24.先駆け
「どういうこと――ですか」
普通の遺伝とは根本的に仕組みが異なるという〈魂の遺伝〉――。
ロアルドが語ったその意味を、結衣はさらに重ねて問いかける。
「受け継がれ、形を変え、常に何らかの影響を及ぼし続ける肉体の遺伝と違って。
魂の遺伝は……そう、多くの人の中に散らばった欠片がまた一つに集まったとき、完全な形になったとき、ようやく意味を為すものでね。
大河に落ち、溶け込んだ一滴の血の雫が、海に出、雨となって降り注ぎ、気の遠くなるような長い年月と、天文学的な確率を乗り越えて、再び一つに集い元の形を取り戻す――喩えて言えばそんなイメージかな。
水に溶け込んだ、ほんの僅かな『成分』でしかないものが、改めて血としての『形と意味』を持ち得ると、そういうわけだ。
いや、あるいは……それすらも、かつての超越者たちが計算していたことなのかも知れないがね。
特定の時期に、その血が集い、意味を為すように。
そう……人の世界に起きる、君たちが言うところの『異変』に合わせて」
「では……そうまでして世に顕現する屍喰とは、いったいどういう役割をもっていると言うんです」
続けて結衣が向けた質問に、珍しくロアルドは難しい顔をした。
「ふむ……それについては、私にも推察しづらいところがある。
概ね、『喰らう』という行為を通して、生屍が不死化している要因――恐らくは人間の存在としての根幹、これまた〈魂〉というものだろうが――ある意味停滞状態にあるそれを、本来の星の循環に還しているのだろう……とは思うのだがね。
それにしては数の比率を考えても効率が悪いし……まったく別の、他に理由があるとしても不思議はないね。
……ただ、人としての意志を残しているあたり……屍喰とは、『種族』としての行動原理よりむしろ、個々人の理念というものが何より重視される存在なのかも知れない。
そう――差し詰め、神話の時代、神や悪魔といった存在が、各々様々な要素・事象を司り、そしてそれが主義や理想といった精神的なものにまで及んでいたように――」
一息にそれだけ話してから、失礼、と言い置いて、ロアルドは激しく咳き込む。
その様子にどこかただならないものを感じて、反射的にバッグから水の入ったペットボトルを取り出す結衣だったが、ロアルドはやや疲れた笑顔でそれを遮った。
「……ああ、申し訳ない……大丈夫だよ。
歳を取ると、いちいち大袈裟になってしまって困るね」
「本当に大丈夫なんですか? 何か病気を?」
「まあ、この歳になると、完全に健康体とはいかないからね。
……なに、大したものではないよ」
ロアルドはやはりどこか具合が悪そうだったが、医師でもある本人が問題ないと言う以上、素人の結衣に言えることなどない。
そもそも――結衣には。
目の前に体調の悪い人間がいれば、さすがに人としての倫理感から心配もするものの……そんな人間らしさを切って捨ててでも、彼から聞き出さなければならないことがあるのだ。
分かりました、とあっさりロアルドの自己申告を受け入れて、改めて話を戻す。
「それでは……彼ら屍喰が、生屍を食料としていることはない、と?」
「……恐らくはね。だが、完全に有り得ないとも言い切れないだろう。
世の中には一生に一度の食事で事足りる生物もいるぐらいだ――単に極端な少食なだけかも知れない。
まあ、少なくとも、人間ほどの飽食家でないことは確かだね……美食家かどうかまでは分からないが」
顔色は依然として良くないものの、そう冗談交じりに答えるロアルドの姿は、ひとまず復調したように見える。
だが、あまり話を長引かせて、さっきよりも悪い状態になられては困る――と、結衣は意を決し、一気に話を切り込ませていくことにした。
「それで――。
カイリ君は……何が『特別』なんですか?」
改めてのその問いに、ロアルドは一つ息をついてから口を開く。
「……10年前。〈その日〉の1ヶ月ほど前のことになるか……。
君の認識では、熱中症で倒れているカイリ君を見つけた私は、彼にその場で手当を施し、手近な病院に運び込んだ――そうだね?」
ええ、と結衣は小さく頷く。
「だが、正確には……少し違う。
私は彼を、『手当などしていない』んだよ。病院に運んだだけでね」
「え? でも、そのときカイリ君は、もう状態も安定していて……早い段階で適切な処置をしてもらえたお陰だろうって、お医者さんも……」
「状態が安定……それはそうだろうね」
ロアルドは、まるで遠くを見るように――目を細めた。
「何せあのとき、彼――カイリ君は。
既に『死んでいた』のだから――」
「…………え?」
絶句する結衣。
耳に届いたのは、あまりに単純明快な言葉。
だからこそ、なのか――理解が追い付かない。
――カイリ君が……死んでいた……? あのとき、もう……?
「……つまり――だ。
私が見つけた時点で、すでに彼は瀕死の状態だったんだ――運悪く人気の無い場所で倒れ、そのまま、強い日光と外気温に曝され続けたせいだろう。
もはや私にも手の施しようはなく、そのまま彼は死に――そして。
蘇生したのだよ……〈屍喰〉として。
そう――。
彼は恐らく、他の誰よりも……そして、世界に『異変』が起きるよりも早くに。
まるで、その先駆けであるかのように――屍喰となっていたんだ」




