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19.受け入れて、生きる


 ――〈古き民〉の子供たち十人ほどを引き連れたカイリは、〈地の声〉に指示された、サバンナのただ中を流れる小川へとやって来ていた。


 日が高くなり始めた時間ということもあって、子供たちは水を汲むための焼き物の容器を置いて、水際で思い思いにはしゃいでいる。


 その様子を、手近な岩に腰を下ろして見守るカイリは――ふと、以前〈地の声〉が人間を指して、『まだ幼い子供』だと言ったことを思い出していた。

 しかし、そのときのカイリはそれに素直に同意出来なかった。

 なぜなら、



 ……文明を発展させ、繁栄を極めた今の人類は、そこはかとなく漂う閉塞感じみた退廃の風潮も含めて、むしろ老いに入っているのではないか――。



 彼としては、そんな風に考えていたからだ。


 しかし、こうして雄大そのものの大地と、その懐で戯れる子供たちの姿を見ていると……〈地の声〉の言葉の方が、しっくりと胸の奥に落ちるように思えてくる。



 〈その日〉以前の日常世界を顧みても――人間は、技術と知識を以て文明を極めたように見えながら、それを完全に制御出来てはいなかった。

 理性を以て本能を御すことも、到底、出来ているとは言い難かった。

 そのための社会性を助けるべき法の整備などもまた、改良の余地はまだまだ多く、目指すべき完成形にはほど遠いものだったろう。


 それらを指して、人は愚行を繰り返すばかりの存在だ、という認識が拡がっていた。

 いつまで経っても学ばず、変わらないそれは――愚かさは、人の本質だと。

 カイリも、全面的にとまではいかなくとも、内心それを肯定しているところがあった。



 だが――彼が今、改めて思うのは。

 それは人の本質どころか、老成によるものでもなく……ただ幼いがゆえなのではないか、ということだ。



 人が人らしい歴史を刻み始めて、少なく見ても数千年は経っているのだろうが……考えてみれば『たかが』数千年に過ぎないのだ。

 それは、100年程度でしかない個人の寿命からすれば悠久にも思える年月だが――この星そのものが生命として刻んできた何十億年という時間と比較してみれば、ほんのちっぽけなものであるのは明白だ。



 そう――〈地の声〉が言った通り、人類はまだ幼いのだろう。

 進化しつつ、しかし後退するような、一見愚かしい歴史しか築けていないのも、種として成熟しきれていないからだ。

 まだまだ若く、幼いからなのだ――。



 世界を渡り歩いてきた多くの経験もあってカイリは、そんな風に考えを改めていた。

 あるいは屍喰(シニカミ)となったがゆえの変化もあるのかも知れないが、最近の彼が、人間という存在そのものに慈しみのような感情を覚えるのも――。

 つまり、彼らが傍若無人に振る舞う成人ではなく、道行きを探して迷う子供だからなのではないか――と、そう思えるのだ。

 人としての心は、未だ多くの迷いの内にある彼自身も含めて。



 ……大きく一息ついてカイリは、ぐるりと辺りを見渡す。


 今現在、人間世界で起きている混乱などまるで意に介することなく、空でも、水でも、大地でも――。

 動物たちは、これまで紡いできたものと同じ生と死を、変わらず、この雄大な大地の上に繰り広げていた。

 いや、あるいは彼らは、人間に起きた異変を知った上で……それを受け入れた上で、それでも変わることなく自らの生を生きているのかも知れない――そんな風にも感じられる。

 それはカイリには、自分のような未だ悩みを持つ者に比して、悟りを開いた賢者にすら思えた。



「……すべてを受け入れて、生きる、か……」



 突き抜けるように青い空を仰ぎ、カイリは独りごちる。


 彼にとって、『受け入れる』ということは――。

 屍喰となった己が身の上のことだけでなく、命に代えても守り抜こうと誓った七海(ななみ)を喰らってしまった、その事実も含まれている。


 七海について考えるとき、以前はただひたすらに、激しい罪の意識と悔恨、恐怖に苛まれるばかりだったものの……。

 今では、哀しみこそそのままに、もう少し冷静に――客観的に心を見つめられるようになっていた。

 そう出来るようになったのも、ヨトゥンや〈地の声〉という同族との交流はもちろん、世界中の生屍(イカバネ)、そしてそれらと戦いながら共存する、多くの人間の姿を目の当たりにしてきたからなのは間違いない。


 だがそれで、心底にある、疑念に根ざした感情まで払拭出来たわけではなかった。

 そもそもの、七海があのときまだ生きていて、生屍とするために止めを刺したのが自分なのではないか――その疑いが消えていないのだ。


 だから、生屍となり死してなお現世に縛り付けられている者への救済として――それが〈衝動〉に駆られてのことであろうとも――彼女を喰らったのだ、という見解を、彼は未だに素直に受け入れられずにいる。


 いや……彼がそう納得し、自分を赦すことが出来ずにいる理由は他にもあった。


 まずは、生屍が、本当に屍喰が喰らうことでしか解放する手段が無いのか――という疑問だ。


 確かに、未だ研究も進まず、いかなる兵器でも完全に消滅させることが出来ない現在では、それしか手段が無いように思える。

 また、屍喰としての『感覚』なのか、本能的にそうだと確信している節すらある。


 だが、研究が進んでいないということは同時に、将来何らかの切っ掛けで道が開けた場合、別の手段が見つかる可能性も残されている、ということだ。


 それはあるいは、生屍に人間的な、いわば『尊厳ある死』を迎えさせられるものかも知れないし……。

 ともすれば、生屍はそもそも完全な死を迎えていないだけで――改めて人間として蘇生させられるようなものかも知れないのだ。


 もちろん、それが甘ったれた希望的観測でしかないことぐらい、カイリも承知している。

 しかし、いかに確率として低いものであろうと、可能性として存在している以上……自分は早まったことをしたのではないか、という後悔は消えない。



 そして、もう一つの理由――。

 これは彼自身、気付くまでに時間がかかった、極めて自分勝手な願いだ。



 ――彼は、七海を喪いたくなかった。

 共に在りたかったのだ――たとえ生屍になろうとも。変わり果てようとも。

 自分の愛した人間に、ただ、この世に存在していて欲しかったのだ。


 それはきっと、七海の尊厳を貶めるものだと――そう分かっていても。

 カイリにすればそれこそが、嘘偽りの無い、純粋な願いだったのだ。



 ――そう。

 ただいつまでも、ずっと一緒にいたかったのだ――。





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わかるぞカイリ。
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