24.奇縁
――案内の礼に、一杯ご馳走させてもらいたい――。
同郷の老人のそんな『提案』に、否と言えるはずもなく……。
ひと仕事終えた人たちで賑わう酒場――その奥まった一画で、結衣は老人と向き合ってテーブルについていた。
結衣が適当に頼んだ幾つかの肉料理と、アルメニア地方特産のワインが運ばれてくるまでの間、2人の間に会話はなかったが……。
注文の品を並べ終えた給仕が立ち去るのを見送ってから、老人が先に口を開く。
「さて……まずは名乗るのが礼儀でしょうな。
――私は、梶原 兼悟。
おおよそ予想されていたでしょうが、カタスグループ日本本部の者です」
「この写真……さっきは、わざと落としたんですね?」
梶原が落としたのを、拾ったままだった写真……。
それを差し出しながら結衣が問うと、受け取った梶原は苦笑混じりに「申し訳ない」と一礼した。
その写真は――まだ世界が変化を迎える前。
結衣を取り巻く世界が、穏やかで平和だった頃に撮られたものだ。
神社の手伝いに集まったのを機に、カイリの養い親である宮司が撮ってくれた写真。
結衣だけでなく……彰人が、その姉の七海が、そしてカイリが――。
みんなが揃って、笑顔で写っている……胸が締め付けられるほどに、懐かしい写真。
これを見て、平静を装うなど……結衣には出来るはずもなかったのだ。
「見かけたときから、もしや、と思っていましたのでな。
失礼ながら、本当にご本人なのか、反応を確認させてもらいました。
この写真は――」
返された写真を仕舞い込みながら……梶原は、その出所を語る。
「カタスグループ前総裁……伊崎 彰人より預かったものです」
「――え!?
彰人君から? それに、総裁、って……!」
カタスグループの日本本部が、一族出身者以外の人間によって統括されている――というのは、結衣も風の噂で聞き及んだことはあった。
しかし、まさかそれが彰人だったとは……結衣も夢にも思わなかったのだ。
「私は……伊崎総裁がイクサの一部隊長だった頃より、副官としてお仕えしてきました。
……今でも、『総裁』より、隊長と呼ぶ方がしっくり来るほどに、長く。
ご本人も、『その方が落ち着く』と、よく冗談混じりにこぼしておりましたよ」
梶原の話に結衣は、彰人らしい、と思うと同時に……。
目を細め、昔日に思いを馳せながら柔らかく語る老人の様子に、少なくとも悪人ではなさそうだと一つ安堵する。
「じゃあ……わたしのことも、彰人君から?」
「そうですな……伺っておりました。
総裁は、貴女が秘密裡に渡米していたことを知ったとき、後悔していましたよ――貴女の行動力と決意を甘く見ていた、と。
――しかし同時に、信じてもおりました。
直後の〈暗夜〉により、満足に情報を集めることすら出来なくなりましたが……貴女はきっとどこかで生きていて、貴女自身の目標を追いかけ続けているはずだ、と」
「……彰人君、が……」
「ああ――そう言えば。
見た目と裏腹にとにかくタフなヤツだから、とも申しておりましたか」
ワインの入った、いかにも安物のグラスを傾けつつ……梶原はおかしそうに口元だけで笑った。
釣られて、結衣も苦笑する。
「ホントに、彰人君は……女子を評する言葉じゃないでしょうに。
そういうところだ、ってナナ先輩にも散々言われてたのに、まったく――」
売り言葉に買い言葉……そんな心持ちで悪態をつく。
――そうでもしなければ、懐かしさに埋もれて涙をこぼしてしまいそうだったから。
そんな結衣の心情を察してか……しかしまるでそうした素振りは見せることなく。
梶原はしばし、黙って肉料理とワインを堪能していた。
「……しかし……。
まさか……貴女が、屍喰になられていたとは」
やがて、結衣が落ち着いた頃合いを見計らい……フォークを置きつつ、梶原はそう切り出した。
「わたし本人じゃなく、よく似た娘や孫だとは思わなかったんですか?」
姿を隠す……というのとは違うが、結衣もまた屍喰としての気配を無闇に出さず、普通の人間と同じように『あろう』としている。
それゆえに、一見して人ではないと見破られることなどないのだが……。
対して梶原は、悪戯が成功した子供のような表情で小さく首を振った。
「年の功と申しますか、長年、イクサとして生屍や人間と相対し続けたがゆえ……でしょうかな。
屍喰と会うのはさすがに初めてでしたが、分かりましたよ……貴女の気配がどことなく『違う』のは。上手く隠しておられても」
「……それが分かっていたのに……。
怖くなかったんですか、わたしが」
重ねて結衣が問うと、梶原ははっきり破顔しておかしげに笑う。
「若い頃ならさておき、〈その日〉に〈暗夜〉と大異変を経験し、命のやり取りに明け暮れて……もうこんな歳です。
今さらこの程度のこと、恐ろしいとも何とも。
……そう思えば、歳を取るのも悪いことばかりではありませんな」
「……そうですか」
毒気を抜かれたような気分になって、結衣もまた微苦笑をもらす。
かつて人であったときに、カイリという屍喰を前にしたことがある結衣は、人間が屍喰に対して本能的に抱く、絶対的な畏れと怖れ――『畏怖』を知っている。
しかも、敢えて隠していたそれに気付くということは……梶原は、戦士として相手の強さを鋭敏に嗅ぎ分けるほどの、経験と感覚の持ち主なのだ。
それでいて、こうしてそんな相手と余裕を持って対峙していられるのだから――『歴戦の古強者』という梶原の最初の印象は、間違いではなかったらしい。
――まあ、あの彰人君がずっと側に置いていたってぐらいの人だもんね……。
妙に得心がいって、結衣は心の内で一つ頷く。
そして、ならなおのこと――と、表情を引き締めた。
「じゃあ……梶原さん。
彰人君が、あなたにあの写真を託した理由――そして。
どうしてあなたほどの人が、日本を出てこんな所まで来ているのか……」
聞くべきことは、聞いておかなければならない――。
「教えて下さいますか?」