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君に絡みつく

作者: こう


「やってしまった…」


 足元に落ちた瓶底眼鏡。素顔を晒さぬよう気を付けて生活していたアイギスはこの日、ついうっかり眼鏡を落とした。

 その結果。

 足元には眼鏡と、直立のまま倒れた男性が一人。


 アイギスはちょっと特殊な出生の、それ以外はどこにでもいるストーカーである。

 恋に恋するストーカーだ。


 いや、言葉がよくない。恋の狩人(ストーカー)と呼んで欲しい。

 あと誤解のないように伝えておくと、己の分を弁えた狩人(ストーカー)なので、対象と接触したことはない。

 本当だ。

 アイギスが日々繰り返しているのは大好きなあの人の存在に感謝し、邪魔する小石を視界から排除し、常にベストコンディションでいられるように手を回していることくらいだ。

 本当だ。

 大袈裟に言っているが、対象の通り道にガラの悪い人が居たら足止めをしたり、彼が愛用している文房具が売り切れないよう手配したり、食堂でおばちゃんと懇意にしてなるべく彼の好物がメニューに並ぶよう画策するくらいのことしかしていない。

 本当だ。

 本当に、本当だ。

 アイギスはその程度の、対象に近付けない。私物に手を出すこともできない。お揃いのモノを持つなんて烏滸がましくてできない。ただ行動範囲と趣味嗜好を把握して先回りする程度の、恋に恋する狩人(ストーカー)であった。

 自覚している。

 自覚しているからこそ、対象には絶対気付かれないように細心の注意を払っていた。

 対象…アイギスが熱烈に恋している、一つ年上のグニル・ロンギヌスには。


 グニルは、この国に五つある侯爵家の一つ、ロンギヌス侯爵家の嫡男だ。


 争乱の世を平定した五人の勇者。その勇者を祖先に持つ侯爵家は、それぞれ勇者が得意としていた武器を家紋として身につけている。

 嫡男であるグニルもロンギヌス侯爵家の家紋である槍を模したブローチを胸元に付けていた。

 金色のブローチと同じ色の髪は前髪が少し長くて、襟足はスッキリしていた。少し刈り上げた後頭部が愛しい。

 芽吹いたばかりの新緑に似た瞳は真っさらで、真っ直ぐで、パチリと大きい。目が大きいと可愛い印象だけど、男性だからか整った顔立ちはひたすら美しい。

 いいや、性差など感じさせない美しさはまるで彫刻のようだった。瞬きが少なく表情も乏しいことから、人間らしさの欠けた不安定さを醸し出していた。

 美しいと見惚れるのは当たり前だが、そんな空気を人形みたいで気持ち悪いという奴は爪先が砕ければいい。彼の魅力がわからない奴は地面と仲良く転がっていろ。いいや、やっぱりいや。彼の魅力は私だけが知っていればいい。残念ながら私同様、彼に魅了された人間は複数いるので、叶わぬ夢だけど。私だけが知っていたかった。


 アイギスは同担拒否だった。

 当然だ。恋をしているのだから。

 推しならば同担歓迎になれたが、恋をしているので歓迎はできない。


(グニル様の見た目だけで騒ぐような人達とは特に相容れないわ)


 見た目は勿論だが、一度決めたら完遂するまで貫き通す、頑固とも言える意志の強さが好ましい。

 一直線な男性って素敵だ。つまり一途だと思うから。よそ見をしないって素晴らしい。

 彼には常に、前を向いていて欲しい。


 そんな彼にすっかり心を奪われているアイギスは、彼の一つ年下。

 …うねる緑の髪に、瓶底眼鏡で顔の半分を隠す、もっさい芋女だ。


 自分がダサいと自覚しているからこそ、アイギスは大好きな彼の視界に入れないと思っている。大好きな人の視界に、自分のようにぼさっともさっとした女を投入してはならない。

 なら、彼の視界に入るように見た目を変えればいい?

