35.暁の光の中で
――後の世の、歴史研究家は語る。
かの〈ウラルトゥ事変〉は、確かに人の世の大きな分岐点であった――と。
はるか旧時代の出来事であり、我らとの文化的連続性は無いに等しいが……。
しかしそのときの世界の『選択』は、間違いなく今の我らへと繋がっているのだ。
あるいはその結果が全くの別であったなら――我らは未だに、かつての『文明』をなぞらえていたことだろう。
世界の本質を『詠む』のではなく、そのごく浅い表層を捉えるだけの、安易ゆえに平易な『学問』に縋り付いたまま――こうして星に寄り添うことなど、到底適わなかったことだろう。
もちろん、その事実だけならば、今に至る歴史のあらゆる出来事に当てはまるかも知れない。
しかしその中で、それでもこの事変を大きな分岐点の一つと定義する理由。
それはそこに、〈星の子〉たちの確かな足跡が残るからである――。
* * *
〈出楽園〉の本拠であるウラルトゥは、最奥のPD本部、さらにそこから広がった街そのものも取り囲む形で、城壁が築かれている。
歴史ある遺物というわけでもなく、また、〈暗夜〉以前の先端技術によるものでもないそれは、優美でも機能的でも無いが……しかし内にあるものを守る『壁』としての役目は充分に果たしてきた。
当然それは、賊という『人間』の侵入に対しても、であったが……。
「あれは……迫撃砲……!」
PD本部を出た後、まずは状況を見極めようと、城壁の最上部へと一直線に駆け上がった結衣は……。
昇り始めた陽の光の中、下生えの緑に染まる高原の向こう――目と鼻の先に迫った〈回帰会〉の陣容の中に、円筒形の物体を幾つも見出す。
それは、円筒に装填した擲弾を火薬の力で飛ばす、旧世代式の迫撃砲に違いなかった。
旧世代式とはいえ、より高度な自走砲や戦車といった兵器が〈暗夜〉の影響で機能しない現代では、充分に脅威的な兵器だ。
……いきおい、この城壁を強引に崩すことも――たった数発でどうにかなるほどではないにしろ――可能だろう。
いやそれどころか、距離を詰めれば直接、城壁内を攻撃することも出来るのだ。
そして、そうした脅威の存在もあってか――八坂 洋一郎率いるPDの守備隊は、街への被害が必然的に大きくなる籠城をせず、回帰会の軍を迎え撃つように街を出、城壁の前に布陣していた。
数に劣る以上、それが圧倒的に不利であることを承知の上で。
――どうする……?
PDと回帰会……両者の陣営の距離が少しずつ、しかし確実に縮まるのを見ながら、結衣は思考を巡らせる。
最初に考えていたのは、このまま真っ直ぐに回帰会の陣へ向かい、〈生命の樹の果実〉についての情報をもたらすことだ。
それが、一時でも進軍の足を止める理由になればと思ったからこそだが……。
こうして迫撃砲まで持ち出していた彼らが、今さらその程度のことに耳を貸すとは考えがたい。
――なら、彼らの司令官を捕まえる……?
情報をもたらしたついでに、回帰会の司令官を捕らえてしまう――という手もある。
常人ならともかく、〈屍喰〉たる結衣にとっては何ら難しくないことだ。
しかし――それはやはり、暴力の一環でしかない。
暴力による事態の解決を防ぐためにこそ、これまで行動してきたというのに……被害が抑えられるとはいえ、やはり暴力を以て事を収めるのが正しいとは思えない。
――それなら……。
結衣の視線は、未だ両陣営の間に横たわる、広々と青い高原に向けられる。
……自分がここに割って入れば――互いの攻撃を押さえ込むことが出来れば。
どちらにも被害を出すことなく、争いを収められるかも知れない――。
屍喰としての〈チカラ〉というのが、どれほどのことまで出来るのかは分からない。
しかし、少なくとも死ぬことは無いのだ――互いの攻め手をひたすらに邪魔し続け、間に立ち続けることは出来る。
そしてそれが、人々に畏怖される屍喰であるならば尚のこと、彼らの戦意喪失に一役買うかも知れないのだから。
屍喰もいずれ人に戻るべきだと、そう信じて行動してきた結衣にとって……屍喰たる己の力に頼り、それを世に晒すことには強い抵抗もあった。
だが、だからといってここまで来て手を拱くのであれば、それこそ本末転倒ではないか――。
「………………。
よし――」
ゆっくりと、一つ深呼吸。
心を静め、決意を固め――まなじりを決した結衣。
そのとき――
「同じことを考える人に会うなんて、思わなかったよ」
彼女は横合いから、そう声を掛けられた。
瞬間――彼女の中から、様々な思考が弾け飛んだ。
ただただ反射的に、真っ白になった思考のままに、声の方を向く……彼女にとっては決して忘れ得ない、あまりにも懐かしいその声の方を。
果たして、そこに立っていたのは――
「それもこんな風に、キミと再会する形で、とはね…………結衣」
彼女の記憶の姿、そのままに――。
暁の光に銀に輝く髪をなびかせた、紅い瞳の少年――カイリだった。




