを着た黒茶い大男は、

自分のせいで崩れだした足場のことなど気にも留めず、真っ直ぐ突進を続けた。


高下駄のかたちをした道路を、縛り上げていくかのような炎の線を描きながら、ホットショットも、それと同じ高度にまで昇り詰めていく。

「お前、ジャングルブックに出てなかったか?」

並走しながら投げかけられたその言葉には、ただならぬ戦場にあって、まるで散歩の途上で口にする冗談のような余裕が感じられた。

追撃のさなかでも軽口を忘れないその胆力は、まさしく天性のものだ。


「なるほど、2足歩行のカバってのは案外どこにでもいんだな!」

ハヴォックが吠えるように返すと、うなる腕が斜め後方の空を裂く。

返答と同時に振るわれたその1発に、ホットショットは突進の流れをきっぱり断ち切り、全身にたぎる勢いを収束させる。

次の瞬間、制動の力をそのまま生かし、チャージした炎を疾風のごとく撃ち放った。


互いの技が空中で激しくぶつかり合い、ひと瞬きほどの間に、炸裂した炎の玉が宙を満たす。

その余波の規模が想像を超えたことで、ホットショットのシルエットが一瞬、

「ちっ……!」

消えかかるほど後方へと大きく膨れ上がった。


その隙を突いて、ハヴォックはすでに動き出している。

彼に、ここを決戦の場とする意志はないようだった。

両脚に全体重をあずけた爆発的な踏み込みで、地面を割る勢いで加速し始めたのである。


「チョマテヨ!」

思わずキムタクのモノマネめく声が出てしまったホットショットも、

かざした手から丸い火弾を1発、2発と繰り出しながら、果敢に後を追う。

しかしその巨身は、まるで小型の移動要塞のよう常に盤石だった。

懐に入ればはね飛ばされ、距離を取れば街や車ごと潰して進み、彼女の牽制射撃が肩や背中をかすめても、赤い光がただ弾け、余熱の斑点を束の間残すだけ。

その、腕が太すぎてどうしても乱暴にならざるを得ないランニングフォームは、いささかも揺らぐことはなかった。


空間の主導権を奪われている以上、攻勢に転じる糸口すら見えない。

そうした小さな「攻めあぐね」の感覚がじわじわと少女のなかに蓄積し、現実の追撃にもわずかな遅れが生じ始めていた。


(なら――)

飛行の最中、頬を叩いてすばやく思い直したホットショットは、このもどかしい流れを断ち切るべく、ひとつの大きな賭けに出る。

「……おいッッ!!!」

工夫もなく、敵めがけて頭から全身をぶつけていったのである。

炎に化身した彼女の体は、本来不定形の構造に霊力由来の斥力をまとわせることで、物を掴む時や、こうした突撃の瞬間には

強固な実体を獲得できるようになっていた。


「なッッ……!!?」

火矢よりも直情的なそのタックルに、ハヴォックの威容が、霞むほどの速さで吹き飛ばされる。

2人はそのまま地面を巻き込んで激しくもつれ合い、火花を立てながらアスファルトを滑り、

「――ッッ!!!」

立ち上がりざまのパンチは、いきなりのクロスカウンターとなって汗と火の粉が対称に弾け飛ぶが、

ふたりは、そんな極限の衝突さえもただの序章とするほど壮絶な殴り合いへと、そのまま身を投じていくのだった。


しかしその直後、間近にあった1台の車両が、逃げ場を失ってふたりの頭上へ覆いかぶさるように迫ってくる。

「どけっ!」

そこにハヴォックの平手が舞う。鉄の塊は弧を描いて吹き飛ばされ、数メートル先の防音壁に、悲鳴のような金属音とともに激突した。


他の車が、決死のハンドルさばきでふたりと衝突を避け続けることで、中央分離帯を背にした高速道路の一角に、

異様な静けさを湛えた決闘の場が出来上がる。そのなかで繰り広げられるのは、「重量」と「敏捷」が拮抗する決死の格闘戦だ。


ハヴォックは、自慢の剛腕を疲れ知らずに、がむしゃらにぶん回し続ける。

手は物を引っかく形へ変じているが、斬撃の鋭さはなく、もし破壊がもたらされるとすれば、

それは裂く力ではなく、圧倒的な圧力で押し潰す力によるものだろう。


その両腕が左右から交互に襲い来るさまは、まるで駆け出したオオカミの群れが絶え間なく獲物に噛みついていくようで、

相手に片時の隙も与えぬ猛威に満ちている。


対するホットショットは、空気の揺らぎすら嫌がって身をよじる蝶のように、敏感なフットワークでハヴォックの猛攻をかわし、

そうした絶え間ない動きの中に、蜂のひと刺しにも似た精密な打撃を織り交ぜて応戦する。

その身ひとつで男を三次元的に包囲するかのように飛び回り、噛みついてくる腕を翻弄し、

飛び込む拳には自らの肢を当てて軌道を逸らすたび、炎の鱗粉が赤くきらめいて宙に舞った。

手と拳足が交差するたび、風圧と熱も同じ激しさでぶつかり合い、その余波が路面を斜めに刻むほどの力で、場を震わせ続ける。


――しかしその均衡は、20数手目で突如として崩れた。

ハヴォックの片腕が大きく振るわれた際、その太い手が、偶然にも、ホットショットの足首を引っかけるようにして掴んでしまったのだ。

「あっ――」

「……おっらぁッ!」

機を見るに敏、男が全身の力を腕に集中させれば、


焔の少女は、重力の一気に下っていくあの気味悪い感覚を胸のあたりに覚え、

「うおッ!」

次の瞬間には背中から地面に激突する。

腰を軸に反動で跳ね上がるとすぐ、もう1度腕を振られ、別の角度から灰色の路上へと打ちつけられる。

「がぁっ……!!!!」

衝突のたびにコンクリートが砕け、破片と粉塵がまっすぐ上に吹き上がった。

地表にはくっきりと亀裂が走り、中央分離帯の壁が横薙ぎに破断して砕ける。


6度目の振り回しで、ホットショットの身体は大きな弧を描き、停車中の乗用車の側面へ激突した。

鋼板が激しく凹み、ガラスが砕け散る。その衝撃に浸る暇もなく、男の全身を使ったひねり投げにより、

彼女の身体はきりもみ回転しながら宙を切り裂き、ビル群のてっぺん近くまで放り上げられる。


「やばい、止まれ止まれ止まれ!――」

天地が逆さまになったままで片足を突き出し、体中の火先を逆巻かせる。そこで彼女はようやく不如意な上昇に制御をかけられた。


「――ふぅ……!」

一瞬、宙に静止し、ホットショットは深く息をつく。


そうして、ふたたび急行下していく彼女の視界に飛び込んできたのは、

「どうも、吹っ飛んでくれてありがとな!」

という言葉を残してはあらゆる車両を駆逐し、騒乱の中心線を突き進んでいく、ハヴォックの暴走だった。

一般車両など、ほんのひとかすりでも彼の肌に触れればガラスを霧散させて宙に舞い、遠くの路面へと叩きつけられていく。


そして極めつけは、30トン積載の大型トラック――

あろうことか、それさえハヴォックの正面突破によって勢いそのままに浮かび上がり、横転しながら10数メートル先まで滑走していく。

ハヴォックは、その一連の障害に対して、ほとんど減速のそぶりすら見せなかった。破壊の慣性が、圧倒的な質量と容赦のなさを

おなじ車内に乗せて無制限に滑っていくのだ。


「どうなんだよそんなに張り切って。いい歳こいたおっさんだろ?明日、筋肉痛で泣くんじゃないのか!?」

「心配ご無用、スイムとヨガとスムージーが日課さ!」

火弾が肩をかすめたり、腰を打ったりしながら交わされた軽いやり取りの直後、ハヴォックはアイススケートのジャンプを彷彿とさせる動きで、

空中でひらりと踵を返す。その勢いのまま、すれ違った4WDのリアガードをまるで取っ手のように片手でつかんだ。


身に合わぬ敏捷さから繰り出される、目にも留まらぬ速さの投擲――。

巨大な腕がたわみ、空気を裂く音が一瞬で周囲に満ちる。重厚な車体が、まるで弾丸のように放たれ、景色を横切った。


「……おい!やめとけって!」

(この落ち方は、“壁の外”――!)

