6.〈回帰会〉と〈出楽園〉
……そうして結衣が、アントーニオたちへの協力を決めてから、数十年。
世界を元の姿に戻すとの意を込め〈回帰会〉と名付けられた、アントーニオらが起ち上げた組織は――。
誠実かつ堅実な治安維持の仕事で人々の信頼を得、目標の方向性が同じカタスグループの現地支部を吸収し……さらには、やはり生屍のような存在を認めるわけにはいかないバチカン市国、カトリック教会と協力関係も結んで。
いつしか、世界有数の一大勢力へと成長を遂げていた。
だが――。
組織が大きくなるにつれ――また、目指す理念を固く誓い合った創設メンバーが年老い、若手へその座を譲るにつれ――。
組織の方向性は、その当初の理念と食い違い始めていた。
結衣は屍喰という特殊性から、アントーニオたち創設メンバーと、彼らの信用する僅かな人間しかその存在を知らない……いわば協力者といっても外部の人間のような立場にいるゆえに、特に顕著にその変化を感じ取っていたのだ。
「去年わたしが、ピエトロの研究所に検査を受けにいったとき……彼、また規模を縮小されそうだって嘆いてたわ。
今の執行部は勢力を広めることしか頭に無い、いくら〈回帰〉を謳っているからといって、封建時代の王侯貴族にでもなるつもりなのか――って」
神経質そうに顎髭を弄り倒しながらグチをこぼす老研究者の姿を思い出し、その発言を繰り返して見せる結衣。
彼女は協力者として、彼女にしか出来ないような仕事を幾つか任されていたが……そのうちの一つが、彼女自身を研究対象に差し出すことだった。
無論、不老不死と思しき身体になったからと言って、自らをモルモットのような境遇に置くことが快いはずもない。
ゆえにそれは、アントーニオたちを信用しての覚悟の志願であり――またその思いに応えたアントーニオたちによる、完全な秘匿性を確保した上で、決して非人道的な実験などは行わないという誓約があるからこそ成り立つものだった。
だが……それほどの信頼関係があっても、そこに結果まで付いてくるわけではない。
〈暗夜〉の影響で電子機器も使えない現在、研究と言っても出来ることなど限られており……。
分かったことと言えばせいぜい、屍喰も、体組成そのものは生屍と同じように人と何ら変わるところがない、という程度のことだった。
しかも、抜け落ちた髪の毛のような本体から離れた体組織は、異常な生命力も耐性も発揮することなく、ごく普通の人間の細胞と同じように朽ちるのだ。
それは、既に確認された事実と言えばそうだが……
屍喰が、人間を遙かに凌駕する身体能力を発揮出来る点も、
信じられないほどの再生力を有する点も、
高温にも低温にも影響されない理由も、
食事も睡眠も必要としない理由も――。
何もかも、科学的な観点で解明するには、却って謎を深めたようなものだった。
――当然、不死を終わらせる方法についても同様だ。
「ピエトロの不満は私も聞いていたからね……ピエトロには、私自ら執行部に掛け合って、これ以上は研究規模も資金も縮小させはしないと約束しておいたよ。
ただ……それも本当に、私の目が黒いうちは、だ。
……今の若者たちは、〈その日〉以前どころか、〈暗夜〉の前すら知らない世代になってきている。
世界を在りし日の姿に――と謳っても、その実感のない彼らにしてみれば、もはやただの世迷い言にしか聞こえないのかも知れないな」
「……人が増え、組織の規模が大きくなり、時も経てば……いつしか高潔だったはずの初志も歪み、消え、挙げ句は別物に成り代わる――。
人間の歴史の中では、散々に繰り返されてきたことのはずだけど……こんなことばかりは、こんな時代になっても変わらないのね」
「あるいは……やはり〈PD〉の連中の考え方こそが正しいのではないかと、弱気になることもある。
……私も、歳を取ったということかもな」
「気持ちは分からなくもないよ、アントーニオ。
……でもダメ、〈PD〉の思想を認めるなんて。その行き着く先に、人の正しい道があるわけないもの。
あなたが語った理想は間違ってなんかない、気をしっかりもって」
結衣が強い口調で励ますと……。
ややうつむき気味だったアントーニオは、簡潔に礼を口にしながら小さく、しかししっかりと頷いた。
――PDとは、〈出楽園〉という呼び名の略称である。
回帰会と同じように、カタスグループの支部など旧時代の組織と融合合併しながら、中東から中央アジア、ロシアにまたがる一大勢力を築いた、治安維持と地区住民の生活安定を担う民間団体だ。
旧トルコ東部が活動拠点になっており、今の世界ではその勢力と規模の大きさにおいて、回帰会と一二を争うと言っても過言ではない。
依然として消えない生屍の脅威から人々を守り、かつての文明を失い困窮する社会を、新たな秩序を持って安定させる――。
その基本的な活動は大差なく、ともすればこの二勢力が手を取り合うことにより、一層、この混迷の世界を平らかにする道が近付きそうに見える。
だが……それは、この上なく難しいことだった。
様々な分野に造詣が深いが、特に生屍や屍喰の研究において一廉の知見を持つという研究者、ランディ・ウェルズ――。
そんな人物を中心に組織されたPDは、回帰会が掲げる主義――すなわち、生屍や屍喰を『間違った状態』であると断じ、元通りの安らかな死を取り戻さなければならないとする主義に対して……
『生屍とはむしろ人の〈元の姿〉であり、この変化も起こるべくして起こったもの。
ゆえに否定ではなく受け入れた上で、人類は新たな歴史を紡がねばならない』
という、真逆の理念を掲げていたからだ。
「……そうだな。文字通り、自らの命を以てまで『死』を取り戻そうとしている結衣……君を前にして吐くような弱音ではなかったか。――すまん」
「まったく、本当にね……気を付けてよ?」
口もとに柔らかな笑みを浮かべながら、結衣はゆるりと首を振る。
「それで……アントーニオ。
今回、わたしを呼びつけた理由は何なの?
まさか、グチを肴にお酒でも――ってわけでもないんでしょう?」
「それはそうだ。君を誘ってもムダなことは、20年前、通算50回目の失敗をした際、深く心に刻みつけたからな」
一時、アントーニオも冗談めかして笑ったが……すぐに表情を引き締めた。
「君を呼んだのは他でもない。
そのPDについて、見過ごせない情報を手に入れたからだ――」
続いての真面目な言葉に、結衣は無言でその先を促す。
「どうやら彼らは、新たなプロジェクトを起ち上げたらしい。
詳細の程は分からないが……。
彼らはそれを、〈生命の樹の果実〉と呼んでいると言う」