33.もたらされる〈意志〉、選んだ〈意志〉
「師によれば――」
ランディは話を切り出しながら、テーブルの一角の、見るからに古びた資料ファイルを指でなぞる。
きっとそれが、ロアルドに託されたものの一部なのだろう。
「〈その日〉は、人の遺伝子の中に、そこへ至る〈数字〉が見えていたそうですからな……かねてからの『約束』のようにも思えます。
当然、その後の〈暗夜〉も、それに連なる出来事だと誰もが考えたでしょう――それだけの、史上類を見ない大変化だったのですから。
そしてそれは、師とて例外ではなかった。
いや、実際、まったく無関係というわけでもなく、『関連』してもいるのでしょう――しかしその大元はまったく別だと、わしは思い至ったのです」
「まさか……。
あなたの言葉を借りるなら、あの2つの異変は1つの〈意志〉に拠るものではなく――それぞれ別の〈意志〉が介在していた……?」
「わかりやすく言ってしまえば、そうなりますな」
「…………。
神の如き〈意志〉が、複数……」
そう口の中で呟く結衣、その脳裏に浮かぶのは、まさに――『自分たち』だった。
人智を超えたチカラを持ち、永遠を生き、そして己の〈意志〉を持つ存在――。
そんな自分たち〈屍喰〉こそが、それに当てはまるのではないか、と。
……そうだ、ロアルド博士も主張していた――。
神話の時代、神や悪魔と呼ばれたような存在……それが〈魂の遺伝〉によって現代に生まれ落ちたのが〈屍喰〉ではないか、って。
じゃあ、やっぱり……これらの異変を引き起こしたのは、はるか昔の『わたしたち』だってこと……?
「それはきっと、正解であり――また、間違いでもあるのでしょう」
結衣の思考を察したランディは、そんな風に告げながら……ゆるゆると首を振る。
「仮に、貴女がた屍喰が完全に人を、その行く末を支配せんと考えたのなら……このような手段を採る必要性がまったくありません。
貴女自身もそうであったように、わざわざ人の中に人として埋もれ、目覚めの時を待つ必要すらも。
もちろん、わし如きでは理解の及ばぬ理由があるのやも知れない――それは否定出来ませんが。
しかし、総合的に感じられるのは……遙か古の超越者は、人自身に人の行く道を選ばせたのではないか、ということです。
〈その日〉を迎える『約束』も、その一環だったのではないでしょうか。
つまりあれは、超越者だけではなく――人そのものの〈意志〉でもあったのではないでしょうか」
「『死』の喪失を、人類自身も望んでいたと言うのですか……?」
「結果としては、そう見えなくもないですがな……。
しかしわしは、実際には『逆』なのではないかと思っております」
「……逆……?」
怪訝に首を傾げる結衣に、ランディは手近な本棚から一冊の本を抜き取り、テーブルに置く。
……それは、記紀神話について書かれたものらしい、日本語の本だった。
「喩えとして分かりやすいでしょう……コノハナサクヤヒメとイワナガヒメの伝説はご存じですかな?」
結衣は素直に頷く。
――そして同時に、ランディが『逆』といった意味も理解した。
コノハナサクヤヒメとイワナガヒメは、記紀神話で語られる、天より降りてきた天孫ニニギノミコトに、山の神が嫁がせようとした姉妹神だ。
妹のコノハナサクヤヒメは、花のごとき美しさと繁栄を――そして姉のイワナガヒメは石のごとき長寿を司っていたが、天孫が妻と望んだのは妹だけだった。
それゆえ、彼の子孫たる人間たちは、不老不死を持たず……咲いては散る花のような、儚い定命の存在となったという――。
「つまり、人類ははるか昔に……自ら、『限りのある命』を選んでいた。
そして、それをもたらした存在と交わした『約束』が終わるとき――それこそが、〈その日〉だった……」
結衣は、眉間に皺を寄せながら……ランディの至った結論を自らの口に乗せる。
表情に出ている通りに、彼女は苦々しい思いだった。
もし、その考えが真実であるのなら――それを受け入れるなら。
人はそもそも『死なないもの』となるからだ――死があることが自然と考えてきた、彼女の信念とは真逆に。
そして……かつてロアルドが〈生屍〉を指し、『人間の本来の姿』と称したように。
「そう――かつて、いわば『楽園の中』という『何をも選べる』状態にいた人類は、自ら選んだのでしょう。
大いなる〈意志〉がもたらした、『限りある命』という〈果実〉を。
しかしそれも終わり、人は再び、楽園に還るときを――何かを選び取るときを迎えたのです」
「! もしかして、〈生命の樹の果実〉というのは――」
ハッと結衣が顔を上げると……ランディは、苦笑混じりにゆっくりと頷いた。
「人の――人類そのものの、未来への〈意志〉」