 …そう簡単にはいかないのだ。


(特にこの眼鏡は、本当にダサいけど、この眼鏡だけは手放せないのよ…)


 絶対手放してはいけないのだ。

 万が一にも、グニルの前では絶対に。

 そう思っていた。

 本当だ。本当に、そう思っていた。

 思っていたのに…。


「私の馬鹿…! こらえ性なし…!」


 自分を罵りながら、アイギスは肩で息をした。限界を感じて、教室の床に座り込む。

 痺れた腕が、震える手が、必死に握るのは他人の制服。

 膝を折って座るその膝の上に、抱えるように抱きしめる存在。


 ――石のように固まった、グニル。

 アイギスの大好きな人が、直立で倒れ込んでいた。

 まるで、石になったように。

 石に、してしまった。他でもない、アイギスが。


「やっちゃったぁ…!」


 アイギスの祖先は、大昔、人間側に討伐された幻獣。

 髪が蛇の、視線が合えば相手を石にする、メドゥーサだった。


 その昔、この世には幻獣と呼ばれる怪物が蔓延っていた。

 理性なき動物と違い、知性と知能を持つ生き物。か弱い人間と違い、特殊な能力を有する怪物は世界の頂点に立っていた。

 しかし一括りに幻獣といっても種類は豊富で、彼らは常にどの種族が優位に立つかを争っていた。縄張り争いは過酷で、彼らより弱い生き物は争いに巻き込まれて命を落としていった。


 そんな世界を変えるべく、五人の勇敢なる戦士達が立ち上がる。


 自然災害と割り切るには距離が近く、手が届く脅威。ときには話し合い、ときにはぶつかり合い、彼らは幻獣達との間にルールを設けて世に平和を導いた。

 結論として幻獣達は衝突を避けて、棲み分けるようになった。それは山奥や森の奥、海の底や地底など、徒人では辿り着けない場所に移り住むことになった。

 追い出したようにも聞こえるが、そうではない。より住みやすい場所を話し合った結果、そうなっただけ…と一応伝えられている。

 結果、この地は人に委ねられた。

 それが人の世を築いたと言われる、五人の勇者の始まりである。

 彼らはそのまま国を興し、それぞれの子孫が侯爵として国を導いている。


 そして彼らとぶつかり合った幻獣、メドゥーサは…一応、平和的に話し合って種族同士手を取り合うと約束した比較的温厚な種族である。

 手を出されたら報復はするが、基本的に大人しい。

 ただし、目を合わせたら種族など関係なく全てを石に変える。

 どう考えても危険な幻獣だが、人間にとっても友好的だった。


 何故なら当時のメドゥーサの長が、勇者の一人に一目惚れして全面降伏。そのまま押しかけ妻になったからだ。


 その後、出会い頭に石化からのお話し合い。メドゥーサ達は頂点に興味がなかったため手を出さない限り大人しかったが、積極性を取り入れた途端に幻獣達の脅威となった。

 だって目が合えば石化する。石化させる気で目を合わせてくる。距離があろうと目が合ったと判定されれば石化。バトルしようぜ! なんて幻聴が聞こえるほど視線を合わせた。メドゥーサは容赦しなかった。

 ほとんどの幻獣が出会い頭に襲いかかってくるタイプだったので、勇者達は悩みながらもメドゥーサに頼った。任せろ旦那様お話し合いのために相手の自由を奪ってきます。メドゥーサはとっても張り切った。

 勇者達の活躍の背景には、そんなやりとりが隠されていた。


 幸いというか、旅の中で問題なく愛を育み添い遂げることに成功し、勇者の系譜にはメドゥーサの血が流れている。

 その系譜の一人こそがアイギス。

 五人の勇者を祖先に持つ五つの侯爵家。その中の一つ、盾の家紋を持つサーペント侯爵家の三女だ。

 そんなのただの言い伝えかと思われていたが、緑の髪に赤い目の赤子が生まれて認識が変わる。

 アイギスは殊更メドゥーサの面影が濃い、先祖返りだった。

 そう、視線の合った異性を石化させてしまうのだ。


(…はじめては、お父様でした)


 生まれた我が子を抱きしめたまま石化した父。

 その後彼は、幸せすぎて昇天したのかと思った、とそのときの心境を語る。

 先祖返りで視線を合わせた異性を石化させる異能を持つアイギスは、先祖返りだからこそその異能を指導する存在を持たない。制御のために周囲の異性を石化させるわけにもいかず、異能は持て余されて、苦肉の策で瓶底眼鏡の分厚いレンズで視線を逸らしている。

 が、つい先程やらかしてしまった。

 つまり現在、グニルが直立で倒れているのは、アイギスと目を合わせたからである。


(今までとっても気を付けてきたのに…私の馬鹿!)


