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26.屍喰と涙の色


「そして、もう一つ……この写真を託されたわけ、ですが――」



 梶原(かじわら)は、改めて表情を引き締め――続いての話題に移る。



「しかしこれについては、私はあくまで手伝いのようなものでしてな……。

 私から申し上げられるのは、一つ。

 〈白髪の屍喰(シニカミ)時平(ときひら) カイリ――彼の行方を追う手掛かりとして渡された、ということだけ」



「! カイリ君の……!?」



 その名が出たことに結衣(ゆい)は一瞬驚くも、しかしすぐさま、当然だ、と思い直す。


 自分が今こうしているのも、カイリを追いかけ続けた末であるように――彰人(あきと)にとってもまた、カイリという存在は、決して自らの人生と切り離せない存在なのだから。



「私からは、残念ながらそれ以上は何とも。

 実際に、伊崎(いざき)総裁にその想いとともに写真を託されたのは――。

 総裁の最期を看取った、晃宏(あきひろ)ですから」



「……え……?」


 続けて、梶原が静かに告げた言葉に――結衣は、呆けたような声を上げる。



「彰人君、は……」


「――亡くなりました。数年前に。

 『ご遺体』は、本人の希望により……晃宏の手で、伏磐(ふせいわ)の地に」



「……そう、ですか……」



 椅子の背もたれに、深く背を預け……ゆっくりと天井を見上げながら、結衣は大きく息をつく。



 ――何もおかしい話ではない。自分たちの実年齢なら、いつそうなっても不思議ではないぐらいなのだ。

 いやむしろ、この立て続けの大異変に見舞われた世界においては十二分に長生きをした、大往生とすら言えるだろう。



 だが……何とはなしに、結衣は、彰人がまだ元気なのだと思っていた。

 今でも元気に、己の信じる道を歩いていると信じていた。


 いや、あるいは……そう信じていたかったというだけなのかも知れない。

 そうであってほしいという願いを、信じていただけなのかも知れない。


 人としての自分の帰る場所は、彼とともにまだあるのだと――。

 懐かしいあの頃にだって戻れるのだと――そのための(しるべ)はいつまでも消えないのだと。


 そんなありもしない夢を、心の片隅に抱いていただけなのかも知れない――。



「……バッカだなあ、わたし……」



 結衣は天井を仰いだまま……メガネとの間から差し入れた指で、目元を押さえる。


 人でなくなったことで――屍喰となったことで。

 涙もまた、失われたと思っていた。


 〈暗夜〉の直前、ニューヨークで屍喰として甦ったときですら――その己の運命の皮肉に慟哭したときですら、涙など出なかったのだ。

 しかし、今は――。



「ごめんなさい……少しだけ、時間を」



 一言、もちろん、とだけ応じ――梶原はワインをじっくりと味わうかのように目を伏せる。



 結衣の頬を伝う涙は、ただのひとすじ。

 しかし、だからこそか……。

 様々な、本当に様々な想いが宿るだろうその一滴(ひとしずく)は、色は無くともずっと色彩豊かなようで――垣間見た梶原は、純粋に美しいと感じた。


 たとえば、時として雨は『空が泣く』とも表現される。

 それだけならあくまで言葉の上でのことだが、しかしその空という『自然』に、人と同じ『心』を見出し、共感出来るだけの『理由』があればどうだろう。

 きっとそこにこそ、今彼女に対して抱いたものと同じ感覚があるのではないか――。



 梶原は一口のワインを口の中で転がしながら、静かに考えを巡らせる。



 ――こうして接してみれば、屍喰とて人と変わらない。

 だが、その気配は――人としての装いの裏に隠れた本質は、明らかに異質だ。


 人と同じような心を持ちながら、人の身では畏怖を感じずにはいられないもの――。

 果てしなく大きく、広く感じる存在。

 かねてより人は、そうしたものをこそ神と呼んだのではないだろうか。


 多くの原始宗教が、大いなる自然に――その美しさに、恵みに、強さに、恐ろしさに、神性を見出していた通りに。