危機を察した瞬間、ホットショットの体感時間は極限まで引き伸ばされた。

空気はまるで飴細工のように粘り、投げ飛ばされた車両の軌道すら、コマが抜け落ちた映像のように、断続的にしか目に映らない。

そんな停滞した世界のなかで、炎をまとった彼女の身体だけが、速度を失うことなく宙を駆け抜けていく。


燃え盛る体躯が灰色の路上を蛇行し、ある瞬間、45度の角度で急に跳ね上がる。

高速道路の枠外へ弾き出されかけた大型車のシャシーに、ホットショットは両腕を大きく広げながら滑り込んだ。

大胆な放物線を描きかけていた巨体――その全重量を、身の瞬発力を総動員した彼女はまるで

荷物を受け渡すかのように上から下へと垂直にいなし、寸分違わぬ制動で、あくまで高架道路の幅内に着地させるのだった。


やがて過集中の時間が終わり、現実の速度が戻ると同時に、空中をジェットの力で蹴り飛ばし、彼女はさらに前方へと駆け出していった。


ふたたび並走が始まると、ホットショットは敵の進路を鋭く先取りし、片腕を勢いよく振り抜いた。

「戦車もチリチリパーマに出来るこいつならどうだぁ!?」

赤い鱗粉をまとって一直線に奔るビームが、ハヴォックをめがけた。だが、その厚く湿った皮膚は、

継続照射される太い熱線すらもはね返す天然の装甲に他ならなかった。


「日サロの手伝いにもならなさそうだな……でかい弾じゃないとやっぱりダメか!」


「そろそろ黙りな、ハエめ!」

その嘲りに乗せて、ハヴォックは両脚を蹴り出す。踏み切った瞬間、街の空気が爆ぜるように振動した。

次の刹那――彼のはちきれんばかりの無敵の肉体は、ビル壁面の巨大なネオンサインを引きちぎっていた。

金属の骨組みに無数の電飾をちりばめた広告塔が、円を描きながら盛大に投げ飛ばされる。


「ぅおぉッッ――!」

叫ぶホットショットは急転し、看板のまわりに、螺旋を咄嗟に描くことでその一撃をなんとかかいくぐった。

だがその間にも、ハヴォックは高速下の道路へと――その舗装面を破砕しながら着地しており、地面を蹴ってさらに跳ぶ。

上昇と同時に怪物の体は橋桁にめり込み、青緑色した歩道橋の堅牢な

構造が、ねじれながらまるごと突き上がった。この衝撃的な光景に反応して、

近くの車列は水槽を叩かれた時の小魚じみた挙動で四方にばらけ、逃げ出そうとした拍子に次々と追突を重ねていった。


なんとか追撃に転じたいホットショットは、突発的な惨事に見舞われた地上の真上を横切り、

彼が、粉塵を上げて崩落させたばかりのビルの大穴へと飛び込んだ。


――その内部。空調の冷気が満ちるオフィスフロアを、ハヴォックは一直線に突き進む。

通路は狭く、壁は薄い――そのすべてを、ただ走るためだけにぶん回される腕と肩で破砕し、彼は躊躇なく進路をこじ開ける。


炎の航跡をまとって、それを追うホットショット。

彼らの接近を察した従業員たちは、悲鳴とともに左右へと跳ね、机の下や壁際へと転がるように身を隠した。

舞い上がる書類、吹き飛ぶデスク、衝撃で倒れるガラスのパーティション――

都市に根ざした日常のひとつが、いま、超人たちの突貫によって容赦なく蹂躙されていく。


そして、窓外を睨んだホットショットは、敵の次なる着地点を川向こうの道路と読み切ると、炎の尾をさらに鋭くして前に飛んだ。


東都ニュースネットワーク(TNN)の報道ヘリはこの時、川の真上近くを一定の高度で旋回していた。

機内では無線がひっきりなしに飛び交い、カメラマンはビル街の異変をファインダー越しに捉え続ける。

記者は後部座席から、下方の混乱を実況めいた口調でレポートにまとめていた。

操縦士は揺れる機体を安定させつつ、風の流れにわずかな異常を感じ取っていた。


「……えっ?」


その目がふいに横手のビルへ向けられた、その瞬間。

壁面が大きく膨れ、ガラスを粉砕して飛び出してきたのは、跳躍の勢いをまとった巨人――ハヴォックだった。

両手を広げた黒っぽい肥満した姿が、全重量を載せて、ヘリの進路めがけて一直線に躍りかかってくる。


「うわあああああああ!!」


悲鳴を上げたのは操縦士ではなかった。同乗していた記者のひとりだ。

迫る死の予感が、彼らにとっての数秒を引き延ばす。

次の瞬間、乗員たちは無意識に身体を動かしていた。ドアを蹴り開け、下に広がる川面へと我先に飛び込む。


頭から墜ちた冷水の衝撃と、まだ少しくらいの間は回り続けるだろう、ローターの風圧に打たれた皮膚の痛み。

どちらが強かったかは、もう分からなかった。


直後、空っぽになったヘリコプターは、ハヴォックの突進をまともに受けて空中で爆散した。

機体はねじ切れるように折れ、燃料が破裂音とともに四方へ飛び散る。


ホットショットにとって運が悪かったのは、火球の膨らみ始めた刹那、体の舵を取り間違えて

ちょうどそこに突っ込んでしまったことだ。


「……うおァッッ!!」

ハヴォックが意図したのかどうかは分からない。しかし、問題は衝撃の強度だった。

彼女の変身能力は、一定量の燃焼体積を前提とする。

それを維持するプラズマの閉じ込め領域――その力場が、爆風との激突によって激しく揺らぎ、形状が崩れる危険域に達していた。

ほんの刹那の遅れで、ホットショットは制御を失い、変身を解かれる。


――落下。


放物線を描いて宙に投げ出された彼女を待ち受けていたのは、川向こうの道路、赤信号で停車していた大型トラックのコンテナだった。

吉濱アシュリー、生身の身体が斜め上から落下し、硬質な天板の角に狙いすましたように激突する。


「ぐしゃっ」

金属板は大きく凹み、柔らかな緩衝材さながらの歪みを呈した。

へこんだコンテナの縁から、ホットショットは小柄な身体をずるりと滑り落とし、真下の地面へ肩から崩れ落ちる。


常人であれば、一撃で骨のどこかが砕け、命を落としていても不思議はない衝撃だった。

だが彼女は、神霊に属する存在から直接、長年にわたる鍛錬を受けた者――どのような状態であろうと、

その肉体の性質は常に「人間離れ」したものだった。


つまり彼女は、

「にゃっろぉ……!」

肩で息をしつつも、自らの脚で立ち上ったのである。

レンガ敷きの歩道がその体重をしっかりと受け止め、数歩よろめいたのちには、やおら再び駆け出していく。


その姿を目撃した通行人のひとりが、「えっ?」と短く息を呑んだ。

耳目に焼き付くほどの爆炎の只中から、スカジャン姿の少女がいきなり弾き出され、トラックに激突し、それでもまだ生きている――

誰がそんな光景を、すぐさま現実として受け入れられようか。


だが彼女は、驚愕に目を見張る人々の存在など意にも介さず、

その肩を片手で押しのけるように振り払いながら、再び地を蹴る。

跳躍の勢いで脚がおおきく伸び、宙に浮いたその一瞬――


頭頂から爪先の順で炎のヴェールが克明に身を覆い尽くしていき、

丹田の1点から拡がるプラズマの場が、その輪郭を、燃える戦士――ホットショットの姿へとあらためて編み直していった。


かくしてホットショットは、空へと還る。

焦げついた空気の中、残光の尾を引きながら上昇していった。


……そのときだった。

炎を纏って飛翔する彼女の視界に、突如として新たな危機が割り込む。


「ハッハーッ!受け取ってくれやぁ!!」

叫び声とともに、この高さまで跳躍してきた影。言うまでもなく、ハヴォックである。

その両腕が抱え上げているのは銀色のタンクローリーで、しかも運転席には、まだドライバーの姿があった。


「ッッ……!おいおいおい、それはマジでやめろ!!」

ホットショットの全身が、瞬時に緊張でざわめく。だが、次の刹那、ハヴォックの腕はすでに振り抜かれていた。


巨大な車体が空を裂き、重低音の唸りを上げて放物線を描きながら迫ってくる――!

アスファルトの路面には、目を見開き口をあんぐりと開けて、首を反らして空を見上げる群衆がひしめいている。

凍りついた表情、硬直した身体、動かない足。今の彼らの頭には、おそらく「逃げる」という選択肢が存在しない。


(――避けるわけにはいかなさそうだな!)


だが、ホットショットの“計算力”は、こうした極限の瞬間にこそ研ぎ澄まされる。


刹那、

「よし、まずはあんただ!」

ホットショットは光の反射めいた直角の飛行を連続させ、瞬く間にタンクローリーの側面へと回り込んだ。

激しい風圧の生じるほどの勢いで身体を1回転させれば、飛び蹴りの姿勢で急降下する。


車体の軌道と隣接するビルの窓、その交差の瞬間、ホットショットはためらいなく車内へ飛び込み、

燃える足で硬直した運転手の肩を蹴り飛ばす。


「文句と請求は、空縁の吉濱家に頼むな……っ!!」

運転手の身体は直線的に吹き飛び、ふたつの窓枠を連続してくぐり抜ける。

次の瞬間にはビルの室内――事務机の上へ落下し、割れたガラスと悲鳴、そして舞い上がる書類がそこに乱れ飛んだ。


「セーフっ……!!」

ひとまずそう呟いた彼女は、息をつく間もなく、

「……でこっちだ!」

即座に身をひるがえす。

一難は去ったが、地上に向かって落下を続けることにはなんら変わりない金属と可燃物の塊――タンクローリーを見据え、

全身のバネを解き放つように、一瞬で距離を詰め直す。


その瞬間、彼女のプラズマエネルギーは内側から外殻へと一気に膨れ上がり、赤く半透明な皮膚の下では閃光が血脈のように流れながら明滅する。

トラックの横長い巨体を追って、力を解放したホットショットは低い姿勢で飛び続けた。

一気に加速すれば彼女の体はそのまま1条の荒々しい光と化す。そして、車体の脇腹をなぞるように追い抜きざま、

腰をひねり、溜め込んでいたすべての力を振り出した右脚に伝えていく。


放たれた回し蹴りが、赤白い足尖とともに、車体の鋼板に着水し、

プラズマの奔流が金属表面を這い、きめ細かい閃光の毛羽立ちをどこまでも作り出していく。

この猛烈な突入によって、すさまじい運動量を保つがまま、トラックは車高の真ん中で寸断され、断面からは高温の火先が吹き上がって、

それと同時に爆発的な反応が起こる。


刹那、トラックは空中で巨大な火球となり、街区全体を揺るがす大爆発と化した。

車体は無数の破片となって八方に飛び散り、赤と黄と白の炎が抽象画のように入り混じった爆風が

ビルの壁面を舐めるように駆け上がった。


圧倒的な風圧が街灯の支柱をへし折り、金属の軋む音は一帯のどこからでも響いた。縦揺れの振動は地面を伝わり、

数ブロック離れた地下鉄のホームのタイルにまで亀裂を走らせるほどだったのである。


炎の渦は高層ビルの屋上をも超えて空にまで届き、昼間でもないのに、爆発の光で一帯が一瞬白く染まり、


そのしばらく後に取り戻された世界の正常な明るさは、あまりの落差に、夜がたちまち訪れたかのような錯覚を

人々の目にもたらした。煙と熱波が街を包み込み、どこまでも並ぶ車のアラームが一斉に鳴り響いた。


ホットショットの身体は爆風に弾き飛ばされ、空中で何度も回転しながら、

あたかも人形のように手足をしならせて軌道を乱した。

しかし、やがて身のこなしを巧みに立て直し、辛うじて地上すれすれの高度で制御を取り戻す。


「はああ~~~……おい! 次からこういうのは家の風呂場でアヒルのオモチャ使ってやれよ!

