23.古強者の目的
「こんばんは、お嬢さん」
軍人らしき老人の、雰囲気とは裏腹に愛想の良い挨拶に、結衣も努めて穏やかにこんばんは、と応じる。
日本人らしくやや小柄ではあるものの、鍛えられた体躯といい纏う気配といい、いかにも『歴戦の古強者』という言葉が似合う。
年齢で言えば、恐らくは結衣の『人間としての』実年齢と同じぐらいだろうが……背筋もしゃんと伸び、まるで老いを感じさせない精悍さだ。
――彰人君も……今も元気なら、きっとこんな感じなんだろうな……。
思いがけず、ふと懐かしさに駆られてしまった結衣は……改めて老人が自分を呼んでいることに、二回目になって気が付いた。
「あ、ごめんなさい……!
ここで日本の方を見るの、珍しくて、つい――って、間違ってないですよね?」
「ああ、お察しの通り、私は日本人だ。
もっとも、キミは……同胞とはいえその若さだと、生まれも育ちもこちらかな?」
「あ――はい、そうなんです。
両親は日本人なんですが、〈暗夜〉前に国を出ていたので」
いかにもな『設定』を、結衣は淀みなく口にする。
懐かしい祖国の人間に嘘を吐くことに、僅かに罪悪感も覚えるが……屍喰だと馬鹿正直に語るわけにもいかない。
それにそもそもこの老人がどういった人物か、彼女は未だに測りかねていたのだ。
ただの旅人ならいいが、このキナ臭い状況に軍人となれば、そう楽観的には片付けられなかった。
「ふむ、なるほど……そうだろうなあ。
――おっと、それでだ、お嬢さん。
すまんが……この辺りでどこか、泊まれるような場所を知らないだろうか?」
「ああ、でしたら……知り合いが経営している宿がありますよ。
……ご案内しましょうか? 少し歩きますし」
老人の正体を探るためか、彰人を思い出した懐かしさからか……真意がどちらにあるとも言えない中、結衣は老人にそんな提案をしていた。
対して老人は、心底助かったとばかりに破顔しつつ、礼の言葉とともに頭を下げる。
「それはありがたい……!
申し訳ないが、お願い出来るかな?」
そうして、老人とともに宿を目指すことになった結衣は。
老人と並び、そのペースに合わせて緩やかな坂道を上りながら問いかける。
「それで……こちらへは、どこかへ向かう途中で立ち寄ったんですか?」
結衣の問いに、老人はバックパックを背負い直しながら首を振った。
「いや、〈出楽園〉の基地の方に用があってな……。
しかしこうして辿り着いてみれば、人に会うには遅い時間になってしまい……どうしたものかと思っていたところ、こうして親切なお嬢さんにお会い出来たというわけだ」
「PDの基地に、ですか」
老人の思わぬ返答に、結衣は無難に頷きながら思考を巡らせる。
そもそもPDは、もとは日本の企業であるカタスグループの中東支部、そして同支部所属のイクサ――黄泉軍を組み込んだ組織だ。
実際には、その構成員のほとんどが現地の人間ではあるものの、幹部クラスには若干名日本人もいるのだ――それも、カタスグループ創始者一族、八坂家本家筋の人間が。
同じ日本人だから――というのは短絡的だが、繋がりではある。
そして何より、老人は明らかに軍関係の人間だ。
日本人で軍関係となれば、この時代、自衛官よりもイクサ所属である方が確率は高い。
――ってことは……。
このお爺さんはイクサ、延いてはカタスグループの人間で……。
中東支部のお偉いさんと、何かの話し合いをするために、はるばる日本からここまで旅して来た――?
もしそうなら、時期が時期だけにその話し合いの内容が気になるものの……。
それすらあくまで予想に過ぎないことを考えれば、ヘタに話を深掘りするのも藪蛇かも知れない――と、結衣は内心首を振る。
あくまで、このことについては心に留め置く程度にして……今は強引にでも〈生命の樹の果実〉の実態を探る方を優先しよう、と。
「――着きましたよ、ここです」
その後は、差し障りのない世間話を交わしつつ……辿り着いた、酒場も兼ねている宿屋の前で、結衣は老人を振り返った。
「ほう、これは……なかなか立派な。
それに、酒場も一緒とはありがたい」
言葉通り満足げに、宿屋を見上げて老人は大きく頷く。
「気に入っていただけたみたいで良かったです。
……じゃあ、わたしはこれで」
「――おっと、待ってくれ。
少ないが、礼を――」
きびすを返そうとする結衣を呼び止め、懐に手を入れる老人。
別にいいですよ、と苦笑混じりに断る結衣は――財布を出そうとする老人が、1枚の紙を落としたことに気付く。
「あ、これ、落としましたよ」
反射的に、親切心で拾いあげてみれば――それは、古びた写真だった。
「!? これ……!」
そこに写っていたものに、思わず声を上げる結衣。
対して、老人は――
「やはり、そうだったか――」
先ほどまでの気安さは鳴りを潜め。
穏やかながら、真剣な表情で――真っ直ぐに結衣を見つめていた。
「……霧山 結衣さん」




