25.救いたい
――死の理が覆った〈その日〉より、1ヶ月前。
一度死を迎えたカイリは、既に〈屍喰〉となっていた――
ロアルドの告げた事実に、結衣はしばらく言葉を失っていた。
やがて――ややあって。
少なくとも、意識の上だけは我に返ると……彼女はこれまで保ってきた冷静さもどこへ、反射的にロアルドに詰め寄る。
「で、でも!
でもあの後、彼には変わった様子なんて、何も――!」
「それは恐らく、何より彼自身に、死んだという自覚がなかったからだろう。
蘇生した、という自覚もないから、これまでと何も変わっていないと『思い込んでいた』――つまり自分自身を騙していたわけだ。
あるいは、無意識にただの人間に『擬態』していた――とも言える。
そう……〈その日〉を迎え、改めて明確な死に直面するまでは」
「……そん、な……!」
「彼以外の、私が視た〈魂の遺伝〉を持つ者は、皆、〈その日〉に通じる〈数字〉をも備えていた。
つまりは、きっと屍喰すらも、〈その日〉とは切っても切り離せない繋がりがあるということだ。
にも関わらず――カイリ君は、それよりも早くに屍喰となった。
私が彼を『特別』と言ったのは、そういう理由からなんだよ。
……そんな彼に付き添い、観察・研究したいという欲求もあったが……。
そうした特別な存在がどういう道を歩むにせよ、私のような、あくまで『ただの人間』に過ぎない者が、余計な干渉をするべきではないと思い直してね。
――以来、彼とは直接に接触することなく、今に至るというわけだ」
「じゃ、じゃあ……!
カイリ君の行方については、分からない――んですか」
明らかな落胆を見せる結衣に、ロアルドは幾分表情を引き締め、首を横に振った。
「いや――そうでもない。だが、それを教える前に聞きたい。
……霧山結衣さん。
結局、君は――彼を、どうしたいのかな?」
「どう、って――!」
勢いのまま感情を言葉にしかけて、思い止まり……結衣は改めて考える。
会って、もう一度話をしたい。
あのとき逃げてしまったことを謝りたい。
昔のような関係に戻りたい。
自分のこの想いを伝えたい……。
感情に則して単純に挙げるなら、そうした答えにもなるだろう。
だが、それらを引っくるめて……彼女がずっと胸に抱いてきた望みは、もう少し違う形をしていた。
「わたしは――わたしは、彼を救いたい。
叶うのなら、元に戻してあげたい。
生き物は生まれた以上、いずれ死んでいくのが、悲しいけれど摂理だと思うから。
だからこそ、命は――言葉通り懸命に、その時を生きているんだろうから。
だから……死んだはずなのに死なずにいる命というのは、間違ってる。
だから……たとえそれが、永遠の別れにしか繋がらないとしても、戻してあげたい。
彼の命を――本来あるべき姿に、戻してあげたいんです」
結衣の答えを聞いたロアルドは、しばらく目を伏せていた。
その中で、どんな思考が巡っていたのか……やがて彼は、ゆっくりと頷く。
「……なるほど。私個人としては同意は出来かねるが……けれども、君のその望みを否定するつもりもないよ。
あるいはそちらの方が、やはり世の真理なのかも知れないからね」
予想外に平穏なロアルドの対応に、結衣は少し拍子抜けしたような気分だったが……。
ともかく異論も何も無いなら、肝心の答えが聞けると勢い込む。
「それで……カイリ君は今、どこに?」
「……アフリカだよ。
そうだな、今なら恐らく……スーダンの西から中央アフリカ、コンゴ民主共和国の北部……その辺りの地域だろうか。
だが――」
答えを聞くや、すぐさま飛び出しそうな勢いだった結衣は――なおも続くロアルドの言葉に動きを止めた。
「それが分かったところで、残念ながら会いには行けないよ」
「……え? そんな、どうして――」
「もうじき、世界に〈次の変化〉が訪れるからだ。
……そして及ばずながら、私はそれを後押しするつもりでいる」
「!? どういうことですか!!」
ロアルドの雰囲気に、ただならないものを感じ取り……結衣は思わず椅子を蹴り倒して立ち上がる。
しかし、ロアルドはやはりそれを気にする風もなく、淡々と話を続けた。
「世界に地磁気というものが存在していることは当然、知っているだろう? そう、方位磁石が北を指す理由だ。
そしてそれは、遙かな太古から、何度か『逆転』したことがあると分かっているのだが……その逆転現象が、もうじき起きるのだよ」
結衣は訝しげに目を細める。
「……地磁気逆転の話なら知ってます。
特に、ここ10年ほどの間に、地磁気が多少弱まっているのが観測されて……もしかしたら近々そうしたことが起きるかも知れない、という予測があることも。
でも、それがもうすぐだなんて、そんな話は聞いたことありません。
そもそも、地磁気の逆転は数十年に渡って起きる現象だとも聞きますし……それに、たとえ逆転が起こったところで、大きな影響は出ないと――」
「それだけならばね。
目立った変化は、せいぜい方位磁石が逆を指すようになるぐらいだろう。
だが……一番の問題はそこじゃない。
地磁気が逆転するということは、その間、地球を覆う磁力の層が極端に弱まるということでもある。
……分かるかな? 太陽風のような宇宙線から、短い間でも、地球はまったく無防備になるということだ。
もちろん、太陽の活動がいつも通りなら、それでもやはり大した影響は出ないだろう。
しかし……ちょうどその合間に、太陽でこれまでにないような大規模なフレア爆発が起きて――強烈な宇宙線が降り注ぐとしたら?」
「――――!?」
ようやく結衣は、ロアルドの言わんとしていることを察した。
……いわゆる宇宙線が人体に有害であることは有名だが、磁力の層が消えようと、やはり防壁となる大気がある以上、直接的には大きな被害は出ないかも知れない。
であれば、一番の問題になるのは、電子機器への影響だ。
磁力の層があってなお、太陽の活動によっては通信障害が発生するというのに、その防壁すら無くなるとなれば……そしてこれまでにないほどのフレア爆発が起こるとなれば。
その太陽風により、どれほどの影響が出るというのか――。
「そう――衛星などはもちろんのこと……。
地球上の電子機器、通信網すら、ほぼ全滅するだろう」
結衣の考えを見透かしたようなロアルドが淡々と、しかし彼女の予想を遙かに上回る絶望的な答えを言う。
「つまりそれは……簡単に言ってしまえば、壊れたものを直そうとしても、そもそもそのための機械すら動かないという、悪循環の始まりでもある。
基礎となる電力の供給すら完全に止まるのだからね。
しかも、〈その日〉を経た今――『死』は、伝染する病のようなものだ。
電子機器の停止、電力の喪失……それらがもたらす不運な死は、しかしただの不幸というだけではすまなくなる。
――そうだね、そうした悪循環も含め、ざっと見積もって……。
いかに短くとも、今後数十年――。
人類は文明を失い、前時代的な生活を余儀なくされることだろう」