16になった今でも私は毎日やってるからな。そのおかげで現実の街をぶち壊そうなんて思ったことは一度もない!」


悪態をつきながらも、反撃の姿勢を整えた彼女の背には、再び炎が推進力となって燃え上がる。

そして、彼女が勇敢に離陸する刹那を、火の粉を浴びるほど至近で見上げていた群衆は、

ここに至ってようやく「身を隠さねば」と本能的に悟ったらしい。

ある意味で健全な混乱が――はじめてそこに起こりはじめたのだ。


ホットショットは、ひと息つく間に先ほどの運転手の安否を確かめている。

見ればその男は、書類が散乱した事務机の陰で無事を保っていたが、顔をこわばらせたまま、窓の外を指しながら激しく首を横に振っている――

……彼の視線の先には、“これから起こる何か”の予兆が、ほの暗く漂っていた。


その指し示す方向から、今も濃く残る爆煙を押し分けて、ハヴォックの巨影が突入してくる。

背筋を沈めながら、鉄槌に構えた両腕が頭上から振り下ろされた。これが、咄嗟な前進に合わせて身体を2度回転させ、

弾け飛ぶように打ち出されるホットショットのハイキックとぶつかり、圧のこもった衝突音が空中に響く。


だが、真正面からの衝突には見えても、ホットショットの蹴りには、わずかに角度の傾斜が加えられていた。

これによりハヴォックの鉄槌を意図的に振り抜かせ、勢いの余った腕を利用するかのようにして彼女は、

「おっ!!――」

ぶつけたスネを軸にしてもう1回転、さらに体をひるがえす。

「――らぁッッ!!!」

そして、変則的な角度でのかかと落としを、2足歩行の肉体に接合されたカバの頭の、広すぎるうなじにめり込ませたのである。


「――!!」

すさまじい勢いでハヴォックの全身が地面に叩きつけられ、

顔面が直撃したその瞬間、周囲には盛大な土煙が舞い上がる。


そんな猛攻を受けたにもかかわらず、ハヴォックはすぐさま姿勢を立て直した。

頬にはくっきりと、地面との衝突の痕を残しながらも、牙をむいて愉悦の笑みを浮かべると、

獣の本能さそのままに、どっしりと足を地に戻した。


「ノォォスロンドンッッッッ、フォーエバーッッ!!」

そこへ、グーナーの熱い魂を感じるかけ声とともに追撃の業火がすぐさま降り注いだ。人払いがすでに済んでいるのをいいことに、

その炎は、着弾時の威力そのままに炸裂し、周囲の環境を焼き払う、容赦なき破壊の柱と化した。


家よりも太い火柱がわずかにほつれ、その裂け目から、くすぶる巨体――ハヴォックの姿が一気に現れる。

肩を上下させ、熱気を纏った呼気を吐きながら……そこへ、ホットショットの肉体が勢いよく飛び込んできた。

火を噴き上げる拳が、容赦なくハヴォックの頭上をめがけて振り下ろされる。


「……いいねぇ、お互い温まってきたか!!」

ハヴォックもこれにすぐさま応じ、

今度は彼の拳が、岩の槌さながらに唸りを上げて迎撃の軌道を描いた。


しかし、ホットショットの一撃は巧妙なフェイントだ。

「そろそろこういうタイミングだって――」

自分にとっては予定調和のブレーキをかけ、

身を沈めて迫りくる腕の真下を飛び、そのまま敵の背後へ素早く抜ける。

「――思わないか!?」

動きの切り替えは一瞬だった。

すぐに彼女は、回転を加えた肘打ちをハヴォックの頬に叩き込む!

「ごぉっ……!!」


続く1手、火と濡れた皮膚の軌跡がまた空間に渦を描き、

今度こそ果たされた打撃と打撃の交差は、地面を砕き、空気をゆがませるだけに留まらず、次なる激突の前触れとして周囲に圧を放った。


しかしハヴォックはこの一撃に賭けていた。ホットショットが吹き飛ばされた途端、彼の口から泥弾が2発、立て続けに吐き出される。

直径3mほどの――黒く、そして濡れた塊。その弾道は敵が、正面から突撃してくることを明確に拒絶していが、

ホットショットは間隙を見極め、滑るようにそのあいだを通過する。


直後には、地鳴りに似た鈍音が2発彼女のはるか後方で起こっている。「土属性の爆発」としか形容できない爆圧が、

周辺の放置車両をひしゃげさせ、雑居ビルの壁面を一気に崩落させたのだ。


拳と拳がぶつかり合い、ホットショットの突きを受け止めたハヴォックの肩がわずかに沈む。

すかさず彼女は、体の小ささを活かして首相撲に持ち込み、離陸さながらの全身運動で左膝を

敵のみぞおちに突き立てる。カバの丸い体が一瞬、宙に浮いた。


「やっと効いてきたみたいだな?」

相手が純粋な苦悶の表情を浮かべる最中、不敵に笑って、そう言い放つホットショット。

直後、先の一撃のコンビネーションとして空中から放った膝蹴りが、こめかみに直撃し彼の巨体を払った。

その比類なき喧嘩屋の感覚は、「お互い温まってきたか――」という直近の発言が、強がりで発せられたことをとうに見抜いていたのだ。


そして、何度目かの衝突。だが、ハヴォックにもまだ余力はある。その余波を感じさせるまま、戦場の焦点は、別の地点へと遷っていく――。


……スヌープキャットの身ごなしは明らかに軽くなっている。

プロディジーが至って真剣に投げ飛ばす鎖の軌道も、どこかおどけたナルト走りのままに

にこにことした顔で立ち向かい、まるで飛行機が空中で身をよじるように、ひらりひらりとそれをかわし、

アスファルトへと無意味に突き立たせてしまう。

得意げに舌を出し、ウィンクをひとつ刻んだ彼女は、次の瞬間、さらに加速して、敵に打撃の届く距離まであっさりと達した。


「ゴゥッッ!!!」

しゃがんだところから伸びやかに放たれる彼女のパンチには、肝を冷やすほどの轟音が必ず先行した。

ゆえにそれは、空気が裂け、単なる拳でなく鉄の塊がこちらへなだれ込んでくる錯覚を呼ぶ。

プロディジーは両腕を硬く交差させてそれを受け止めるが、

衝撃は彼の身体を10数m先へと弾き飛ばし、後方で支援に回っていたドロイドの一角をもろとも突き倒す。


「――」

着地したばかりのプロディジーの頭上に、

「!!」

容赦なくもう1発、拳が叩き落とされる。

オカピの獣人は、すんでのところで体をねじって斜めへと跳ぶが、クレーターを穿つほどのその一撃は、

巻き込まれた10数体のドロイドを一瞬で原形もとどめず吹き飛ばし、

あたりには装甲片や火花が爆風と隣り合って舞い散った。


空中のプロディジーは、スヌープキャットの攻撃の隙へと鎖を上から投げ下ろす。

それが顔面に命中し、彼女は一瞬だけ表情をゆがめる。だが、今の彼女は圧倒的なパワーファイターだった。

プロディジーの力ではもう、正攻法では彼女の膂力を受け止めきれない。


ミーティスの札が火花の軌跡を引きながら連射され、イムノの剣閃が機械の脚を切断していく。

札が炸裂するたび、地面が小さく跳ね、ドロイドの外装がばらけて散る。


ふたりの少女が、それぞれ別の地点で、またにわかに頭数を増やしだしたロボットたちと死闘を繰り広げながらも、

ときどき遠目に窺ってやまないのは、戦場をかき乱し孤軍奮闘する頼もしい姉妹――スヌープキャットの姿である。

鎖の波を簡単にくぐり抜け、敵の包囲を自らに引き寄せては暴れまわる――、

今やこの戦場の空気は、彼女の意志ひとつで右にも左にも揺れていた。


スヌープキャットが素早く身をひねると同時に、

「ニャオゥッ!!!!」

ひときわ大きな動きのパンチがプロディジーへに迫る。

それは、彼にとってどうしても避けきれない間合いと絶妙なタイミングで放たれた1発であり、

次の瞬間、スヌープキャットの鉄拳はプロディジーの顔面を捉え、その頭部を、ブレがかかるほどの衝撃で大きく吹き飛ばした。

(え――?)

