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14.〈出楽園〉の巫師


「失礼します、博士」



 元は、国の重要人物を保護するためのシェルターの一つだった地下構造物――。


 その中のある一室に立ち入るたび、彼――八坂(やさか) 洋一郎(よういちろう)は、何か時間や空間といった不可視の境界線を踏み越えたような……そんな錯覚を覚えずにはいられない。


 この一室のように、書類や資料、レポートといったものが所狭しと積まれ、散乱している場所なら他にもある。……というより、組織に属する研究者たちの部屋と言えば、どこも似たようなものだ。

 つまり、別段珍しいわけでもないはずなのだ……それだけを見れば。


 だが――ここは、そもそもその規模がケタ違いだった。


 もともとが多人数が集まれるように設計されていた広い空間に、後から運び込まれた巨大な本棚と資料用のキャビネットが幾つもそびえ立ち、さらにそれらの谷間に、裸の資料やレポートといった紙の大河が溢れかえるさまは、大自然の戯画化のようですらある。


 そして、その中央――。

 数々の実験器具に埋もれたデスクに、たった一人向かい合う黒人の老研究者もまた、その真摯で厳かな雰囲気が部屋の風景と相まって……。

 さながら、大自然と語り合う敬虔な巫師(シャーマン)のようだった。



「……おお、洋一郎か。どうした?」



 深く皺の刻まれた精悍な顔を、少年のような笑顔で崩して、部屋の主――。

 生屍(イカバネ)研究の第一人者にして、通称PDと呼ばれる彼ら〈出楽園パラダイス・ディパート〉の中心人物でもあるランディ・ウェルズは客を迎え入れた。


 ランディはその地位と権威にもかかわらず、基本的に誰にでも気安いが、それはこの東洋人の――いかにも軍人然とした、恵まれた体躯をきっちりした服装と態度、そして厳粛な雰囲気で包み込んだ青年を相手にするときも変わらない。


「……以前ご依頼のあった件で、集まった資料をお持ちしました」


「おう、それはそれは。わざわざすまんな」


 洋一郎からクリップで留められた分厚い紙束を受け取ると、ランディは早速に目を通し始める。

 取り敢えずは概要を把握しようということなのか、紙を手繰る彼の動きは、実はまったく見ていないのではないかと邪推してしまいそうなほどに速い。


「――しかし……なあ、洋一郎よ。

 こんな、わしの付き人のようなことをしておると、お前の親父殿がいい顔をしないのではないか?」


 動きを止めずにランディがそんな問いを投げかけると……。

 傍らでその様子を見守っていた洋一郎は、相手に見えないのは承知で「いえ」と首を横に振る。


「父は父、自分は自分ですので。

 それに……正直なところを申し上げれば、祖父の妄執をそのまま受け継いだような父の考えは、ナンセンスでしかないと思います」


「……そう言ってやるな。

 確かに、過ぎたるは何とやらだが……そうした価値観もまた、人間の歴史の中で、社会を形作ってきたものの一つではあるんだ」


 ランディがそう穏やかに諭すと、洋一郎は素直な返事とともに一礼する。



 青年――八坂洋一郎の祖父は、〈その日〉の異変の折、カタスグループを文字通りの世界的組織へ押し上げた当主、八坂(やさか) 邦大(くにひろ)の弟であり……。

 紛争地帯とも近いことで最重要拠点の一つに数えられていた、旧トルコのカタスグループ中東支部を任されていた人物だった。


 弟として兄を。

 また、幹部として組織を――それぞれ支えてきたという、強い自負のある祖父。


 ……そんな人物にとって、〈暗夜〉により世界中の支部が分断され、独自に活動するほかなくなったグループの惨状と……。

 か細く海の彼方より伝わった、故郷の日本本部の全権が、一族出身の者ですらない成り上がりの人間に託されたらしい――という報せは、到底容認出来るものではなかった。


 しかし抗議の声を上げようにも確実な通信手段は無く、また、そもそも現地が混迷の中にあってはそれどころではなく……。


 中東支部は、グループの基本理念としての社会秩序の守護を忠実に行いつつ……また、それを為し続けるだけの基盤保持と、組織そのものの存続のために。

 後にPDと呼ばれる団体と、融合する道を選ばざるをえなかったのだった。


 ……つまるところ、それは苦渋の果ての打算的選択であり――。

 洋一郎の祖父や、その影響を色濃く受ける父は、裏切り者とすら捉えている日本本部を一族の手に取り戻す――PDとの融合は、そのための踏み台に過ぎないと考えていたのである。

 だからこそ、PD――引いてはランディのことを真に信用したわけではなく、また、その理念に共感したわけでもないので……。

 一族の正当な末裔たる洋一郎が不必要にランディと親しくすることは、本懐を投げ出しているかのように映って苦々しいのだ。


 だが……。

 時代とともに、かつてのグループの中心が若手へと移っていったことで、今やそうした過去に執着する人物など、数の上ではほんの一握りとなっていた。


 無論、少数派になったとは言え、やはり古い実力者であるので、簡単に勢力として潰えはしないものの……。

 そもそも本来はその本家筋であるはずの洋一郎やその兄弟が、風の噂によれば日本を立派に安定させているという件の日本本部と、胸の内では敵対どころか再び協力関係を築きたいとまで考えているほどなのである。

 ――結果として、早年、彼ら若手の思想が主軸となり、PDと完全な融和を果たすことは自明の理と言っても良いほどだった。

 少なくとも洋一郎は、そうなる――出来ると、信じて疑っていない。



「……ふうむ、それにしても……やはり、と言うべきか」


「何か分かったのですか?」



 ランディが望む資料の収集を手伝うため、各所に手を回したのは洋一郎自身だ。

 しかし、ランディに要求されたデータがあまりに雑多で多種多様だったため、結局最後まで何を目的としていたのか分からなかった彼は、複雑な表情で首を捻りながら、やや身を乗り出して問いかける。


「以前、わしの師が、〈暗夜〉について仮説を立てておられたことを話しただろう?」


「ええ……覚えています。ロアルド・ルーベク博士ですね。

 確か……地磁気の反転と、同時期に起きる太陽フレアの爆発により降り注ぐ強烈な放射線で、地球上の電子機器が一斉に沈黙し、大きな文明の後退となることを事前に予測しておられた――と。

 結局は、その〈暗夜〉の影響で、各種観測機器のデータもほとんどが消失してしまい、明確な証明は難しいとのことでしたね」


 洋一郎が淀みなく答えると、ランディは「うむ」と一つ頷く。


「わしは、その件については師から情報を託されただけで、直にお話を伺ったわけではない。

 なので、師の真意のほどは分からんのだが……」


 語ろうとする話について、そう前置きしながら……ランディは、数十年前の出来事を思い返していた。



 ――〈暗夜〉が起こるその直前、師のロアルドから頼まれた、マンハッタン島を出るほど遠方への使い。

 指定された場所に保管されていたのが、まさにその情報を初めとする、ロアルドのこれまでの研究データのすべてだったのだ。


  ――『これをどう使うも、お前の自由だ』


 そんなメッセージまで残されていたわけではないが、ランディは言外に師の意志をそう感じ取った。

 そして――師の研究の跡を継ごうと決めたのだ。


 その頃はまだ少年と言っていい年齢だったが……それでも、自らの意志で。

 身寄りも無く、いつ野垂れ死んでもおかしくなかった自分を救ってくれた師――その恩に報いるためにも。





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― 新着の感想 ―
まあ、世代が経ると、そりゃ考え方も変わりますよね。 我々だって、親の世代とは全然価値観違いますし(笑)
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