9.帰還
――カイリが目を開けたとき、視界に入ったのは、見慣れた天井だった。
記憶とのズレからくる違和感に混乱するものの、それも僅かのことで。
すぐに、ここが〈地の声〉とともに過ごした〈古き民〉の集落で、自分にあてがわれていた土作りの住居だと理解する。
「……これ、は……」
カイリが首を振りながら寝台から身を起こすのと、入り口から〈地の声〉が顔を覗かせたのは、ほとんど同時だった。
「目覚めた――いや『戻った』か、カイリ」
「〈地の声〉……? 僕は……」
「覚えているか? このサバンナで同族の男と争ったお前は、その後すぐに意識を失って倒れたのだ。
そして、今日に至るまで眠り続けていた――そう見えた、表向きにはな。
だが俺には、お前はここにいながら、いないようにも感じた。
……カイリよ、お前は『どこか別の場所にいた』のではないか?」
〈地の声〉の問いかけに、カイリは小さく、しかししっかりと頷く。
そして、自分がどこまでも続く洞穴にいたこと――その最奥の〈記録庫〉で、人類の歴史を記したかのような壁画を見て回ったことを、事細かく話して聞かせた。
そうするうち……壁画で見ただけのその歴史の内容が、妙に鮮やかに記憶に浮かぶことに気が付く。
――まるで……その場にいて、直にすべてをこの目で見届けたかのように。
「……そうか」
カイリの話を、〈地の声〉は疑いも驚きもせず――ただ静かに鷹揚に受け止める。
「カイリよ。俺にはお前が、以前よりもずっとこの大地に近い存在になったと感じる。
きっとお前は、何かきっかけを得たのだろう――だからこそ、この星そのものの記憶に重なり、触れることを許されたのだ」
「この星の、記憶……」
「我ら〈古き民〉には、まさに、お前が話してくれたような伝説が伝わっている。
お前は、ただ夢を見ていたのではない――お前はここにありながら、実際にこの星の中心へと赴き、その記憶に触れたのだ。
この星の、そしてお前の――。
あるいは、俺のものでもある……大いなる記憶に」
悠然とした口調で語る〈地の声〉。
それを受け、カイリが何事かを答えようとしたそのとき――。
「――ああ、カイリ! 目が覚めたのですね!」
新たに入り口に姿を見せた初老の男が、喜びを全身に表し、一直線にカイリの寝台のもとへ駆け寄ってきた。
「あなた、は……」
その顔には見覚えがあるような気がするのに、名前が出てこない――。
カイリがもどかしい感覚にやきもきしていると、初老の男は笑顔で首を振る。
「ああ、この姿では戸惑うのも無理はありません。
わたしは――」
「……え?」
男が告げた名に、カイリは目を瞬かせる。
そして、答えを求めるかのように、視線を〈地の声〉に向けた。
……〈地の声〉は、ゆったりと大きく頷く。
「そうだ、カイリ。お前が星の深奥を目指して過ごした時間は、夢でも幻でもない。
お前が倒れた日から数えれば、もう50年以上になる。
――人が老いるには、充分過ぎるほどの時間だ」
「50年……!?」
思わず、外へと駆け出すカイリ。
そうして、改めてぐるりと視線を巡らせるが……〈古き民〉の集落も、見渡す限りのサバンナも、彼の記憶との大きな違いは感じられなかった。
「……あるがままを生きる我らは、そうそう変わるものでもない。
だが――外の世界はそうではないようだ」
後を追って出てきた〈地の声〉は、カイリの内心を見透かしたかのようにそう前置きしてから……。
世界に起こった異変――〈暗夜〉について、カイリに話して聞かせた。
「……そう……ですか」
〈地の声〉の話を聞き終えたカイリは、うなだれるかのように一度、頷いた。
もはや、驚きはなかった。
そう、それは――彼が触れてきた、あの大いなる記録の通りだったからだ。
むしろ、その事実よりも彼にとって切実だったのは……優に50年を超えるという、アートマンと戦ってからの時間の経過だった。
かつての文明が失われてしまった今では、これから改めて日本を目指したところで、辿り着くまでにさらに何年もかかるのは間違いないだろう。
そして、そうなれば――。
「そうか……。
結局僕は、もう一度彰人と結衣に会うことは……」
ぽつりともらしたその一言に、カイリは、自分の中の七海が反応した気がした。
だから、そっと胸に手を当て、微笑んでみせる。
「……分かってる、大丈夫だよ……。
もう、うつむいてばかりにはならないから」
そうして、自分から視線を上げた。
遠く、遠く――地平線の遙か彼方を見透かすように。
「行こう、ナナ姉――。
僕らが、僕らとして生きる道を……見出すために」