しばらく、物が2重に見えるほどのダメージである。朦朧とする意識のなか、彼が状況を理解するより早く、対角線からのフックが右脇腹に深く突き上がる。

「ごぶっ……!」

これが即座の“気付け”になったのは、はたして幸いなことだと言えただろうか――。


白目をむき、草食獣の幅広な唇からよだれを垂らし、苦しそうに身をよじる中でプロディジーはひとつの気づきを得る。

「こいつっ………もしかして加減してたのかっ……!!??」


「ごめんね!……ウチ、人と戦うの今日が初めてで!どれだけの力ならあなたがなるべくケガをしないかってずっと考えてたの!――」

足が止まれば、スヌープキャットの追い打ちのパンチは容赦なく飛び続けた。プロディジーは思わず両腕でガードを固め、

窮屈そうに身悶えしながら、四方から降り注ぐ拳に対してただ己の命を守り抜くことのみに全力を注いだ。


「――だって、殴って死んじゃう相手だったら困るもん!でもあなたは大丈夫みたいっっっ!!!」

つまり加減というより――スヌープキャットは、目の前の相手をどこまでの力で殴っていいのか、その基準すら今まで持たなかったのだ。

だが今や、プロディジーは彼女の中で「そこそこ頑丈な相手」として一定の信頼を勝ち取ってしまった。

それは、むしろ戦慄すべき結論に他ならない。


ラッシュの締めとして、白い毛並みのミドルキックが、鞭打のように彼の胴を打ち抜く。

この一撃は、インパクトの瞬間腰を急激に引き戻すことが特徴である、ムエタイの理想的なフォームで放たれている。

250cmの肉体が、ビールの王冠のような衝撃波をまとって浮き、車数台を巻き込みながら止まることなく吹き飛ばされていった。


「くっ……、ちくしょうがぁっ……!!」

起き上がりの姿勢からして――どこかに駆け出そうとしていたプロディジーは、もう、この娘にはまともに取り合う気もなかった。

背後を気にかけながら、無言の手ぶりでドロイドたちに合図を送り、火線を前方に展開させると、自分自身は敵影のない方角へとひたすらに走り続ける。


密集陣形を組んだ歩兵たちが放つブラスター弾は、点ではなく面の攻撃となって戦場を覆い尽くすが、

スヌープキャットは、無邪気なしたり顔で歯牙にもかけることなく爆進を続けた。

その行く手を阻むかのように、空中から1列に降り立っていく影がある。

「!」

スライムの落ちるような、流体的な着地の最中には正体がまるで掴めなかったが、動きを止め、

同じ角度から日の光に晒されるにつれて、次第にその全貌が明らかになっていく。


……白と金の2色で美しく塗り分けられたボディ、両手にはチャクラムを構え、

頭部はバリ・ヒンドゥー教のガルーダ面を思わせる異形――。

そうした奇怪なロボットが一糸乱れぬ統制で戦列を組み、スヌープキャットの前に立ちはだかったというわけだ。


それこそはテラー・スクワッドの近接戦闘型ロボット、カラリパヤット・ドロイドの1部隊だった。


彼らは、長い手足を活かし、殺戮の舞踏を踊るようにしてスヌープキャットを取り囲む。

チャクラムが宙を泳ぎ、金属の足音が規則正しいリズムを刻みながら、包囲網が徐々に狭まっていく。

だがドロイドの破壊など、いくら機種が変わり攻め手が変わったところで彼女にとっては大した手間にはなり得ない。

腕をひと振りすれば、たいていの片は付く。


しかし、これはいくらなんでも数が多い。ライフルマン・ドロイドの支援を受けた10数体のカラリパヤット・ドロイドが同時に襲いかかってくる状況は、

さすがに、すぐさま解ける数式ではない。そして何より、オカピの獣人の男という最重要の目標が、

恥も外聞もなく戦場から離脱しようとしているのだから、話はさらにややこしい。


時間との勝負、数との勝負、そして逃げる標的との追いかけっこ。

スヌープキャットにとっては、まさにのっぴきならない局面となった。


――まさにこういった時だ。

逃走するプロディジーの足元にひとつの影が射し込み、

「なっ――!」

男の、縦長い体を残像にするほどの速さで弾き飛ばしたのは。

プロディジーは、まるでテーブルに投げられたトランプのように、地面を大きく滑り、

「――ッ!」

ビルの壁に激突する。


「待ちなさい!逃がさないからねっ!」


札の数々を巨大な扇のように固めて、敵を殴り倒していたのはミーティスだった。

両手を広げた彼女はその紙片を半円状の壁へと解き直し、間を置かず殺到するドロイドのブラスターや、土煙の中から飛んでくる鎖を次々と受け止めていく。

そして一瞬、扇ぐようにして両手を内から外へ振り抜けば、札の一団は灰色をした煙の中へと敏速に突入する。


その刹那、なんと3本目の鎖が空中を横切った。

腹部を正確に狙ったこの一撃がミーティスを捉え、

「ぐっ……!」

という呻きとともに彼女の体はくの字に折れ、空中へ吹き飛ばされる。


「さなっっ!!」

この現場に疾走してきたイムノが、衝撃波を纏いながら中空を飛んでいく姉妹の姿を目で追い、叫んだ。

ミーティスの身体は歩道橋の欄干に激突し、鉄骨がU字にひしゃげて粉じんが舞う。

その勢いのまま背後の自動販売機に叩き込まれ、缶が雪崩のように弾け飛び、赤い液体が地面に跳ねた。

受け身を取る間もなく転がった彼女は、路面を5メートルは滑り、やっとのことで背を起こす。


「っ……やるぢゃん……!」

片目を辛うじて開いたミーティスが、煙の中に伸びた黒い陽炎を睨んでいれば、

ほどなくして、「第3の鎖」の正体が徐々にあきらかにされていく。


粉塵が晴れ出したところから、オカピの獣人はその、青みがかった長い“舌”を、キュビズムめいた

面長の輪郭の内側へと巻き取っていったのだ。

初めはゆっくりとだったが、口元へと流れ込む量が多くなるにつれ動きは次第に加速し、

最後は呑み下されるように消えていった。

「ハァー……ハァー……!」

しかしプロディジーも、この奥の手の披露によってか、肩で大きく息をするようになっている。


その時、彼を守るものとして密集し、厚く層をなしていたドロイドの壁面が、一撃のもとに粉砕された。

スヌープキャットが、バタフライの泳法を想わせる雄々しい腕の広げ方で、この土壇場に堂々の乱入を果たしたのである。

すこし真面目な顔をして――破壊の権化と化した彼女の姿は、大洋を苛む嵐を体現するかのようで、

粉塵が渦巻き、砕けた機械部品が彼女の進路を飾るなか、戦場は一瞬、その圧力に支配された。


「くそっ……やるしかねぇか!」

プロディジーも覚悟を決める。背後の射撃型ドロイドに即座の動員をかけ、すぐ脇には長身の近接型を何体も従わせた。

機械の軍勢が一斉に動き出し、プロディジー自身はその先頭に立って、軍は、まるで大波を起こし返すかのように獣人の少女の方へと押し寄せていく。

ドロイドたちが巨大な獣人とともに飛びかかってくる様は激しいが、 スヌープキャットは眉ひとつ動かさず、身ひとつでその大群に真っ向から殴りかかる。

空気が震え、金属と肉体の咆哮が、戦場の中央で激しくぶつかり合った。


疾走するイムノは、ガンブレードのヒンジを器用に動かし、ひとつの特別な弾を装填するや否や、叫びをあげる。

「――ソイルッ!」

そこへ、狙いすました無数の砲火が一斉に放たれるが、電撃を帯びた身体の彼女は紙一重でそれらを空振らせた。

次の瞬間には、もうビルの壁面を蹴っている彼女は、その、雷鳴めいた速度で軌道を直角に折り返しながら、真下の敵陣に斬り込んでいく。


紫電の後押しで1体をすぐさま斬り伏せ、着地の爆発的なエネルギーで周囲の敵を吹き飛ばす。

そのまま敵の隊列の内部を縦横無尽に駆け巡り、身の動きのすべてを刃に変えて、連続する斬撃を繰り出していく。

1個小隊が各所から斬り裂かれ、機械の躯体が崩れ落ちる。


「大丈夫だった!? さな!」

「うん……でもさっき見たんだけど、やっぱりあの最初の穴から新しいロボットがどんどん出てきてる!」

崩落したアスファルト片の上、積み重なったアスファルト片の不安定な座椅子から助け起こされたミーティスは

そのままイムノにお姫様抱っこされて、瓦礫の斜面をテンポよく駆け下りていく。

粉塵が舞い上がる中、ふたりは崩れた壁の奥、コンクリ片の迷路じみた隙間に身を沈める。


直後、頭上すれすれを幾筋もの光線が、鋭利な軌跡を描いて疾走する。

壁の断面に焼け焦げを刻みながら、光条は空間を縦横無尽に貫き、爆音と振動が連続する。

ふたりの影は、瓦礫の死角に寄り添い、瞬く間に生まれる新たな敵影と、機械兵たちの足音を息を殺して見守った。


――敵の数が、戦場の隅々にまで目に見えて増えていた。


「あと札の数は何枚くらいかな?」

ガンブレードを片手に持ったイムノが、あたりを警戒しながら聞く。


「もうあんまりないよ!2000枚くらい。このままじゃキャッシュレス決済になっちゃう」


「そっか。上見たときどうだった?敵はこの通りだけ?」

ミーティスが冗談(らしき事)を言う時は、天然かその気なのか判断がむずかしいこともあってしばしば流されることになる。

「……そだけど」

「なるほどね、それならチャンスは1回ってとこかな。よし、すぐ取りかかろう」

「え?」

「増援が出てくるルートを潰しながら、今いるロボットもまとめて倒せるのはさなのお札だけ。

でも、何かのはずみで敵がこの通りからバラけだしたらその手は打ちようがない。

だからね、さなにはこれから今からすぐやってほしいことを説明するよ」

「どんなの?」

「……簡単だよ!」

音もなく彼女たちの背後に忍び寄るなり、懐からヒートダガーを一斉に解き放って、

不意打ちで切りかかった敵の3体を、順に切り捨ててイムノは言った。


その地下会議室の灯りは、昼光色でありながらもどこか沈んだ印象があった。

応接机の上には湯気を立てる白磁のカップが置かれ、背筋の伸びた防衛省の事務次官がそれにゆっくりと口をつけていく。

対面する吉濱尊は、膝上で組んだ手をほどきもせず、次官の動きを静かに見つめている。

ふたりの間にはただならぬ空気が漂っていた。


「なるほど、吉濱さん。あなたが高天原の時代からこの国の歴史を見守り続けたことは承知しています。

ウルジクスタンでの働きなど、省内では伝説とまで言われていましたからね。……もっとも、過去の武勲に頼るしかなくなった時点で、

ご自分の政治的立場もお察しのことと思いますが……」


事務次官は鼻先で笑い、カップを静かに皿に戻す。

「……あなたが、この国が戦後の廃墟からどうにか立ち上がった頃から、独力で奔走し続けていたことも存じています。

しかし、今日あなたが示すものは、国家の公式見解を揺るがすにはあまりに根拠が薄い」


「事務次官殿。奴はすでに動いております。もう目前まで迫っておるのです。東アジア全体を包む今の不穏な流れ、これは明らかに奴の仕掛け……」


「ですから、それは北朝鮮民主主義人民共和国の仕業です。具体的な指示内容は機密ですが、

公安も軍の諜報も、今まさに、かの国の動向を全力上げて追っている最中です。

その上で、シャカゾンビの復活などということについては、何ら痕跡を掴めていません。

……あなたも仰る通り、証拠がなければどうにもなりませんし、何より――

率直に申し上げて、神々のごとき立場の方々が、現代の人類の統治にこれ以上お口を挟まれるのはご遠慮願いたいのです。

それは我々にとって迷惑以外の何物でもありません」


尊の眉がわずかに動く。

「証拠が揃う頃には、すべて終わっております。東京が燃えてからでは手遅れでしょう……!」


「それなら、ありがたい御札でも今すぐ撒いて、この国土をミサイルから守ってはいかがですか?」

精悍な面差しの残光をかすかに宿した、皺に覆われた顔。事務次官は醒めた色をそこに湛え、どこかつまらなさそうに口元をゆがめてみせた。


そのとき、会議室のインターフォンが鳴り響く。


「……失礼。応答させていただきます」

立ち上がりかけた次官の腕を、尊が目で追う。


「エレベーターが来ます。どうぞ、ご一緒に」

無言のまま、2人は地階から上層階へと昇る。

だが、1階に到着した瞬間、空気が明らかに変化していた。廊下の向こうから複数の足音が走り寄り、制服の職員たちが慌ただしく動き回っている。


「事務次官!」

広報連絡室の若い官僚が息を切らしながら駆け寄る。

「この市ヶ谷で……立て続けに爆発が発生しています。現場からは“カバのような人物”や“炎を操る者”の目撃も。超能力犯罪の可能性が高いです」


「……!」

尊は静かに目を伏せ、深く息をついた。

「……これが、わしの言うておったことです」


事務次官は無言で眼鏡を押し上げ、傍らの職員に命じる。

「警備を出せ。全域、対能犯警戒レベル3へ移行。衛星画像を即時更新し、どんな情報も取りこぼすな」

先ほどまでの皮肉は消え、声にはただただ緊張が浮かんだ。


(カバのような者はともかく、火を操る者か……)