 そんなつもりじゃなかった。アイギスは狩人(ストーカー)だが、好きな人に迷惑をかけるつもりは一切なかった。

 ご先祖様のように嫁にして欲しいなんて厚かましいお願いをするつもりもない。

 アイギスはグニルが健やかに生存しているならそれで良かった。彼が取り入れる空気が常に清浄であるようにと、最近では環境保護運動を始めたほどだ。


 しかし今日、やらかしてしまった。

 うっかりぶつかって眼鏡を落とし、うっかり顔を上げて美しく麗しいご尊顔を直視し、彼の緑の目に吸い込まれるよう視線を合わせてしまい…。

 大好きな人を石化させてしまった。


(私の馬鹿ぁ――――!)


 ひぃんっと泣きながら、とにかく誰にも見られないように近くの教室に倒れた彼を引きずった。


 侯爵家の中にメドゥーサの血筋がいることは、今や王族しか知らない秘密だ。

 同じ侯爵家でも、家に伝わる古文書を読み解かない限り気付かないことだろう。それだけ大昔のことだし、正直先祖返りがなければご先祖様のジョークだと思われていたくらいだ。

 なので、アイギスはメドゥーサとしての能力を秘匿せねばならない。制御ができず瓶底眼鏡をかけてはいるがこの十七年間、物心ついてからに限るが意図して異性を石化させたことはない。

 それなのに、こんなうっかりでよりにもよって、グニル・ロンギヌス侯爵令息を石化してしまうなんて。


 直立に倒れた彼の頭を抱きかかえるように座り込んでいたアイギスは、目を開いたまま固まっているグニルを見下ろす。石化した影響で、髪の一筋まで硬い。

 しかし、その美貌は損なわれることなく。


「…かっこいい…」


 アイギスは頬を染め熱いため息をついた。


「本当に私ってば…こらえ性がないわ…!」


 いくら好きな人を石化させて部屋に飾りたい願望があるからって、許されることではない。

 アイギスには、好きな人は誰にも見せずしまっておきたい願望…監禁願望があった。


 美しく麗しいグニルが、メドゥーサの異能を隠すためにダサい格好をしているアイギスに懸想するなどあり得ない。彼のために外見を調えることも内面を鍛えることもできていないアイギスが、高潔で崇高なグニルに見つけて貰うなど、烏滸がましい上に厚かましい。

 彼の視線にアイギスは映らない。それは、仕方のないことだ。


 だから、彼の目に映らないなら、私だけが見詰める彼が欲しい。

 彼の目に映らなくていい。視線など向けなくていい。

 私だけが写す彼が欲しい。私だけの彼が欲しい。


 誰も来ない部屋に閉じ込めて。宝石箱に仕舞い込んで。綺麗に飾り立てて、私だけが見詰める彼が欲しい。


「ああ! ここが学校ではなく私の部屋だったら…綺麗に磨いて永久に飾るのに…!」


 自分勝手で独善的な願望。

 悍ましい誘惑に、アイギスはきゅっと唇を噛んだ。

 わかっている。

 アイギスの恋慕は重すぎて、押しつけがましい感情は相手を傷つけてしまうだけだと。

 うっかりだろうと、石化させた自分が許せない。


「大好きなグニル様の、望まないことはしちゃだめ…っ」


 本当にそんなつもりじゃなかっただけに、アイギスはやろうと思えばグニルを石化させて部屋に飾ってしまえるのだと改めて気付いて、絶対に叶えてはいけない夢だと自分に言い聞かせた。

