22.『特別』
「楽園へと、『還る』――?
それは、つまり……死ぬこともない、生きているわけでもない生屍が――あの状態が、人間のもともとの姿だって言うことなんですかっ?
――そんなの、ありえません!」
ロアルドの発言に、結衣は思わず言葉を荒げたが……。
当のロアルドは泰然とした調子のままに、なおも持論を語った。
「そうかな? 私から見れば生屍は、余計なものを取り払った、いかにも人間らしい行動をしていると思うがね。
孤独を恐れ、違う存在を恐れ、同種の中にただ埋没することを望み――生きた人間という『他者』を攻撃する。
それでいて積極性は無く、基本的には可能な限り怠惰。
しかも、見えなければ――近くにいなければ、そうした対象が存在すると、特別気にすることもない。見えないものは無いも同じ。
――どうかな?
生屍には必要ないだろう三大欲求を除いて考えれば、世の多くの人間の行動原理と近しいだろう?」
「そんなの……っ!」
納得など出来ない。
だが結衣には、その意見を全く違うと、全面的に否定することも出来なかった。
思考を捨て、個を殺し、ただ群れるばかり流されるばかりの、己が意志で『生きて』いるかも定かでない存在――。
結衣とて、自分も含めた人間というものを、そんな風に蔑んだ経験がないわけではないからだ。
それに加えて、生屍の体組成が、生きている人間のそれと変わらない――という現代科学による分析結果も、一つの証拠としてロアルドの見解を後押ししているように感じてしまった。
そんなことはない、と思いつつも――そうして余計な思考を巡らせてしまったばかりに、すぐには反論の言葉が見つからずにいる結衣に、ロアルドは。
分かっている、とばかりにゆったりと頷いてみせる。
「納得出来ないのも仕方のないことだし、それはそれで構わないとも。
先に言ったように、これはあくまで私個人の考えを述べただけで、真実と限ったわけではないのだから。
……もちろん私は、これこそ真実と信じているのだけれどね」
「では、あなたは……。
この異変は、誰の手によるものでも……いえ、それこそ『異変』ですらなくて。
世界に、起こるべくして起こったことでしかない、と――そう考えるのですか」
「そうなるね。……だが私も、世界規模で人の身に『何か』が起きることは分かっていたものの――それが、こうした形であることまで予見していたわけではないんだ。
つまり、今述べたような見解も、実際に事が起こった後だからこそ至れた考えに過ぎないんだよ。
しかし――だ。
それを確たる証拠付けするべく、生屍を研究するにも……科学が今のままの道を進む限りは、決して、その真実に迫ることは出来ないだろうね。
現代科学の根底たる『世界の法則』が、絶対のものなどではなく――さらに、それを上位から支配して然るべき、いわば『別の法則』があるということ……それを認めない限りは。
そして、かく言う私とて……未だ、その見地にまで完全に至れたわけではないんだ」
「…………。
では、屍喰については――」
いよいよ、と高まる緊張ごと抑え込もうとするように、一旦そこで言葉を切って、結衣は唾を飲み込む。
眼鏡を整える手も、心なし震えているような気がした。
「そして、カイリ君については――何を知っていて、どう考えているんですか。
あなたがわたしを覚えていたように、わたしも覚えているんです。
そう、10年前のあの時……すれ違ったあなたが『彼はきっと世界を変える』と――そう呟いていたのを。
それは、あの時点で彼が屍喰になるのが分かっていたということじゃないんですか?
……いいえ、それだけじゃない……。
あのときのあなたの言葉には、もっと別の意味もあったんじゃないですかっ!?」
「フム……どうしてそう思うのかな?」
「あなたは、件の論文の中で触れています。
ほとんどの人間に、先に話された、『数字めいたもの』だけが同じように視える中……まったく『別のもの』が視える人物もいたことに。
論文中ではそれ以上の追求はされておらず、取るに足らない一文のようですけど……。
それが、屍喰となる人間のことを指していたのなら――あなたは10年前の時点で既に、そうした特異な人間もいると察していたことになります。
なら……あのときのあなたの言葉が、カイリ君も含めての、屍喰という存在そのもののことを指していたのなら――『彼ら』と、複数形でなければおかしいじゃないですか。
でも……わたしは確かに聞きました。
あなたは『彼』と、カイリ君だけを指していた。
あの頃は、今よりずっと英語は未熟だったけど……でも、間違いありません――!」
早口で一気にまくし立て、結衣はじっとロアルドを見る。
ロアルドは鷹揚に頷くと、小さく手を叩いた。
「やや乱暴ではあるけれども……見事な推察だ。
――その通りだよ、結衣さん」
……結衣は、ロアルドの瞳の輝きが、力を増したように感じた。
老いばかりが目立つ彼の顔立ちの中にあって、それだけはまるで子供のようだった――そう、言うなれば、憧れの玩具を手に入れて、無垢な歓喜に満ちあふれている子供。
「彼は――カイリ君はね。
……『特別』、なんだよ――」