29.彼らの選択
――旧トルコ南東の、とある都市。
10人ほどの若者が、滞在する宿にほど近い廃屋の居間を借りて車座になっていた――酒宴などで明るく騒ぐのではなく、いやそれどころか逆に、重々しい空気と緊張感に満ちた表情を突き合わせて。
「……さて。
今に至るも、ケン爺からの連絡は無し――だが」
彼ら、カタスグループ日本本部からの〈使節団〉……。
そのリーダーであり、車座の中央に位置する伊崎 晃宏が静かにそう言い放つと、若者たちの間にざわめきが生じる。
「……やっぱり、梶原教官の身に何かあったんじゃ……」
「バカ野郎、あのクソジジイがそう簡単にどうにかなったりするか!」
「そうだ! 〈鬼の梶原〉だぜ? 殺したって死にゃしねえよ!」
「だけどよ……あの教官だからこそ、だろ?
何があっても任務に忠実なあの人だからこそ、連絡が無いのはおかしくないか?」
一際冷静な意見が出ると、場が帯び始めていた熱が一気に冷める。
……それこそ、誰もが頭の何処かで意識していたことだったからだ。
「じゃあ、教官はやはり……」
「いくら教官でも、たった一人だからな……」
「……くそ……! こんなことなら、オレだけでも教官に同行してれば……!」
「おい、やめろ! まだそうと決まったわけじゃねえのに、縁起でもねえ!」
「けどよお……っ!」
「…………。
俺の、8歳の誕生日のときの話なんだがな――」
中央の晃宏が、穏やかな調子でそう言葉を切り出すと――。
再び過熱しそうだったざわめきが、途端に静まった。
まるで関係の無さそうな話だというのに……大きな声を出したわけでもないのに。
その場の誰もが、自然と晃宏に目を向け、話に耳を傾ける。
しかしそれは、彼がリーダーという役割の人間だから、ではない。
上官に従うという、軍人として叩き込まれた習性ゆえの反応ではない。
ただ、自然とそうせずにはいられない――そんな、抜きん出た晃宏の『存在感』ゆえだった。
「当時俺は、〈暗夜〉以前に描かれた少年マンガにハマっていてなぁ……。
で、それが剣と魔法のバトルファンタジーだったもんだから、ケン爺に『誕生日に欲しい物はあるか』って聞かれたとき、迷わず『カッコイイ剣が欲しい!』とねだったわけだ」
晃宏の口調には、何の力みも緊張も無い。
本当に、ただ仲間を相手に他愛も無い世間話をするように、言葉を続ける。
「……こんなご時世だ、ちゃんとしたオモチャなんてそうそうあるものじゃない。
だが剣なら、その辺に転がってる鉄材でも加工すりゃ何とかなるだろ?
俺もそうしたのを期待してたし、ケン爺もそのつもりで、『カッコイイのを作ってやる』なんて息巻いてたのさ。
――ところが、楽しみにしてた誕生日当日だ……」
腕を組んだ晃宏は、しかめっ面で大きくため息をついた。
「ケン爺のヤツ、すっかりそのことを忘れてやがってな……!
それも、任務で忙しかったから――とかじゃねえんだぜ?
うちの爺さんが久し振りに空き時間が取れたからってんで、二人で散々に飲み明かして、ぐでんぐでんに酔っ払って……挙げ句、記憶からすっ飛んでたってどうしようもねえオチだ。
――で、当然キレた俺に謝りながら、『これで勘弁してくれ』って代わりにくれたのがこいつなんだが……」
言いながら晃宏は、タクティカルベストの肩口に挿したコンバットナイフを叩く。
「ああ、俺は不満タラタラだったね。
何せカッコイイ戦士になりきりたかったのに、ナイフじゃいいとこ盗賊だからな。
……それにな、俺だけじゃない、ケン爺は俺のオフクロにまで怒られたんだよ――本物はまだ早い、危ないってな。
まあでも、そんなところを見たせいで、俺の方は何だか怒りが治まっちまったし……爺さんとオヤジが取りなしたし、そもそもオフクロもそこまで本気で怒ってたんじゃないしで……結局、晴れてこのナイフが誕生日プレゼントになったわけだが。
――しかしまったく、あのときのケン爺ときたら……傑作だったんだぜ?
あの〈鬼の梶原〉が、オフクロの前で何とも小さくなりやがってなあ……」
まさにその当時をなぞるかのように、子供っぽく快活に笑う晃宏。
合わせて、青年たちもその様子を想像したのか――ある者は喉の奥で密かに笑い、ある者は手を叩いて面白がる。
「――つまり、だ。
あのケン爺でも、大事な約束をすっかり忘れるようなつまらんミスはするってことだ。
それも、さらに歳を取った今じゃ尚更だろ――って、おっと、今のは無しな。
知られたらまた説教されちまう」
加えての晃宏の一言に、また青年たちは笑いをこぼす。
……いつしか、切羽詰まった緊張感と焦燥感に尖っていた場の空気に――程良い余裕が生まれていた。
そして晃宏は改めて、彼の一番近くに座る青年に――会議の様子をただ黙って見守っていた青年に視線を向ける。
「斥候に出ていた連中からの報告に拠れば……〈回帰会〉の軍は、もうウラルトゥの目と鼻の先、だったな?」
「――はい。
これまでの進軍ペースからしても、一両日中には〈出楽園〉のウラルトゥ守備隊と接敵するかと」
「なら、まだ間に合うな――」
晃宏はゆっくりと立ち上がり、車座の仲間たちを見回した。
合わせて、青年たちも応じるように――揃って視線を上げる。
「大事な連絡をすっぽかしてやがるが……ケン爺は絶対に、今この瞬間も、己の使命を全うしようとしているハズだ!
だから俺たちも、やるべきことをやろうじゃねえか――!」
……そもそもは、先遣である梶原の連絡内容から、今後の行動を決めるはずだった。
そしてその選択肢の中には、回帰会とPD両陣営の出方いかんでは、無理をせずに引き上げる――というものもあった。
いやむしろ、先遣からの連絡が途絶えたのなら、それこそが最善手なのだろう。
だが――。
晃宏を初めとするこの場の全員にとって、そんなものはもはや選択肢にすら入っていなかった。
「このクソくだらんケンカの仲裁に、割って入るぞ!!」