20.あの日のあの場所へ
――自然も多く残る伏磐市は、主要都市近郊ではあるものの、さほど開発も進められておらず、大きな賑わいはなかった。
逆に言えば、そうした大都市には無いゆとりのようなものが、この街の魅力の一つでもあったのだが……。
半年前に生屍を封じ込めるための〈冥界〉として指定され、残っていた住民の退避と地域の隔離が完了した今――。
この地を覆っているのは、そんな穏やかな空気ではなく……空虚という名の、寒々しい沈黙でしかなかった。
そして、その沈黙の下に――。
支配者のごとく闊歩するでも、咎人のごとく隠棲するでもなく。
それはまるで、休日の散策のように……街を当て処なくゆったりとさまよい歩く、生きた屍の姿がぽつぽつと見受けられた。
――そんな伏磐に……カイリは、1年ぶりに帰ってきていた。
見慣れた街路を歩きながら、今の伏磐の様子を見るにつけ……彼はまるで別世界にいるような心持ちになる。
たった1年……離れていたのはそれだけだ。
だが、記憶の光景との印象の落差は――〈その日〉、世界に起きた異変の激しさそのものと言っていい。
……青森で〈白鳥神党〉の信者だった家族から逃げた後、また行く宛てもなく日本中を回っていたカイリだったが……。
日を追って進む伏磐市の冥界化が報じられるたび、気持ちが強く引かれるのを感じていた。
それでもすぐに帰ろうとしなかったのは、知人に出会ってしまい、万が一にも危害を加えたり――変わってしまった自分を見られたりするのを恐れたからだ。
しかし、急造の壁による第1段階の隔離に伴い、生存者の退避も完了したとの報を目にし――さすがにもう誰かに出くわす危険はないだろうと。
カイリはようやく……こうして、本当の意味で故郷と信じるこの街へ戻ってきたのだった。
もちろん、帰ってきた理由は、ただ郷愁に駆られたから……というだけではない。
きちんとしたものは無理でも、彼は彼なりの方法で、七海を弔いたかったのだ。
――気持ちも考えも、整理がついたなどとは、まだとても言えない。
だがそれでも、いくらかはあの日より落ち着きを取り戻していたカイリは……ここ伏磐が冥界として完成し、姥捨て山よろしく、他所から送られてくる生屍で溢れかえる前に――と。
意を決して、二度と思い出したくはない惨劇の地へと足を向けた。
彼にとってすべての始まりの場所である、あの日の事故現場――。
そこは、破損したガードレールや折れ曲がった街灯、道路のブレーキ痕など、当時の名残を留めたままに放置されていた。
もっとも――そこに、『死体』だけは一つとしてなかったが。
――どうして僕は、もっと早くに……。
七海のためにも真実を追い求めようと決めながら、結局、1年もの間、肝心要のこの場所からは逃げ続け、目を逸らし続けていた自分の弱さ。
そのことに、カイリは薄情だと改めて憤るとともに……何より七海に対して、申し訳ない気持ちで一杯になる。
だが、このまま後悔に浸り、何もしないでいれば、これまでと何も変わらない。
あの日あのときの、〈衝動〉の熱に浮かされていたせいか、どこか曖昧な記憶を必死に辿り、思い出しつつ……事故の中心地でもあるバスへと向かうカイリ。
曖昧とはいえ、身体に――心に、確かに刻みこまれているその記憶は、最も思い出したくないものだ。
一度死に、人でないモノになってからは、体調を崩したことなどないのに……そのときの記憶を探れば探るほど、動悸は激しく胸を打ち、めまいと吐き気が襲い来る。
心が、己を守ろうと、思い出すことを拒否しようとする。
だが、今度は逃げるつもりはなかった。
カイリは歯を食いしばってそれに耐え――少しずつ、記憶を手繰り寄せていく。
「っ!……ナナ姉――ナナ姉……っ……!」
いつの間にか浮き上がっていた涙は、記憶の中の視界も妨げるように感じて……ぐいと力任せに目元を拭い去り。
――そして、彼はふと気が付く。
……あのとき。
彰人と結衣が走り去り、それを追うように動き始めた生屍たちをねじ伏せた――あのとき。
『喰らう』ことだけは何とか堪えたものの、ケンカすら満足に出来なかったような自分が、あれほど暴力的に、かつ淀みなく、人の姿をしたものを蹂躙した事実に恐れおののき、人の気配を避けて逃げ出そうとした――そう、そのとき。
改めて見るのは避けていたのだろうが、いざバスの中から逃げ出す際、一瞬、視界の隅に入れてしまったその場所。
自分が喰い散らかした七海、その亡骸が横たわっていたはずのそこに。
今は……血に塗れた、彼女のものらしい制服しか残されていなかったのだ――。