23.救いでも罪でも
「――ただ」
カイリとの握手を解いたヨトゥンは……。
微かに眉間に皺を寄せながら、先程までよりも重く口を開く。
「あるいは我らは……『人殺し』という意味でも〈同じ〉かも知れない。
生屍も、今のところ体組成については、生きている人間との間に違いが見つからないでいるのだから。
一度死を経て、生き返っただけの彼ら生屍も、まだ『人間』なのだと見るなら――それを殺し、喰らう我らは。
……場合によっては、殺人者より人道に悖る存在なのかも知れないな」
「――っ。それは……!」
ヨトゥンの言葉に、唇を噛んで俯くカイリ。
――彼が実際に喰らったのは、七海ただ一人だ。
だが、これは数の問題などではない。
ゼロでないのなら――まして、その唯一の相手が、自分にとって最も大切な存在ともなれば。
カイリに、反論する余地などあるはずもない。
カイリの表情、そして視線の動きから、その心中を察したのだろうヨトゥンは――。
はっとした表情で、「すまない」と頭を下げた。
「――私としたことが、不用意な発言だった。
私たち自身を貶めたり、ましてや君を責めるつもりなどなかったのだが。
……しかし、そうか……君は望まず大事な人を。
だが逆に言えば、だからこそ、こうして弔うことも出来る――か」
「! じゃあ……やっぱり……!
僕らがその、『喰らった』人は……もう、蘇生したりすることはないんですかっ?」
「確認したことがないのか?」
「その……怖くなって、逃げ出してしまって……。
ナナ姉が――僕が喰らってしまった人がどうなったのか、はっきりとは見ていないんです。だから……」
苦々しげに絞り出されたカイリの言葉に、ヨトゥンは明確な驚きを見せた。
「待ってくれ、カイリ。
そんな風に尋ねると言うことは……つまり君は、初めて喰らったのが大事な人で――それ以来、一度もあの〈衝動〉に屈していないということか?」
「あ……はい。今のところは、何とか……」
カイリの素直な答えを聞き、ヨトゥンはさらに目を見開く。
「何とかなるものでもないと思うのだがな……あれは。
――いや、君を疑っているわけじゃない。それが事実なのは『分かる』。
だからこそ、驚かずにはいられなくてね。
だが……そうか。そういうことならば、確かに知らないだろうな。
……いいかな? 心臓を喰らった生屍は、二度と再生することはない。
そのまま――いやむしろ、普通の死体よりもよほど綺麗に、何も残さず土へと還る。
だから、君は随分と気に病んでいるようだが……カイリ。
君は大事な人を喰らうことで、むしろ『救った』と見ることも出来るんだよ――生屍として、さまよい続ける運命から」
ヨトゥンの、そんな励ましにも――。
カイリは、堅い表情のまま小さく首を横に振る。
「彼女が事実、生屍になっていたのなら……そうかも知れません。
でも、僕は――抑えきれない〈衝動〉に駆られた、あの時の自分の感覚が信じられないんです。
もしかしたら、あのときナナ姉にはまだ息があったのかも知れない。
それとも、生屍ではなく、僕と同じ存在になろうとしていたのかも知れない。
なのに僕は――そうした可能性を〈衝動〉にとって都合の良い感覚で、塗りつぶしてしまったんじゃないかって。
ただ、〈喰らう〉という欲求を満たすためだけに――。
僕は、一番大切な人をこの手にかけたんじゃないか、って……」
そこまで言ってから、カイリは真摯な表情で自分を見つめているヨトゥンの姿に気付くと。
慌ててもう一度、今度は大きく首を横に振った。
「す、すいません、気を遣ってもらっておいて……。
こんなこと、あなたに言っても仕方がないのに……」
「いや、構わないよ。
私もまた、自分のことを完全に理解出来ているわけではないのだから。君がそうした懸念を抱くのも、無理からぬことだろう。
ただ……これまでの経験からして、心臓を『喰らおう』と〈衝動〉に突き動かされる対象となるのは、生屍だけだと私は思う。
少なくとも、これまで生きている人間を相手にそうした〈衝動〉を感じたことはないし……それはカイリ、君という同族に対しても同様なのだから」
「……ありがとう、ございます」
――ヨトゥンの言葉が、カイリの心を締め付ける罪悪感という鎖を、快刀のごとく断ち切ってくれたわけではない。
そもそもその縛めは、解かれるようなものではないと――解かれてはならないと、カイリは思っている。
だが、理を以て縛めから解放しようとしてくれたヨトゥンの心遣いは、純粋にありがたいもので。
鎖そのものは残ろうとも、僅かなりと心を楽にしてくれたその事実に、礼の言葉は自然と口を突いて出た。
そうしてから――先のヨトゥンの発言が気にかかったカイリは。
話を変えようという意志も含めて、改めてそのことを尋ねる。
「ヨトゥン、あなたが今言ったことですけど……。
〈衝動〉が喰らおうとするのは――心臓、なんですか?」
「ああ、そうだ。幾度か喰らううちに気付いたことだが……。
生屍の心臓――それを喰らいさえすれば、〈衝動〉は治まる。
もっとも……明確な証拠があるわけでもなく、あくまで、私の経験則による持論でしかないがね」
「いえ、何て言うか、その……参考になります、とても。
それであの、良ければ、もっと色々なことを教えてもらえませんか?
――知りたいんです、僕は。
自分に何が起こったのか、世界に何が起きているのか」
七海の墓を守り、思い出の中で生き続ける――。
先に一度夢想したその道が、魅力的なのは事実だ。
だが、それではいけないと――現実を見据え、罪悪感も悲しみも受け止めて前を向かなければいけないと自らを叱咤する意志もまた、事実としてカイリの中にはあった。
『ほら、かおをあげなさいっ!』
幼い頃の七海の言葉が、またふっと脳裏を過ぎる。
そう――七海はきっと許さないだろう。
過去にしがみついて、逃げ続ける生き方など。
そんなものは、『生きている』とは言わないと。
……だから――。
カイリは真っ直ぐな意志を込めて、ヨトゥンを見上げた。
ヨトゥンもそれに応えるように、「私もだ」と大きく頷く。
「私も、君と同様、自分に――そして世界に起きたことを、知りたいと思っている。
だから改めて、互いに知り得たことを話し合い、検証してみようじゃないか。
――私も、カイリ……君の話にはとても興味があるからね」