25.それぞれの先へ
「……これ、は……?」
差し出されたメモと財布を反射的に受け取ってしまったカイリは、それらと、ヨトゥン本人の顔を何度も見比べる。
その様子に、当のヨトゥンは微かに笑みつつ口を開いた。
「そのメモした住所に、私が日本へ渡る際に頼った運び屋がいる。話は通しておくから、会ってみるといい。
今の君では、パスポートを取ることも、使うことも難しいだろう? だがその運び屋に任せれば、その辺りもうまくやってくれるよ。
……ああ、大丈夫。
確かに相手は裏世界の住人だが、死にかけていたところを救ってやった恩があるから、私の紹介だと言えば悪いようにはしないはずだ。
もっとも、向こうが何か企んだところで、ただの人間では君相手に何を出来るとも思えないが」
「い、いえ、そうじゃなくて、その……」
ヨトゥンの意図を汲みきれず、戸惑うばかりのカイリ。
その肩を、大きな手で優しく叩き――ヨトゥンはきっぱりと言った。
「世界を見てくるといい、カイリ。その眼で」
「……ヨトゥン。で、でも……!」
「――それがきっと、君が探す答えへと繋がっているはずだ」
穏やかながら、有無を言わさぬ口調で続けるヨトゥン。
「もちろん、それだけじゃない。
君の身の安全を私なりに考えて、という理由もある」
「僕の、身の安全……ですか?」
「ああ。君も思い至っていることだろうが、人間というものが、我ら屍喰に対して全面的に寛容になるとは考えにくいからだよ。
今のところはまだ、不確実なウワサ程度で済んでいるから実害も少ないが……存在がはっきりと認識されれば、我らが忌避の対象となるのは間違いない。
そうなると、友好的な態度を取ったところで、実験動物のような扱いすらされかねないだろう――それも、生屍についても何も理解出来ずにいる今の人類では、何ら得る物などない無為極まりない実験の、だ。
つまり――少なくとも今しばらくの間、我々は姿を隠していた方がいいということになる。
恐らくその気になれば、我々は、軍隊を相手にしようとも、100や200――いや、きっともっと大勢の人間だろうと、造作なく殺すことも出来るはずだが……そんな真似は望まないだろう? 無論、私もだ。
だがカイリ、生憎君はその特徴的な外見のせいで、どうしても人目に付きやすい。
世を捨てて隠棲するわけでもなく、その上、日本という小さな島国に居続けるとなればなおさらだ」
「だから……僕が、先に言ったように行動するつもりなら。
日本を出るのが、一番だと……そういうことですか」
ヨトゥンは大きく頷く。
だがそれでもやはり、渡された財布を、カイリは中途半端な位置から動かせずにいた。
「で、でも、だからって……」
「運び屋への渡りはささやかな手助け、そしてその財布は餞別だよ。
いくら我らが飲まず食わずで平気だと言っても、路銀があるに越したことはないからな」
「そ、そんな……」
会ったばかりの人にそんなにしてもらうわけにはいかないと、なおも断ろうとするカイリだったが……ヨトゥンは、笑顔でそれを撥ね除けた。
「生憎と私は独り身でね。君が思っている以上に貯えはあるんだよ。
それに、私には医術という、いざとなれば稼げる技術があるが……学生の身だった君にはまだそういったものもないだろう?
ここは素直に大人の厚意に甘えておくといい。
第一、君は会ったばかりの人に、と言うが――私たちは数少ない〈同族〉なんだ。
手助けをするぐらい、当然だとは思わないか?」
――こういうとき、友人や養い親からは、線の細い見た目に反して案外頑固だ、と言われてきていたカイリだったが……。
ここまで理路整然と、しかも同族という言葉まで出されて説き伏せられては、断ることも出来なかった。
改めての感謝の言葉とともに、大きく頭を下げる。
「それで、ヨトゥン……あなたの方はこれからどうするんですか?」
「何も無ければ、君と行動をともにするのも良かったが……私には私で、少々やるべきことがあってね。
有り体に言って、友人を探しているのだが――その手掛かりが、この伏磐にあるかも知れないんだ。それを探さなければならない」
ヨトゥンの視線に、これまでにない厳しさが宿る。
多くを聞かなくとも、彼にとってそれがとても大事なことなのだと、カイリにも察せられた。
「そうですか……。
その、友達に無事に出会えるよう、祈っています」
「ありがとう。君も、君自身納得のいく答えが見つかればいいな。
果たして、それがどういったものなのか――聞けるときを楽しみにしているよ」
ヨトゥンは、改めて大きな手を差し出す。
カイリは今度は戸惑いも躊躇いもせず、それをしっかりと握った。
「……はい。あなたから受けた恩は忘れません、ヨトゥン。
いずれきっと、お返ししますから」
「そうか。では、そちらも楽しみにしていようかな」
これも屍喰の性質なのだろう――。
握り合うお互いの手に、温度としてのぬくもりは感じられない。
だが……。
そこにあるのは決して、冷たさなどではなかった。