歩く尊の脳裏に、思い当たる顔が即座に浮かぶ。あの子が動いたのだとしたら、事態はただの偶発で済むはずがない。

何か憂うべきことが本格的に始まっている。


……まさにそういった折、この建物に、誰の皮膚にも伝わるほどの圧力となって不可解な振動が迫った。


「何の音だ――」


それは、事務次官が訝しげに眉をしかめた直後のことだった。

太いコンクリート柱が林立する広い庁舎のエントランスへ、瓦礫の嵐が突如として吹き込んだのである。

尊は即座に反応し、危険な位置に立っていた次官を背で庇う。


激しい粉塵と風圧が渦巻く中、ついでエントランスに飛び込んできたのは、互いの輪郭すら曖昧になるほど

激しくぶつかり合う2人の超人、ハヴォックとホットショットだった。

どちらが攻めでどちらが守りかも判然としない、密度の高い格闘戦がたちどころに、この空間においても展開された。


「……去年の今頃は檻の中だった。だから今年の秋は存分に楽しむぜ!」

「おい何言ってんだ、あと5分後には今年もそうだぞ!」


規格外の肉体が火花を散らして床を転がり、ホットショットの蹴りがそこに重く突き刺さる。

分厚い窓ガラスがまとめて割れ、破片と轟音が一帯を覆う。

職員たちは一斉に悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った。


「……セキュリティ!」

「わぁあーッ!」

人間の大きさにまで濃縮された災害同士がぶつかりあうような、常識を超えた戦いのただなか――

ホットショットの目が、宿敵とは別の、しかし彼女にとっては比類ない重要性を持つひとつの影を、ふと捉えていた。


「えっっっ!?」

「……アシュリーっ!!」

「母ちゃん!なんでここに」

「お前こそここで何しとるっ!」

「……観光だよ!」


「――うぉいッッ!」

瞬間、ハヴォックの大きな手がホットショットの足を掴もうと襲いかかる。

だが彼女は、急に閉じていく5指の水面から素早くつま先を引き抜き、

「ちょっなによっ!やめてくださる!?」

破廉恥なふるまいを非難する乙女のビンタの代わりとして、間髪入れず、回し蹴りを叩き込んだ。

弾き飛ばされた肉厚な体が、ロビーの受付カウンターを押しつぶし、鈍い衝撃が建物全体にまで響きわたった。


待合の長椅子はどれも転倒し、自販機のボディはひしゃげている。

壁の崩落は連鎖し、白い石膏片がまだ舞い落ちるなか、石床はカルスト台地の岩さながらに切っ先を荒くしながらめくれ上がって、

その()れた断面はもはや天井の照明を反射しない。

職員たちの叫びや逃げ惑う足音が混じるなか、ホットショットと尊のふたりは、喧騒をものともせず、わずかの間だけ言葉を交わす。


「何をそんな白々しいことを言うとるんじゃ!」

「待て、動物園から逃げ出したこのブタが見えないか?シャカゾンビの仲間だよ、コイツ多分な!」


言うが早いか、カバの獣人の大きな影が炎の少女にのしかかった。双方がもつ絶大な膂力の割には子供っぽい掴み合いが始まったそのそばで、

尊の両手がわずかに震え、空間の気配が変わる。

「仕方ないの……!」

彼女の掌の上で、淡く光の粒子が収束すれば、やがて金属光沢を帯びた2振りの七支刀がそこに現れたのだ。

「おたつ」と「たかき」――刀身には歴史の刻まれた紋様がわずかに脈動し、顕現の余韻が空気を祭具のひと鳴らしめいて震わせていく。

尊は、白い長羽織の姿で端麗なはじめの数歩を踏み出すと、そこからは、目にも留まらぬ速度でハヴォックに斬りかかった。



ハヴォックの乱暴な腕の振り回しを両側からの攻撃が受け止め、

「しかし……こいつブタではなくてカバではないのか?」

「なんでもいいからやろうって!」

ここから、戦場の混沌は加速度的に極まっていく。

「グウオオォァア!!」

ハヴォックの丸すぎる腕が風を圧して振り下ろされれば、

オールラウンダーは低く身を屈めて刃を滑り込ませ、ホットショットは側面から高く跳び上がって拳を叩き込む。

一撃ごとに床のタイルが割れ、ガラス片が舞い上がり、エントランスの全体が、3人の超越者以外、生命の存在は何も許されぬような場となっていった。


2人の攻撃を両腕で乱暴に捌き続けるハヴォックは、時には無理やり前進して反撃に転じもする。

「ほら、ここがお手付きじゃ!」

跳び上がったオールラウンダーの刀が彼の肩口に閃けば、ハヴォックはすぐさま肉に力を込めてこれを弾き返すのだが、

「任すぞ娘よッッ!」

「ああ!!」

こういった場面ではかならず、同時にホットショットの蹴りが下段から飛ばされもする。

「ぐッッッ!」

数の差は、ほどなくして両勢力の有利不利を明確に分けた。水平蹴りの直撃を受け、足筋に痺れるほどの痛みを感じたカバの男は、声を押し殺すしかなかった。


3者が入り乱れ、空間を縦横にせめぎ合う戦いが続く。

「ほら、ここもダメじゃ!」

その攻防の速さときたら、間合いが絶え間なく変化し、瞬きをする間にも全員の配置が一変するほどだ。

「……ほら後ろがお留守になっとるぞ!」

なかでも、ひときわ目を引くのは戦場に新しく加わったこの女人の立ち回りである。


十二単の鬼――オールラウンダーは、ホットショットと連携しながら、ハヴォックの周囲を絶えず乱舞した。

こまやかなバク宙と、その反発運動としての止むことなき跳躍、それらひとつひとつの動作に合わせて、

二刀流の七支刀は突きを軽妙に1発ずつ繰り出していく。だがそれは、相手を貫くためのものではない。

「……残念!それはフェイントよ!、もっと目を凝らして虚実を見極めいっっ!!」

と鼻で笑いながら、小手先の変化によって突然浴びせかけられるもの――

それは、ハヴォックがはじめ予期した太刀筋とは、まるで異なる角度からの柔らかな斬撃だ。


……剣士としてのオールラウンダーは、相手の攻撃にけして正面から応じることがない。

戦場という、あらゆる人間の激情がぶつかり合う場にあってさえ、彼女は、己の熱意や正直さを努めて敵に見せようとはしなかった。

ゆえに、その太刀筋は、力で敵をねじ伏せるためのものではなく、

「ここが甘い」「この受けが雑だ」とばかりに、稽古場の師匠が弟子をいさめるような、容赦のない指摘となって敵の失態を正確に突くのだ。

最後の決定打に至るその瞬間までは、淡々と、しかし執拗に、針の小さなひと刺しで相手の体力と意気をくじき続ける――それこそが、

彼女の身に染み付いた長年の戦い方なのだった。


そして言うまでもなく、ホットショットの戦いぶりは、この母の戦法に彼女特有の直情性を加えたものなのだ。

本人にその自覚があるかどうかはともかく、日々の薫陶を受けるうち無意識に選び取った型――そこには、

親子の因果というものの抗いがたい連鎖が静かに刻まれている。


人の怒りや闘志をあざ笑う、意地の悪い戦い方をふたつ同時に相手して、

彼女たちの存在に、あからさまな苦手意識を覚えてきたハヴォックは、

「……ヤな奴が増えちまった!特にあのもっとチビの方、本当につまんねぇ戦い方をしやがる!」

防衛庁舎の正面ドアを圧し割り、そのまま駐車場へと派手に転がり出る。

巨躯が地面に叩きつけられた瞬間、コンクリートが激しく削れ、かたわらに停めてあった乗用車が、衝撃で小さく跳ね上がった。

ガラス片と砂塵が弾け飛べば、広い一帯が白く煙り、遠ざかる警報音が、金属の反響とともに何重にもこだました。


追って、ホットショットとオールラウンダー――ふたつの影が、壁の一方面が崩れかかった防衛省の建物から、勢いよく外へと飛び出す。

着物姿をひるがえしたオールラウンダーは、裾のはためく音も騒がしく、上空から間合いを詰め、

「覚悟せい!」

2振りの七支刀に鞭のしなるがごとき残像をかけ、その勢いそのままに斬り込んだ。


一方、母と軌跡を分けたホットショットは、すでに高空へと舞い上がっていた。

陽光を背に、防衛省の敷地を見下ろすほどの高度に浮かび、はるか下方――駐車場の1ヶ所を射抜くように睨む。


意識を極限まで研ぎ澄ませた彼女は、両手を肩幅ほどに広げ、

ろくろを挽く陶芸家のよう指先を空中にかざしした。するとその掌と掌の間、虚空の1点に、

灼熱の火球がじんわりと広がり始めた。


ハヴォックは獣の喉鳴らしとともに起き上がり、側にあったワゴン車を片手で掴み上げた。

「おラァッッ!!」

そのままタオルのように振り回し、鬼人の攻撃を牽制する。上段から振り下ろされたオールラウンダーの2刀が車体と衝突した瞬間、

衝撃波が球状にほとばしり、オールラウンダーの髪や衣服を逆巻かせるだけでなく、真下のアスファルトをえぐり取った。


激しい衝突ののち、流れるようなバク転で着地したオールラウンダーは、両の剣を横に払いながら、地上を大きくひと舞いする。

みずからの踏み込みに合わせたハヴォックが、両手の指を組んだ鉄槌を振り下ろすと、彼女はそれを迂回の姿勢でかわし、

回転の勢いを活かしてさらに間合いを詰める。七支刀の切っ先が黒ずんだ巨人の側面を走ると、衣服が裂ける鋭い音が短く響いた。


「……合わせるぞアシュリー!!いつでもえぇ!」

剣の旋回を解き、差し出した下駄の足先をブレーキにした彼女は、両の剣先を警戒絶やさぬ角度で広げ、

まるで「AKIRA」の有名なシーンのよう総身にスライドをかけながら、空に向かって叫んだ。


ホットショットが手中で膨れ上がらせていたのは、己の背丈さえも凌駕する――まさしく小さな太陽そのものだった。

その表面には、ひとことでオレンジとは言い切れぬほど、ぎとぎとと煮え立つ濃淡が混じり合って

プラージュや黒点、フィラメント、フレアといった、本物の太陽に見られる諸相まで微細に浮かび上がり、

火炎の揺らぎによってごく短い間だけ形成される山脈の稜線が、球の全面にわたって絶えず不定形な美しさをひらめかせている。


ホットショットは高空でその巨大な火球を重心ごと後方へ引きつけ、

勢いのまま、自身にも爆発的な加速をかけて火球と交差する。

そしてひと呼吸、静寂を溜めた刹那、180度振り上げた脚を稲妻のごとく振り抜いた。


渾身のフリーキックが決まった瞬間、足とボールの接触面からは、まさに核融合の旭日が轟然として爆ぜ、

灼熱の衝撃波が天地を眩ます。

「せっ…………!りゃああぁッッッ!!!!」

それは、ややもすればこのまま宙に根差しかねない莫大なエネルギーを、無理に引き抜くために出た「力み」である。

