18.友に視えたもの
「……老けたな、ロアルド。
お前は、どちらかと言えば童顔だったはずだが」
「そういう君は、まだまだ若いね。
私よりずっと老け顔だったはずなんだが」
ヨトゥンを相手に、そう軽口を交わし――。
車椅子に深々と腰掛けたロアルド・ルーベクは、喉の奥で笑う。
――古びたアパートの最上階に位置するロアルドの部屋は、遠目にも荒んでいるのが分かる他の無人の部屋と違い、さすがに生活感が見て取れた。
少なくともこの部屋だけは、電気や水といったライフラインも整備されているらしい。
ただ、世界各地を転々とする生活をしていたためか、私物らしきものはあまり多くなく、調度品なども使い捨てに出来るようなもので占められていた。
加えて、以前の住民が置いていった物を片付けていないのだろう――何に使うのかも分からないような古びた機械類が、埃を被った金属製の棚に雑多に並べられている。
そして、そんな粗大ゴミの中に、隠れるように幾つか作動中の機械があるのを見て取ったヨトゥンは、それらの役割や用途を思い返し……小さく頷いた。
「……なるほど。
やはり、ただ老け込んだだけでなく……患っているか」
「分かるかい? さすがだ、一応そうは見えないよう隠していたんだが。
まあ……実際のところ、もうあと1ヶ月どころか、1週間と保たないだろうね」
死期が目前にまで迫っているという事実を、ロアルドはあっけらかんと開陳する。
「然るべき施設で治療にあたれば、もう少しは保つと思うがな。
……と言っても、その気があれば既にそうしている――か」
「そういうことだ。
それに、君も知っているように――今の私は、大手を振って表を出歩けるような身ではないのでね」
「それとてお前なら、その気になればいくらでも誤魔化せるだろうに」
長い間ロアルドの行方を追ってきたヨトゥンは、本人が言うように、彼がスネに傷持つ身であることをよく知っている。
様々に名を変え、身分を偽造し、世界を渡り歩いていたロアルドは、その過程で多くの犯罪組織やテロリストといった、反社会的な集団と関わっていたのだ。
学会を追放され、真っ当な仕事にもあぶれた彼が、世界を回りつつ独自の研究を続けるには……。
あらゆる分野において天才と称するに相応しい、彼のその優れた頭脳を欲する、非合法な集団と関係を築くのが一番だったのだろう。
「……で、そうして死期を悟ったから、弟子を取ることにしたのか?」
「ランディのことかい? まあ、そんなところだが……引き取ったのはもうずっと前のことだよ。彼の才能に惹かれてね。
……ヨトゥン、君が思う以上の大物になるよ、彼は。
願わくば――それが、私の研究を引き継いだその先であって欲しいところだが」
「ふむ。何でもお見通し、と太鼓判を押された〈先生〉のお墨付きだ。
どれほどの事を為すか――気に掛けておくとするか」
「そうだね。君にはそれが出来る。
その果てなく永い人生の、ささやかな楽しみの一つにでもしてもらえれば何よりだ」
「…………。
やはり、お前には……俺には見えないことが『視えている』らしいな」
それまでは、旧友に再会するに相応しい穏やかなものだったヨトゥンの表情が……険を備えて引き締まる。
「――教えてくれ、ロアルド。
この世界に何が起こった。俺はいったい何者になったんだ……!
頼む、教えてくれ――!
お前も、それを話したいからこそ……!
自分の足跡を、手掛かりを――計算され尽くしたように世界各地に散りばめ、時機を図って、こうして俺を呼び寄せたんじゃないのか!?」
「……さすがにバレたか。
君ほどの人物を相手に、ちょっと露骨過ぎたかな」
「なら――!」
ヨトゥンに詰め寄られたロアルドは、しかし別段これまでと調子を変えるでもなく、小さく首を振る。
その余裕あるさまは、死期を前に諦観しきっているようでもあれば――また、すべてを理解し、悟りの境地にいるようでもあった。
「まず初めに、これだけは否定しておかなければならないが……私とて、その答えを知っているわけではないんだ。
他の人間に見えないものが『視えている』ことは確かだが――。
それが、どういう真理を表しているのかなんて……分かりたいと願い、分かろうと努力することは出来ても、真に理解するなんて出来やしないのだよ。
それこそ、太古の預言者たちがそうであったように――矮小な人の身に過ぎない私には、ね」
ロアルドの返答にヨトゥンは、なおも何かを言い募ろうとしたが……すぐに冷静さを取り戻したのか。
気持ちを落ち着けるように、天井を見上げて大きく一つ息をついてから――改めて視線を落とした。
「……分かった、すべての真実を教えろと無茶は言わん。
だがお前は、ずっと昔に、既に俺が他の人間とは違うことを見抜いていた――いずれこうして屍喰となるのを知っていたように。
――いったい、お前は何を視た。そして、どう解釈したと言うんだ?」
「俗っぽい言い方をするなら、〈魂の遺伝〉……そんなところかな」
しわがれてはいるが、しかし力強さまでは失われていない声で、ロアルドは答える。
「魂の……遺伝……?」
ロアルドが間を置く中、口の中で繰り返すヨトゥン。
しかし、続きを期待する彼に対しロアルドは、部屋の奥にあるドアを指差す。
「さて……申し訳ないが、ヨトゥン。
これからしばらく、奥の方へ控えていてもらえるだろうか。
――実は今日は、もう一人、客人を迎える予定になっていてね……そろそろ時間のはずなんだよ」
「何だと? おい、俺の話はまだ――!」
さすがにそんな指示に黙って従うわけにはいかないと、食ってかかろうとするヨトゥンだったが……ふと、部屋の外の方へ視線を向ける。
階段を上がって、こちらへ近付いてくる気配があることを察したのだ。
「――気付いたかい? ともかく、そういうわけでね。
先方とは一対一で話をするべきだと思うから、お願い出来ないだろうか。
……大丈夫だ、ヨトゥン。
君との話をうやむやにしようというわけじゃない。
ただ――きっと、もう一人の客人とも君と同じような話をすることになると思うから、何度も説明しないで済むようにしたいだけでね。
生憎と、ご覧の通りの病躯だ……長く話すのはさすがに疲れる。
君なら、ドア越しで少々距離があっても、こちらの会話を聞き取るぐらいは容易いだろう?
――ああいや、もし、そういったことは屍喰としての能力の範疇外だと言うなら、そちらで音声を拾えるようにするが……」
「……なるほど、今の一言で分かった。
さすがに、屍喰が実際にはどれほどの能力を有しているかまでは、お前でも把握しきれていないわけか――」
先に垣間見せた怒りを収め――ヨトゥンは。
そう頷きつつ、指示された通りに奥のドアの方へと向かった。
「問題ない。この部屋の音ぐらいなら充分に聞き取れる。
……もう一人の来客とやらに、お前が何を語るのか――向こうでじっくりと聞かせてもらうとしようか」




