10.信念の二人
彰人は八坂の言に、彼を廃してでもその富と権力を得ようと画策した宮寺という人物の、グループ内での主張と、その顛末を思い出す。
〈その日〉より10年――。
『死』の変質そのものについては、未だ何ら明らかにはなっていない。
だがその分、新たな『死』への対処においては、様々な方策が練り上げられていた。
〈黄泉軍〉のような、生屍に対応する職種の人間が迅速に活動出来るための世界共通の法整備や、葬儀の形式の変容などが、そうした方策の中で現在機能しているものだが……。
その一つとして新たに導入されるのが、個々人の〈生命反応〉をリアルタイムに計測し、情報として集約するシステムだった。
簡単に体内に埋め込める小型のバイタルチェックを介することで……死に瀕した、あるいはその危険性のある人間がいた場合、速やかに処理を行うべく、その所在をいち早く把握しようというのである。
そして――そのシステムは、将来的には国籍を持つ人間全員に、機器埋め込みを義務付けるものであるため……。
医療機器メーカーなどは、この上ない巨大市場として、真っ先に主導権を得ようと、チェック機器の開発に鎬を削った。
……宮寺という人物は、その市場争いをも、カタスグループが掌握するべきだと主張していたのだ。
そもそも、既にカタスグループ内では同じコンセプトのシステムを運用しており……〈黄泉軍〉の隊員やグループの主要人物は、グループ製のバイタルチェックを体内に埋め込んでいた。
だからこその、そうした先駆者としてのノウハウに、〈黄泉軍〉の活躍や、〈冥界〉の建設による社会貢献から来る世界的な信用があれば、この分野においてもグループがトップとなるのは難しくないはず――。
それが宮寺の言い分であり、そしてそれは、概ね間違ってはいなかったのだ。
だが――会長の八坂は、決して首を縦に振らなかった。
八坂は懸念していたのである。
今の『死』が変質した社会が――世界が、これまで通りに回っていくための仕組み。そのすべてを、カタスグループが一手に握ってしまう事態を。
そう――そうなることこそ望ましいと考える、宮寺らとは真逆に。
異変による混乱が、世界的に極まっていた頃ならともかく……それがある程度の落ち着きを見た今。
カタスグループが、かつての世界で力を握っていた大国たちにとって、生屍とはまた別の脅威として見られつつあることを、八坂は自覚していたのだ。
狡兎死して走狗烹らる――ではないが、たかが一企業体でしかない自分たちグループが影響力を強め過ぎると、あらぬ野心を警戒された挙げ句、人間同士の無用な争いの火種になるかも知れないと、そう危惧したのである。
そうした八坂の主張に反し、ひたすら利を求める宮寺らに同調する者も少なくはなかったが――。
筆頭である宮寺が企んだコロンビアでの事件とその顛末により、反対派の勢力は急速に縮小。
結果として、八坂の方針は覆ることはなく……。
カタスグループは、まさにその影響力拡大を懸念していたであろう、大国と呼ばれるような国々が揃って後押しする研究機関に道を譲る形になり……。
その研究機関の開発したバイタルチェックシステムが国際的に正式採用されたのが、つい最近のことだ。
そして――。
同システムはまず試験的に、この1ヶ月ほどを目処に、国連加盟国の主要人物、並びに各国の情報・通信も含めたライフラインに関わる仕事に従事する人々など、万が一の際に社会的影響が大きい人物に、順次先行導入されることになっていた。
「残念なことだが……権力や富を必要以上に欲する人間が、宮寺たちだけにとどまるはずもない。今後も現れるだろう。
私が、グループの利益よりもまず公共への奉仕を優先するという、今の方針をとり続けるとなればなおさらだ」
「公共への奉仕、ですか……」
何かを考えるように、彰人は一度視線を落とした。
八坂は、そんな彰人の続く言葉を黙って待つ。
「……会長。
世の中では、生屍――引いては屍喰を、人間の進化の形だと、肯定的に捉える向きもあることをご存じですか?」
「ああ、もちろん承知している。
で……君もそうだと? 中尉。正直に言ってくれ」
「自分は――逆です。
あれが、あんなものが……人間の歴史の先に立つ存在であるはずがない。
第一、そうであるなら、人間は何のために生きていると言うのですか。
死んだその先に進化があると言うのなら、我々に『生きる』意味などなくなってしまう。
それは即ち、乱暴な言い方をするなら、人類という種の行き止まり――滅亡と同義ではないでしょうか。
ならば……それを、座して受け入れるわけにはいきません」
彰人のただならぬ想いの籠もった言葉と視線を真っ向から受け止め、八坂は大きく頷いた。
「その通りだ――我らは戦わなければならない。
人が人として生き、そして死んでいける……そんな真っ当な世界を取り戻すために。
そしてそれこそが、私の目指す『公共への奉仕』の終着点だと思っている。
――だがもちろんそれは、決して平坦な道ではないだろう。
だからこそ、私には――中尉。
君のような、確かな信念を持った人間が必要なのだ。
私という個人に忠誠を尽くせ、とは言わない。
だが、我らが今確かめ合った、我らの進むべき道には変わらぬ忠義を捧げてほしい。
……これからも、その道を進み続けるための力となってほしいのだ」
すっくと立ち上がった彰人は、八坂に敬礼を返す。
「もちろん、喜んで。
……もっとも……。
そこに書類仕事の手伝いなどが含まれていたりするのであれば、畏れながら、ご命令であっても承服しかねますが」
その軽口にひとしきり笑って、八坂は――敬礼する彰人の手を取り、強く握った。
……彼自身もまた、悪戯めいた眼差しを返しながら。
「さて……いずれは、手伝い以上のことを頼むかも知れないぞ?
しっかりと、その方面の勉強もしておいてもらいたいものだ」