9.軍人と名士
「……おお、来たね。待っていたよ」
来客用の応接セットこそあるものの……他所の正式な国軍や、それこそ企業などで同じような位置付けにいる人間の執務室に比べれば、いかんせん質素で殺風景な司令室。
そこに、呼ばれるまま足を踏み入れた彰人を迎えたのは。
彼が予想していた――かつ、いい加減聞き慣れた――怒声などではなかった。
応接用の、しかし上等とは言い難いソファから腰を上げ、颯爽と彰人に歩み寄ってきたのは……基地司令ではなく。
年の頃40前後の――品の良いスーツをきっちりと着こなす、いかにも名士という形容が相応しい男だったのだ。
親しげに彰人の肩を叩きながら、派手過ぎず嫌みでもない、実に魅力的な笑顔を向けるその名士に――さしもの彰人も、驚きに眼を白黒させる。
「か、会長っ!?
――司令、これは一体……!」
「会長が、直にお前と話をされたいとのことでな。先刻いらっしゃった」
助けを求めるように奥を見やった彰人に……豊かな白ヒゲの似合う基地司令は、ソファから立ち上がりながら、いつもの巌のような表情のまま答えた。
それを受けて、名士――。
カタスグループの基礎となった宮大工の集まり……堅州組の創始者一族として、千年近い長い歴史を持つという名家中の名家、八坂家の現当主である八坂 邦大が、言葉を続ける。
「まあ、そういうことだ。
随分と遅くなってしまったが……伊崎中尉。
改めて君に、去年コロンビアで助けられた礼も言いたくてね。
……君と、君の優秀なチームのお陰で、私の命はもちろん、グループの理念も失われずに済んだ――本当にありがとう」
八坂は姿勢正しく一礼すると――彰人と司令に改めて座るよう促し、自らもソファの元の位置に戻った。
予想外の事態に面食らっていた彰人だったが……落ち着いた様子の司令が八坂の向かいに腰を下ろすと、釣られたようにその隣に着席した。
そして……意識して小さく息をつき、気を落ち着けると――彰人は。
「――会長。どうやら、警護らしい警護も付けず、お忍びのような形でいらっしゃったとお見受けしますが……。
その『去年の件』があったばかりだというのに、さすがに不用心に過ぎるのではありませんか?」
眉根を寄せながら、いきなりの諫言を繰り出した。
まさかの対応に、司令が慌てて口を挟もうとするが――それよりも早く、当の八坂会長本人が苦笑を以て応える。
「……やはり厳しいな、君は」
「当然の意見と考えます。
会長ご自身の身の安全は勿論ですが……部下を余計な危険にさらすわけにもいきませんので」
――それは、1年前、南米コロンビアでの出来事だ。
『スラム街近辺の住民の安全確保のため、〈冥界〉建設の助言が欲しい』との政府要人の要請を受け、八坂は自ら現地へ下見に向かったのだが……。
それは、強引な手段で会長職を奪おうと目論むカタスグループ内の幹部が、現地の犯罪組織を抱き込んだ政府要人と結んで仕掛けた罠だったのだ。
そうして、事故に見せかけるため、スラム街でも最も危険な、生屍と犯罪者がひしめく地区に置き去りにされた八坂を、部隊を率いて救出したのが彰人だった。
「あの事件を画策した宮寺専務とその一派が、残らず逮捕されたのは聞きましたが……だからといって危険がなくなるわけでもないでしょう。
職務として命令を全うしただけの自分に礼など不要です――それぐらいならいっそ、さらなる御自重を心がけて下さっている方が有り難い」
「……伊崎、言葉が過ぎるぞ!」
歯に衣着せぬ彰人の物言いにさすがに堪えきれなくなったのか、司令が叱責するも……八坂自身が手を挙げてそれを制した。
「伊崎中尉。
君が、私の思っていた通りの男と分かって安心したよ」
さらりとした表情のまま、一人立ち上がった八坂はソファを離れて窓辺に寄る。
そうして向けられた背中を見ながら、
――もう昇進の目は無い、ってのは別に構わないんだが……。
即刻クビとなるとさすがにマズいな……。
などと、つい勢いで物を言ってしまったことを少し後悔する彰人。
そんな彰人の心中を知ってか知らずか――。
背を向けたまま、八坂は言葉を続ける。
「……中尉。我が家には、『決して金儲けを第一には考えるな』『世のために必要なら散財も惜しむな』という家訓があってね。
それを守り続けてきたからこそ、家も会社も、少しずつ成長しながら、今日まで永らえてこられたと思うのだ。
だから……〈その日〉を迎えたとき、この混乱を鎮めるため、財産を擲つのは当然のことだった。
もしかすると、この日のために我が家は続いていたのではないか――と、そんな風にも思ったほどだよ。
……とは言え、私もまったくの無私の心で行動したわけではない。
これが上手くいけば、はたいた財産の元を取るぐらいは可能だろうし、あわよくば、また少しグループを大きく出来ると、その程度のことは考えていた。
ところが――」
そこまで言って、八坂はくるりと振り返る。
……強い意志の垣間見える鋭い眼差しは、真っ直ぐ彰人に向けられていた。
「グループは、私の予想を遙かに超えて巨大化してしまった。
私を亡き者にしようと画策した者たちは……そうした急成長によって、より膨らんで見えた富と権力に魅せられたのだろう――」