1.運命は糸を手繰る
かつて科学を持たぬ人々は想像し得たろうか。
電気が光となり、網となり、世界を覆うなどと。
脆弱な人の身が、宇宙へ至るなどと。
――永遠もまた、同じだ。
持たぬからこそ、想像はその先へ至り得ない。
生と死を表裏とするのは、理解の限界に過ぎず、
永遠を忌避するのは、想像の足踏みに過ぎない。
〈R・ウェルズ著 『新世生命論』より〉
* * *
――南米コロンビア、首都ボゴタ近郊の小都市。
かつて、政府軍と反政府ゲリラとの戦闘によって破壊されて以来、荒れ果てたまま放置された地区に建つ、廃ビルの一角で……。
八坂 邦大はただ一人、倒れたデスクの陰で息を潜めながら、己の最期を覚悟していた。
カタスグループ会長として、〈冥界〉の建造について、現地の代表者と会合を開く予定ではるばる日本からやって来た彼が――。
犯罪組織による襲撃という、想定外の事態によって追い込まれたこの地区は……入り組んだ迷路のような構造体に生屍たちがひしめく、危険極まりない場所だった。
護衛に付いていた人間が一人、また一人と襲われる中、それを助けることも出来ずにひたすら逃げ惑うのは、まるで悪夢の中をさまよっているかのようだったが……。
窓越しにジリジリと容赦なく照り付ける熱帯の太陽が、これは紛れもない現実なのだと、その身に焼き付けてくる。
「!……来た、か……」
潜んでいる部屋に、複数の気配が近付いてくるのが分かる。
だがここはビルの上階、しかも出入り口は1つしかない――進退は窮まっていた。
……せめて潔く自決するために、拳銃でも借りておくんだったな――。
ふと頭を過ぎった、いかにも後ろ向きな後悔に、苦笑をもらす八坂。
次の瞬間――。
入り口の傾いたドアを破って人影が3つ、勢い良くなだれ込んで来た。
フィクションに現れるゾンビに近い存在のはずが、それよりもよっぽど生気に満ち――それでいて明らかに人ではないと、本能が直ちに認識するモノ。
人間と変わらぬ体組成を持ちながら、人間とは決定的に違う何かを――得たか、あるいは欠落した存在……生屍。
彼らを突き動かしているのが、殺意か、狩猟本能か、それ以外の何かなのか……それは分からない。
だが、その矛先が、この場の唯一の生者である八坂に向けられているのは確かだった。
獣のように素早い彼らが3体も相手では、脇を抜けて逃げ出すのも不可能だろう――。
やはりこれまでか……と。
覚悟を決めた八坂の目に、刹那、別の人影が映り込む。
入り口から飛び込んできたそれが、何者かと八坂が判断するより早く――激しい銃声と閃光が場を掻き乱した。
瞬く間に、2体の生屍の頭部が、人と変わらぬ赤い血を撒き散らして砕け散る。
「…………!?」
思わず呆然と立ち尽くす八坂の前で、その人影――戦闘服姿の青年は。
残るもう1体の生屍の頭部も、手にしたアサルトライフルの精密な三点射で一瞬で撃ち砕くと――。
素早く八坂のもとへ駆け寄り、その顔を覗き込んだ。
「――ケガは? 動けますか?」
「あ、ああ、何とか……大丈夫だ」
八坂の返事に、安堵したように頷き返し――青年は、装着した通信機の向こうに呼びかける。
「目標を無事に確保した、撤収する。
――ああ、頼む。もうしばらく退路を押さえておいてくれ」
「……しかし、まさか……こんな所にまで、助けが来てくれるとは思わなかったよ」
八坂が苦笑混じりに呟くと、青年は険しい顔で応じる。
「宮寺専務とその一派は、我々がこのままここで、揃って朽ち果ててくれるのをお望みのようですが」
「宮寺が?――そうか、そういうことか……」
微かに驚きはするものの、すぐにしたり顔で頷く八坂。
「彼らしくもない、随分と強引な手に出たものだ」
「それだけ宮寺専務も追い詰められていたのでしょう。
基地司令も、今回の我々の出撃命令には不審を感じたらしいので……僭越ながら、自分が独断で、その手の作業を得意とする部下に探りを入れさせています。
優秀な人間です、証拠を掴むのも時間の問題でしょう。
……もっとも――」
「ああ。
私が生きて戻らなければ、君たちのその努力も握り潰されるだろうな」
「その通りです、それに――」
言い置いて、青年はいきなり八坂の襟を掴んで自分の方へ引っ張り込みざま、天井に向かって発砲する。
驚いた八坂が首を巡らせるのと同時に、天井の亀裂から、頭を失った生屍の身体が落ちてきた。
「我欲に取り憑かれたカネの亡者なんぞにグループを牛耳られては、自分たちも真っ当に仕事が出来ませんから」
「……そうか――そうだな。
ああ……! 何としても、生きて戻らなくては……!」
「状況は依然厳しいですが……その調子で諦めないで下さい。
自分たちが必ず、無事に日本へお連れします」
言うが早いか、ふらりと戸口に姿を現した新たな生屍の頭部をあっという間に撃ち抜いて……流れるような動作でアサルトライフルの弾倉を入れ替える青年。
その肩に手を置き、八坂は強く頷いた。
「もちろんだ。――ありがとう、頼りにしている。
君は……」
「自分の名は、伊崎――。
伊崎 彰人と言います、会長」