くの字に曲がった巨大な火球は――まるでタイヤの空転するような絶え間ない抵抗の一瞬を経て、閃光をまとって弾け飛び、

オレンジ色の軌跡を描きながら駐車場の中央へ一直線に突き進む。

空間そのものを揺すぶる轟音とともに、炎の球体が地表へと激突した刹那、

瓦礫も広場も車も何もかもが、ただ光と熱の奔流に呑み込まれ、

輪郭をはげしく削り取られながら蒸発していく。


オールラウンダーが絶妙な身のこなしでこのすさまじい爆風から距離を取ったことにより、

場に残されたのは、ただひとり――ハヴォックだけとなった。炎と光の中心に取り込まれた彼の、

全身が真っ白に染め上げられていく。

「こんな……嘘だr……!」


秋うららな休日の午後――まどろみかけた大都会の片隅に、突如として巨きな炎の花が咲いた。

爆発の閃光は、近隣のビルの窓や遠い路地裏の湿った壁面までも明るく染め上げ、そこにいた人々の心に、しばらく消えない色と光を焼き付けた……。


爆炎が収まった後の、防衛庁舎前の広大な敷地は、灰燼と化したアスファルトと深い焦げ跡がその隅々までを覆ってしまっていた。

火球の着弾点にはいまや広大なクレーターがぽっかりと口を開けており、意識を失ったハヴォックの巨体が、その底で

仰向けに横たわっているのがはっきりと見えた。


「……ここで長いホイッスル! 壮絶な激戦を制したのは吉濱ユナイテッド――ホットショット、まさに圧巻のゴラッソで敵を沈めました!」

ホットショットは決着の余韻を全身にまとったまま、両膝から焼け焦げた路面に滑り込む。手を大きく広げ、

まるでスタジアムの歓声を全身で受けるかのごとく、長く鮮やかな膝スライディングのパフォーマンスを決めてみせた。


……戦いが終わって、尊は敵の様子からよりも、サッカーのゴールセレブレーションを真似てはしゃぎ、

やがて炎の装束をほどいてすり傷だらけの素顔をさらす娘の姿にこそ、戦闘の一部始終をあますことなく見て取った。

この16歳の少女の足取りは依然として凛然とし、何事もなかったかのような陽気さが瞳の奥には揺れている。

その健気さ、不遜さ、そして多少の生傷ならむしろ似合うくらいの面構え――傍から見た彼女は、

大層たくましいが、母としては、そのひとつひとつの強さが胸を締めつけてならなかった。


「のう、アシュリー――」


「待てよ、大根の白いトコくらいしか栄養がない説教なら後でもいいだろ? 3人の方に戻らないと」

軽口を投げながら、もう先へ行こうとするアシュリーに、尊は一瞬言葉を探して息を呑む。

だが、その次に出た声音は低く、重みを帯びていた。


「いいや、少し聞け。今日お前がこの場所におることについては今は問わん。だがこれだけは言っておくぞ。

お前のさきほどまでの戦いぶりなら、少なからず街にも被害が出ているはずじゃ」


その口調には、静かな怒りと、かつてないほどの真剣味が潜んでいた。


「そう……だけどさ!本当にヤバそうなぶっ飛び方した車は全部なんとかしたって!」

アシュリーは間髪入れず抗弁するが、その言葉の隙間に、尊は何か感じるものがあった。


「本当か?」

「ああ」


「それでも、もうすこし上手いことやれ!――」

尊の声は、揺るがぬ断言に変わる。


「――お前、いつも言うておるじゃろうが。前線から献身的にプレスをかけて、80分台でも全力疾走で守備に戻れるFWが好きじゃと。

それと同じことをな、お前もするんじゃ。これからは、敵に暴れさせぬ戦い方を心がけよ」

アシュリーは目をしばたかせ、唇をかみしめる。普段なら皮肉や軽口を返すところだが、この時ばかりは素直に、

「……はぁ~い」

と短く返事をした。その声音には、わずかな照れと、思い当たる節たしかにあっての悔恨と、

母の言葉を真正面から受け止めた証のような真摯さが宿っていた。


「まあ、それはそうとしてよ。ひとまず――ひとまずは本当にようやった」

尊の目は、その時、わずかに潤んでいた。娘がふだん見せる不遜さや生意気な態度――それらの奥にひそむ、幼い素直さや迷い。

今まさにアシュリーが唇をかみしめ、珍しく反抗せず、短く返事をしたその姿に、尊は刹那、胸を突かれた。

この子は、どれほど強く振る舞っていても、根底には母の言葉をきちんと受け止める柔らかさを持っている。

幾度となく修羅場をくぐってきた背中に、いま、ふと影のように宿るその未熟さも、愛おしくてならなかった。


だからこそ尊は、言葉を続けることができず、ただわずかに視界がにじむのを感じながら、

「……ようやった」とだけ、重ねて伝えるのだった。


「――んで、他の子らは?」

「別の場所で戦ってる」

話が切り替わると、じつは、ふたりとも苦手だった湿っぽい空気は、

まるで行きずりで交わった男女がその恥の記憶を意図的に手放そうとする時のような、

どこかぎこちない努力をもって、たちどころに、そして懸命に払拭されていった。


「……そりゃいかん!すぐ行くぞ!」

「だから言っただろ?説教は後だって」

そして代わりに、そこには言葉以上の信頼が流れ込み、ホットショットは母の腕をしっかりと取る。

ふたりが軽やかに空へ舞い上がる頃には、数秒前の緊張も逡巡もすっかりほどけて、

親子はまた、いつもの距離とやり取りを取り戻していた。


はてしない空の彼方から、まるで2階の窓辺の電線に不意に舞い降りる鳥のように、イムノは通りの片隅へと静かに着地する。

長大な飛翔の勢いをそのまま受け、群れからはぐれたロボット2体を一息で切り伏せると、

剣を横一文字に振るいながら、素早い転身で新たな敵へと刃を向ける。


次の瞬間、目前に迫るブラスターの光弾を、鋭敏な感覚で見切り、剣先で巧みに弾き返す。

跳ね返された赤や青の光は、まるで導かれたように反重力バイクのドロイドたちの急所を次々と撃ち抜いた。

動力を絶たれた金属の体が座席で前へ崩れ落ち、無人となったバイクはそのまま慣性に引かれてビルの壁面に激突、

轟音と火花を撒き散らして爆発する。


場の安全を確保してからは、

「よし行くよ――全部、一掃だ!ソイルっ……!」

常に電撃で己の身を彩り続けるようになったイムノが、ロボットであふれ返ったこの東京の通りを跳弾のよう縦横に駆け巡る。

斬撃と銃撃の光景が地上と空中のあちこちで瞬けば、そのたび集まってきた敵は次々と貫かれていく。


その後を追って、おなじく道路の端からのスタートを切ったミーティスが、風を巻き起こすほどの勢いで

この長い舗道を縦断していく。彼女の後方では、従える2,000枚の呪符が空中に巨大な渦を成し、

紙片の群れは、その渦の動きを終えたそばからいそがしく地上に降り注いで、

道のそこら中にあるマンホールの、隙間を目がけて滑り込んでいく。


地下に潜った紙片たちは暗い下水道の奥深くまで入り込み、

そこの天井という天井に、はじめは素早く、そして最後には虫にも満たぬ細かな動きで、ひとつ残らず緻密に貼りついていった。


「何かやってる……ヤバいぞ」

両の鎖を、翼のように大きく広げて次の一撃を準備しながらも、プロディジーは、みずからに降りかかるタスクの数に圧倒されかかっている。

カラリヤパット・ドロイドの1体がチャクラムのフックをスヌープキャットの顔にねじ込もうとするが、

迎え撃つように振り抜かれた彼女の爪が丸い刃を簡単に押し砕き、軌道のままに胸の装甲を抉り取って爆破した。


自分よりもずっと小柄なユキヒョウの娘が、爆発の余韻を纏い、捕食者の片鱗をみせながらこちらに迫ってくることさえ今はただただ恐ろしくて、

プロディジーは思わず身を退いた。跳ねるように後方へ下がるその手から、2本の鎖が交差しながら投げ放たれる。

結局のところ、彼にとって頼れるものはこの鎖しかない。そしてその両方を、足を大開きににして構えたスヌープキャットは、

突き出す右手と左手でなんなく受け止めてみせたのである。


伸びきった鎖の緊張が双方の手に伝わり、刹那、両者の動きが静止する。一方は空中で、もう一方は地に足付けて。

その隙に真横から飛び込んでくるブラスターのひと雨も、スヌープキャットはどこ吹く風といった体で、あるがまま受けとめ、

「今度こそ捕まえたよっ!」

背筋を大きく反らせ、プロディジーの、さらなる逃走の挙動に、強烈な待ったをかけた。


スヌープキャットの手が瞬く間に回り始める。ぐるり、ぐるりと回転し、すさまじい速度で円を描いたかと思うと――

鎖が、でたらめな結び目とねじれを孕み、複雑怪奇な“縄”へと変貌していた。

「げっ……!」

そして直後、プロディジーは信じて疑わなかった自分の“膂力”が、まったく拮抗できずに崩されていく感覚を味わう。

その体が、ねじられた鎖ごと、スヌープキャットの背筋力によって空中へとぶっこ抜かれた。


瞬間、風を裂く音とともに、

「ぐえええッッ!!」

プロディジーの体は、特大の閂スープレックスで頭から地面に叩きつけられたのである。

打撃の余波で路面がめくれ、建材の欠片が四方に跳ねる。遠目には、砂煙が間欠泉のごとく高く噴き上がった。


スヌープキャットは間髪入れず鎖を軸にもう一度踏み込み、腕と腰を一体にしてうなり声を上げる。

今度は敵を振り子のように持ち上げ、ジャイアントスイングへ――。


回転は加速し、ドロイドたちがその公転軌道に次々巻き込まれ、プロディジーの四肢がかすめるたびに破砕されていく。

第3回転、第4回転、さらに速度は増し、遠心力はついに限界を突き抜けた。


最後のひと振りで、スヌープキャットはプロディジーを大きく投げ飛ばす。


するとその体は弾丸よりも速く、300m離れた通りの果て、ビルの側面へと一直線に激突する。

鉄骨が軋み、ガラスが弾け、街の一角には再び激震の柱が立った。


「……こっちは終わった!」

スヌープキャットの大きな声が、ふたりのところにまで響いた。


「よし、じゃあすぐ『ドン!』だよ!さな!」

「うん!」

ふたりの会話を聞き終えるや、スヌープキャットは反射的にジャンプして回避行動に移る。その瞬間――

都市の地下に潜んでいた札群が、刹那の間を置かず一斉に閃光を放った。

数10から100の規模で手始めに起こった爆裂が、まるで地中から巨大な獣が暴れ出したかのような衝撃となって地上を揺るがせる。

下水道の天井が断続的に爆砕され、轟音とともに地面が激しく波打つ。アスファルトの表層が次々と沈み込み、道の真上に展開していた敵ロボット部隊は逃げ場なく、陥没した穴へと次々と呑まれて消えていった。