 アイギスは狩人(ストーカー)だが、繰り返すが健やかに生存していて欲しい。


(…とにかく、早く石化の状態異常を解かないと。保健室に行けば、異常解除のお薬があるかしら)


 幻獣が大人しくなり、お互いが平和的に交流をしているからといって事故がなくなるわけじゃない。

 棲み分けされたからって問題がなくなるわけじゃない。アイギスのように幻獣の血を引く人も居るし、ひょっこり顔を出した幻獣がうっかり異能を発現することだってある。

 なので、状態異常を癒す薬は常備薬の一つだ。切らしていない限り、学園の保健室にもあるはずだ。

 だから保健室へ行けば、この石化も治るはず。


 しかし残念ながら、アイギスの腕力ではグニルを抱えて保健室まで運べない。

 祖先の異能が先祖返りしているが、目を合わせたら石になるという部分だけで別に怪力ではないのだ。メドゥーサが怪力だったのか知らないが、アイギスは非力な貴族令嬢だった。


 名残惜しいがグニルを教室に安置して、急いで取りにいかなければ。

 本当に名残惜しくて手が放せないけれど、このままではいけないことはわかっている。

 観念したアイギスは彼の頭を床に下ろし…待って。


(床に直接グニル様を寝かせるなんて暴挙、許されるの?)


 許されない。アイギスの中では許されない。


 アイギスは自らのブレザーを脱いで丸めて簡易的な枕を作り上げた。高さは足りないが、床に直に寝かせるよりマシである。身体の方は、苦渋の選択。下に敷ける物が近場になかったのでそのままになった。

 アイギスは歯が軋むほど己の歯を噛み締めた。私が不甲斐ないばかりに!


「待っていて下さいグニル様。今すぐお薬を取って来ます!」


 名残惜しい気持ちを誤魔化すために声を出して宣言し、彼の頭をそっとアイギスのブレザーの上に置いた。

 早急に彼を救うため、立ち上がろうとして。


 その瞬間、カッとグニルの瞳に力が宿った。


 虚ろだった緑の瞳が焦点を結び、大きな手が離れようとしたアイギスの腕を掴む。温度のなかった石化直後と全く違う熱い手の平に、アイギスの喉がひゅっとか細い音を鳴らした。


「どこへ行くの」


 膝を突いて立ち上がろうとしたアイギスを引き留めるグニルは、肘を突いて中途半端に起き上がって彼女を見上げている。

 気付いたときには、グニルの端正な顔がアイギスを覗き込んでいた。

 瓶底眼鏡越しとはいえ近すぎる。アイギスは青白い肌を真っ赤に染めた。


「どどどどこって保健室に」

「なんで」

「ななななんでってグニル様の石化を治すお薬が必要だから…あれ必要ない!? なんで!?」


 石化していたはずのグニルが、当たり前のように動いている。

 アイギスは混乱した。

 だってさっきまで、アイギスと直接目が合った影響で、確かに石化していたはずなのに。

 戸惑うアイギスに、グニルは表情を変えず呟いた。


「ロンギヌス侯爵家の直系には勇者が使用していた聖槍の加護がある。持ち主でないため呪いの全てを弾くことはできないが、時間経過で解除することが可能だ。石化はその昔、先祖が親友夫婦を揶揄っては挨拶のように石化させられていたため、我が血族には耐性がある。他の効果よりはやく打ち消すことができた」

「まさかご先祖ネタで他所から新情報を貰うことになろうとは!」


 メドゥーサの血族が自分たちの血筋に半信半疑だったというのに、まさかの他家で当たり前のように受け入れられていた事実。

 そして昔は命を奪うほど強力だったはずの石化。そんなに簡単に仲間(?)にかけていたのか。耐性ができるほど頻繁にかけられていたなんて、ロンギヌスの勇者は思っていたよりお調子者だったのだろうか。ロンギヌス侯爵家嫡男のグニルはこんなにクールなのに。


(――ハッ! 待って…ご先祖様ネタを知っているということは、私がグニル様に何をしたのかも理解しているということで…石化が使える私がメドゥーサの先祖返りだとバレてしまったということでは!?)


