29.魂の在処、魂の行方
――初めて『その言葉』を言われたのは、いつのことだっただろうか。
幼少時、〈白鳥神党〉に望まず〈生き神様〉として奉り上げられていたカイリ。
かつて同党が解体された際、ようやく自由を得た彼ではあったが――しかしそれは表面的なものでしかなかった。
その心までが解放されたわけではなかったのだ。
どのような形であれ、多くの人を苦しめる悪事に荷担していたという罪の意識と……それに根ざす世間への後ろめたさが、重鎖となって彼に纏わり付いていたのだ。
そう、まるで……太陽の下をまともに歩けないという、彼の色素欠乏症ゆえの体質そのものが。
それはお前が本質から穢れているからなのだ――と、絶えず呪詛を囁いているかのようでもあった。
そして――それらは、子供が背負うにはあまりに重い。
……いきおい、その重さに顔は下を向く。
やがては、心も身体も、うつむくのが当たり前になる。
それ以外の在り方など、思いもしなくなる。
そう――思いもしなかった。
彼女に、『その言葉』を言われるまでは。
『ほら、かおをあげなさいっ』
初めて言われたのがいつだったか、実のところ覚えは無かった。
始めの頃は、まるで聞く耳を持たなかったからだ。
しかし、何度も何度も言われているうちに。
それを言う彼女のまぶしさにも、目を奪われて――。
カイリはいつしか、言われた通りに顔を上げていた。
身体も――心も。前を向くことを知った。
それこそが当たり前なんだと、世界を見据えられるようになっていた。
だから、それは……カイリにとって、かけがえのない大切な言葉だ。
七海と自分を繋ぐ、結びの言葉――。
『ほら、かおをあげなさいっ』
その一言をカイリは、改めて耳元で聞いたような気がした。
それは――生きることを諦めようと、その命を投げ出そうとしていた彼に。
殺人者アートマンの、トドメの一撃が振りかぶられた――まさにその瞬間だった。
――ナナ姉……。
僕ももうすぐ、ナナ姉のところに……。
肩の荷が下りたような……これまでになく穏やかで、静かな心持ちだった。
だが――。
『ほら、かおをあげなさいっ』
――その一言は、彼の心をざわつかせた。
甘い思い出として、彼を優しく寝かしつけるのではなく――。
心の奥底で燻る熾火に、強く息吹を込めるかのようだった。
それは、カイリの胸に――心臓に、確かな熱となって感じられた。
――何だ? こんな感覚、初めて――――いや、違う。
これ……、この感覚、って――!
初めての感覚だと思った。
だがすぐに、そうではないと気が付いた。――気が付けた。
その熱は、今になって突然、どこからともなく現れたわけではなく。
今までも――ずっと。
ずっとずっと……そこにあったのだということに。
――これは……間違いない。間違えるわけがない……!
ああ、そうだ――〈ナナ姉〉だ……!!
アートマンが言ったように、自分たちが喰らうのが『魂』なら。
〈地の声〉が言ったように、それは、母なる星へと還されるべきなのだろう。
だが……何の因果か。
二人が互いに、離ればなれにならないようにと願ったからか。
カイリは、自分が、七海の魂の欠片を星へと還すことなく――。
ずっと、自分の中に秘めたままにしていたことを……ようやく、悟った。
〈地の声〉が自分を指して、『お前たち』と呼ぶことがあった理由にも、ようやく得心がいった。
〈地の声〉には、視えていたのだ――カイリの中の七海が。
その上で、カイリ自身が気付くのを待っていたのだ。
『おそいよ』――と、七海に笑われた気がした。
――ああ……そうか。そうなのか……。
七海の〈存在〉を自覚し――。
そして、それを取り込んだ自分の存在――恐らくそれを『魂』と定義するのだろう――を自覚した、そのとき。
カイリは、ようやく――屍喰としての〈本当の自分〉を、初めて、〈理解〉出来たと感じた。
それはきっと、あまりにも深い〈本質〉からすればほんの一端に過ぎないとしても……ようやくに。
迷霧の先の僅かな晴れ間のように――闇夜に小さな灯を見出すように。
「……何だ? やっぱり、死ぬのが怖くなったか?」
カイリの纏う雰囲気に、微かながらも変化を感じたからか――。
アートマンは、トドメを刺すべく腕を振り上げたまま、訝しげに問いかける。
それにカイリは、これまでの諦観ではなく――達観した表情で、静かに頷いた。
「僕は……死ぬわけにはいかなかった。
――僕の中には、僕の大切な人も……いるのだから」
「ほお、そうか。
だが、残念だったな――お前の運命は変わらねえよ」
気安げにそう言い放つや否や……アートマンは腕を突き下ろし、カイリの胸を貫く。
いや――突き下ろしたはず、だった。
妙だと感じて、アートマンは自分の腕を見る。
果たして――彼の右腕は。
いつの間にか、肘から下が綺麗に消えてなくなっていた。
……出血はもとより、痛みすらも何もなく。
「は……?
なんだ――なんだ、何が起こった……!?」
「――ようやく、気が付いたんだ」
混乱するアートマンを、軽々と押しのけて……カイリはゆらりと立ち上がる。
「僕もあなたも、人間として――この世界の『生き物』としてしか、この身体を、力を、使えていなかった。
それでも確かに、あらゆる生き物を凌駕する力を発揮出来ていたけれど……それは間違いだった。
誤解していた――いや、正しく理解出来ていなかったんだ。
……屍喰としての〈力〉――そして、その使い方を」