そのさなか、現場の通りに突入しようとしていた車両は、異様な揺れと轟音によって一様にパニックを起こし、

タイヤを軋ませてバックで退避する。車体を左右に振りながら、必死に元の道を引き返していく。


都市の通りの地下全域で起きた、2000枚の呪符による壮絶な連鎖爆破――その余波は地表を何度も跳ね上げ、遥か遠くまでの震動となって伝わる。

わずか10数秒で、かつてない地盤沈下とともに敵勢力は跡形もなく呑み込まれ、街の一画には巨大な沈降地が新たに刻まれていた。


……報道ヘリが高空を旋回し、静けさを取り戻した都市の通りを俯瞰する。

まるで新たに生まれた温泉地のように、広範囲にわたって白い煙が立ち上り、

アスファルトの大地や崩れ落ちた建物の隙間には、熱を帯びた瓦礫の山が奇妙な静寂と余韻を漂わせていた。


沈降地の一角、瓦礫の崖錐に立てかけられたアスファルトの平たい岩盤――かすかに白線の痕跡が残る――

その下に何枚かの札をそっと差し入れ、岩盤ごと持ち上げた瞬間、ミーティスが思わず声をあげる。


「……あっ、いた!」

その場所で、気を失ったままのプロディジーが発見されたのだった。


「すぐ引っぱたいて起こして話を聞かなきゃ」

「あっ、だったらウチはアシュリーの方、手伝ってくるよ!」

おせちとはちるが、それぞれの場所で即座に反応する。休む間もなく、3人は次の行動を思案し始めていた。


「お~い!」

ちょうどその時、遠くの空からアシュリーが一直線にこの通りへと飛来する。

彼女の両手は、この場にいるはずのない人物――吉濱尊の姿をしっかりと掴んでいた。


「母さん!?」

と、おせちが驚き混じりに声を出し、

「無事か?」

尊の一言とともに、2人は滑らかな着地を決めた。

「どうしてここに!」

おせちが尋ね返す。


「母は母の働きをしておったのじゃ!あの日あの時あの場所で、己の口で言うた通りにな!

逆にお前たちこそなんじゃ。わしの親心を無下にして、こんなことまでしおって」

一家の母は、煤の滲んだ着物姿でいきなり居丈高な態度を見せ、おせちの顔を睨み上げた。


「でもさ……!」

おせちは不満そうに言いかけてから、少しだけ唇をかむ。


「なあ、正直に聞かせてくれんか。どうして来てしまったのじゃ……」

続く尊のその声音には、我が子の重大な決断を前にした親の、抗いがたい脆弱さが宿っていた。

それは、どこの馬の骨とも知れぬ相手と急に結婚すると言い出した娘や、険しい前途となることは確実な、

アスリートの道を志す息子――そうした未来を選ぶ子を前にして、

本心では思いとどまらせたいと願いながらも、繰り返し問いかけることでしかその想いを伝える術を持たない親の、

哀切極まりない響きだった。見る者の心をも揺さぶらずにはおかない、痛ましいまでの表情で、尊は娘たちに問いかけたのだった。


どう応えるべきか、おせちはひととき逡巡する。

皆を代表して立つ彼女の口から、やがて放たれた言葉は、最初のうち訥々として、語句を慎重に選ぶような響きも帯びていたが、

「……あのミサイルの落ちたところで聞いた母さんの話は、たしかに一理あったよ。でも安全な場所で過ごした日々には、思ってたより意味がなかった。……気付いたんだ。最終的に起こることが戦争なら、座っていようが立っていようが、結局はみんな危ない目に遭っちゃうってね。だから私たちは立ち上がる方を選んだんだ。

ヒーローになりたいからじゃないんだよ?"出来るかもしれない"人間が、それをするしかないって、みんなでそういう結論になったんだよ」

語り終える頃には、たしかな決意が備わり、まさに――いきなり飛び出した決定版と呼ぶにふさわしい、

堂々たる意志表明となっていた。


「他の子らも、本当に真心からそう思うておるか?」

窮した尊が念を押すと、全員がそれぞれの間合いで――しかし、確かな決意のこもった表情で、静かに頷いてみせた。


尊は一瞬、まなじりを険しくしたまま皆の顔を見渡したが、

やがて目元をわずかに緩ませ、口調もいくらか和らげる。


「……そうか。清いのう。あの日、わしが身寄りのない子をいきなり4人も引き取ったのは……やはり、天のご聖旨だったんじゃろうな。

こうも非凡に育ちもしたのは、なればこそのことであったか……。うむ、その答えこそまさに、わしの恐れとったものよ」


「なんだよ、回りくどいな!」

アシュリーが茶々を入れる。


尊は複雑な表情で娘を見やり、長年の経験からくる重い予感を胸に抱えながら、言葉を選ぶように口を開いた。

「いやのう……なんといえばよいか……。わしの経験上、そういうな、はじめはやむにやまれぬ事情で仕方なく立ち上がった者こそ、

気が付けばヒーローというこの因果な稼業には永いこと関わり続けてしまうものなんじゃ。

ソレになりたくてなったやつなんぞより、よっぽどのぅ……。

そして、正義をひたすら己が指針として生き抜いた者の末路は、誰しも例外なく、

その魂を摩耗し尽くして――いずれ静かに消えていくものじゃ。

わしが見てきた限り、ほんとうの意味で「正義」だけを貫き通せた者など、ひと握りもおらんかったよ……」


娘たちの純粋で――そして、「向こう見ず」の別名ともいえる揺るぎない意志を前にして、尊の心は引き裂かれるような思いだった。

彼女たちを誇らしく思う気持ちと、この先に待つ過酷な運命への恐れが交錯する。


「……因果因果、まっこと因果なことよ……うぅ~~~む……」


新たに生まれ落ちたこの荒野を、風が容赦なく吹き抜ける。

その音は、彼女の胸奥から漏れる深いため息とも折り重なり、煙と静寂の狭間で、ただ時間だけが静かに歩みを進めていた。


やがて、有角の貴女は、娘たちの覚悟の芯を――透徹とした眼差しの奥に、もう1度だけ探し出す。

そしてその強さを、そっくり自らの心へと引き写す。


反対の言葉を重ねることの空しさを悟り、彼女はようやく――

せめて見守る者として、この運命を共に歩もうと決めたのだった。


「……あいわかった。今回のことだけは目をつむろう。その後のことは、あらためて家族会議じゃ」

彼女は、しみじみとした口調でそう宣言した。その言葉を受けて、3人は思わず色めき立つ。予想外の理解を示した母に、娘たちは安堵と驚きを隠せずにいた。


「おい、気を持たせるな、結論から先に言うのがデキる社会人だぞ?」

ただ、アシュリーだけは表向きは喜ばずに、すかさず母に突っ込みを入れるので、


「うるさいわ!」

尊は苦笑いを浮かべながらそう応じる。


爆心地の残光を背に、親子の間には抑えきれぬ微かな笑いが満ちる。

重いやり取りの後だからこそ、この何気ない応酬が心地よく響いた。

戦いの幕はひとまず下り、都市の高い日差しだけがその上に淡くかざされていた。


「そうだ、今からこの人に事の真相を全部吐かせなきゃ」

と、路上で伸びたままのプロディジーを改めて見やったおせちが言う。

「いやよい。そういったことはもう官憲に任せようではないか。1人はもう捕まえたし、

とにかくシャカゾンビが今回の1件に関与しておる証拠は、これでもう確保できたも同然よ」


「…………」

……その”異変”を最初に察知したのは、

「……!!!」

やはり、家族の中でも霊感の強いさなだった。

彼女の瞳孔が一瞬収縮し、表情が凍りつく。視線ははるか彼方の空へと向けられ、その、ぎこちないにも

かかわらず振れ幅の大きい一挙一動に、周囲もたちまちざわめきだす。さなの「重要な場面での気づき」にはいつも、

因果律すら超越した予知の力が宿っているということを、一家の誰もが知っていた。


次の瞬間――澄み切った青空に、1本の白い飛行機雲が刻まれる。しかしその軌跡は自然なものではない。

真っ直ぐに、レーザーのような精度で通りの上空を射貫いてくる1発の飛翔体。

……ミサイルだ!

「いかん!」

オールラウンダーは体をひねって瞬時に地を蹴り、両の七支刀を斜めに振りかぶりながら、

凄絶な勢いで迫りくる弾頭へと突進する。刀身が空気を切り裂く音が甲高く響き、彼女の小さな体躯が一瞬、衝撃波を纏う。


しかし、そのミサイルは、ただの弾頭ではなかった。オールラウンダーが斬り込んだ刹那、花火のごとく空中で炸裂し、

無数の小さな破片――いや、“種子”が四方八方へと撒き散らされたのである。

それは、大型のクラスター爆弾だった。


炸裂する光と音が空間を満たし、小爆弾が雨のように道路に降り注ぐ。

「ぐゥッッ……!」

幾重にも重なる爆発の連鎖。オールラウンダーの小さな体は、その業火の渦の中心で完全に翻弄される。

七支刀の刀身が必死にあがいて何発もの破片を弾き飛ばすが、雨霰と降り注ぐすべての攻撃を捌ききることなど、到底不可能だった。


街の全方位、360度に拡散していく無数の爆弾。すでに瓦礫の絨毯と化していた通りでは、

石と鉄の残骸がさらに細かな粉塵となって舞い上がり、痛ましいまでに傷ついたビル群が新たな爆風に悲鳴のような軋みを上げる。

地上にいた4人の娘たちも爆発の連鎖に飲み込まれ、地を這う衝撃波が容赦なく足元をすくっていく。


爆撃のちょうどおさまった頃、通りの真上の空間が、ふと歪みを帯びていく。

巨大な航空機が、まるで透明な皮膜を脱ぎ捨てるように光学迷彩を解除していったのだ。

装甲の表面に走る電子的な波紋、そして現れる黒鋼の機体……。


その機体の腹部ハッチから、漆黒の人影が1体――地上を見下ろしながら、重力に逆らうような優雅さで跳躍する。

着地の瞬間、周囲のコンクリート片が弾け飛んだ。


「……会いたかったぞ、オールラウンダー!

