30.巫師を訪ねる
「やはり……避難なさるつもりはありませんか、博士」
「うむ。
洋一郎、お前たちの心遣いは嬉しいのだがな」
――〈出楽園〉本拠ウラルトゥは、元は軍事基地だった場所を利用して築かれた街であり……それゆえ厳密な意味での『本拠地』は、基地内部の地下シェルターとなる。
そして、八坂 洋一郎が訪れたその中の一室――膨大な資料が山を成し、渓谷のように広がるこの部屋こそが、PD代表ランディ・ウェルズの私室兼研究室だった。
ランディの薫陶を受ける洋一郎は、常日頃よりよくここを訪れていたが……。
今日の訪問には、明確な目的があった。
そう――〈回帰会〉一軍の接近に伴い、場合によっては戦場ともなるこの危険な場所からの避難を促す、という。
しかし……洋一郎にとっては、想定していた通りと言うべきか。
やはりランディは、頑として首を縦には振らなかった。
「そもそも、彼らが目の敵にする理念を起こしたのは他でもない、このわしだ。
そのわしが、いわば教え子のような存在のお前たちにすべてを押し付けて逃げるわけにもいくまい。
最悪の場合、わしの命そのものが交渉材料になるやも知れんしな。
……梶原殿も言っていただろう?
こんな時世だからこそなおのこと、若者のために身を切るのが老人の務めというものだ」
「しかし我々は、博士の命を差し出してまで生き延びようとは――!」
勢い任せにそこまで言って……しかし、洋一郎は口をつぐむ。
彼も当然分かっているのだ――ことが自分たち軍人だけでなく、それこそ理念など関係なくただPDの庇護下にあるだけのような、普通の人々にまで関わりのある話だということを。
だからこそのランディのあの言葉なのだと。
そんな洋一郎に、ランディは穏やかに笑いかける。
「……まあ、あくまで最悪の場合の話だ。まだ戦いが始まったわけではない。
それに、今この瞬間も、梶原殿のことだ――彼らを止めるために尽力してくれているのだろうしな」
「…………。
確かに今のところ、梶原殿が処断されたという報告はありませんが……。
しかしあれほどの御仁でも、ここまで切羽詰まった状況ではさすがに……」
「だが、何かが――ほんの僅かでも、良い方向へと傾いているやも知れんだろう?
そして往々にして、限界状態のときほど、そうした僅かな違いが明暗を分けたりするものだ。
ならばこそ、我らも最後まで諦めず……少しでも良い道を模索し続けねばな」
ランディに諭され……洋一郎は。
一度気を静めるように、天井を仰いで深呼吸してから、「分かりました」としっかり頷いた。
「うむ。……さあ、これ以上老人の相手をしているヒマはなかろう?
お前も今や、皆を導く立場なのだ――仕事に戻りなさい」
「……はい。
出来る限り博士を犠牲にせずに済むよう、最善を尽くします」
珍しく、そんな冗談を交えながら――洋一郎は姿勢良く敬礼する。
「頼むぞ?
わしも、出来ればまだもうしばらくは、生きて研究を続けたいのでな」
冗談を返すランディの笑顔に送られ、「それでは」ときびすを返そうとし――。
しかしそこでふと、後ろ髪を引かれたように洋一郎は今一度、質問を投げかけた。
「博士……。
やはりこの事態にもまた、『意志』が介在しているのでしょうか?」
ランディは、それに簡単には答えず……しばし目を閉じて黙考してから、口を開く。
「大きな意味で言えば、きっと――な。
だがな、忘れてはいかんぞ? 洋一郎。
……我々が、我々の『意志』で正しいと信じた道を行くこと――それこそが何より大切なのだ」
「はい。ええ、そうですね――。
それこそが、我らの〈生命の樹の果実〉なのですから」
ランディの答えに、洋一郎は満足げに微笑みつつ――もう一度、小さく頭を下げて。
今度こそ、研究室を後にしていった。
「……さて――」
ランディは、一度息をつきつつ、椅子をクルリと回して振り返り……資料の詰まった棚が渓谷のように居並ぶ方を見やる。
そうして――
「これで、この部屋にいるのはわし一人。
せっかくの珍しい客人だ――そろそろ顔を出されてはいかがかな?」
そんな風に、言葉をかけると……。
僅かの間を置いて、答えが返ってきた。
「……どうして、ここにいると……?」
「ふむ、明確な理由は定かでないが……。
わしはどうやら、幼い頃よりそのあたりのカンが鋭いらしくてな」
苦笑混じりにこめかみのあたりを指で叩きつつ、ランディがそう答えれば。
やがて、どうやらため息をついたらしい音とともに……棚の陰から、人影が姿を現す。
「さすが、〈PDの巫師〉なんて呼ばれるだけのことはある、なのか……。
それとも――あの〈預言者〉ロアルド・ルーベクの弟子だから、なのか」
人影――霧山 結衣は、そっと顔に手をやって……メガネを整え直した。
「お話を聞かせてもらいに来ました――ランディ・ウェルズ博士。
……あなた方の言う、〈生命の樹の果実〉について」