4.今を生きる。故郷を想う。
彰人の車椅子を押す、軍服姿の青年の名は――伊崎 晃宏。
カタスグループが政府に代わる日本の自治組織となったのに伴い、生屍対策のみならず治安維持を一手に引き受けるようになった、元私設軍隊〈黄泉軍〉――通称イクサ。
その新たなイクサの若き猛者であり、また纏め役としても辣腕を振るう、彰人の実の孫だった。
「で……昔の人間は、『生きる屍』みたいだった、って?」
先に呟いた独り言を今一度拾いあげる孫に、彰人は苦笑混じりにゆったり首を振って答える。
「聞こえていたか?
……気にするな、所詮は昔日を見る老人の戯言だ」
「〈暗夜〉以前の時代、か……」
んー、と唸りながら、晃宏は首を捻る。
「その頃は、世界中、いつでも誰とでも一瞬で情報がやり取り出来たとか……未だに信じられねえよ。
たかだか50年程度昔のことでしかねえはずなのに、まるでおとぎ話の世界だ。
……人間は、死んだら朽ちて土に還るのが当たり前だった――ってのもな」
祖父の視線を追い、闇に沈み込んだ〈冥界〉を見やって……晃宏は小さく鼻を鳴らした。
「……そうだな。
真理というのが、仮に世の意識の多数決で決まるのだとすれば……。
もはや、この世界の真理を常識として捉えているのは、お前たち若者の方だろうな」
そう言ってから彰人は改めて、自分のその発言に可笑しさを感じる。
死の摂理が変化したことも、文明が一夜にして崩壊したことも、自分たちの世代では想像を絶する途方もない異変だったはずだが……。
それ以降の時代に生まれた者たちにしてみれば、どれ一つ取っても、何ら騒ぎ立てることもないただの『常識』に過ぎない――。
その当たり前の落差に、何か馬鹿馬鹿しいような可笑しみを感じたのだ。
「まあ、でもよ……。
少なくとも情報のやり取りって話に限って言えばオレは、今みたいに退化しちまって良かったんじゃねえか――って、そう思わなくもないな」
「ほう……なぜだ?」
「だってよ……人間なんて、そんな何でも出来る上等な生き物じゃねえだろ。
オレなんて、イクサって仕事のこと、仲間のこと、家族のこと……その辺に向き合ってるだけでもう、毎日いっぱいいっぱいだ。
そりゃあ、オレより良く出来た人間なんて幾らでもいるだろうが……それでも、そうした当たり前の関係をちゃんと保った上で、一瞬で世界とやり取り出来るような量の情報を処理出来るなんて思えねえ。
……もちろん、情報が大切だってのは分かるけどさ。そこまでいくと、もう便利を通り越して先に立っちまう気がする。
生きるために情報を活用するんじゃなくて……情報を活用するため、情報に活用されるため……そのために生きるハメになるんじゃねえかな、って」
どこか、探るような調子で展開された孫の持論に、彰人はしゃがれ声で笑った。
「なかなかの暴論だ。
あながち間違いでもないと思うが……」
「……何だよ、何か引っかかる言い方だな」
「完全に正しいわけでもない、ということだ。
……手に負えんからと尻込みするのでは、人間は人間としての先には進めんよ。
失敗し、過ちを犯し、愚行の果てにようやくほんの僅かでも前へ進む……それが、人間というものだろう」
彰人はもう一度、ぽつぽつと侘しく灯が点る、現世の方へと目を移す。
そんな祖父の視線を追って、晃宏は……その光景の中には、今を懸命に生きる人間の想いが込められていると――そう感じた。
「それはともかく……すまないな、晃宏。
この老骨のワガママで、お前も、お前の部下にも、余計な仕事を押し付けることになってしまった」
「なに、構やしねえよ。そんな危険でも大変でもないしな。
だいたい――」
彰人の車椅子が、僅かに揺れる。
椅子を掴む晃宏の手に、強く力が籠もったのが……見ずとも分かった。
「――爺さん。アンタは、この国の平穏を守るために、文字通り人生を捧げたんだぜ?
最期の――死に場所を選ぶぐらいのワガママ、許されて当然だろうがよ」
「……そうか」
孫の想いに触れ、長年の労苦からすっかり険しく強張ってしまった表情を、僅かにでも緩めつつ、静かに頷いて……。
彰人は改めて、闇に覆われた世界の方へ視線を向ける。
――そこは、往年の面影を失って久しい、命の灯が消えた世界……この世に現出した〈冥界〉だ。
だがその地は、恐れ忌み嫌われるその呼び名以上に……。
「……姉貴――」
やはり、『故郷』であるのだと――
彰人は、言葉に尽くせぬ万感の想いを噛み締めていた。