40.もうしばらく、あなたの側に
「いいや――おかしくなんてないよ、結衣。
正解とか、間違いとか……そういうものでもないのだから」
『本来の人という存在』からすれば、人は死ぬものだという考えはおかしいのか――。
ずっと持ち続けてきた自らの信念、その是非を問うた結衣への、カイリの答えがそれだった。
「……カイリ君……」
「僕は思うんだ。
僕らは、あくまで〈星の一部〉――星の内包する、意志や感情の具現化の一部。
そしてそのチカラは当然、人を支配することだって出来るものだけれど……きっと、この星が望んでいるのはそういうことじゃないんだ。
僕らという存在から、その示唆したものから……自発的に何かを得た人間が、自らの〈意志〉で道を選ぶ。
人が自ら、『何者か』になっていく――それを、星は望んでいるんじゃないかって。
だから……」
カイリは改めて、隣に立つ結衣に視線を移した。
本当の意味で人間離れした、紅く輝く美しい瞳が、結衣の心底を見据える。
「キミの信じるその世界を、この先を生きる人々もまた、願うのなら――。
それが今度こそ、覆ることのない確かな〈人の真理〉にも成り得るのじゃないかな」
カイリのその言葉は、彼自身の優しさから出たものであるようにも聞こえる。
だが、決してそれだけではないのだと――事実としてそうしたものであるのだと、結衣にも理解出来た。
同時に、かつて預言者ロアルドが語った推測が思い出される。
『……〈屍喰〉とは、『種族』としての行動原理よりむしろ、個々人の理念というものが何より重視される存在なのかも知れない。
そう――差し詰め、神話の時代、神や悪魔といった存在が、各々様々な要素・事象を司り、そしてそれが主義や理想といった精神的なものにまで及んでいたように――』
弟子のランディも、その持論の下敷きにはこうした考えがあるようだった。
つまりは、少なくともこの点に関しては、ロアルドの考えは正鵠を射ていたのだろう――。
「……そっか……。
うん……そうか、そうなんだね――」
自分の信念が決して間違いではなく、それを抱き続けることにも意味がある――そう悟れたことは、素直に嬉しい。
だが、同時に――
でも、わたしは……。
あなたも、そしてわたしも……普通の人として、死に逝く命に戻したかった――。
もはや自分やカイリは、人に戻るとか戻らないとか……そういった段階の存在ではないことを、改めてまざまざと思い知らされて。
それが、どことなく寂しくもあった――郷愁のように。
「それで……カイリ君は、これからどうするの?
ここに来た目的は、〈回帰会〉と〈出楽園〉の争いを止めるためで……それはもう、こうして達せられたでしょう?」
気持ちを切り替えるように、結衣が街の方へ視線を移しつつ尋ねると……カイリも、一瞬の間を置いてそれにならった。
「そうだね……もうしばらくは、彼らを見ているよ。
今回の件が、どういう結末を迎えるか……そしてそれが、世界に――人々に、どんな影響をもたらすのかを。
……もうしばらくの間、見続けたいかな」
カイリの言う『もうしばらく』が、数日やそこらでないことは、同じ〈屍喰〉となった結衣には直感的に理解出来た。
数年どころですらなく……恐らくは少なくとも、数十年単位の話だろうと。
結末から影響まで見守る――それはきっと、比喩などではないのだ。
「もっとも……。
その前に、僕にはやらなければならないことがあるけれど」
静かに、カイリはそう付け加える。
……それが、彰人の孫の晃宏が彼を探している――そのことを指しているのは、結衣は当然聞かずとも分かった。
「……それで……結衣、キミの方は?
キミも、当初の目的は僕と同じだったんだろう?
キミはどうするつもりなんだい? これから」
「…………。
そうだね、わたしは――」
考え考え、そう切り出しながら結衣は――つと、視線を遠く、高原の西の彼方へと向けた。
普通の人間なら、道具を使ってやっと判別出来るだろう、まだ遠い場所にあるそれを――しかし彼女の瞳ははっきりと捉える。
「いずれは、あなたが教えてくれたことを、わたし自身として正しく〈理解〉するために――改めて世界を巡る必要があると思う。
わたしたちのこと、この星のこと……もっと知るべきことを知らなきゃいけないと思う。
だけど、その前に――」
高原を、西より来たるもの――それもまた、数はそこまで多くないものの、一つの軍だった。
しかしそれが、ようやく血を流さずに収まりそうだった紛争を再燃させる――そんな類の存在でないことは、結衣にはすぐに分かった。
……その軍の先頭を行く者たちが掲げていたのが、回帰会重鎮アントーニオの――ベルニ家の紋章だったからだ。
――そう……あなたはそういう人だったね、アントーニオ。
その行動のどこまでが、アントーニオ自身と連絡がつかなかった理由と結びつくか、までは分からない。
あるいは実際に彼は体調が悪かったり、武力衝突を推し進めていた派閥に幽閉されたりもしていたのかも知れない。
だが……そうだったとしても。それらの障害があったとしても。
彼は、自ら動くことをやめなかったのだ――結衣だけにすべて背負わせることを、良しとはしなかったのだ。
恐らくは熱心に協力者を集い、私兵を掻き集めてでも……自ら愚かしい紛争を止めようと、こうして駆け付けたのだ――。
そんなアントーニオの意志と想いを汲み取って、結衣は……。
穏やかに、カイリに微笑んでみせた。
「その前に、わたしは……もう少し。
わたしを、わたしとして見続けてくれた人の側に、いてあげたいかな――」