 この星そのものでありながら、人の心をも解するのが……神というものではないか。


 そう、それこそが〈屍喰〉なのではないか――。



 そうして、待つことしばし……。

 結衣が、はっきりと聞こえるほどに大きく息をついたのを機に、梶原は目を開ける。


 合わせて、結衣がはにかみながら小さく一礼した。



「すみません……気を遣わせちゃったみたいで」


「いいえ。

 親しい人の死を悼む姿を、ジロジロ見るものでもない――それだけのことです」


「梶原さん、紳士ですね」


「さて……特別そうなろうとした覚えはないのですが……。

 まあ、お仕えしていた方のガサツさの反動、かも知れませんな」


 冗談混じりに、梶原が不敵な笑顔でそう応じると――。

 結衣もまた、釣られて軽く笑った。


「ところで結衣さん……こちらからも、一つお伺いしても?」


「……なんでしょう」


「貴女が、ここでこうして市井に紛れている理由です」


 梶原の問いに、結衣は一瞬、正直に答えるべきかを逡巡する。

 そして出した結論は――。



「……あなたと同じ、ですよ」



 そう前置きして、結衣は……。

 自分が〈回帰会(リナシメント)〉の創設メンバーに陰ながら協力してきたこと、ここへ来たのも〈出楽園(PD)〉との衝突を回避するためだったことを正直に語る。


 ――ただ、あくまで梶原の目的に関係がある事柄についてだけだ。

 〈生命の樹の果実〉については、そもそも不確かな上に……中途半端に知ることで梶原自身が危険に曝される可能性もあると踏んで、黙っていた。


「――わたしは確かに屍喰になりました。

 だけど、人でありたい、と……そう願っていますから。

 だから、出来るならこんなバカげた武力衝突は回避したいんです」


「なるほど……いかにも、伊崎総裁が語るところの貴女らしい。

 ですが、この件のそもそもの発端は回帰会だったのでは?」


 梶原のもっともな疑問に、結衣は渋面にならざるをえない。


「今の回帰会の実権を握るのは、創設メンバーではありませんから……」


 梶原も、それで概ね理解したらしく、小さく頷く。


「……そういうこと、ですか。分かりました。

 少なくとも、回帰会側にも争いを回避したいと願う方々がいると――そう分かっただけでも僥倖というものです」


「ごめんなさい」


 自分が長年協力していながら、回帰会の変質を防げなかった。

 こうなる前に、事態をおさめることが出来なかった――。


 屍喰でもあるのに――と、そんな思いに駆られつつ、しかしはっきりとは言えず頭を下げる結衣を……梶原は。

 責めるどころか、豪快に笑い飛ばした。



「お前が謝るようなことじゃないだろうよ。それじゃ、責任感が強いを通り越してただの傲慢だ。

 そう――お前が人として、人でありたいと……そう願ってるんなら、なおさらな」



「梶原さん……?」


「――と、伊崎総裁なら言ったことでしょうな。

 無論、私も同意見ですが」



 茶目っ気たっぷりにそう付け加えて、梶原は美味そうにまたワインを一口。


 そんな、彼女にとっては何より力強い叱咤に――結衣は笑顔で礼を述べた。



「なんの、私は思ったことを言っただけですよ。

 さて……それはともかく、真面目な話はこれぐらいにしませんか。

 せっかくこうして出会えたのです――」


 言いつつ、梶原はグラスを持ち上げる。


「往年の伊崎彰人を知る者同士……。

 あの人の思い出を酒の肴に、というのはどうです?」


「……いいですね」


 梶原のグラスに、結衣も――掲げた自分のグラスを軽くぶつけた。

 酒場の喧噪の中に、澄んだ音が溶け込んでいく。



「手向けるなら、その方が――彼はきっと、喜ぶだろうから」





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― 新着の感想 ―
やはり少女の涙は美しい……(恍惚)
自分が知っている人が死んでいく、自分のことを知っている人が死んでいく。 どっちが寂しいんですかね? ふと思ったのでした(哲学)
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