20.触れる、近付く
「……彰人……結衣……。
君たちは、こんな僕をどう思うんだろう……」
『すべてを受け入れて、生きる』――。
そのことを考えていたカイリの脳裏を、関係を絶って久しい友人たちの姿が過ぎる。
――たとえどんな形であろうとも、ただ、七海とともに在りたかった――。
彰人たち二人が、自分の心底にあったそんな願いを吐露されたなら、どう感じるだろう……。
カイリは視線を落とす。
大地に伸びる自分の影が、自分のものでないような錯覚がした。
……きっと二人は、こんな身勝手なことを願う身でありながら〈衝動〉に屈し、彼らにとって大事な姉、そして友人であった七海を喰らった自分を、おぞましいとなじるだろう。
そして、それは彼女を救うためだったのだと、言い訳をしようものなら。
ならばどうして他の生屍を喰らわないのか――と、責めることだろう。
喰らうことで救えると信じるのなら、なぜ――と。
バスの中で会ったあのときの恐怖の表情に、さらなる怒りを、憎しみを、嫌悪を塗り込めて。
その光景は彼にとって、想像するだに恐ろしかった。
もし屍喰が人と同じく睡眠を必要としたなら、きっと消えない悪夢となって、延々、彼を苛み続けたに違いない。
だが――今さらながら、カイリは。
それでもあえて、その誹りを受けるべきだったのだ――と思う。
自分がいったい何者になったのか、その正体が把握出来ない以上……彼らの安全のためにも側を離れた方がいいと考えたのは嘘ではないし、完全な間違いだったとも思わない。
しかしそこに、責められる恐怖から逃れたいという、身勝手な理由があったこともまた確かなのだ。
まさに遅きに失するだが……。
もし彼らの弾劾を受けていたなら、自分の気持ちに、生き方に……踏ん切りを付けて、もう一歩先まで進めたのではないか――と、そう思わずにはいられない。
『やり直すのに、遅いなんてことないよ』
「……え……?」
――声が聞こえたとか、気配を感じたとか、そんなことは一切無い。
だがカイリは、ふと、七海に『触れられた』気がして……慌てて顔を上げていた。
当然、そこに見慣れた姿など無いことを理解していながら、辺りに視線を走らせ――そして、小さく息を吐く。
しかしそれは落胆によるものではない。むしろ、安堵による穏やかなものだ。
「……ナナ姉……」
これも、自分の身勝手な願いが成せる業なのかも知れない――と、カイリは自分自身に呆れる。
これまでも何度か、こうして心が挫けそうになるとき……七海に触れられた気がして、安心することがあった。
かつてのように、七海が自分の手を取り、両の瞳を真っ正面から真っ直ぐに見つめて、叱咤してくれているような――そんな気がして。
それが、自分の心の防衛本能が勝手に、七海の幻像を都合良く利用しているだけだとしても……。
それでも、少なくとも今は、素直に受け止めようと思った。
「……そうだね。
まだ、遅くはない……か」
今となっては彰人たちの連絡先も分からないし、〈その日〉以来、スマートフォンのような通信機器は手にしていない。
だが大都市にでも行けば、彼らと連絡を取る何らかの手段があるはずだ。
差し当たって、自分でも知っているアフリカの大都市と言えば、南アフリカのケープタウンだろうか――。
そんなことを考えながら、感覚的に南だと理解出来る方へ首を巡らせた、そのとき。
カイリは、妙な気配を感じ――立ち上がりざま、真逆の方向に振り返った。
……気付けば周囲から、動物たちの気配が完全に消え去っている。
子供たちも、なぜか遊ぶのを止めて、戸惑い気味に立ち尽くしている。
空気すら、ぴんと限界まで張り詰めて息を呑んでいる。
天変地異の前触れのような怖気を催す静寂が、雄々しく逞しいサバンナすら震え上がらせている――。
そんな中、屍喰として超人的に研ぎ澄まされたカイリの赤い瞳は……。
まるで大地を従わせているかのように、悠々とした足取りで近付いてくる人影を、遙か遠方に捉えた。
実際にそんなことが起きているわけではないが――。
海を割って歩く聖者よろしく、その人影の歩みに合わせて、まるで大地が道を空けているようですらあった。
カイリは注意をそちらに向けたまま、子供たちを呼び集めると、すぐに集落へ帰るように指示した。
子供たちも、彼らなりに何かを感じ取っていたのだろう――。
普段一緒に遊ぶときのように、いかにも子供っぽい駄々をこねることもなく、素直に従って急いでここから立ち去っていく。
――間違いない。これは、〈同族〉……!
子供たちの背中を見送るカイリは、本能的に、人影の正体を悟っていた。
未だ遙か彼方に離れていながら――そこから、真っ直ぐ自分に向けられているのが分かる『意志』があった。
そしてそれは――同族とは言え、ヨトゥンとも、〈地の声〉ともまるで違う性質のものだった。
鋭く尖りつつ、幾重にも絡みつく、禍々しさすら感じるその『意志』から、思わずカイリが連想したもの――。
それは、大きく鎌首をもたげ、惜しげもなく毒牙を剥き出しにする――大蛇だった。




