2.海を知らない〈海〉
「……は……?」
――全力ではないにしても、ただの脅しなどではなかった。
本気で、少女の肩口をしこたま打ち据える気でいた。
にもかかわらず――見るからにか弱く華奢な幼い少女が、そんな大の男の一撃を軽々と受け止めたのだ。
あまりに予想外の事態に、呆然とする男。
その間に当の少女は、男がしっかりと握っていたはずのライフルを力尽くで軽々と奪い取るや――それをまるで細い枯れ枝のように、容易くへし折ってしまった。
「ここ、コイツ――まさか……!」
少女の脇に立っていたもう一人の男が、何かを感じ取ったのか――いきなり後ずさりしながら、少女目がけてライフルを乱射する。
だが――。
外れるような距離ではなく、また、弾倉内の弾丸をまるまる撃ち込まれていながら……少女の身には傷一つ無い。
「ひ……っ!?」
空になった弾倉を交換することも忘れ、必死に引き金を引き続ける男。
そんな男に種明かしをするように、少女は握っていた手の平を開く。
――ころりと、そこから転がり落ちたのは……まとめて握り潰され一つの塊になった、文字通りの『鉛玉』だった。
「しし、し、屍喰……っ!
や、やっぱりこいつ、屍喰だ! 化け物だぁぁッ!!」
誰かが裏返った声で叫び……それを合図とするかのように、男たちはほうほうの体でその場から逃げ出していく。
静かに佇む少女はそれを追おうともせず――ただ、ずり落ちかけていたバッグを肩にかけ直した。
……自分が化け物なら、他者から力尽くで奪おうとするような者は何なのか……。
ふっと疑問が湧くが、少女はすぐさま首を振ってそれを打ち消す。
――わたしだって、おんなじだ。
もしバケモノじゃなくっても。……おんなじなんだ。
もともと晴れやかでもなかった気分が、さらに重くなる。
足枷のように纏わり付くその感情を引きずって、少女はまた歩き出した。
さっきはつい気を緩めて、男たちと鉢合わせしてしまったが……しっかりと気を張って気配を探っていれば、あんな事態に陥ることはない。
そもそも、こうした廃墟にはびこるのは、主として生屍の方だ――そして生屍ならむしろ、遭遇したところで人間ほどの面倒な問題にはならない。
それでも余計な揉め事は好まず、生屍の気配を避けて帰路についていた少女が、街の中心部を出、郊外へと辿り着く頃には……すっかり陽は傾いていた。
来たときは別方向からだったために気付かなかったものの……。
ふと目を遣れば、小高い丘になっているそこからは、恐らくは昔日と大きくは変わらないであろう広大な草原が見渡せる。
夕陽に映え、穏やかな風になびく草原が、視界いっぱい黄金色に輝くその光景は……かつて少女が本で見た、美しい夕焼けに凪ぐ海のようだった。
――海、だ……。
〈海〉――そんな名を付けられていながら、本当の海を見たことのない少女は。
青い瞳を無垢に輝かせながら、時が経つのも忘れてその光景に見入っていた。
……やがて――。
そうして、いくらか気分を晴れやかにしていた彼女の、彼女だけの世界そのものに無粋に立ち入るかのように……背後から、人間の気配が近付いてくる。
出会わないようにやり過ごそうかとも考える少女だったが……。
場所が場所だけにただの通行人の可能性も高かったし、何より、今見ている景色から目を背け難くて、そのままその場に立ち尽くしていた。
黙っていれば、きっと通り過ぎる――そんな少女の予想とは裏腹に。
気配は真っ直ぐ彼女に近付いて来て、背後で止まった。
「ようやく……ようやく、お会い出来ました……!」
年老いた男のものらしい、しわがれた声。
その投げかけられた言葉の奇妙さに、場合によっては無視する気でいた少女はしかし、戸惑いながら振り返る。
そこにいたのは、裾が擦り切れてぼろぼろの外套を羽織った、声の通りの老人だったが……外見や、どこかクセのあるフランス語からして、この辺りの人間ではないらしい。
そしてその老人は、感極まったと言わんばかりの歓喜の表情で――静かに、少女の前に膝を折った。
「初めてお目にかかります。私は、〈白鳥神党〉を率いる者。
捜していたのです……貴女のような、我が神に連なる御方を……!」