 そう、アイギスがメドゥーサ寄りの人間だと、好きな人にバレてしまった。

 好きな人を石化させるという、最悪の展開で。

 さあっと血の気が引いた。


 …異常解除のお薬を使用すれば、石化の前後の記憶は曖昧のままのはずだった。

 外から解除されると、どうしても一部混濁したままになる。だがグニルは自力で解除した。内側から異常を吹っ飛ばしたということは、全て覚えている。その証拠に、石化が治ったばかりなのにグニルの意識ははっきりしている。

 グニルは誰が原因で、自分に何が起こったのか、もう知っている。


(…き、気持ち悪いとかよくも攻撃したなとか、言われたらどうしよう…)


 そんなつもりではなかったが石化は攻撃だ。幻獣の異能を持つ幻獣寄りの令嬢なんて気持ち悪いと思われたらどうしよう。この距離でそんなことを言われたら自分を抑えきれず最大出力で石化アゲインしてしまうかもしれない。


 ちなみにアゲインしたら頑張って部屋に持って帰る。絶対だ。


 涙目で決意するアイギスの心境など知らず、アイギスの腕を掴んだままグニルが身を起こす。

 背の高い彼は、座っていても膝を突いているアイギスより僅かに視線が高い。それでも立っているときよりは視線が近くて、アイギスはドギマギした。

 そもそも、いつだって遠くから見守っていたので、触れ合うほどの距離で見つめ合ったことなどない。遠くにいても見詰めるばかりでグニルからの視線など受け取った覚えもない。

 しかも、腕はまだ掴まれたまま…。


 この手は、なんだろう。どうして放してくれないのだろう。


(こ、これはあれかしら。犯人を逃がさない強い意志? これから始まる尋問から逃げないように捕まっているの? こ、怖いけど…グニル様の手、おっきぃ…あつい…かたい…溶けちゃう…)


 好きな人に触れられているという事実だけで、幸福感で溶けそう。


「さっき俺のこと、大好きって言ったよね」


 溶ける前に吹き飛びそう。


 言った。確かに言った。

 でもグニルは石化状態だったから、声は届いていないはずなのに。

 アイギスの疑問に気付いたのか、グニルはちょっと考えてから一人で頷いた。


「身体は動かなかったけれど、ずっと見えていたし聞こえていた。聖槍の効果だろう」

「キュッ」


 一般人は石化したら仮死状態になるので、石化状態の記憶はないし声も聞こえない。

 聖槍、仕事しすぎ。

 そう、本来なら聞かれるはずのなかった独り言。

 アイギスは聞かれていないと思っていたから油断して、ぽろぽろ独り言をこぼしていた。「大好きなグニル様」なんて普通に口にした。間違いなく言った。言いました。

 血の気の引いたアイギスの頬が再び燃え上がる。眼鏡で見えないかもしれないが、目から水がこぼれそうな程に潤む。


「俺が大好きだから石化したの?」

「キュァ」


 グニルは容赦がなかった。

 うっかり事故だが、あわよくばなんて考えちゃったのは事実。

 明らかに動揺して赤面し、視線を彷徨わせて汗をかいているアイギスを見ても、容赦なく質問を繰り返した。


「大好きだから永久に部屋に飾りたいの?」

「キュィッ」


 全部聞かれてる。

 願望がダダ漏れだった独り言、全部聞かれている!


「俺が欲しいの?」

「キュゥ――――ッ!!」


 アイギスは立ち上がって逃げようとしたが、立ち上がろうとした瞬間腕を引っ張られた。男の力にあっけなく負けた令嬢は、倒れ込むようにグニルの膝に収まる。二本の腕がアイギスの身体に絡みつき、しっかり胸元に抱き寄せられて動けなくなった。

