16.生き神様
――生き神様。
思わず立ちすくんだところへ投げかけられたその言葉に、カイリはぞっとする――氷よりもなお冷たい亡者の手が、胸の中に忍び入り、心臓を鷲掴みにしたかのように。
カイリの足下に、縋るように跪いた二親は。
不自然な輝きに曇った眼を真っ直ぐに向け、口々にカイリを再び〈生き神様〉と――彼が最も忌み嫌う名で呼び始めていた。
「まさ、か……あなたたちは――」
「ええ、ええ、そうです! 〈白鳥神党〉の者です!
まさか、このようなところで再びお目にかかり……そればかりか、早速ご加護を賜れるなんて……っ!」
カイリの心臓を掴んだ亡者の手は、その力をゆるめるどころか、さらにきつく締め上げにかかっているようだった。
……いや、心臓ばかりではない。
目が眩み、知らず後ずさろうとした足すら、逃がさないとばかりに捕まえられる。
「ああ……! やはり、あなた様は真実、生き神様でした……!
〈白鳥神党〉が解体の憂き目に遭った後、私どもの周囲の者たちが盛んに、あなた様をニセモノだ、ペテンだと貶め、私たちは騙されていたのだと言い立てていましたが……。
ああ、良かった……!
そんな戯言に耳を貸したりせず、あなた様を信じ続けていて、本当に良かった……!」
「ま、待って! 僕は、僕は――!」
やめてくれ、と叫びたい。しかしそれすら叶わない。
辺りを覆う雪の白さが――。
あの頃自分がいた空間の、造られた『白さ』に重なる。
見上げてくる輝き濁る眼が――。
あの頃自分がいた空間を満たしていた数へ、増殖していく。
母を騙る巫女が――。
白鳥の神性を説き、顕現たる彼こそ生き神と偽る声が聞こえる。
父を偽る教祖が――。
生き神の奇跡を謳い、演出された神通力を騙る声が聞こえる。
北の地に住んでいたあの頃……。
何も知らない子供だったのは確かだ。
何の力も持たない弱者だったのも間違いない。
だが――養い親が、自分たちの欲望のためだけに多くの人々を騙し、生活を壊す……その悪事の片棒を担いでいたのは、否定のしようもない事実なのだ。
司法の手が入り、団体が解散になったあと、カイリを引き取ってくれた老神主は……そんなカイリの罪悪感を安易に否定したりせず、それも改めて人として生きるために必要な、心の一部だと認めてくれた。
そうして、カイリがそれを受け止めた上で、真っ当な人間へ成長していけるように、ゆっくりと見守ってくれた。
加えて、彰人が――そして、七海がいた。
白子であることを理由にいじめられるたび、自分の中でぶり返す罪悪感が、これは罰だと自分自身を責め立てるのを……彼らの存在が救ってくれた。
だから、彼は真人間になれた。
罪悪感は消えることはなく、些細なきっかけで古傷のように痛もうとも、それを受け止め、抑え込んで、胸を張ることが出来た。
そう――半年前までは。
自身が、こうして人でなくなるまでは。
こうなったからと言って、自分はやはり生き神だったと宣うつもりなどない。
当然、だからあの頃養い親がしていたことも、詐欺などではなかったと、擁護するつもりもない。
だが、自身が既に人ではないこと……それは事実なのだ。
否定したくても、しかしどうあっても否定しきれない事実――。
それを、決して消えない傷痕ごと抉られる責め苦に、カイリの心は今にも千々に引き裂かれそうだった。
「僕、は……っ……!」
その苦痛のもとになっているものを目の前から消し去ろうと、足下に跪く二親を、今にも、その人外の膂力の秘められた腕で薙ぎ払いかけるカイリ。
しかし、僅かに上げた視線の向こう――。
寄り添い合う幼い姉弟の姿に、かろうじて我を取り戻す。
……あの子供たちが、既に親の影響を受け、彼を生き神と見る、歪んだ教えに傾倒しているのか――それともまだなのかは分からない。
だが、今この瞬間はまともに見えるその無垢な瞳が、両親と同じ、あの濁った輝きを宿すのが怖かった。
いや……のみならず、もしも今、とっさに踏み止まれずに両親を殺してしまっていたなら、それどころでは済まなかっただろう。
そのとき、彼ら姉弟が向けてくるのは、間違いなく、憎悪を含んだ恐怖だ。
――あのとき、七海を喰らう彼に、彰人が向けたものと同じ……。
不幸中の幸いと言うべきか、少なくともその最悪の事態は何とか避けられた。
子供たちから親を奪うこともなく、自らの心の平衡もかろうじて守られた。
だが、今この瞬間からは……子供たちの移ろう感情が、その瞳にどんな色を映し出すか分からない。
少なくともカイリにとって好ましいものであるはずはなく、狂気か、恐怖か……そのどちらかに限られるとしか思えなかった。
そしてそのどちらも、彼は見たくはなかった。
まして、かたや一度は七海を重ねて見た少女だ――そんな昏い感情を顕すところなど、とてもではないが見られない。耐えられない。
「――あっ!? い、生き神様……っ!!」
だから――彼に出来るのは、ただ逃げることだけだった。
すべてを振り切り、決して振り向かずに走り去ることだけだったのだ――いつかのように。