どちらかが死ぬまで決着のつかんい戦いはいくらでもあるが、死んでも終わらん戦いは、ここだけのようだな!!ヒィーッハッハハハ!!」


シャカゾンビ――あの悪夢の王が、狂気に満ちた哄笑と共に、戦場の頂点へと降臨したのだった。


「シャカゾンビっ、貴様っ!!」

咆哮と共に、オールラウンダーがその眼前に着地する。瓦礫が足元で砕け散り、2人の間に静寂の瞬間が訪れる。

対峙する古代インドの邪悪な聖仙――シャカゾンビは、白骨化したヤギ頭の杖を天に掲げ、青い骸骨のその口で

うすら寒い笑みを浮かべていた。


「はァ~ン……!」

笑い声の延長として、男の声が不気味に響く。

杖を握った彼の手が虚空に一際高くかざされるや、四方の電線や配電盤、はるか彼方の鉄塔までもが不気味なうなりを上げて呼応し始めた。

またたく間に都市全体の明かりが次々と明滅し、街頭テレビの放送や看板、ビルの照明がひとつずつ脱落していく。

電線の中を奔る電流が吸い寄せられるように波打ちはじめ、無数の閃光が電柱から青白く染み出す。

パチパチとした小さな放電が始まると、大気そのものが一斉に帯電し、髪や衣服が逆立つほどの静電気が街を満たしていった。


空の方々から来る縮れた稲妻が、刺々しい音を立てて、杖の1点に集中する。刹那、シャカゾンビの杖が勢いよく前へと倒されれば、

ついに東京の1地帯中の電力は根こそぎ引き抜かれ、青白い極太の電流が、ただちにオールラウンダーへと叩きつけられる。

昼間の太陽光さえ圧倒する閃光と共に、地面には歪んだ影が焼きつけられ、続く烈風がすべてを巻き込んでいく――。


「――ッッ!!」

1戦を終えたばかりの者たちにとって、シャカゾンビが巻き起こす嵐のような大魔術はあまりに重く、圧倒的すぎた。

あれほどの雄姿をみせた4人の娘たちも、まず自分が車さえ浮かす魔風に吹き飛ばされることがないよう、必死になるしかなかった。

イムノは近くの岩盤にしがみつき、ミーティスは鉄骨に身を寄せ、ほかの2人は両手で顔を覆って嵐の通り過ぎるのを待った。

雷光の直撃が大地を打ち据え、長さ数10cmのコンクリート片が空中で踊り狂う。その破片の雨の中で、

「!!」

決闘の場から弾き飛ばされたオールラウンダーは抗う間もなく、どこかの壁に背中からめり込んでしまう。

……こんな嵐の中で、ことのほか玲瓏に響く金属音があった。はじめの一瞬は甲高く、次いでは、音源のたわみを徐々に反映し始めたその響きは、

七支刀が、遠くの地面に深々と突き刺さった音だった。


「フハハハハ――愚か者どもよ、吾輩にとって戦いの決着など、いまこの場でつける値打ちもないもの!貴様らは指をくわえて、これから吾輩が何を為すか、

心して見届けるがよいわ!」

シャカゾンビは制圧した戦場を睥睨し、広範囲に及ぶ魔力で空気そのものをねじ伏せていく。大気が波打ち、光が屈折し、現実がゆらめく。

すると、その手に引きずられていくのは――意識を失ったままのプロディジー。彼の身体が宙に浮き、抵抗する力もないまま、

ゆっくりと宙を滑っていく。


まもなく巨大な航空機からが青い光の柱が垂れ下がって、シャカゾンビとプロディジーの身体を、

そのトラクタービームが無造作に吊り上げる。2人の影が立ち姿のまま地面から離れ、空へと昇っていくのだ。


直後――この2500歳のマッドサイエンティストが自ら設計した超技術の航空機は、重力の束縛を振り払うように、静止状態から一気に垂直加速し、雲の切れ間へと消えていった。

……青い推進光の残像だけを残して。


――同じ頃、市ヶ谷の上空。

テラースクワッドの黒いガンシップのコクピット内では、カラスがくちばしで数々の計器をつつきながら、

どこかやるせなさの混じった声をこぼしている。そう、つまりは彼が、このいかつい航空機の操縦を

くちばし1本で完璧に切り盛りしているのである。


「……ったく、ま~た後始末かよ!ボスの作戦ってセメセメだから失敗した時いつもこうなるんだよな、

それで泥かぶるのは結局こっちの羽毛なんだから……」

「……ま、命令は命令!しっかりやらないと後で何言われるかわかったもんじゃない……っと」


ぼやきながらも、彼は事前の指示通り、眼下を進む護送車とその護衛車の列に向けて1発のヘルファイアミサイルを投下した。

弾頭が煙を引いて飛んでいけば、轟音と爆炎が、あまりにも簡単に車列の半ばに巻き起こる。

大きく吹き飛んだ先導車は車線を逸れて横転し、それとおなじく地面を転げ、滑った真ん中の車体からは、ハヴォックの、拘束衣に封ぜられる焦げた体が投げ出された。

その直後、SVTOLの挙動で地上に舞い降りたガンシップから部下のロボットたちが手際よく降り立って、彼の巨体が回収されていく。

「はいはい、お仕事完了と……。でもこれ手当てでんのかなぁ?ムリだろなぁ……世知辛い世の中だよ、なんでカラスに生まれてまでこんな

思いしなきゃならないんだ。人間だけでいいじゃねぇか、おい」

カラスは独りごちるが、飛行機の高度を微妙に調整しつつ、任務だけは最後まできっちり果たしてみせる。


…………………………。


終わってみればシャカゾンビの攻勢とは、たしかな惨況をこの地に刻んでいったことを除くなら、まるでうたかたの夢のようなものだった。


地上に残されたのは瓦礫の海原と、彼の魔術に吹き飛ばされて倒れ伏した4人の娘たちと、片方の剣を杖代わりにして、膝をついたオールラウンダーの小さな影だけだった。


「行ってしもうた……。奴の尻尾をつかみ損ねたのは口惜しいが、いまは気を落とす暇もない――」

尊の視線が、シャカゾンビが消えていった雲の切れ間を追う。


「――あやつは必ず、今日の軍の演習の場で新たな企みを仕掛けてくるじゃろう。ゆえに、嘆いておる時間はない――」


尊がよろよろと立ち上がれば、七支刀の刀身が地面に擦れて金属の音を立てる。

その言葉には静かな決意と、時間に追われる薄い焦燥が宿っていた。


「――追うぞ、お前たち」


おせちは、まるで石の布団に包まれていたかのような瓦礫の山から、ゆっくりと上体を起こした。

すると、肩や背中から細かな粒が音を立てて落ちていく。


立ち上がりながら、身に降りかかった無数の石片を、丁寧に手で払い落とし、

さらに頬に付いた黒い煤、制服の襟に残った灰、髪の毛に絡んだ細かな破片を、ひとつひとつ念入りに取り除きつつ、

「……そうだね」

きっぱりと返事をした。


その背景で、他の者も各自の思いを胸に、立ち上がろうとしたその時、

「すまぬ、少しだけ――」

尊は唐突に、懐から旧式の受信機を取り出して耳にあてた。

しかし今は、その何気ない動きにさえ負った傷の感覚が漏れなくにじんでいる。

「なんだよそれ?スマホ持ってないだろ?」

アシュリーは、肩で息をする時の声を出しながら、そう訝しんだ。


「無線じゃ。……おお、これは……。いや、こっちはちょうど奴と1戦交えたところでな。――はぁ……なるほど。うむ……それで、すぐにか?わかった、なんとか急いで向かおう。かたじけないの。オーバー」

息を切らしながらも、短くやりとりを済ませた尊が顔を上げると、

「どうしたの?」

とさなが静かに尋ねた。


「いやの。簡単に言うと、頼んでおいた“裏の筋”にたった今動きがあったのよ。奴らの関与を証明する決定的な新たな証拠がたった今手に入ったんじゃ。

じつは、わしは今日ご公儀の方まで直談判に行っとっての。そこでは結局、証拠がなければ何もできぬと言われて門前払いされてしまったんじゃ。

そういうワケで弱り果てておった時にこの一報よ、これでようやく、お国の方もわしの真剣に話を聞いてくれるようになるわ」

「証拠って、どんなの?」

さなが身を乗り出す。


「詳しい話は今はできぬ。というより、先方のたっての願いで、わしが現地に行くまではすべての事はシークレットなのじゃと。

つまり、現物はわしがみずからの手で受け取りに行かねばならん。悪いが、シャカゾンビの追撃はお前たち4人に任せたい。

きっと日本海の方角よ。お前たちだけで先行してくれ」

「本気?」

はちるが疑わしげに尋ねる。


「本気じゃ。たとえ証拠を手に入れたとしても、あやつの目論見が現実になってしまえば、もう取り返しがつかん。今日の日本軍の演習は、

北の主張する領海のギリギリの場所で行われることになっておる。しかも実弾を実戦さながらに使う。

もしもその場所で、やつが北のミサイルを捻じ曲げた例の手品を使えば、両国は強制的に開戦することになるじゃろう。

それだけはどうしても止めねばならん。

……お前たちにもこれを渡しておく。暗号通信のできる無線機じゃ」

尊は、無骨な機械をはちるに手渡した。


「でも乗り物がさぁ……」

すると、はちるが心配そうに声を落とす。

「ああ、そうじゃのう……。わしの方はどうにかなるが、お前たちの方の足もないことにはな。……いや、

むしろ今はそちらを優先せねばならんか」

という母の言葉を皮切りにして、全員が考え出すと、


いきなり背後から、1人の男の声がする。

「――いいよ。近場までなら送ってやる。今から適当に理由つけてヘリを出すから、さっさと乗れ」

誰そ彼かと思って全員がその方を向くと、


「……マツバラさん!」

まず、さながぱっと顔を上げて、おせちも驚きの声を発した。


おせちとアシュリーは、この年齢不相応のストリートファッションに身を包んだままの男の顔を、この時初めて、本当の意味ではっきりと認識した。

これまでは、一時的な利害を共にする人間として、その顔は記憶の片隅に留められているだけだった。だが今、昼の光の中に立つ男の表情には、

たしかな人間味が宿っていた。


「……だよな!自分の娘くらいの年のやつが粋がってるのを見て、まともなおっさんの心が動かされないってことはないよな」

そしてアシュリーは腕を組み、ふてぶてしさにあふれたウィンクを男の方へ滑らせた。


……廃墟と化した街の向こうから響くヘリコプターのローター音が、次第に圧を増してくる。

「チッ、でもお前ら、思ってたよりよっぽどタフじゃねえか。超人同士が本気で殴り合ってるのを見たなんて、

去年のワンリパブリックとDJケミカルのヤツ以来だぜ」

「それは……わかんないけど」

とおせちが曖昧に返し、

「でも、まずは1度家に戻って補給したいです。私の弾も、さなの札も、もうあまり残ってないし」

そして、こう続けた。


「そのくらいまとめて面倒見てやるさ。急ぐんだろ?」

「あっはい、お世話になります!」

おせちは、これまで彼に抱いていた軽蔑心や疑念とは正反対の、素直な感謝の気持ちだけを込めて、16歳の年相応な笑顔で明るく礼を述べた。




https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=24843658

本作の本家配信ページはこちらです。

キャラクターデザイン画、スケッチ等をそちらの本編内の挿絵もしくは

独立したイラストとした順次投稿していくつもりです。

https://www.pixiv.net/artworks/132158061

特に、さなの顔立ちに関してはすでに出来上がっていて、

このイラストの人物をさらに垂れ目がちにしたものと理解してもらって構いません。

アシュリーの線画もできた

https://x.com/piku2dgod/status/1941788175917322530

おせちとさなの線画はこっちや

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=24843658#4



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