 グニルの唇が、アイギスの耳に触れる程近い。


「ねぇ」


 熱い。


「教えて」


 熱い。


「俺を欲しがってくれるの?」


 吐息も、触れる体温も熱くて、アイギスは…溶けた。


「ほじ…ほじいです…っ」


 体勢を整える為に突き出していた手は、とっても正直に目の前のグニルにしっかり縋っていた。


「でも駄目なんです私重いので!」

「標準だと思う」

「物理的な重さではなく! 心理的な重さが重量級で! グニル様のお邪魔はしたくないけれど絶対邪魔をしてしまうんです! 具体的に言えばグニル様のおはようとお休みまで全部欲しいし夢で会えるのは私でありたいし卒業後も遠距離でいいから見詰めていたいし結婚相手はグニル様を心から愛して服従する女であっても許しがたいしグニル様が天へ還るときにはご一緒したいくらい重いんです!! どれか一つでも許されたら調子に乗っちゃういたい女なんです!! 私を許さないで!!!!!」

「許すよ」

「キュォッ」


 叫ぶアイギスに、グニルは淡々と頷いた。本当にわかっているのかと問いたくなるくらいいつも通りの反応だった。


「おはようからお休みまで傍にいていいよ。ずっと傍にいたら夢でも会えるかな。卒業後は遠距離なんて言わないで至近距離にいればいい。どんな女も許せないなら結婚相手は君しかいないし添い遂げるなら死後も共にいたい。何か問題ある?」

「えっえっえっ」

「たくさん欲しがってよ俺のこと。たくさんあげるから、俺にもたくさんちょうだい」

「い…いぃんですかぁあああああ!?」


 まさかの返答に、アイギスは何か考える前に反射で叫んだ。縋っていた腕を伸ばして、はしたなくも目の前の身体に絡みつく。蛇のように身をくねらせて、隙間を憎むように密着した。その拍子に瓶底眼鏡がずれて、直接グニルと視線が合った。

 澄んだ緑色と、禍々しい赤がぶつかり合う。

 視線が合ったことでメドゥーサの異能が発動し、グニルは石化するはずだった。

 しかし本当に耐性が付いているのか、その気配もない。変わらず温かい腕に抱かれて、アイギスは歓喜に震えた。


 冷たい石像にしなくても、グニルはアイギスを抱きしめてくれる。

 もう二度と部屋に飾る願望が叶うことはないが、背中に回された腕に興奮して余計なことが考えられない。

 声も出ないほど感激しているアイギスに、視線を合わせたグニルが問う。


「俺のこと好き?」

「好きですぅうううう!」


 全力で答えるアイギスに、お人形見たいと言われるグニルの顔がニコッと無邪気に歪む。


「ならずっと、俺を欲しがり続けて」


 俺のことずっと考えていて。

 と告げて降ってきた唇が触れて、アイギスはとうとう幸福感で爆発した。




 グニルはお人形のように美しく、お人形のように無機質だった。

 人間は美しいモノが好きだが、温かみのない人間は敬遠する。


 グニルはいつも一人だった。


 ちやほやと近付いてくるので近寄ってみると、何故か皆尻込みする。もう一歩近付こうとすると後退る。向こうから近付いてきたのに、グニルが近付くと皆逃げていく。

 それは、グニルが常に表情を変えず、言葉も少なく相手をじっと眺めていたのが原因だった。

 お人形のように美しい顔でも、無表情で問うように…責めるようにじっと見られれば尻込みもする。特にちやほやと近付いてきた相手は下心しかないので、それを咎められている気がして逃げ出す者ばかりだった。

 家族はそうでもなかったが、他人は違う。

 グニルは家族以外の温もりに飢えていた。


 遠巻きにされることは慣れていたので、グニルはアイギスにもすぐ気付いた。


 アイギスはチラチラとグニルの視界に入ってきた。

 本人にそのつもりはなさそうだが、彼女は目立つ。五つある同じ侯爵家の娘。爵位はあるのにいつも野暮ったい格好の瓶底眼鏡令嬢。

 身嗜みは綺麗なのでいじめられている訳でもなさそうなのに、何故サーペント侯爵家は彼女を飾らないのか。

 気になったがそれだけで、話しかける程度の興味ではなかった。


 それが一変したのは、放課後に接触してその眼鏡が外れた瞬間。

 分厚いガラスの奥から現れた、どんな紅玉よりも深い赤。


 その目と目が合った瞬間に、グニルは――――蛇に睨まれたカエルの気持ちを理解した。


 全身が硬直して動けなくなる恐怖。

 石化した瞬間、グニルは己の死を覚悟した。

 己が身に起こった事から、アイギスが何故眼鏡をかけて野暮ったい格好でいたのか理解した。サーペント侯爵家の祖先がメドゥーサだという古い記述を思い出し、まさかそれが本当のことだったなんてと驚愕した。


