15.〈地の声〉
――見渡す限りに果てしなく広大な、これ以上なく言葉通りの『大地』に、昇り始めた太陽の光が降り注ぐ。
そうして大地が目覚めるのに合わせ、活動を始める生き物や、逆に眠りにつく生き物の気配が、そこかしこから伝わってきた。
これまで何度か映像や写真で見てきた通りに、赤茶けた大地に緑を散りばめたようなサバンナの色彩は、鮮やかではあっても決して華やかではない。
だがそれは決して、美しくないこととイコールではない。
むしろ、ありのままの自然の姿は、人間のちっぽけな言葉で飾る美しさなど超越しているのだ――と。
カイリは、五感のすべてで景色を受け止めながら感じていた。
「元より美しいものを、改めて美しいと感じねばならないのは、哀しいことだ」
背後からそう声を掛けられたカイリは、別段驚くこともなく振り返る。
そこに立っていたのは――。
衣服代わりの動物の毛皮を、浅黒い肌に簡素に巻き付けただけの……全身、顔に至るまであらゆる場所に幾何学的な入れ墨を施した青年だった。
背丈はカイリと同じぐらいで、同年代の日本人と比べても低いぐらいだろう。
加えて、華奢とも言えそうな細身だが……それが鋼の刃のごとく、限界まで無駄なく鍛えられた筋肉で引き締まっているからなのは、一見すれば明らかだ。
「本来、我ら人も、その中の一つでしかなかったというのに」
「僕は……今でもまだ、そうなんじゃないかって思います」
青年の涼やかな瞳を見据えながら、カイリは答える。
対して青年は、表情こそ変えないまま……ほんの僅か、頷いた。
「愚かなことを――と、笑うところだ。
――カイリ、お前が言ったのでなければな」
「……買い被り過ぎです。僕なんて――」
「俺は〈地の声〉。その名に誓い、嘘は言わん。
お前自身が気付いていなくとも、カイリよ、お前は広く――雄大だ。
――この大地、そのもののように」
青年は、サバンナの彼方へと視線を向ける。
……カイリが、彼、〈地の声〉という名の青年と出会ったのは、1ヶ月ほど前のことだった。
〈その日〉の異変以来、それどころではないとばかり、国家規模の紛争は鳴りを潜めていたが……争いそのものが消えたわけではない。
それは、そもそも政情不安定な地域が多く――それに乗じ、何らかの信条的旗印を掲げていながらも、まるで関係なく他民族の虐殺や略奪を行うような……そんな悪辣な武装集団が数多く存在するアフリカも、また然りだった。
そしてそうした武装集団は、覆った死の摂理の体現である生屍という存在すらも、自分たちの獣性を満たすための道具としか見ていないのか――。
〈その日〉を経たことで、むしろより苛烈になった残虐極まりない破壊活動を、小さな集落に対して行っているところに遭遇したのが、砂漠を南下して大陸中央へ出てきていたカイリだった。
……老若男女問わず、目に付き次第虐殺し、生屍となったらなったで、再生する前に何度も何度もあらゆる方法で殺し直す。
またときには、家族の一人だけを殺して生屍にした挙げ句、他の家族を襲わせる――。
いかにも楽しげに笑いながら、そんな非道を行う武装集団を目の当たりにしたカイリは、義憤に突き動かされるまま、その圧倒的な力を振るい――。
気付けば、数十人からなるその集団を一人で蹴散らしていた。
怒りが〈衝動〉に置き換わることへの恐れもあって、結局誰一人殺しはしなかったものの……。
銃器が一切通用しないばかりか、人間の根源的で絶対的な恐怖――それは『畏怖』にこそ近いのかも知れない――を呼び起こす、カイリの鬼気にあてられた武装集団は、死よりも恐ろしい運命を見たかのように逃げ去った。
そのとき、それらと入れ替わるような形で集落へとやって来たのが、彼――〈地の声〉だった。
そして、ヨトゥンのときと同じく、会った瞬間〈同族〉なのだと気付いたカイリに、
……縁のあるこの集落が襲われていると聞き、助けに来た――。
そう告げた〈地の声〉が、真っ先に行ったことは……。
集落で生屍と化していた者たちを、残らず喰らうことだった。
〈衝動〉に駆られて獣のように――ではなく。
まるでそれが、古来より受け継がれてきた伝統ある葬儀の一環であるように……自らの意志で、粛々と。
〈地の声〉は――生屍の心臓を抉り、喰らい続けたのだ。
……その後、〈地の声〉から自分たちの集落へと誘われたカイリは、その申し出を受けて〈古き民〉と呼ばれる彼の一族に合流した。
屍喰という存在に変じながら、それまでと変わらず一族とともに過ごしている〈地の声〉――そしてそんな彼を受け入れている人々と、話をしてみたいと思ったからだ。
総勢で300人にも満たない〈古き民〉は、その名の通り、大陸に最も古くから存在しながら、しかし極力他者との関わりを避けて、ひっそりと生き続けてきた一族なのだという。
そのため、現在知られるどの民族とも共通点が乏しく……言語も、集落内で生まれ育った人間でなければ正確な発音すら難しい、独自のものを用いていた。
屍喰としての能力の一環で、言葉に乗った互いの意志を直接読み取り――また伝えることも出来るため、意思疎通には問題ないカイリでも、発音そのものは理解の外らしく……。
彼ら〈古き民〉の名前が持つ意味は理解出来ても、それを彼らの『言葉』として発音することは、1ヶ月経った今でもかなわない。
そうした、本来排他的であるはずの〈古き民〉は……しかし、明らかな余所者のカイリを客人としてもてなし、受け入れてくれた。
彼ら一族に『守護者』として崇められている〈地の声〉――その同族であるなら、と。
――以来、カイリは。
『自分や一族のことを知りたいのならば。
安易に言葉を交わすよりも、共に生きてみるのがいい』
そんな〈地の声〉の提案に素直に従い、〈古き民〉と寝食をともにして……この1ヶ月を過ごしてきたのだった。