(勇者の末裔が、石化で倒されるなんて)


 そう思っていたのだが、どうやら狙ったわけではなくうっかり事故だったらしい。

 アイギスは大慌てで石化したグニルを教室に引きずって、どうしようどうしようと焦っている。石化したグニルは視線を動かすこともできず、ぼんやり開いた目が写す範囲だけを眺めていた。

 石化しているので目が乾くこともなく、高さ的にアイギスの膝に乗せられているようだが柔らかさを感じることもなかった。


「ああ! ここが学校ではなく私の部屋だったら…綺麗に磨いて永久に飾るのに…!」


 なんかやばい願望が聞こえた。

 もしかしてこのまま飾られるのかとぞっとする。

 しかし苦悩しながら続いた言葉に…頭が真っ白になった。


「大好きなグニル様の、望まないことはしちゃだめ…っ」


 大好き。

 大好き。


(…今大好きって言った?)


 君が、俺のことを?


(大好き…)


 だから、部屋に飾りたい?

 閉じ込めてしまいたい?

 ずっと一緒にいたい?

 ずっと。


(いてくれるの?)


 グニルは、いつも一人だった。


 近付いたら、逃げられる。だからいつしか、自分から近付くことは諦めていた。

 だけど本当はずっと求めていた。

 グニルを求めて、グニルの傍にいてくれる存在を求めていた。


(君は…アイギス・サーペント嬢は、俺の傍にいてくれるの?)


 石化した身体には感覚がないはずなのに、グニルを抱えるアイギスの体温を感じる。

 大事に大事に抱きしめる細い腕。柔らかな膝。小さくて温かい存在。

 気の所為でなく、徐々に石化が解除されてきている。このときになってグニルはロンギヌス侯爵家に伝わる聖槍の話が事実だと知った。きっと石化中にもかかわらず意識がはっきりしているのも、聖槍の影響だろう。


 そのおかげでグニルはアイギスの本音が聞けて、捕まえるべき相手を見つけた。


 だというのに、アイギスはあろうことか、グニルを置いてどこかへ行こうとしている。

 グニルはまだ近付いていないのに、近付く前に離れるのは許さない。


「どこへ行くの」


 どこにも行っちゃダメだよ。

 君はずっと俺の傍にいたいんでしょ?

 ずっといていいから、絶対離れちゃダメ。


 グニルははじめて、離れていく相手の腕に絡みついた。


 メドゥーサの血を継ぐアイギスと、愛を求めて彼女を絡め取ったグニル。

 一体どちらの方が蛇だったのか。

 わからないが、その後彼らは…。


 お互いがお互いに絡みつくのを許容する遠慮なきバカップルになり、幸せオーラで周囲に無差別攻撃を仕掛ける独り身には殺傷能力の高い夫婦となった。



重い愛情を隠したかった女と、重い愛情に飢えていた男。

結論:どっちも重い。

アイギスはご先祖様から重たい愛を継続し、グニルはアイギスくらい重い愛情を抱いてくれる人じゃないと靡かない。それくらい重くないと離れていくと思っているので。

お互い安心して絡み合っている。周囲の人は遠慮なきバカップルに爆発しろと叫んでいる。


ありま氷炎さん「第十回春節企画」参加作品です。

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― 新着の感想 ―
こういうお話大好物です! ありがとうございました!
アイギス………… 顔の周りに盾が付いてるんですかね。 そして「グニル」はミドルネームですよね? 本当の名前は「グン=グニル・ロンギヌス」。 矛盾カップルですね。
メデューサの名前がアイギスというのもまた・・・こうすごいですね!この世界だと問題はなさそうですが原典を考えると
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